山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

オリンピックも「仕分け」せよ 茶髪で歌え君が代

2012-07-28 04:23:06 | 時評
 いやはや、ロンドンオリンピックが開会式もやらないうちに2日も前から競技が始まっている。
 それも2つともサッカーで、いわばサッカーはオリンピックの「外れもの」である。
 つまり、どうしても日程が長くなりがちなサッカーまでオリンピックの種目に入れること自体に大きな無理があることを示している。
 そもそも国際サッカー連盟(FIFA)にとって最大のイベントは「ワールドカップ」のはずなのに、なんで無理やりオリンピックの中に割り込む必要があるのか。
 既に「スポーツを通しての国際親善、世界平和」を軸としたオリンピック精神は各種の競技ごとの世界大会や世界選手権大会、ワールドカップなどでも充分に発揮されていると言えるから、既にオリンピックの目的は充分に達成されていると言えるのだ。
 サッカーのワールドカップもまたオリンピック精神と無縁ではないはず。
 だから、何で「屋上屋」のようなことを重ねねばならないのか。
 ともかくオリンピックはあまりにも肥大化している。
 だから、もはや競技ごとの世界大会で充分ではないか。
「金メダルの獲得数」を競うなどという愚かなことはやめにしたらどうか。
 どうせ大国や先進国、豊かな国が金メダルを多く獲得するに決まっている。
 ああ、連日連夜のテレビの五輪報道にはうんざりするから、あまり見る気にもならない。「選手の奮闘に感動した」などという声が紹介されても、また同じような陳腐な言辞としか聞こえなくなった。
 こんな時にまた巨大地震や大津波、大水害、巨大竜巻、尖閣列島をめぐる事件など起きても、ニュースとしてはオリンピックの方が優位なのか。

 それにしても「なでしこ」にしても「サムライブルー」にしても、茶髪だらけで、どちらも日本人的イメージにそぐわない。
 国技の相撲は外国人力士だらけなのに、国技でもないスポーツでしかも日本人らしからぬ風貌の茶髪頭だらけのチームが勝利したからと言って、それを「日本の勝利」と手放しで喜ぶのはいかがなものか。
 たかが毛髪の色にすぎないかもしれないが、スポーツ競技では勝利しても文化では「欧米文化」に屈したことを物語る。
 茶髪にして「欧米風にアカヌケした」と勘違いしたら大間違い。
 かえって「土臭く」汚らしく感じられ、それこそ欧米人頭髪色(それも北欧・中欧・北米白人にだけ多いのであって南欧・南米なら黒髪が多い)の「サル真似」のため、ますます顔肌の色の黄色が目立ち、いかにも「イエローモンキー」丸出しになってくるのだ。
 まあ、建国記念の日などに「日の丸」を掲げたこともない若者たちが会場で日章旗を振るのもおかしなことであるが、各種世界大会をIOC(国際オリンピック連盟)の名により日程をずらして開催すれば、毎年ほぼ年間を通してテレビ画面で「日の丸」を目にし、「君が代」を聴くことができるのかもしれない。
 茶髪で歌え、君が代!か。
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真夏の夜の夢in尖閣

2012-07-23 21:26:06 | 時評
 米国海兵隊のオスプレイの評判はさんざんである。
 事故が多いということで、沖縄や山口県の官民のオスプレイ忌避感情はセシウム並みに強まっており、岩国基地への陸揚げの際にはかなりの騒動が予想されるし、ましてや沖縄の普天間基地への実際の配備はかなり困難になっている。
 しかし、事故の心配さえなければ救急救命など民生での利用にも可能であり、新型の救急救命航空機として従来の救難ヘリコプターよりもはるかに迅速に移動でき、離島などでの大活躍が期待できそうだ。
 ということは、安全のための改良がさらに加えられれば、同様な航空機はどこの国の軍隊でも欲しがるはずである。
 離島と言えば、やはり尖閣列島周辺の浪は高い。
 もしかしたら、「ぱくり大国」でもあるどこかの某国が、技術をぱくって外観もほとんどそのままで、その名もだけ「コスプレイ」と変えて、尖閣列島に着陸することだってありうるのではないか。
 オスプレイを日本には断じて配備させてはならない、ましてや沖縄への配備は必ず阻止させたいと願っているのは沖縄以上にその大国であろう。つまりはオスプレイと同性能の新機種を欲しいということである。

 山形とまったく無関係の記事が続いてしまい、蒙御免!
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「安全安心の国」狂想曲

2012-07-17 02:41:48 | 時評
 似て非なるもの

 さて、上の左右の二つの写真との関係性は如何に?
 どこかに共通点があればこそ並べてみたのだが、まったく「くっだらねえ!」と言われてしまうような内容なのかもしれない。

 安全保障条約を日米で締結している建前上、兵員輸送の効率化を考えれば、日本政府としては左の新型航空機の沖縄への配備を無碍に断ることは難しい。
 兵員輸送の大幅な効率化が達成されるならば、日本の軍事的意味での「安全安心」はその分は一応保障されるわけである。
 だが、この新型航空機は最近事故が多いようだ。
 しかも、周囲が市街地で「世界一危険な軍事基地」と言われている沖縄の普天間基地に配備予定というのだから、普天間基地はさらに輪をかけて危険な基地となってしまうことになる。
 もっとも普天間基地については、市街地の中に米軍基地が割り込んだというよりは、基地のすぐ周囲が急速に市街地化したと言うのが適切であり、大都市圏から離れた県のほとんどが人口減少で悩んでいる中で、米軍基地だらけの沖縄県だけが人口増加しているのは不思議と言えば不思議である。
 沖縄県、というよりは沖縄電力の現在の大きな特色は「唯一の原発不在の電力会社」だということであるが、それだけ沖縄は電力需要が大きい重工業が希薄であり、沖縄経済の米軍基地への依存度がそれだけ大きいことをも物語る。[もっともその依存度も近年はだいぶ低下してきているようだ。]
 その「原発不在」というのが魅力で我が子の「安全安心」のために沖縄へ移住する福島などの本土人も増えているらしい。
 ところが沖縄にその新型航空機が配備されるとしたら、沖縄の住宅地にいつ墜落するかわからなくなり、これまた「安全安心」でなくなる。
 さらに沖縄近辺では「尖閣諸島浪高し」で、中国による「沖縄自治区」化を懸念し、そんなことならやはり米軍に沖縄を守ってもらった方がよほどましだという「声なき声」もある。
 何が沖縄県民にとっての一番の安全安心なのか、わからなくなる。

 ところで、見出し写真の右側の奇抜な身なりの女の子たちの写真との関連性は何だったけ。
 こんな身なりを楽しんでいられるだけ、まだまだ日本は「安全安心」の「天下泰平平成元禄」の御世なのか、それとも危機意識欠如の現れでしかないなのか。
 まあ、二つの写真はともに日本の現実を映し出している。

 さあて、二つの写真は左がオスプレイで右がコスプレで、共通性は発音が似ていることだけである。やはり、くっだらねえ!と言われていそうな感じである。
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放射能と異常気象のどちらが怖いのか?

2012-07-13 23:55:04 | Weblog

 地球温暖化なんぞは原発を推進するための方便だという言論が反原発論者の間で盛んであるが、九州北部を中心に荒れ狂う豪雨被害の多さを見れば、これが地球温暖化の進展に伴う水蒸気の異常発生によるものであることが明らかである。
 その異常気象は豪雨だけでなく、竜巻などももたらし、その頻度と激しさは年ごとに増加するものと予想されるから、竜巻が原発に直撃することだってありうるのだ。
 放射能だけを怖がっている間に地球温暖化の進展は加速度化し、セシウム被害が現れる20年後よりだいぶ先に異常気象の激しさは近未来の子どもたちの生命をも頻繁に脅かしかねない。
 山形県内には放射線量が高い福島県から母子が主体で多数避難しており(下の統計 6月23日ニュースより)、原発事故から1年以上経過した現在もその数はさほど減少していない。
 むろん、乳幼児や小中学生などの子どもを伴っての山形県への避難は子どもたちの成人後のセシウム被害を心配してのことだが、それより早く訪れそうな気象の破滅的な異常化の主たる要因はクルマの多用であることを忘れてはならないであろう。
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山形市史と縁ある街を訪ねて(15)+放射能難民

2012-07-07 20:11:33 | 旅行、小旅行

 さて、この石造物は何なのか。
 何やら真ん中の部分が緑色で隠されている。
 石鳥居のようであるが、上の部分が見られないから、石鳥居ではなさそうにも思える。
 しかし、左右の背景は神社境内のようでもある。
 下の写真は上下左右を拡大し、かつ真ん中の部分もわかるようにしたものであるが、一層神社の境内のように思えてならなくなる。

 それにしてもこれが神社の石鳥居ならば何で一番上の部分が見られないのか不可解である。
 果たしてこのような形の石鳥居が存在するものなのか?
 さて、一番下の写真には丸太のような石材が横になっているのがわかる。
 これを見ると鳥居の一番上の部分が崩れ落ちたものであるようだ。
 つまり同じ神社の二の鳥居と三の鳥居の一番上の部分が崩れ落ちたのである。
 何とか第一の鳥居は無事だったようであるが、それは昨年3月の大震災による被害の光景である。
 1年以上経過したものの、未だ復興できないでいるのだ。
 ここは福島県の郡山市の中心部にある神社だが、郡山市と言えば原発事故と津波の被害者を受け入れているだけでなく、放射能被害を避けるために山形市などへ避難している市民を多数輩出している街でもある。
 山形の歴史の中でこれほどの他所からの災害被害者が流入したことはかつて無かったことであるし、郡山市の歴史の上でも災害被害者(とは言っても未来に現れかねない放射能被害を予想してのことで、現今の被害ではない)を多数他所に送り出したことはないはずである。
 現実に郡山市内の幼稚園や保育園は悲惨なほどの児童数の定員割れだそうである。
 ただし、ブログ主の視覚に映ったのは放射能被害ではなく、あくまで地震被害であった。

 撮影は4月下旬   このシリーズは今回で終了!
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