山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

少年よ、天下国家を語り行動せよ!

2006-05-05 07:24:13 | 郷土史
 目も眩むような高所で天空に舞う鯉のぼり。さすがの彼らの中にもあまりにもの高さに高所恐怖症になって今年の出番を辞退した者も居るとか・・・?
 それはともかく、この山頂に立つと山形盆地を一望に見渡すことができ、天下国家を掌中にしたような気分になる。
 かつては越後の上杉謙信も天下獲りを目指したが、その後継者の上杉景勝も会津と米沢を拠点に天下を睨み、彼の動向は徳川家康がひどく気にするところであった。
 関ヶ原の戦いが始まろうとしていた頃、名将直江兼続を総大将とする上杉軍の主力は、この富神山の麓を迂回して徳川方の山形城を攻略しようとした。
 将兵の中にはこの山頂に立って盆地全体と山形城方面を見渡し、この時は奥羽の覇者となることを確信したであろう。山麓一帯は上杉の軍勢で溢れ、最上軍や加勢の伊達軍の動きも見られ、砲弾の炸裂音や鬨の声も山頂まで響いたであろう。
 関ヶ原で西軍が敗れたとの報が届くと、上杉軍は迅速に撤収しようとしたが、山形の最上軍の追撃も激しく、山麓一帯は血で染まった。
 山形盆地西部のシンボルにしてピラミッドの形の富神山(標高402m)と「奥羽の関ヶ原」の史話は不可分であるが、現代はこんな殺伐としたことを考える必要はなく、存分に大自然の景観を楽しむことができる。誰しもこの山頂に立てば、日本のこの素晴しい大自然の永続を願わないではいられなくなるであろう。
 富神山頂の鯉のぼりたちは、少年たちに山形の、否、日本の美しい国土の保全の戦士たれと呼びかけているようである。

 ※写真はブログ「大曽根餅つき保存会」より
http://blog.goo.ne.jp/kyuza_2005/e/54f8524372b7bcfdafed9ac04897f784

 ※富神山については当ブログ10/25と10/28の記事参照
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