山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

早くも「春眠暁を覚えず」だあ

2006-02-28 07:17:04 | Weblog
 
    ↑ 1月9日の雪   ↓ 2月27日の雪

 いよいよ2月も終わりだ。外にはほんの少し雪が残っているが、表通りではすっかり消えうせている。隣家の屋根の雪もだいぶ少なくなった。
 昨年は3月になってもなかなか雪が融けなくて、外出するのも辛かったが、今冬は1カ月早く多雪になった分だけ雪がすっかり消えるのも早まり、さぐら咲ぐのもすっごぐ早ぐなんのんねべが(桜が咲くのもすごく早くなるのではないか)。
 先ほどしばらく外出してきたから、またいつもの特設のVIP席で一足早い春眠を貪っているところだ。飼い主もヒマだが、ボクもヒマだ。こんなボクでも“癒し効果”とかいうのがあるらしい。
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メダル取りの(Torino)祭典終了

2006-02-27 01:04:41 | Weblog
 スポーツの世界大会はオリンピック以外でも種目毎に数多く開催されているのだが、注目度には格段の違いがある。オリンピックの場合はメダル獲得数により国威発揚の手段となるし、マスコミにとってもまとめて取材しやすい絶好の機会だからでもある。種目毎の世界大会やW杯に加えてオリンピックとスポーツ選手は大忙しだが、それでもやはり超巨大な「屋上屋」の感は否めない。
 オリンピックなどなくとも、無数の種目毎の世界大会により国際交流はなされているのだから、膨大な出費を要するオリンピックなど廃止してもよいような気もしてくる。特に冬季五輪はどうしても北半球、とりわけ高緯度の先進国の選手たちに有利で、「五輪」と言うよりは「二輪」(ユーラシアと北米のみ)と呼び替えても良さそうだ。
 ともかくトリノの祭典は閉幕した。

 ※写真は山形市の中心市街地を循環する100円バスの車体の横
     文字は読めますか ?
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この軽自動車、東横イン西田社長の車?

2006-02-26 07:26:00 | 街づくり
 ああ、この歩道上の点字ブロックの上に堂々と!?お車様が鎮座ましましてござる。点字ブロックの上に鎮座しているということは、このお車様は視力に障害があられるのか、それとも老齢化による認知症のせいなのかもしれない。だが、いかに視力障害者とはいえ、ここもやはり公道上、長時間居座ってよいわけではない。
 しかし、お車様はやはりただの物体。歩道に侵入し、居座りを指令したのはドライバーの為せるわざ。しかも点字ブロック上に駐車していけないことは誰でもわかっているはず。だとするとこのドライバーは障害者の存在に無関心な人士ということになる。もしかしたらこの車は東横インホテルの西田社長の車なのか?。彼は障害者用の客室を他の用途に改造し、それを「スピード違反程度のようなもの」と喩えた“名言”の持ち主。(※2月10日の記事参照。) しかし彼の自宅は超豪邸。車も超高級車のはず。だとするとこの車の持ち主はごくありふれた平凡な市民でしかない。
 つまり、障害者軽視は西田社長特有のものではない。だから歩道上に、しかも点字ブロックの上にまで駐車する光景はありふれているのだ。そしてこの違反駐車の人士は「視力障害者が点字ブロックを伝って歩く姿を見たことがない。」と言うだろう。西田社長も、障害者はほとんど宿泊しないから専用客室を他の用途に改造したと述べたのと同じである。
 また、彼の「スピード違反」発言はクルマ優先社会の風潮を代弁している。スピード違反はそれこそ人命にかかわることで、重大さは歩道上の駐車以上だが、どちらも「大したことではない」とごく一般的に考えられていることでも同一である。

※ 写真は今月の22日に撮影。多かった雪も表通りではほとんど見当たらなくなった。
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光は東方から  荒川選手金メダルおめでとう!

2006-02-25 07:20:44 | 風景
 今朝の嬉しいニュースとしてフィギア・スケートの荒川静香選手がついに日本選手として初めてメダルを、しかも金メダルを獲得した。
 いま、分水嶺(※1)の向こうの宮城県、とりわけ彼女の出身地の仙台市は喜びと興奮で湧き立っていることであろう。
 夜明けが始まったばかりなのに東の空だけがずっと明るく見えるのは分水嶺の向こう側が光に包まれているからなのかもしれない。
 写真では向かって左半分の向こうに仙台市があり、仙台市の南部、太白区あたりである。
 3月がすぐ間近な今でも山肌の上の方はまさに白塗りであるが、早朝で逆光のため影絵状態であり、市街地の手前の田畑だけが雪で白く映えている。 
 それにしてもメダルを確実視されていた山形市出身の加藤条治選手がもし金メダルに輝いていたら東北地方で唯一の隣接する県庁所在都市(同様なのは京都市と大津氏のみ)の双方が栄光に輝いていたことになろうが、残念ながらそれは叶えられなかった。それでもすぐ隣の仙台市民の喜びは山形市民にとっても大きな喜びである。

※1 こちらが裏日本の多雪の山形県で、向こうが表日本の少雪の宮城県。中央の稜線が美しい山は蔵王国定公園内の雁戸山。
※2 写真は親族のKeK氏が提供。11月28日の記事にある「王者の丘」より撮影
 中央の長方形の黒い影は24階建ての霞城セントラル。ここのすぐ手前には電線が走っている。
 
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100年以上の建物と100m以上の建物が

2006-02-24 07:06:27 | 建物
 旧羽州街道沿いの山形市十日町の大通りは今でも国道(112号=旧13号)となっており、さすがに江戸時代以来の老舗が軒を連ねている。
 それでもやはり中心街だけにホテルやマンション、事務所ビルなどの高層ビルもますます増えている。しかもとうとう高さが100m以上もあるマンション主体の建物が目下建設中で、完成が間近い。23階建てで、駅西の霞城セントラル(24階建て)よりはやや低いものの、国道沿いとはいえ道幅が狭いので界隈一帯はますます狭苦しくなる感じがする。ましてや戦災にも遭わない旧城下町の風情を残す街並みに相応しいとは思い難いが、やはり既成事実として受容するしかない。
 だからこそ一層のこと、既存の歴史的建造物は次世代にのためにも大切に残しておくべきであろう。
 その典型が写真の右手にある土蔵造りの商家である。天保年間の建造と聞くから、それこそ100年どころか、それわはるかに超える焼く170年ものを歴史を有する建物である。
 耐震強度がどうのこうのと喧しく言われなかった時代のものが今なおしっかりと残されているだけでも素晴しいだけでなく、芸術作品としての価値もあり、眺めるだけで心を落ち着かせてくれる。
 昨夜の「ご近所の底力」というTV番組では、高齢者にとって周囲に思い出深い物が多いほど認知症対策に効果的と述べていた。街の「発展」なるものを求めるあまり、古い建物をすべて消滅させることはこの意味でも好ましいことではない。

 右手の土蔵造りの建物が丸十大屋、左手の奥に23階建てのマンション
   (もうこのあたりには雪は見られない)
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豪雪の大石田を歩く (6) 来冬の雪はどうか

2006-02-23 07:21:14 | 街づくり

  ↑ 雪に煙る大石田の土蔵造りの店舗(土蔵も重いが積雪も重い)
 ↓ 雪に埋もれる大石田駅 山形新幹線が停まると銀山温泉に向かう旅行客でホームが賑わう

 大石田の雪景色も今回で終わりになるが、次の冬の降雪と積雪はどうだろうか。恐らく暖冬による少雪か逆の豪雪かのいずれかであることは大いに予想される。
 それにしても同じ山形県人をも驚かせるこの猛烈な積雪の中で昔から多くの人たちが住まい続けてきており、そんな中でも芭蕉をもてなした俳人たちも居るなど高レベルの文化の華が伝統として今日まで継承されていることに敬服してしまう。深い雪の中でも、否、深い雪の中だからこそ俳句や短歌にうちこんだのであろう。
 銀山温泉は尾花沢市にあるが、新幹線が停車するようになって以来、大石田町にある大石田駅が銀山温泉の表玄関となっていることからも大石田町と尾花沢市とは密接な関係にあり、合併は一旦頓挫した形だが、ともかく両者は相互の連携のもとに進むしかないことだけは確かであろう。
  ※ このシリーズは以上で終わり
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村の宮廷女官は韓国人花嫁

2006-02-22 07:20:10 | 街づくり
 新庄市方面から国道47号を西に進み、戸沢村に入って間もなく、右手に最上川、左手に異国情緒たっぷりの色彩の建物群が現れる。これが道の駅を含む「高麗館」である。
 戸沢村は農林業以外には最上川観光くらいしか産業がなく、嫁不足も深刻化していたが、1980年後半の「世界青年年」を契機に若者たちによる韓国との交流が盛んになり、多くの韓国人女性が村の男性に嫁ぐようになった。やがて彼女たち相互の交流の中から故郷の食文化等を村の他の住民に伝える機会が増え、韓国文化を広く紹介する施設建設の気運が湧き上がり、こうして高麗館は平成9年に開館した。
 一時は客足が減少したこともあったが、韓流ブームで再び賑わいを見せているようだ。
 こうして彼女たちは村に住みながら高麗館(まるでTVドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』の宮殿さながら)を訪れる日本各地からの旅行者に故国の食文化等を伝える文化大使となっており、特に「戸沢流キムチ」はすっかりブランド化している。

 ※ 上の写真は下記の戸沢村のホームページより
   高麗館の他の写真および詳細は下記ホームページでご覧あれ。
http://www.vill.tozawa.yamagata.jp/korai/korai.html

 ※園児2名惨殺の容疑者(2月19日の記事)は同国人女性との交流はあったのだろうか。ただし同じ中国国籍者でも、出身地や出身民族が異なれば必ずしも同胞意識が強いとは限らないようだ。彼女の場合は出身地(ハルピン)や氏名から察すれば、或いは朝鮮系の可能性もある。戸沢村の韓国人女性たちは互いに子育ての悩みなど打ち明けあったようだ。
※鄭容疑者はやはり朝鮮族出身であった。長浜市で朝鮮語通訳をめざしたが、ほとんど仕事がなかったという。戸沢村に移住していれば友人も多くできて良かったのにと思われてならない。(2月25日付記)
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豪雪の大石田を歩く (5) 多雪の大石田と少雪の山形市

2006-02-21 07:21:20 | 風景

 ↑ 歩道と車道の間に雪の塀  ↓ 雪降ろしがなされた老舗の屋根(双方とも大石田)

 山形市は幸せな都市だ。何しろ国際スキー場と樹氷で有名な蔵王を有しながら、積雪量は山形県の内陸部では最も少ない所でもあるからだ。
 東京発の山形新幹線に乗る旅行者は、福島駅を過ぎ、山形県内に入ると雪の多さににまず驚く。県境前後の山間部なら雪が多いのは当然だが、米沢市街地でも雪が多い。山形市はその米沢よりも北だから米沢以上に雪が多いのかと思うのも無理はない。
 だが、意外や意外。上山に入ると雪はかなり少なくなり、山形駅に近づくにつれ、雪は少なくなる。今年は県全体がいつもより多雪だから山形市内の雪も決して少なくはない。それでも駅を出て中心街を歩けば長靴などほとんど不用である。
 ところが、更に北上して村山市以北になると再び雪は恐ろしいほど深くなる。一昨日も述べたように、山形市の積雪が36cmに対して大石田は205cmである。
 山形市の東方には蔵王を始め奥羽山脈が屏風のように立ちはだかり、山形市も完全に裏日本(日本海側)に属している。それなのに何故雪が少ないのか。
 考えられるのは第一に、山形市の西方には峻厳な朝日連峰と月山の連なりと白鷹丘陵の2つの「衝立」が大量の湿気を含んだシベリアからの寒風を遮っており、第二に、最上川の本流が山形市から大きく逸れているので、最上川伝いに吹き込む日本海からの湿風が届きにくいからではないか。
 これに対して同じ内陸部でも新庄、大石田は最上川が貫流し、また米沢盆地も最上川の上流に位置し、かつ宇津峠は荒川伝いの日本海からの風を遮ぎきるほどの高さはないので、多雪となりやすいのであろう。

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遥かなる山形から長浜の惨劇を想う

2006-02-20 07:40:32 | Weblog
  ↑ 長浜城天守閣より望む琵琶湖と竹生島方面(2004年12月初旬)

 幼稚園児2名が同級生の母に惨殺されるという事件で滋賀県長浜市民は大きな驚愕と悲嘆に沈んでいることであろう。
 私が長浜市を訪れたのは一昨年の12月初旬で、歴史ある建造物と街並みを活かした街づくりで私の憧れの都市であった。期待どおり黒壁ガラススクエア界隈は平日でも賑わいを見せ、多くの古く奥床しい建物は良く守られていた。
 慶雲館や鉄道スクエアの見学後、昭和58年に再建された長浜城の天守閣の上から琵琶湖を始め周囲の景観の眺望を楽しんだ。西に琵琶湖、東に伊吹山の雄姿、遥か南に彦根城天守閣が望まれた。夕暮れ近くということもあり、ずぐそばの湖畔に降りて眺めた琵琶湖のさざ波に映える夕陽の美しさは格別であった。
 更に北の方に目をやれば「山本山」という丸く可愛いらしい丘陵や竹生島、浅井長政の小谷城跡や姉川古戦場の方面が眺望できた。全国民に大きな衝撃を与えた事件が起きたのはこの方面で、ずっと手前の閑静な場所である。
 どうしてこんな風光明媚で気品に満ちた静かな都市でこんなおぞましい事件が起きたのか信じがたいようにも思えるが、この度の事件は日本社会の現状を凝縮したような象徴的事件とも言える。
 農村男性と外国人女性との結婚は我が山形県にも数多い。「すさんだ都会人」と「純朴で人情厚い地方人」との対立図式は最早現代日本では崩壊している。この事件に限らず、不可解な事件の多くは地方で頻発している。
 『検証・地方がヘンだ!』という本では、「ここ20年で地方の風景は大きく変わり、どこでも均質で画一的で個性のない風景が広がり、地方に住む人々の心をも揺さぶっている」とあるが、それは確かだ。
 幼い娘の前で凶行に及んだ女は琵琶湖の夕陽を愛でる心の余裕もなかったからなのであろうか。

 ※ 『検証・地方がヘンだ!』関するホームページ(ブログ)は下記のとおり
    http://shoulder.jp/archives/006076.php

 
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豪雪の大石田を歩く (4) 豪雪地の新民家

2006-02-19 07:16:46 | 建物

   ↑ 右側は和風公民館、左側の薬局の入り口には雪囲いがめぐらされている。   
  ↓ 新築住宅は3階建てが多い。冬には深い雪で居間も暗くなるので、
一階部分は車庫や倉庫となる。

 2月17日時点での積雪量は山形市が36cmに対し、大石田は205cmであり、何と5倍以上にもなる。私が大石田を訪れたのは11日であり、その後2,3日温暖な日があってのことだから、11日時点では更に積雪量は多かったのである。(参考までに、銀山温泉は206cm、蔵王温泉はわずかに92cm、大井沢263cm、志津463cm、天童53cm、楯岡80cm いずれも17日)

 ただし、屋根の上を見れば雪の厚さはさほどでない。これはこまめな雪降ろし作業が繰り返されたからである。道路でも散水式の融雪と除雪により、路上は長靴も深く沈むような所はほとんどない。
 だが、道路わきや空き地にはうず高く雪が積み上げられ、3メートル以上もあるような箇所も珍しくなく、豪壮で長大な豪族の土塀が町の至る所に築かれたような光景である。
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