山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

錦織りなす面白き高原より(2)

2006-10-31 22:27:23 | 風景
 この斜面は冬はスキー場となるが、現在は辺り一面がススキで覆われている。
 も少し下の方の斜面はコスモス畑だが、今年は天候不順のためか、多くのコスモスが倒れたり落花していた。3年前は11月の初旬もかなり綺麗だったのだが・・・。
 それでもこの辺りからの北面白山の眺めは壮観そのものである。
 標高は1200m台だから決してそう高いわけではないが、アルプスを眺めるような壮大さである。ここから見える稜線は山形県と宮城県との境界線であり、すなわち表日本と裏日本の境界でもある。
 山の斜面を昇るにつれて紅葉の色合いが変化し、山頂の近くはすっかり落葉しているのがわかる。
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錦織りなす面白き高原より(1)

2006-10-30 15:51:04 | 風景
 好天の日曜日、JR仙山線の「面白山高原」駅で降りて散策を楽しんだ。
 3年前も訪れたが、紅葉はその時より鮮やかな感じがした。
 というのも数日前まで2、3日低温と降雨が続いたせいとも思われ、日曜日も高温にかかわらず渓谷の水流は強く、水嵩も多くて怖いほどであった。

 ※ 写真は面白山高原駅の展望スペースから望める紅葉川渓谷と毘沙門倉の岩

 ★ 講演会「歩いて楽しい魅惑都市づくり」 ← 詳しくはクリックして
   11月4日(土)14時~ 山形市中央公民館研修室3
   講師/青木仁氏(街づくり研究家)
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日本アガスケ大賞(今年下半期)にMr.Shinjo

2006-10-28 17:55:30 | Weblog
 ↑ 山形城跡の脇を走る「つばさ」(10月29日) 
  ↓ 土塁の桜を横目に走る「つばさ」(今年の春)
    めざすは新庄! GO!
  だいぶ紅葉した霞城公園(山形城跡)の土塁の樹木(多くは桜)を横目に突進するのは山形駅を出て新庄駅に向かう山形新幹線「つばさ」である。ともかく“ミニ新幹線”とは申せ、新幹線の始発・終着駅が人口わずか3万人台の小都市というのは他県人を驚かせるとともに不思議がられる。(※ 平成14.5.31現在の住民基本台帳による統計では41,808人 10/29追記)
  こんなわけで新庄市は特異な存在である。そしてこの新庄市は市を挙げてプロ野球の特異な選手を声援をおくっていたこともある。それは当然新庄剛志選手のことである。
  その盛んな声援の効能かどうかはともかく、彼の実力と名声はめきめきと上昇し、メジャーリーグでの活躍、そして日本国内においても数々の実績と派手なパフォーマンス、そしてこの度の日本シリーズでの所属チームの優勝で有終の美を飾った。
  そこで、第1回の「日本アガスケ大賞」はホリエモンだったが、第2回の授与対象は新庄選手が適当と思われる。しかし、ホリエモンの場合はマイナスイメージでの“アガスケ”だったのに対し、Mr.Shinjoの場合は実力を伴ったうえでのドハデな行動であり、しかも明るい印象であるゆえにプラスイメージでの“アガスケ”と言えよう。さて、彼に対する「大賞」の授与に異存はないと思うが、いかがであろうか。
  ※ 山形弁の代表格とも言える“アガスケ”の意味については上記、第1回「日本アガスケ大賞」をクリックのうえ、ご覧くだされたし。
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世界史を学ばざる者、山形に住むべからず

2006-10-27 21:03:54 | Weblog

 ↑ 中央アジア・サマルカンドのイスラム寺院(写真は関連HPより)
   ↓ 山形市高瀬地区で咲き誇る紅花(7月)

 必修科目である世界史を履修漏れにしていた高校が多数発覚し、大きな問題になっている。これは特に大学受験優先を方針にしている高校ほど顕著であるらしい。つまり世界史や他の必修学科である保健、情報などが受験科目にない場合が多いことによるようだ。
 こんなことだから外国の歴史も知らぬままに海外旅行にでかけて大恥をかいたり、連日のようにニュースでイラクやレバノンの動乱が伝えられても何処にあるかも答えられない若者が多いわけである。
 大学に進学する者ほど、つまり“学士様”ほど世界史に疎くなるなんて文化国家ニッポンの名が泣いてしまう。
 首都圏から離れた山形のような所でも世界史抜きには歴史や産業は語れないのである。江戸時代から明治初期にかけて山形の経済を大きく支えた紅花も起源はエジプトなど北アフリカにあると言われ、シルクロードを通して山形の地に伝来したからである。「雛人形王国」としての山形盆地は京都など上方への紅花出荷の見返りであり、山形の豪商・豪農の文化はやはり世界史と切り離せないのである。
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寒河江美人を求めて街歩き(2)

2006-10-26 21:23:30 | Weblog
 おっとっとと・・・。大切なことを述べるのを忘れていた。
 「寒河江」と書いても、「かんがこう」とか読む人もいるくらい、正確に読めない人は少なくない。「さがえ」と読むのである。

 ↑ 二の堰沿いに南に下るとこんな荘厳な寺院があった。

 ↑ ここで売られる酒は当然奥床しい味わいがあるだろう。そう思わせるたたずまいだ。でも自動販売機が景観にそぐわない。もっと抑えた色彩と外観にできないものか。

 ↑ やはり同じく静かな裏通りにたたずんでいたレトロな寒河江美人。
   以前は医院だったらしい。

 寒河江にはまだまだ迷路のような閑静な小路が多く、探索すればまだまだ多くの「寒河江美人」と出会えそうだ。また寒河江を訪れよう。
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寒河江美人を求めて街歩き(1)

2006-10-25 21:13:14 | Weblog
 昔、村山地方では「寒河江女に谷地男」という諺みたいなものが言いふらされていた。
 寒河江の女性は美しく、谷地の男性はハンサムだということらしいし、あるいは寒河江の女性は優しく気だてが良く、谷地の男性は頼もしいという意味もあるようだ。いずれにせよ、現代でも寒河江には美人が多いことは間違いがあるまい。
 その寒河江に有妻の身でありながら、私は今日「寒河江美人」を多数求めて寒河江市にでかけた。今まで寒河江市は通りぬけするか、歩いても表通りだけで、裏通りまで歩いたのは初めてである。なるほど寒河江にはやはり美人が多い。それも裏通りで出逢うことが多かった。裏通りの“美女”は一層奥床しい。
 それらの“美女”たちを今日と明日の2回にわたり紹介しよう。(最初の写真だけは単独で探索。他の写真は県主催の街歩き事業に同行で撮影)

 ↑ 明治11年建造の西村山郡役所と郡会議事堂 以前は中心市街にあったのだが、今は「郷土館」として普段は恐ろしく静かな丘陵の中に立つ。

 ↑ 二の堰親水空間 堰なのに幅が広いのは冷たい水流を暖めるためらしい。このような「せせらぎ」が寒河江市の“ブランド商品”になっている。並木もだいぶ紅葉していた。

 ↑ 昭和41年、田園地帯の中に突如現れた超モダンガールの寒河江市役所も既に中年オバン。かつては超売れっ子だったが、今ではしみや皺が気になるらしい。“父親”は建築界の鬼才、黒川紀章氏
★追記★ 黒川氏は「文化功労者」に選ばれました。(10月27日のニュース)
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旧制山形高校の面影はここに

2006-10-24 23:34:32 | 建物
 デカンショ(高下駄)履きの学生たちが通った山形高校(旧制、現・山形大学)の正面玄関がある建物は可愛いミニチュアになってガラスケースの中に収められていた。それも現・山形大学の小白川キャンパスにではなく、旧師範学校の現・山形県教育資料館の展示資料としてである。
 この旧制山形高校の正面玄関のある建物は戦後しばらくまであったことは私も記憶しているし、玄関の突起の部分はかなり最近まで構内の他の場所に移転使用されて、それがすぐそばの公道(東原大通り)からも見られたのであるが、いつの間にか取り壊されていた。こうして山形大学には歴史的建造物はほぼ壊滅し、ますます何一つ特色のない外観のキャンパスに成り果てた。つまり大学のレベルそのものを物語るのである。
 かなり酷な表現になってしまったが、乞うご赦免!
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明治美人の周囲もお色気開花

2006-10-22 22:02:28 | 風景
 秋晴れの一日。だが、早朝は零度近くまで下がり、さすがに晩秋が間近であることを感じさせられた。
 それでも山形盆地の樹木が真紅に彩られるまでにはもうしばらくであるが、「明治建築の華」とよばれる旧済生館三層楼の周囲の樹木も多彩な色へと変化を見せるようになった。
 これからは日一日も霞城公園は彩りが鮮やかさを増していくことであろう。
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山形の空の玄関、東根歴史散歩(3)

2006-10-21 17:59:36 | 建物

 ↑ 大正末期建造?の洋風店舗 所有者は首都圏在住とのこと
   かつては東根の中心街だが、あまりにも静か  頑張れ!東根のレトロ館

 ↑ 上の洋風店舗の少し東にある素封家の土蔵と庭 
   山形市内にはなかなかこのような広い屋敷の居宅は見つからない

 ↑ 東根市のシンボル、大ケヤキ  国の天然記念物
  生徒数減少の小学校の建物を削減してもケヤキの景観範囲を拡大すべしの声も

●講演会「歩いて楽しい魅惑都市づくり」11/4開催について
  右欄下方の「ブックマーク」の「歩いて楽しい・・・」をクリック
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山形の空の玄関、東根歴史散歩(2)

2006-10-20 20:31:33 | 建物

 ↑ これが酒蔵? まるで城砦みたい! 東の杜資料館(横尾家の酒蔵部分)
   横尾家は山形城主最上義光の家老志村伊豆守(長谷堂城主)の子孫
   そう言えば、山形市長谷堂にも「横尾家」は多い

 ↑ うっひゃあ!!酒蔵(現資料館)のすぐ隣りも城砦みたい。
   これも歴然とした民家。裃姿の殿様が住んでいるわけではない。

 ↑ 小さな沼だけれど、なんとも癒される風情 東根城の濠の役割もしていたようだ 光専寺沼  対岸の堂宇は光専寺
   
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