山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

モーツァルトが踊る奥羽の山並み

2006-01-31 07:43:40 | 風景

 ↑ 蔵王国定公園領域の神室岳(山形神室)の稜線

 ↑ 左右が富士山状の雁戸山(神室岳とともに稜線は宮城県との県境をなす)
  ↓ 西蔵王の龍山  蔵王温泉と蔵王の主峰熊野岳は背後のため見えない

 今年は“音楽の神童”ことモーツァルトの生誕150年を記念する催しや事業が世界中、日本中で目白押しである。
 彼の生誕地であるオーストリアのザルツブルグは人口が約15万人だが、世界的観光地でもあり、多くの観光客はモーツァルトの面影を求めて訪れる。だが彼自身は故郷に好感情は抱いていなかったらしい。それでも現代のザルツブルグはモーツァルト様様であり、むろんヨン様どころではない。
 また、ザルツブルグはチロルアルプスの入り口のゆえに自然景観にも優れ、歴史的街並みも多く、確かに第一級の国際観光都市ということができよう。
 だからわざわざでもザルツブルグまででかけてモーツァルト音楽を鑑賞したくなる気持ちもわかる。だが、日本国内でも鑑賞に相応しい場所は少なくなかろう。
 例えば、山形市の東部に連なる県境の山並みを眺望しながらの鑑賞もお勧めしたい。優美にして雄大な山並みの曲線とシルエットの大パノラマはそれ自体がモーツァルトのシンフォニー、例えば『ジュピター』を思わせるものであり、ラジカセなしでも音楽が聴こえてくるような眺望である。
  ※ 写真はいずれも霞城セントラルの展望室より
    山形市の姉妹都市のキッツビューエル市は西方すぐ近く
 
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山形の名建築(18) 金瓶学校(斎藤茂吉母校)

2006-01-29 07:32:57 | 建物


 上山市域の北はずれで、すぐ山形市との境界の所に蔵王の山並みがすぐ間近に望める金瓶という集落があり、そこはアララギ派の歌人斎藤茂吉の生誕の地として知られる。
 茂吉(旧姓守谷)は東京の斎藤家の養子となり、青山脳病院院長を務めたが、死後は生家のすぐ近くの宝泉寺に葬られた。墓は住職の墓と並んでいる。
 この写真は茂吉が入学した小学校校舎で、もともとは寺の住職の隠居所として建てられたが、小学校として改造され、茂吉は3年生まで学んだ。校舎は明治時代の姿のまま保存会の手で大切に保存されている。
 今でも当時の子どもたちの賑やかな声が聞こえてきそうな佇まいである。
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歩き足りない坂のまち上山

2006-01-28 07:09:26 | 建物
 上山市は中心市街地では坂道と曲がりくねった道が多い。
 というのも、市街地の西半分は上山城跡を中心に丘陵部分となっているからでもあるが、おそらく山形県内の都市の中心部でこれほど坂道と曲がりくねった道が多い都市はないのではないか。
 この意味で上山市は丘陵を切り開いて築かれた東京の山の手や横浜と似通っているとも言える。大都会ながら東京、横浜に多くの魅力が残っているのも、やはり坂道と曲がった道路が多いからである。これに対し、平坦な市街地で直線道路だらけの街は歩いて面白さに欠ける。
 だから上山は街の景観が変化に富んで「街歩き」にはきわめて魅力的である。
 しかも上山の中心部には適当な幅の河川が流れ、都市環境を大いに潤しており、街なかを縦横に歩き廻るだけなら1時間か1時間半ですむが、温泉情緒、武家屋敷群や豪商の店構えなどの城下町の風情、神社仏閣・・・と、有名無名の見どころが多く、どうしても1、2時間では物足りなくなり、もっと歩き続けたくなる。
 そんな街が上山であり、そんな中で写真のような和風の瀟洒な旅館が雪景色の中でたたずんでいた。
 その名は山城屋であるが、ここでは郷土が生んだ短歌の巨人、斎藤茂吉のゆかりの宿と述べるだけにとどめよう。詳しくは下記ホームページを開かれたし。

http://www16.plala.or.jp/yamasiro/index.html
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温泉ブーム、足湯ブーム・・・それ本当?

2006-01-27 00:00:41 | 建物

 南隣の上山市に“雪見”にでかけた。緯度は山形市より南だが、海抜は高いし、山あいの街だから、例年は山形よりもやや雪が多い。また、北隣の天童市街は例年は山形と同程度かやや少なめの積雪だが、今冬は格段に雪が多いというから、さぞかし上山の雪は多かろうと“期待”をもって出かけたのだが、意外や意外、山形とほとんど変わらないどころか、より少ない感じすらした。
 屋根の雪がそう厚くないばかりか、道路の脇に掻き寄せて築かれた“雪山”もほとんど見当たらない。すっかりダンプで運び去られたのだろうか。
 意外だったのは雪が少ないことだけでなく、昨今、温泉ブームといわれながら、有名温泉地であるはずのここでは温泉客らしい姿は見当たらないし、中心街を往き交う市民の姿も実に少ない。また、“足湯”がブームというが、いかに厳冬期とはいえ、路傍の2ヵ所の足湯浴場には誰一人訪れない。
 まことにまことに静かな街であり、静かな時を過ごした。

 湯煙だけが活気を見せてくれた
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山形の名建築(17) 山寺ホテル

2006-01-26 07:10:07 | 建物
 JR山寺駅を出ると真正面に宝珠山を背景とした和風造りの山寺ホテルが待ち構えている。
 このホテルの建築年代の詳細は不明だが、大正末期頃のようであり、かれこれ80年余になる。仙山線の山形・山寺間の開通は昭和8年だから、ホテルの開業はその8年ほど以前になる。更に仙台・山寺間の開通は昭和12年であり、かなりの先見の明により建造されたと言える。この時代は国民のの旅行も既に大衆化して、霊場としての山寺に訪れる人たちも必ずしも信仰目的だけでなく、観光、行楽目的も多くなった頃であり、「宿坊」意外の宿泊施設の需要も高まっていたのであろう。
 だが、クルマ社会の進展と大型観光バス利用の団体客の増加により観光客の山寺滞在時間は短くなり、多くは遠方の有名温泉地に宿泊するようになった。
 それでもこの山寺ホテルは、山寺駅を出入りする観光客にとって山寺の景観を強く印象づける不可欠の要素である。山寺ホテルを前景にした宝珠山の景観はなかなかのものだからである。もし、この建物が歴史スポットとしての山寺に不相応な洋風建築や現代建築、更に宝珠山の姿を隠すような高層建築になったら、山寺の良き第一印象は大きく減退するのではないだろうか。
維持、補修だけでも大変なことは疑いないが、それでも何とか守り続けられるようであってほしい建物である。

※ 山寺ホテルの内部写真は旅行者のHP(下記アドレス)によりご覧ください。
http://tukipie.net/diary/upup.cgi?page=26

※[追記 2/15]同ホテルの建築年代については、北側部分(宝珠山の方向)が明治35年、南側(山寺駅方向)の玄関、新館部分は昭和12年建造との新しい情報が寄せられました。新館は仙山線の全線開通に伴うことは明らかでしょう。

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喧騒の六本木、静寂の三本木

2006-01-25 07:20:30 | 風景


 今頃六本木ヒルズの界隈は喧騒に包まれているだろう。むろん多くの一般勤労者は平静を装っているようだが、やはり内心は穏やかならざるものであろう。
 一方、こちら山形の西蔵王高原の三本木沼と周辺は静寂そのもの。沼は凍結し、表面は雪で覆われている。この辺りは自然景観に優れているため、下界の山形市民はもちろん、首都圏の大都会人にも人気を集めるようになり、春になれば散策や釣りで賑わうようになる。
 沼の周囲の丘陵群を仮に「三本木ヒルズ」と呼ぶならば、この自然環境を愛する人々も「ヒルズ族」ということになる。

 ※ 写真(上)は初夏の三本木沼 写真(下)は厳冬の三本木沼
   写真(下)の出所は下記のHPより(ただし撮影は三年前)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~norichin/3camp/2003/02nishizao/settyuuimoni2.htm

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第1回仮称「日本アガスケ大賞」にホリエモン氏!?

2006-01-24 00:30:19 | 街づくり

 ↓ 山形職人のアガスケ魂(プラス面)の結晶、旧済生館本館(三層楼)

 ライブドアの堀江貴文社長が証券取引法違反容疑で逮捕された。
 むろん堀江社長と山形とは大きな点では何一つ関係がない。しかし、山形弁単語の横綱格である「アガスケ」の意味を良くも悪くも最もよく体現する人物が彼であるという点で、山形とホリエモンは大いに関連づけられる。
「アガスケ」を一口で標準語に置き換えることはなかなか難しいが、まあ「目立ちたがり屋」ということであろうか。つまり大いに揶揄の意味が込められており、決してプラス評価の言葉ではなく、マイナス評価と悪意の意味を持つ。
 本人は善意で世の為人のため積極的に行動しているつもりでも、多くの山形人は単なる目障りな出しゃばり行為くらいにしか見てない、それどころか足を引っ張られたり、釘を打たれたりもする。むろん、ド派手な外観のスポーツカーの助手席に超美人を坐らせてけたたましくクラクションを鳴らして目抜き通りを走り抜けるような行為もアガスケと呼ばれる。アガスケ呼ばわりされることが怖いこともあり、概して山形人は社会的に消極的となり、県外人からは自己アピール力が弱く、物言わぬ民だとかとも言われ、それゆえ山形の風土は保守的、閉鎖的だとまで言われることが多い。
 一方、全国区に目を転じると、ホリエモン氏は派手な企業吸収を繰り返し、プロ野球球団買収申し出、東北地方での新球団設立計画持ち上げ、ニッポン放送株取得、総選挙立候補、著書出版、テレビ出演、有人宇宙飛行参入計画、CD歌手デビュー、若手女優兼歌手との交友など突出した行動には枚挙に暇がない。やれやれ。
 だから、とても山形人の中からアガスケ大賞該当者を見つけ出すことは困難であり、やはりホリエモン氏が最有力候補者なのだろうか。だが、積極性と行動力は評価できるが、性急さ、強引さ、そして何よりも公益的意図が感じられないのが気にかかる。やはり善意と地道さが多くの人々に感じられるようなアガスケでなければならない。
 もっとも、最近山形でもようやく「アガスケ」をプラスの意味で評価しようとする気運が高まっており、「アガスケ魂」を売り物にして地域興しに役立てようとしているグループもある。 ※ 8月5日の記事参照
 
 
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建造物3種の光景

2006-01-23 07:20:24 | 街づくり
 高層ビルを真ん中にして三つの建造物が視覚に入っています。
 えっ! 建造物が三つだって? 
 はい! 確かに3種の建造物があります。
 もちろん、一つは山形駅西の24階建ての霞城セントラルで、二つ目は山形城跡の石垣で覆われた土塁。これも歴然とした巨大な歴史的建造物です。日本でも有数と言われる長大な城郭土塁の遺構として国史跡に指定されているが、むろん重機やダンプカーなどはない時代に、人力(恐らく下級武士が主力)でかなり短期間に築かれました。
 そして三つ目は・・・どれが? 
 はい、それは雪を素材としたものです。
 となると、右側の雪の塊の山?
 そうです。むろん、これは大自然が造った山岳ではありません。人間が機械力を使って作り上げた雪山です。
 今、山形には、というよりは雪国では至る所に人工の雪山や銀嶺山脈が築かれています。特に主要道路沿線や駐車場の脇に多いようです。これらの雪山を全部合わせたら山形市内だけで富士山の高さ以上になるでしょう。
 なぜ、こんなに市街地に人工の雪の山が築かれるのかといえば、道路をクルマが通りやすくなるように、また駐車スペースを確保できるようにするためです。しかし、更に重機で崩されてダンプで河川敷などの雪捨て場に運ばれます。
 こうして雪山を築き、そして崩すために膨大な二酸化炭素が大気に排出されます。やがて更なる気候変動による集中豪雪を招き、雪山は更に高くなることになるでしょう。
  ( → 1月11日の記事参照。対照的な光景です。)
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徐行徐行でクルマは進め・・・

2006-01-22 07:41:48 | 街づくり
    徐州徐州と人馬は進む 徐州居よいか住みよいか・・・・
     (日中戦争徐州攻略戦 昭和13年  唄・東海林太郎)

 今冬は記録的大雪により既に除雪作業などによる事故で100人の犠牲者が出ている。だが、一方で雪は多くの人命をクルマの事故から救っている。
 とかく雪が降り積雪になれば交通事故(鉄道、船舶、飛行機の事故は除外)による死者が大幅に減ると言われてきたが、やはり雪の少ない一昨年12月と比べ、今冬の12月の死者は全国で93人減少し、うち雪国の15道県(※)は54人の大幅減少となっている。むろん、交通安全の取り組み効果もあろうが、やはり「雪の功績」は否定できない。
 昨年の4月~11月の無雪期と1月~2月の降雪期の1カ月平均の死者数を比較して(3月、12月は中間期として除外)も、無雪期の場合、雪国は155人で非雪国は426人に対し、降雪期の場合、雪国は110人で非雪国は403人に減少する。つまり無雪期の死者数から降雪期の死者数を引けば、雪国では1カ月平均で45人、非雪国は23人、合計68人の減少となる。
 これでわかることは、交通死者の大幅削減のためにはクルマの「減速」と「徐行」が最も効果的だということである。幼児や高齢者に「交通安全教育」を叩き込むことよりも、五体満足な青壮年のドライバーに極力「減速」と「徐行」を勧めた方がはるかに効果的である。
 今や、オランダ、ドイツ、北欧などでは市街地を中心に脱クルマ、省クルマの施策が進められ、特に生活道路では子どもの遊びや主婦・老人の立ち話ができるようにクルマの走行抑制や最徐行が義務付けされるようになっている。(11月29日と12月12日の記事参照)

 ※北海道、東北6県、新潟、長野、富山、石川、福井、滋賀、鳥取、島根とした。全国の人口の21%
  写真は通称寺町でのクルマと人とのショット(撮影は昨年1月)
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山寺宝珠山雪景色(芭蕉記念館側より)

2006-01-21 08:28:28 | 風景
 山寺立石寺の境内を包む宝珠山は自然と歴史文化の融合遺産である。宝珠山の眺めは、時間的にも季節的にもそれぞれに個性的な表情を見せる。
 だが、冬に訪れる観光客は極端に少なくなる。確かに境内の千段を超える石段は深い雪がかぶさり、昇り降りするには難渋する。だが、それはそれで味わい深さがあるし、一層霊的気分にも浸れる。
 やはり冬の山寺、雪の山寺は観光の季節的穴場ということもできる。特に宝珠山の雪景色は見応えがあり、それを眺める、というよりは観賞するだけでも冬の山寺を訪れる価値がある。とりわけ圧巻なのは屏風のような広がりを見せる樹木群にかぶさった雪が凍結して霧氷のようになり、陽光を受けてキラキラと煌めく時であり、まさに“宝珠”の名に相応しい。(1月1日の写真をご覧あれ。)
 立谷川の橋周辺、山寺駅前、駅のホームの上、芭蕉記念館のある高台など眺める立脚点を替えて観賞すれば、宝珠山の様々な表情を堪能することができよう。

 ※写真の手前は山寺駅手前のJR仙山線の高架橋
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