山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

いよいよ晩秋  茜色の山並みの向こうは被災地

2011-10-29 00:08:29 | 風景
 山形市街地の東部で流麗な姿を連ねる奥羽山脈の山並みもすっかり晩秋の装い。
 麓に近い部分は紅葉が盛りだが、上部に昇るにつれて枯れ木も山の賑わいの頃となり、微妙な色彩の変化が望める。
昨日は見事な秋晴れの一日だが、西陽の反射による山肌の錦色の鮮やかさは今一つ。
 それでもこの景色により清々しい気分を味わうことができた。
 でも、この山並みの向こうは被災地の宮城県だから、今なお夥しいガレキの光景が日常で、悲嘆さが未だ癒えず、このまま冬を迎えねばならない人々が多いことをも思わずにはいられないのだ。

◇写真は蔵王連峰北部の雁戸山(左の稜線の最低部分が笹谷峠付近)

◆下記姉妹ブログの記事もご覧ください。
   http://blog.goo.ne.jp/ezoben-k
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離れて遠き満州の?

2011-10-21 11:31:19 | 旅行、小旅行
 これまた立派な歴史的建造物。
 でも、保存状態はあまりよくないし、訪れた者もこの建物がかつて何であったかなかなか理解することは不可能であろう。
 というのもこの建物を説明する看板も何も見当たらないからである。
 それでも、外見も円形で個性的であるだけでなく、内部に入っても個性的構造に魅惑されてしまう。
 むろん、小中学生たちが中に入ったらわくわくすること間違いなしである。
 ところがところが「子どもたちの安全安心」を何にもまして最優先させる現代の教育環境においては「耐震性に問題あり」として子どもたちに対するキャンプ活動などでの使用が認められるとは思えない。
やはり建物自体の老朽化はかなりになっており、補修もあまり行きとどいてはいない。
 それでもこの建物はかつての教育訓練施設であるから、「教育史」の上からも丁寧な補修が望まれる。
 というのも、これは戦前の満蒙開拓に向かう青少年の農業開拓のための訓練研修所だったからである。

 タイトルはかつての物悲しい音調の軍歌『戦友』の「ここは御国を何百里、離れて遠き満州の赤い夕陽に照らされて・・・」からのものである。[写真はグループで先日訪れた金山町で撮影した日輪舎]
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むっずがすい映画の祭典、盛会裏に終幕

2011-10-17 16:22:45 | イベント
 山形の街を多数の外国人たちが行き交う中では山形弁も数多い外国語の一つと感じた人も少なくなかったのかも知れない。
 8日間にわたって山形市の中心市街地で開催された「山形国際ドキュメンタリー映画祭」も先週の木曜日に全日程を終了した。
 日本人でさえ、とくに西日本に住む人たちにとっては山形の地理的位置など普段は正確に認識していないために巨大地震と津波により被災した宮城県や岩手県、原発事故が発生した福島県のすぐ近くくらいであることくらいはうっすらと覚えているだけに、さぞかし山形も大きく被災し、放射線量も高いものと思う人が多いのだから、「国際」的イベントながらもわざわざ危険な思いをしながら遠い外国から山形までやって来る外国人など少ないのではないかとの懸念が山形市民や映画祭関係者の間でも支配的であった。
 しかしフタを開けてみると参加者数は前回を上回っているから盛会だったと言えそうだ。
 しかも文字通り「ドキュメンタリー」という名にふさわしい社会派、硬派的な内容の映画が多く、山形弁で言うなら「むっずがすい」、つまり難しい、難解な映画が鈴なりなのだから、そんな映画ばかりで「盛会」になるなど奇跡に近いことだと申されても不思議でない。
 その「奇跡」が現実に山形で起きたことになる。
 タイトル写真は閉幕式典に際して行われた受賞作品と監督たちに対する表彰式の様子であるが、観客席の前の方は確かにがら空き状態であるものの、中段や上段の方の席はほぼ満席であった。
 また2年後には第13回目が開かれることになるが、海外、とくにアジアの若手の映画作家たちは2年後のヤマガタに熱い眼差しを向けることになるであろう。
 
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二つの国際的祭典inやまがた

2011-10-07 23:28:36 | イベント
 昨日のことになるが、二つの国際的祭典が山形で開かれた。
 一つは昨日の一日だけのもの、もう一つは昨日から一週間の開催である。
 確かに左側には彫の深い顔立ちの人物の姿が見られるからいかにも国際的イベントと思しき写真であるのに対し、右側の馬を使っている競技は和式そのものである。
 左は前々回記事で予告した通りの「山形国際ドキュメンタリー映画祭」の開会行事の模様で、外国人監督らの紹介の場面であるが、左の写真はどうして国際的なのか。
 むろん、馬を使っての団体競技には映画祭関係の外国人監督たちも観客として訪れていたから確かに国際色豊かではあったが、この競技自体は起源が遠い異国であるということにおいても国際的と言える。
 この打毬については下記の過去記事を参照ねがいたい。
  http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/s/%C2%C7%DD%DC
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和傘がある旧ホテルでレトロ館ペン画の展示会

2011-10-04 22:26:56 | イベント



 6年前に逝去した故結城泰作氏が79歳から83歳までの間(実質約3年間)に描いた山形市内外の歴史ある建造物のペン画の展示会が現在タイトル写真の和傘が置かれている旧ホテルで開催中である。
 この旧ホテルについては当ブログでも過去に何度か記事にしているから、その名称と場所についてはここであらためて述べるまでもないであろう。
 ただし、この和傘はいつでも玄関前に置かれているわけではない。
 ともかく、この和傘はこの旧ホテルの歴史の深さと和風の良さを感じさせてくれるので、訪れた際に写真の“モデル”になっていただいた次第なのである。
 なお、展示会は11月8日までの開催である。
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