山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

原田芳雄さんの名演技と山形イメージ

2011-07-22 06:44:11 | Weblog
 イザベラ・バードのシリーズを続けようとしていながら、またまたお休みになって失礼!

 先日逝去された俳優の原田芳雄さんと山形市は大いに関係がある。
 だからといって原田さんが山形出身であるとか山形に長い年月滞在したことがあるというのではない。
 山形市民で彼のことを忘れることができない人がかなり多いということなのである。
 それはかつてのNHK大河歴史ドラマで最高視聴率が今なお破られていない『独眼竜政宗』に原田さんが山形城主最上義光の役で名演技していたことがかなり強烈な印象として記憶されていたからである。
ただし、その“名演技”が悪役としての演技であったがために、おらほ(俺方)の郷土の英雄最上義光公が“悪人”として描かれていたことで自分の郷土に対する自尊心を低下させられた山形市民が多かったことも確かである。
 そのシナリオの基本になったのは仙台の伊達家の正史としての『貞山公治家記録』(※注1)であり、どういうわけか最上義光のことを露骨なまでに悪しざまに記述している。
 その中でも最も有名なのは伊達政宗毒殺未遂事件の直接的“犯人”は政宗の母お東の方(義姫)であり、兄であり政宗の伯父である最上義光の差し金だと記している。
 だが、この事件についてはかねてから疑問視(※注2)されていたが、現在は仙台側からも義光・義姫犯人説を否定する史料が発見されている。
 ともかく原田氏の名演技ばかりでなく、これを機に一躍人気が高まった渡辺謙さんと戦国の鬼姫とまで激しい気性の女性としての義姫役の岩下志麻さんの名演技も印象深い。
 なお、義姫については当ブログでも2009年5月12日以降断続的に記事にしているのでご覧いただきたい。「伊達政宗の母」「義姫」をキーワードにすればかなりの数になる。

※注1:貞山公(伊達政宗)の治績等を記しているが、最上家が改易により山形から遠く離れただけでなく、甥の政宗の死去後もかなり経過してからのためか、遠慮なしに悪しざまな表現で義光を非難する記述が多い。
※注2:義姫が政宗のもとを去った後も義姫と政宗の間では情愛あふれる手紙のやり取りがあり、義姫が毒殺の犯人ならば親密な手紙のやり取りなどできるわけがないと考えられていた。

◆写真 国指定史跡「山形城跡」本丸および二の丸 真ん中の人物像は原田芳雄氏が扮する最上義光(大河ドラマ「独眼竜政宗」より)

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1 コメント

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Unknown (リボン)
2020-06-09 20:38:25
政宗が激しい気性なのだから、それを上まる迫力=最上義光がいなければ、主役の政宗が悪役にみえたのではなかろうか。原田芳雄さんは迫力ある演技で魅力ある武将を演じられたと思います。
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