山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

東京見物プラス山形城跡の桜(4)

2010-04-30 10:04:47 | Weblog

[左]コンクリート造りの五重塔の前でアマチュア合唱団の合唱
[右]なんとも異様な光景だが、これも参拝者・観光客へのサービスか
    同じ修復工事でも無名の寺社だったらこんな洒落た覆い幕は張らないだろう
      ※ どちらも浅草寺境内にて  4月25日撮影

 右も左も高遠の桜  高遠といえば長野県の桜の名所  えっ、ここは長野県?
 むろん、ここはみちのく山形の霞城公園内 樹種はタカトウヒガンで同公園内では最も開花が早く落花も早い [左]4月20日 ソメイヨシノはまだ2分か3分咲き程度 [右]4月27日 やはりだいぶ色褪せた感じになっていた ソメイヨシノは満開
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東京見物プラス山形城跡の桜(3)

2010-04-29 13:21:13 | Weblog

 これは浅草側から撮影した写真だが、浅草の景観ではなく墨田区の景観である。
 左手遠方に聳えている建築中のものは新東京タワーともいうべきスカイツリーである。
 この新タワー以上に目に付くのは右手のアガスケ極まる外観のビルである。
 なんとまあ、感想を尋ねられたら、言葉に窮するとしか言いようがない。
 えっ、アズスケってどういう意味と問われるならば、このブログのブックマークの欄にある「山形弁保管倉庫」を開いで見でけろ、と答えよう。(4月25日撮影)

山形城跡(霞城公園)二の丸北側土塁上の桜並木  この桜並木は日露戦争戦勝記念として植樹されたから、約百余歳の老木であるが、お色気満点である。
 土塁上の左側に並んでいる石は明治以降解体された城壁としての土塀の礎石である。
  4月27日撮影
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東京見物プラス山形城跡の桜(2)

2010-04-28 14:05:26 | Weblog

 上野公園の大統領とも言うべき日本一の薩摩男児が檻の中に閉じ込められたかと思えば、何やら紋付羽織とハカマ姿の着付けが施され始めていた。
 時間が迫っていたので、別の所にでかけている間に檻が外された凛々しい姿になっているかと期待して一時間半後に戻ってみたら、檻も外されていたものの、羽織ハカマも脱がされていた。
「世界遺産に」と記されている旗が脇にあったので、この九州男児の銅像を世界遺産にすることかと思ったが、よく見てみたら「国立西洋美術館を」とあった。(4月25日)

 桜も綺麗だが、山吹色の花木とのコントラストもお見事、お見事。
これはむろん、山形城跡内(4月27日)
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東京見物プラス山形城跡の桜(1)

2010-04-27 16:17:53 | 建物



 去る24日に上京したがほぼ会合だけで費やされ、東京見物は25日の1日だけになった。
 そして帰宅は26日で、山形の桜は丁度満開。不順な天候にも負けずによくぞ頑張って満開までこぎつけてくれたものだと感動している。でも桜の撮影は翌日の今日にした。
 東京には毎年複数回でかけてはいるが、“おのぼりさん”の定番たる上野公園や浅草にはほとんどでかけていなかったので、今回は“定番”のスポットを訪ねてみた。

 上の写真だが、あんりゃあんりゃ、こごドゴだべ?
 ヨーロッパの宮殿の前さ来たみだいだげど、東京の上野のはずなんだげどもなあ。
 スコーキ(飛行機)さ乗った覚えないし、ほっだいとがぐさ来てすまたはず(そんなに遠くに来てしまった)ないんだげどもなあ。  ⇒答え 上野の国立博物館構内の建物 別棟の平成館では「細川家の至宝」展が開催中

 下の写真は山形城跡二の丸内の三本り枝垂れ桜 平日で低気温のため人影はまばら
このまま曇天が続けば桜花は長持ち可能だが、午後から強風となり、また雨が降り始めたので、やはり散りそうな気配である。
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雨に負けるな、がんばれサ ク ラ

2010-04-23 20:37:36 | 風景
 開花がだいぶ遅れていた近くの桜もとうとう開花した。
 でも、この写真の桜は市街地では最も開花が早く、既にほぼ満開状態だが、城跡公園の桜の多くは未だせいぜい3分咲き程度(昨日午前現在)である。
 だから、多くの市民はこの桜の状態を見て城跡公園の群落する桜も満開なのかと期待して向かうのだが、いささか落胆することになる。
 しかも悪いことに、昨日の午前から降雨であり、それが本日いっぱい続くようである。
 とにかく山形に限らないが、好天は3日と続かない。
 桜の開花の時期くらいは雨と強風だけはご勘弁願いたいものである。

※ いかに開花が遅れたかについては、4月14日の写真をご覧いただきたい。
※ しばらくは城跡公園(霞城公園)の桜の模様をシリーズで紹介したいので、乞うご期待
※ 温暖化、温暖化と耳にタコができるほど聞かされているのに、冬のように寒冷な日々が続くのは、なしてだべ(どうしてだろうか)? 当ブログの過去の記事か、下記姉妹ブログのURLをクリックすればヒントが得られるであろう。
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壮大なスケールのお話

2010-04-20 23:56:30 | Weblog
 さあて、今日は壮大な宇宙に関した記事にしたい。
 だから、今日の記事はヤマガタとはなんら関係がない。
 日本人女性宇宙飛行士の山崎直子さんが今夜無事に地球?に帰還した。
 彼女も日本に帰る、つまり凱旋する際は日本国民からやんやの喝采を受けることになろう。そして内閣総理大臣らとも対面しねぎらわれることになろう。
 でも、彼女も少しアタマが混乱することになりはしないか、いささか心配である。
 なぜなら、上の写真を見ればわかるように、我々庶民にとってはどちらが宇宙人かわからなくなるからである。
 鳩山首相だけが宇宙人と自称し、かつ他称されているわけではない。
 政界・官界には宇宙人が溢れている。
 かつての自民党政権時代から政界の迷走ぶりはかなりのものであったが、現在の民主党政権の迷走ぶりはもっとひどいようにも感じられ、きわめて危なっかしい宇宙遊泳をしているようなものである。
 山崎さんも政治家たちの“迷走的な宇宙遊泳”ぶりにはあきれ果ててしまうのではないだろうか。ご指導のほどをよろしくお願いしたいものである。
 山崎さんが宇宙から眺めた地球の美しさは言語に絶したものであったようであるが、せっかく宇宙から帰還したものの、その帰還先である地上に降りてみたら“変形宇宙人”ばかりが溢れていたのである。
 さあて、わがお淑やかなヤマガタ人の“宇宙人度”はどの程度であろうか。
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ああ、やはり温暖化は本格化!!

2010-04-17 23:44:01 | 建物
 4月17日の朝のことである。
 き~よし、この夜~ の歌声が聴こえてくるような光景が目の前にある。
 そして、ジングルベル、ジングルベルの鈴の音を響かせて赤鼻のトナカイを駆使したサンタクロースのソリがやってきそうでもある。
ああ、ブログ主はかねてから時々おがすげな(おかしげな)ことを言っていたが、やはりとうとうすっかりアタマが壊れてしまったようである。
 何言ってるんだい。今はもう4月も後半だよ。
 こんな時にサンタクロースがやってくるわけないべした。
 「あわてん坊のサンタクロース」なら1日、2日早くやってくることあるのだが、これではまっくの季節はずれであり、ブログ主かサンタのどちらかのアタマがどうにかなったことは確かなようだ。
 ⇒真実は、ブログ主もサンタのどちらも壊れてはいない。
 壊れたのは地球を覆う大気環境である。
 おかげで、今日と明日に開催予定だったこの教会堂の近くの城跡公園での観桜会のイベントは中止となった。山形舞妓の踊りも女性講談師の屋外公演も琴の演奏も茶の野点もすべて取り止めである。
 えっ、地球を覆う大気環境が壊れたというのは地球温暖化のこと?
 これまた「おがすげな」話ではないか。
 温暖化ならどうして陽春の季節にどっさりと雪が降るのか。やっぱりブログ主のアタマがおかしくなったのではないか。
 これに対しブログ主いわく、地域的寒冷化現象も温暖化現象の一環である。
 ええっ、これでは読者のアタマの中もおかしくなりそうである。
 もう一度ブログ主いわく、北極海の氷の溶解により塩分濃度が薄くなると南からの暖流の北極海への潜り込みが鈍って暖流の流れが鈍化すると寒冷化する地域が多くなり、また、暖められた海水からの水蒸気の異常発生と強い上昇気流の強い力で分厚い雲が広範に形成されてそれだけ陽光があたらない寒冷な地帯ができあがる。
 レジ袋の削減だけで地球温暖化の進行を抑止できないことは下記ブログを見ればわかっていただけるであろう。
  ●姉妹ブログ「島国ニッポンの山国から」(←クリック)のインド・ムンバイ市の記事

[写真は明治末年建造の山形聖ペテロ教会 国の登録文化財 人の魂を救うはずのこの教会も広い敷地の大半を貸駐車場にして車用族に奉仕、地球温暖化に貢献]
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温暖化ゆえに桜開花が大幅遅れ

2010-04-14 16:02:15 | Weblog
 地球温暖化ならば桜の開花が早まるはずだが、今年はどうも違う。
桜の開花が昨年と比べ異常なほどに遅いのだ。
 我が家から徒歩で2分弱の所にある一本桜はいつも中心市街地では最も早咲きなのだが、今日の14日になってもまだ開花には間がある。
 上の写真でわかるように、昨年の場合は4月11日に既に五分咲きほどになっていたのと比べると、今年は同じ桜も確かにかなり開花がだいぶ遅い。
 それもそうだ。
 2月下旬のようなほぼ真冬に近いような寒冷な日の翌日には初夏のようなポカポカ陽気になった(昨日など)かと思えば、今日も一日小雪やみぞれが降りる寒い一日となっている。
 ここ数日の場合に限らず、昨年11月から気候の変動や気温の乱高下は幾度となく繰り返された。
 青空が眩しい晴天の日は3日と続かない。せいぜい一日半程度である。
 ともかく降雨や降雪が多く、それでも深い積雪は見られなかった。
 これぞ、海水等からの水蒸気の異常発生がもたらす現象で、地球温暖化が如実であることを示している。
 これからは一層気候の変動は激しくなりそうである。
 行政やマスコミ、環境ビジネス界では安易に「地球温暖化防止」なる用語を発するが、レジ袋の削減やクルマのアイドリング・ストップ、照明や電気器具のこまめなスイッチオフ程度ではとうてい温暖化防止なんぞ不可能である。
 なぜかといえば、下記の姉妹ブログの最近の記事(インド・ムンバイ市関係)を読んでいただければわかっていただけよう。
 「島国ニッポンの山国から」(←クリック)
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炭焼藤太父子が通った道 ⑤

2010-04-10 23:56:10 | 郷土史
 前回の「嶋遺跡」がある地点からほんの少し北に向かった所につい最近まで田園地帯の中に独立していた農村集落の「今塚」があり、今でも家屋の前に枝ぶりの良い松の木があるなど伝統的な農村風の街路景観の面影を残しているが、現在ではすっかり新興市街地と隣接してしまっている。
 以前の広大な平地の中に浮かぶ独立した人里であった今塚集落を想い出すと、古代の嶋の集落もそのようなものであったことが想像される。
 この今塚集落が形成されたのがいつの時代なのかは不明であるが、平安時代の後期に炭焼藤太や金売吉次が宝沢と寒河江方面を往復した頃はたぶんこの辺りを道筋にしたであろう。
 この今塚を過ぎれば、次に「中野」集落であり、伝承では中野あたりを歩いたとされているので、嶋と中野の間に在る今塚あたりを通ったことはほぼ間違いないであろう。
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炭焼藤太父子が通った道 ④

2010-04-05 22:41:20 | 郷土史
 前回では現在「極彩色にしてお色気ゼロ」のアミューズ施設が建つあたりを炭焼藤太らが通ったのではないかと述べたが、このあたりは新興商業ゾーンとして開発された所なので、以前は田園風景が広がる農業地帯であった。
 しかも、たぶん中世はむろん、古代まで充分に遡りうる農業地帯であった。
 その証左がこの「史跡」の標柱と古代の遺跡公園的な設備である。
 史跡の名は「嶋遺跡」。このあたりの字名の「嶋」に因んで命名され、周辺全体の新興市街地も「嶋地区」と称している。そのアミューズ施設から徒歩で数分の所にある。
 しかも、史跡では史跡でも歴とした国指定の史跡であり、古代の農業集落跡としては全国的にも特筆すべき史跡なのである。
 しかし、たぶん洪水などの天災により集落は大きな打撃を受け、放棄されたようだ。
 このあたりは馬見ガ崎川水系の幾筋もの小河川が流れ下り、それに伴い栄養価の高い土壌が蓄積され、豊穣な農地ともなりえたが、長い年月の間に幾度となく繰り返された氾濫や河道変更のために耕作が不能に陥る小地域も少なくなかったことであろう。
 おそらく藤太や吉次が歩いたこの辺りは広大な荘園ながら、豊穣な部分と砂礫が多い部分とが混在していたのであろう。
 農村集落が長い年月「持続」できるようになったのは多分中世後期になってからのことであろう。
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