山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

頑張れ! 街の大先輩 (9) 美しき米穀店

2006-07-30 07:24:09 | 建物
 かつては半農村地帯であった此処も現在は普通の住宅地となったが、この閑静な地域の一角に米穀店が構えている。
 「○○米穀店」の看板だけが大きめだが、その他には現代的なけばけばしく騒がしい表示はなく、すっきりとした和風建築にして落ち着いた色彩は好感が持てる。
 これなら、落ち着いた閑静な住宅地区の景観的調和を破ることもなく、店舗としても充分に存在感を示すことができる。
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頑張れ! 街の大先輩 (8) 酔っ払い横丁そばの建物

2006-07-29 06:54:27 | 建物
 この周辺には飲食店や料亭も点在し、も少し離れた所にはかつて山形随一の飲み屋街があることから、夜にはいささか足元が覚束なくなった紳士たちの通行が多くなり、人目を避けるかのようにここの狭い横丁に入り込む更にアルコールの度が高い御仁たちの姿が今でも見受けられることから、「酔っ払い横丁」という人もいる。
 酔っ払いに限らず、この裏小路は朝や昼にも歩きたくなる所である。
 こんな古い和風の建物が小路を覆いふさぐように並び、しかもかなり年輪が嵩んだ建物で現代的なけばけばしさもなく、なかなかの風情があり、しかも小路ゆえに車の通行もなく、気持ちよく歩ける。
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頑張れ! 街の大先輩 (7) 旧洋風店舗

2006-07-27 06:53:46 | 建物
 駅からそう遠くない所だが、今は「商店街」というよりは、ただ多くの車が頻繁に往来するだけの街路にひっそりと建つレトロな外観の建物が目に入る。
 かつてはハイカラな外観の洋風店舗として賑わっていたであろうが、現在は品物が並んでいるようにも見えず、店舗としての用途には使用されていないようだ。一階の店舗であった部分はガレージのようになっている。ともかく、この界隈では小規模ながらレトロな洋風店舗の建造物は珍しく貴重である。
 しかし、いずれはこの建物も解体されるのであろうか。
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せめて、ここだけでも(市立七小)

2006-07-26 07:05:13 | 建物
 前日のアールデコ様式の建造物の続きになるが、前日の2つの建物は昭和8年の建造で、山形が不倒の日本最高気温40度8分を出した昭和8年の建造だが、ナンバースクールとして第六小学校より1番だけ後の第七小学校は前年の昭和7年の建造であり、第六小の旧校舎はかなり以前に解体されたが、第七小のこの校舎は現存している。だが、新校舎へと改築されるため、まもなく解体されようとしている。
 やはり貴重なアールデコ様式の校舎であり、せめてこの丸みのある中心部分だけでも保存してもらえれば、と思うのだが、もう遅きに失しているのかもしれない。
 
 ※昭和8年の7月25日は40度8分を記録したが、同じ7月25日の前日の最高気温は40度どころか、30度にも遠く及ばない25.9度に終わった。

 ※七小の校舎については昨年10月23日の記事を参照ください。
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日本最高気温の中で、我ら建つ!

2006-07-25 06:21:19 | 郷土史
    
 ↑ 山形市立第六小旧校舎(昭和8年建造、アールデコ様式) 5/31の記事参照
   ↓ 山形市立病院旧伝染病棟(同年建造、同様式) 5/28の記事参照
              
 オラだよっス~(私達はですね)、建でられだのは昭和はづ年だがら、こどすで73歳になんのよっス~。そのとす(年)ったらよお、あづくて(暑くて)あづくて、とぐに(特に)七がづ二十五にづは四十度八分にまで温度計が上がったのよっス~。
 山形さは「日本えづ(一)」はほどんど無いげんとも、この気温だげは日本最高で、最近の温暖化傾向のながでも公式には未だに破らっでいないんだど(破られていないらしいです)。
 その日はフェーン現象でほやんばい(そんな具合)になた(なった)ていうはなす(話)らすいなっス(らしいですよ)~。
 戦時体制が進み行ぐ中で、オラだ山形衆も結構ハイカラ趣味だっけのんねが(でなかったですか)?

 ↑ 山形の2つのアールデコ様式の建造物が建ったのと同年に建てられた同様式の旧朝香宮邸(現在の東京都庭園美術館) 5/24の記事参照
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頑張れ! 街の大先輩 (6) 土蔵と続く町屋

2006-07-23 06:33:02 | 建物
 駅から遠くない国道沿いだが、人通りは少ないので、商売は大丈夫かとも心配になるが、何とか頑張っていめようである。
 土蔵づくりの方が店舗として使われ、町屋づくりの方は部分的に現代的なリフォームを施されながら何かの事務所として今も現役である。
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ここはどこ?銀輪天国

2006-07-22 07:22:50 | 街づくり
 マイカー天国ヤマガタにも自転車だらけの所がある。
 山形では我が家のようにクルマを所有していない家は非常に珍しい。それどころか、成人が複数の家族で1台しか所有していない家も稀である。郊外の農村では、三世代や四世代の同居ということもあり、農業用トラックの他に5、6台を所有している家も珍しくない。例えば、50代前半の夫と妻、そして約80歳の父、長男と嫁、そして同居の次男の6名がそれぞれ通勤等に不可欠ということでマイカーを所有している。
 だから、もしこの平成の御世に大規模な百姓一揆(6/16の記事参照)が起こるとすれば、政府が京都議定書の遵守のために国民に半ば強制的にマイカー使用自粛(実際問題としてこれなしには議定書は空洞化する)を要請した場合であろう。それも山形あたりで最初の百姓一揆(もはや専業農家は稀少価値だが、昔からの農村集落に住む人たちという意味での「百姓」)が発生する可能性すらあるほど山形はマイカー過剰社会なのである。
 梅雨明けはかなり遅れそうなほどの異常気象なのに、あいも変わらず「地球温暖化なんぞどこ吹く風」とばかりに山形市街はいつもクルマで溢れかえっている。
 でも、ここだけは乗用車ではなく自転車が溢れている。高校の校庭ではない。成人学生も多い大学構内である(山形大学小白川キャンパス)。
 かつて同大学でも郊外への移転が検討されたことがある。しかし諸事情により移転は断念され、現在の市街地に留まった。だから敷地は狭いままで、当然駐車スペースは少ない。それゆえ多くの学生たちはマイカー通学を諦めている。
 かくて山形大学は郊外の農地潰しには手を染めず、そのうえ地球温暖化の抑制にも貢献していることになる。   山形大学、万歳!
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最高学府で小川を見つけた

2006-07-21 06:55:33 | 風景
 山形大学小白川キャンパスを散策した。
 東北大学片平キャンパスには明治から昭和初期にかけての建造物がまだ20棟ほど残されている(3月20日の記事参照)が、山形大学構内(戦前は旧制山形高校)には戦前からの建物はものの見事に消滅してしまっている(3月14日の記事)ことを再確認することができた。
 でも、この土地の歴史を物語るものを一つ発見できた。
 このあたりは旧制山形高校が誘致されるまでは一面が農地で、桜桃畑などが点在し、自然の流水を利用した用水路が幾筋にも扇状地を走り下っていた。
 この小川もかつては農業用水路であったに違いない。
 でも、このぜっかくの清流にゴミがつまっていますな。
 最高学府(大学院もあり)の学生さん。ひとつ足元にも関心を!
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懐かしき山形の建物 (9) 裁判所、昔々、大昔

2006-07-20 06:59:58 | 建物
 なんと明治44年の祝賀スタンプのある写真絵葉書。明治の末年のことを記憶している山形市民はまず存在しないと思うが、山形の裁判所が和風の建物であったことを覚えている市民はかなり存在するはずである。
 こう言う私もかすかな記憶がある。しかしその和風裁判所もこの写真と同一の建物ではない。明治44年の大火で消失している。そしてこの建物の前世代の庁舎も明治37年に失火で消失している。やはり木造は火災に弱いということである。
 ともかく、このような大岡越前が現れてくるような重々しい外観ならば、多くの市民はあまり「お世話」になりたくはないと思わせるには充分であったに違いない。むろん、現代ビルになつた現代の裁判所にもやはりそう「お世話」になりたいとは思わないものではある。
 
 スタンプの横文字を読んでみでけらっしゃいス~(読んでみてくださいね)。
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懐かしき山形の建物 (8) 宮町の旧医院

2006-07-18 06:49:37 | 建物
 天童市方面へと向かう県道(昔の国道13号)からほんのわずか西の横丁に入った所にこのような瀟洒な木造の医院があった。
 その後この建物は医院としての役割を終え、どこかの寄宿舎か寮になったが、いつしかすっかり空き家となり、しばらく淋しくたたずんでいた。
 とうとう3、4年前に取り壊されて、跡地にはわずかの車の駐車場となっている。

◎懐かしき山形の建物 バックナンバー紹介
(1)矢吹病院 5/25 (2)花街の施設 5/27 (3)病院旧病棟  (4)郵便局 5/30 (5)六小旧校舎 5/31 (6)豪農屋敷 6/2 (7)和風ホテル 6/21    ← どうぞ該当日付を右上欄のカレンダーによりクリックしてご覧ください。
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