かつての日本最高気温が山形市の40.8度であったのが74年ぶりに多治見市と熊谷市に破られたのが悔しいとか寂しいと飼い主たちがぼやいていたようだが、それも考えようで、「日本の20世紀最高気温の地」としておけば、もう絶対に破られることはない。
でもあんまり暑いのは我々にとってははた迷惑でしかない。史上最高気温はついに破られはしたものの、山形の今年の8月の暑さはやはり連日かなりのものであった。だから昼寝の場所探しにだいぶ苦労した。
でも、まだ8月は終わらないというのに、もう陽だまりの所での昼寝が心地良くなった。
まもなく食欲の秋。日本一の芋煮会ももうすぐだ。
でもあんまり暑いのは我々にとってははた迷惑でしかない。史上最高気温はついに破られはしたものの、山形の今年の8月の暑さはやはり連日かなりのものであった。だから昼寝の場所探しにだいぶ苦労した。
でも、まだ8月は終わらないというのに、もう陽だまりの所での昼寝が心地良くなった。
まもなく食欲の秋。日本一の芋煮会ももうすぐだ。
最近北国の都市部には真白き平面が増えている。
積雪期ならあたり一面が真っ白い平面になるのは当たり前のことだが、四季を通してほぼ純白の平面が増えているのはなぜか、そしてその「真白き平面」とは何なのか。
市街地の至る所に駐車場ができて、それが街並み景観を殺風景で無骨にしていることはこのブログでも幾度も記事にしてきた。だが最近の駐車場の平面は黒っぽいアスファルトから純白に近い色が増えている。これは積雪対策のためで、敷地内に温かい地下水が通るパイプを廻らせて融雪する仕組みである。
なるほど、これならば骨の折れる除雪作業は不要になり、駐車もし易くなる。
だが街の周囲の景観とはひどく場違いなほどに平面は白い。以前は石畳が風格を備え、土と草の香りもしていた寺院の参道すら今は写真(中)のとおりである。これでは街の雰囲気はますます「温かみ」からかけ離れ、クールで文字通り「しらじらさ」へと化している。
積雪期ならあたり一面が真っ白い平面になるのは当たり前のことだが、四季を通してほぼ純白の平面が増えているのはなぜか、そしてその「真白き平面」とは何なのか。
市街地の至る所に駐車場ができて、それが街並み景観を殺風景で無骨にしていることはこのブログでも幾度も記事にしてきた。だが最近の駐車場の平面は黒っぽいアスファルトから純白に近い色が増えている。これは積雪対策のためで、敷地内に温かい地下水が通るパイプを廻らせて融雪する仕組みである。
なるほど、これならば骨の折れる除雪作業は不要になり、駐車もし易くなる。
だが街の周囲の景観とはひどく場違いなほどに平面は白い。以前は石畳が風格を備え、土と草の香りもしていた寺院の参道すら今は写真(中)のとおりである。これでは街の雰囲気はますます「温かみ」からかけ離れ、クールで文字通り「しらじらさ」へと化している。
盛岡市が主な舞台であるNHK朝の連続ドラマ『どんど晴れ』で主人公は何とか老舗旅館の若女将になれたが、今なお波乱続きのようである。
むろんテレビドラマだから出演俳優の多くは盛岡人ではない。中には山形県ゆかりの人物も2人出演している(上の写真)。2人とも従来から東北訛りでの出演で有名である。
あき竹城さんは米沢市出身。ダニエル・カール氏は米国カリフォルニア州出身だが、英語指導主事助手として山形県内の中学校を巡廻していたために山形弁を覚え、山形訛りで登場する外人のテレビタレントとして超有名になっている。
むろん、2人はこのドラマでも東北訛りでしゃべるから、それが岩手訛り、盛岡訛りと勘違いされているようだが、2人の得意はあくまで米沢弁であり、山形弁である。
ダニエル氏の場合は山形市を中心に山形県内のあちこちを歩き回っていたから、同じ狭い山形県でもほんの少し地域が違えば言葉が異なることに「日本語の多様性と奥深さ」を知り、いたく感動したようだが、山形でも盛岡でも東北弁は若者を中心に急速に衰微し続けている。
さて、私(Mr.Tsutapata)は山形市内で2度ばかりほんの少しだけだがダニエル氏と会話したことがある。もちろん!使用言語はシェーゴ(英語)であった。オホン!
※ 盛岡市訪問の記事(2006/12)は下記URL(↓クリック)
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20061206
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20061207
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20061208
むろんテレビドラマだから出演俳優の多くは盛岡人ではない。中には山形県ゆかりの人物も2人出演している(上の写真)。2人とも従来から東北訛りでの出演で有名である。
あき竹城さんは米沢市出身。ダニエル・カール氏は米国カリフォルニア州出身だが、英語指導主事助手として山形県内の中学校を巡廻していたために山形弁を覚え、山形訛りで登場する外人のテレビタレントとして超有名になっている。
むろん、2人はこのドラマでも東北訛りでしゃべるから、それが岩手訛り、盛岡訛りと勘違いされているようだが、2人の得意はあくまで米沢弁であり、山形弁である。
ダニエル氏の場合は山形市を中心に山形県内のあちこちを歩き回っていたから、同じ狭い山形県でもほんの少し地域が違えば言葉が異なることに「日本語の多様性と奥深さ」を知り、いたく感動したようだが、山形でも盛岡でも東北弁は若者を中心に急速に衰微し続けている。
さて、私(Mr.Tsutapata)は山形市内で2度ばかりほんの少しだけだがダニエル氏と会話したことがある。もちろん!使用言語はシェーゴ(英語)であった。オホン!
※ 盛岡市訪問の記事(2006/12)は下記URL(↓クリック)
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20061206
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20061207
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20061208
福岡の3人の幼児が飲酒運転の車の犠牲になってから今日で一年になるが、自動車事故による全犠牲者数に占める飲酒運転の犠牲者の割合は2.1%だから、あとの97.9%はそれ以外の原因による死者ということになり(平成17年度)、たとえ酒酔い運転が根絶されても事故死者はたいして減少しないことになる。
さて、上記の写真と飲酒運転とはどのような関係があるのだろうか。
写真は山形を代表する古代の伝説「阿古耶姫と松の精、名取太郎との悲恋物語」の絵と、この伝説が秘められた山形市のシンボル千歳山の麓を走る国道13号である。
陸奥国の郡司の娘阿古耶(あこや)姫は毎夜笛を吹いて訪れる若者と恋に陥り夫婦の契りまで結んだが、やがて彼から自分は千歳山の松の精で橋材になるため伐採されることになったと告白されて別離となった。太郎が姫を嫌いになったわけではないが、姫にとっては失恋は失恋である。
もし姫が現代に甦って悲嘆を紛らわすために車のハンドル握るとしたら事故の可能性が大で、留置所行きになるかもしれない。
失恋にしても、逆にアツアツ浮き浮きの状態でも、片思いの恋患いでも、また既婚者が不倫の発覚を恐れて落ち着かない場合も少量の酒気帯びよりははるかに頭の中はグラグラしており、不注意運転、そして事故を招くであろう。
「飲酒運転根絶」「飲酒運転撲滅」の掛け声が盛んであり、むろんそれはそれでよい。だが同様に失恋運転根絶!恋煩い運転撲滅!ストップ・ザ不倫運転!の掛け声も必要ではないか。その他、考えごとしながらなど不注意運転を招く要因は数多い。しかし、それらを検知するシステムの開発はまずは不可能であろう。
さて、上記の写真と飲酒運転とはどのような関係があるのだろうか。
写真は山形を代表する古代の伝説「阿古耶姫と松の精、名取太郎との悲恋物語」の絵と、この伝説が秘められた山形市のシンボル千歳山の麓を走る国道13号である。
陸奥国の郡司の娘阿古耶(あこや)姫は毎夜笛を吹いて訪れる若者と恋に陥り夫婦の契りまで結んだが、やがて彼から自分は千歳山の松の精で橋材になるため伐採されることになったと告白されて別離となった。太郎が姫を嫌いになったわけではないが、姫にとっては失恋は失恋である。
もし姫が現代に甦って悲嘆を紛らわすために車のハンドル握るとしたら事故の可能性が大で、留置所行きになるかもしれない。
失恋にしても、逆にアツアツ浮き浮きの状態でも、片思いの恋患いでも、また既婚者が不倫の発覚を恐れて落ち着かない場合も少量の酒気帯びよりははるかに頭の中はグラグラしており、不注意運転、そして事故を招くであろう。
「飲酒運転根絶」「飲酒運転撲滅」の掛け声が盛んであり、むろんそれはそれでよい。だが同様に失恋運転根絶!恋煩い運転撲滅!ストップ・ザ不倫運転!の掛け声も必要ではないか。その他、考えごとしながらなど不注意運転を招く要因は数多い。しかし、それらを検知するシステムの開発はまずは不可能であろう。
佐賀市を訪れたのは今年の3月であったが、県庁所在都市ながら静かという以上に何とも寂しい街というのが印象であった。
わが山形市もすぐ近くに百万都市仙台市から経済的に呑み込まれている感が強いが、それ以上に佐賀市は福岡市との関係で衰退が著しく街の活気が失われたといえる。
その佐賀市が昨日大いに湧き、市民の興奮はしばらく続きそうである。
甲子園でほぼ無名の佐賀北高が優勝したからであるが、公立校の進学校で、しかも練習環境も著しく恵まれない高校が優勝したという点でもきわめて意義深い。
佐賀の鍋島藩士、山元常朝による『葉隠』には「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」とあるが、西行法師が「葉隠れに散りとどまれる花のみぞ、しのびし人に逢う心地する」と詠んだように、地味ながら忍耐をもって野球の基礎に徹し栄冠に辿り着いたたのが彼らであった。
まさに文字通り『葉隠』の佐賀男児らしく、軽々しく死(敗北)を急ぐことなく、死力を尽くして試合に臨み、スポーツマン(武士)としての義を尽くした。
また、奇跡の逆転満塁ホームランを放ったのが副島という選手だが、佐賀の歴史を飾るという点で元佐賀藩士で明治政府の元勲の副島種臣と並ぶようになるのかもしれない。
※ 球児たちの写真は佐賀新聞のHP(←クリック)より
※ 3月22日と3月23日の記事は佐賀市を訪れた時のものです。
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20070322
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20070323
わが山形市もすぐ近くに百万都市仙台市から経済的に呑み込まれている感が強いが、それ以上に佐賀市は福岡市との関係で衰退が著しく街の活気が失われたといえる。
その佐賀市が昨日大いに湧き、市民の興奮はしばらく続きそうである。
甲子園でほぼ無名の佐賀北高が優勝したからであるが、公立校の進学校で、しかも練習環境も著しく恵まれない高校が優勝したという点でもきわめて意義深い。
佐賀の鍋島藩士、山元常朝による『葉隠』には「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」とあるが、西行法師が「葉隠れに散りとどまれる花のみぞ、しのびし人に逢う心地する」と詠んだように、地味ながら忍耐をもって野球の基礎に徹し栄冠に辿り着いたたのが彼らであった。
まさに文字通り『葉隠』の佐賀男児らしく、軽々しく死(敗北)を急ぐことなく、死力を尽くして試合に臨み、スポーツマン(武士)としての義を尽くした。
また、奇跡の逆転満塁ホームランを放ったのが副島という選手だが、佐賀の歴史を飾るという点で元佐賀藩士で明治政府の元勲の副島種臣と並ぶようになるのかもしれない。
※ 球児たちの写真は佐賀新聞のHP(←クリック)より
※ 3月22日と3月23日の記事は佐賀市を訪れた時のものです。
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20070322
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20070323
蔵王連峰の前衛に聳える竜山を背景に橋(※)と小さな滝が見えるが、ここには馬見ケ崎川が流れている。高温と晴天が続いたこともあって河川らしい水流がほとんど見えないが、普段もこの川は水量が少なく、川幅はまことに狭く、笹舟くらいしか浮かべることができない。(※昨日の記事の橋の上流の双月橋)
しかしその割合には河川敷はかなり広大である。
かつて馬見ケ崎川は“暴れ川”として明治以前は山形城下民を、近代以降は山形市民を大いに苦しめてきた。普段はささやかな水流もひとたび大雨となるとふところの深い蔵王山系から膨大な量の濁流を集めて河川敷いっぱいとなり、さらに堤防を越えて城下や市街地を襲ったのである。
この写真からはとてもそんなかつての猛威を想像することができない。でも、幾たびもの河川改修と堤防の強化により近年は市街地が水害を蒙ることはなくなった。
米国ミネアポリス市の橋の崩落事故が日本にも大きな衝撃を与えている。
従来水害による「橋の流出」というのは多く耳にしてきたが、「橋の崩落」というのは戦争の砲爆撃でくらいしか聞いたことがなかった。
さて、山形市を代表する橋は中心街に程近い馬見ケ崎橋であろう。
馬見ケ崎川は決して広い河川ではないが、橋脚は割合に短い間隔で15本ほどもあるから、そう簡単に崩落するようには思えないが、老朽化対応と交通渋滞解消の理由で架け替え計画が進められていると聞いている。
ミネアポリスの橋の崩落原因については不明とされているが、多分大量のクルマの走行により傷や亀裂が拡大したと考えられる。
ほんのわずかの傷口や亀裂、腐食でも重量のあるクルマの振動により拡大していく。その拡大した傷口が更にクルマの振動を大きくし、更なる橋梁の傷口を拡大する。とりわけ高速車両の走行に伴う振動は大きい。
一方、低速の場合は車間が狭まり、橋の上の車両の数は格段に多くなり、重量による圧力が加わる。だから高速にせよ低速にせよ、過度のクルマ社会は橋にも道路にも大きな負荷と損傷を与える。
※ 写真は馬見ケ崎川の左岸から見た馬見ケ崎橋(上)と右岸から見た同橋(下)
→ クリックにより拡大
従来水害による「橋の流出」というのは多く耳にしてきたが、「橋の崩落」というのは戦争の砲爆撃でくらいしか聞いたことがなかった。
さて、山形市を代表する橋は中心街に程近い馬見ケ崎橋であろう。
馬見ケ崎川は決して広い河川ではないが、橋脚は割合に短い間隔で15本ほどもあるから、そう簡単に崩落するようには思えないが、老朽化対応と交通渋滞解消の理由で架け替え計画が進められていると聞いている。
ミネアポリスの橋の崩落原因については不明とされているが、多分大量のクルマの走行により傷や亀裂が拡大したと考えられる。
ほんのわずかの傷口や亀裂、腐食でも重量のあるクルマの振動により拡大していく。その拡大した傷口が更にクルマの振動を大きくし、更なる橋梁の傷口を拡大する。とりわけ高速車両の走行に伴う振動は大きい。
一方、低速の場合は車間が狭まり、橋の上の車両の数は格段に多くなり、重量による圧力が加わる。だから高速にせよ低速にせよ、過度のクルマ社会は橋にも道路にも大きな負荷と損傷を与える。
※ 写真は馬見ケ崎川の左岸から見た馬見ケ崎橋(上)と右岸から見た同橋(下)
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山形市が74年間首位を維持してきた日本最高気温は先日熊谷市と多治見市にとってかわられたが、山形の夏が暑いことには変わりがないことは一日の最高気温の歴代の記録を見ればわかる。以下がその記録の一覧である。
○1-1933-07-25 40.8℃ ○2-1994-08-13 38.9℃
○3-1962-08-03 38.8℃ ○4-1978-08-02 38.4℃
○5-1994-08-12 38.2℃ ○6-1918-07-26 37.9℃
○7-1999-07-27 37.8℃ ○8-1994-08-14 37.8℃
○9-1978-08-03 37.7℃ ○10-1994-08-11 37.6℃
以上見ればわかるとおり、いずれも20世紀の時の記録で、地球温暖化が予測を上回る速さで進展していると言われているが、21世紀になってからは10位以内のものは一件もない。しかし、最低気温の歴代上位10件はいずれも戦前の記録であり、また、猛暑日と真夏日の数は確かに近年になって増えている。
それにしても、1994年の8月11日から14日にかけての4日間は連日37.6℃から38.9度を記録していたのが注目され、稀に見る猛暑の期間だったのだが、すっかり忘れていた。まさに喉元過ぎれば暑さ(熱さ)忘れるである。
○1-1933-07-25 40.8℃ ○2-1994-08-13 38.9℃
○3-1962-08-03 38.8℃ ○4-1978-08-02 38.4℃
○5-1994-08-12 38.2℃ ○6-1918-07-26 37.9℃
○7-1999-07-27 37.8℃ ○8-1994-08-14 37.8℃
○9-1978-08-03 37.7℃ ○10-1994-08-11 37.6℃
以上見ればわかるとおり、いずれも20世紀の時の記録で、地球温暖化が予測を上回る速さで進展していると言われているが、21世紀になってからは10位以内のものは一件もない。しかし、最低気温の歴代上位10件はいずれも戦前の記録であり、また、猛暑日と真夏日の数は確かに近年になって増えている。
それにしても、1994年の8月11日から14日にかけての4日間は連日37.6℃から38.9度を記録していたのが注目され、稀に見る猛暑の期間だったのだが、すっかり忘れていた。まさに喉元過ぎれば暑さ(熱さ)忘れるである。
猛暑が続いた頃に涼を求めて尾上菊之助と黒木瞳主演の映画『怪談』を見るつもりでいたが、昨日から今日にかけては30度を下回り、今日この映画を観ている間、半そで姿では映画館内は涼しいどころかゾクッと寒気がしたほどであった。
とはいえ、オバケ鑑賞というよりは日本文化の鑑賞として外国人にも見せたいほど古き良き日本の情景を楽しむことができた。
内容は日本三大怪談噺(はなし)の一つとされる『怪談累が淵』(かさねがふち)を題材にしたものである。
さて、話は大きく飛躍するようだが、人類も今や一度足を踏み入れたら二度と這い上がれない淵の傍に居るようなものである。
人類、とりわけ先進国の国民が目先の利便と快適さのみ追い求める生活を累ね(かさね)続けてきたため地球温暖化(日本列島では熱帯化)が進行し、今も西日本ではひどい猛暑が続いている。
この熱帯化の傾向が更に強まるとしたら、まさしく背筋が熱くなるどころか凍りつくことであろう。映画の累ガ淵は怪談だが、地球温暖化の話はホラー(恐怖)の話なのである。
※[写真] ミニ東京化して一見華やかに見える地方都市も累積赤字で深い借金の淵にに嵌まり込もうとしている。「左上」は映画『怪談』の2人の主役