出羽景観都邑会

街と田園が調和する形を、出羽の国から、探して、磨いて、創って、伝えていきたい。【でわとゆう会】080101出発

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酒田の街の奇跡

2015-12-30 16:35:24 | Weblog
 今年、嬉しかったことの一つ。
 誰もが、難しいと諦めかけていた酒田の街を代表する景観がよみがえりました。
 国指定の名勝の庭園「本間家別邸庭園(鶴舞園)」、適法な広告塔なのに来訪者の誰もが嘆かざるを得ない状況になっていました。
 益する者は一人もいないのに、皆が不幸な状態になっていました。
 転機は、時の力と人の出会いでした。思い詰めてから2年、声をかけてから1年半ほど、
様々な取り組みが展開され、多くの関係者の協力で実現しました。
 本間美術館「清遠閣」から望む庭園の遠望から広告塔が見えなくなりました。
 そして、美術館の方々からも本当に喜んでいただき、広告塔の持ち主に感謝状を贈呈していただき、
取り組みの足跡を清遠閣に掲示してくださいました。

 そして、その視点場に素敵な椅子を置いてくださいました。流石です。 

 
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酒田の米屋さん

2013-12-04 22:20:38 | Weblog
 続けるには気持ちがまだ足りないが、今日の感激は伝えたいと思います。
 酒田の港近くの船場町、河岸沿いに町が営まれてきた場所で、江戸期からの米屋さんが店を張っています。由緒は多く知られた商家ですが、この店構えはいかがでしょう。酒田らしいの妻入り平屋の町屋を活かしながらも、挨拶、迎客、集客の「商店の三種の神器」を完備された店構えは素晴らしい。

 そして、今朝は「丸もち」の白地の暖簾が出ている。見事な「挨拶と集客の装置」。奥さまに朝の挨拶をしたら、「手造りですよー」

 昼休みの早速伺ったら、庄内らしい丸もちが、あらき米屋の袋入りで並んでいます。おまけに隣には海苔まで並んでいます。
 このもち米は、「デワノモチ」という品種。出羽のもち米、栽培は難しいらしいが美味しさ抜群の山形特産です。「丸もち」は、山形県内でも珍しく、上方文化の影響を受ける庄内らしさということです。
 食べる前から、ここには本当に美味しいものがあると確信してしまう。

 加えて、この老舗の切り妻壁面には、短かい「引き綱」があります。ご主人に伺ったところ、以前、羽黒山の山伏が松の勧進の時に、このお宅に寝泊まりして酒田の町を廻ったということでした。お礼の気持ちで山伏が贈ったものなのでしょう。
 酒田の街中には、三軒ほど「引き綱」を飾ってあるお宅がある。これについては次の機会に詳しくお伝えします。
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土門拳記念館

2013-10-20 20:57:01 | Weblog
 今日は、酒田シティマラソンの後、土門拳記念館を訪ねた。酒田に来て以来、「本間美術館」、「山王くらぶ」と併せて会員になって時間が出来次第訪ねている。
 その記念館が開館30周年。もう30年になるのです。その説明については記念館の資料に依ることで足りるので、私の感想を加えることにします。
 記念館開館時には、設計者や建設に関わった著名な人物と建設費が話題になったと記憶しているが、30年後の今、まるでその時間を感じさせないくらい新鮮で、100年たったぐらいでは歴史的建造物に扱われないほど歳を取らない高質さを感じることができます。
 この記念館は日本を代表する写真美術館ですが、ここでは、写真だけでなく土門拳の哲学を学ぶ場に思えます。土門拳の写真は、土門拳のその写真に対する言葉と相まって、モノの本質、美しいモノの理由を伝えてきます。土門拳は、その言葉でもコトの本質を訴えてきます。
 何度行っても、その度に新しい発見をすることができる、宝物のような場所です。
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酒田の台町2

2013-10-01 21:12:53 | Weblog
 台町は、上と下の通りが南北方向に並んでいる。町奉行の中台式右衛門の名に由来すると伝えられている。台町は少し前まで大変な繁華街であったようだが、すっかり静かになってしまった。飲食店のビルが閉店したまま残されている。何か、わざと残しているようにも見えてしまうほど、廃墟の感じが残っている。

 それでも港座という映画館は、閉館しているのに時々コンサートなどに使われているのが不思議でなく、酒田らしいのでしょうか。
 下台町は山王山の麓をなぞっているように通りが続く。下見板張りの建物が多いのが目につく。その屋並みの中できになっている建築がある。表は洋館のようでもあり、奥は蔵のようでもある。もう空き家になっているようだが、よほど思いのある方が家主だったのだろうことが察せられる。

 庭木が伸びて写真も撮りづらいが、粋な建物に見える。しめ縄のようなものも見える(出羽三山にまつわるものか。いつか中を見学させていただきたい。
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酒田の台町1

2013-09-30 21:52:32 | Weblog
 酒田は、旧町名がかろうじて標柱で案内されているが、「臺町(台町)」という呼び名は今でも当たり前に使われている。住居表示法によって、住所は「道路方式」から「街区方式」に変わってきたことはお伝えしましたが、「臺町(台町)」の様に、道路名に依らない名称も多くあり、地域の印象が道路名より強い所もあったということでしょうか。
 「臺町(台町)」は、現在、大部分は「日吉町」という名になっていますが、「臺町(台町)」の方が、「通る」ような印象があります。日枝神社の鳥居の前に、標柱があります。
 「臺町(台町)」といえば、上台町の「白ばら」と「山王くらぶ」が並んで見える辺りが代表の一つでしょう。

 「酒田の通り」を一旦打ち上げて、もうすぐ「酒田の景観」を出していきたいと思います。
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酒田の通り12 桜小路

2013-09-21 21:23:32 | Weblog
 桜小路という地名は、いかにも有りそうな名前ですが、しかし多くの所では道路沿いに桜並木があることだろう。酒田の桜小路は、由来は桜並木があったからということですが今は切り株も見当たらない。

 そのために、角に立つ旧桜小路の標柱が東西南北のどの通りを指しているのか分からない。南方向は、日和山の景観について話題になった高層マンションに突き当たる。
 しかし、現在、この通りは酒田への来訪者が最も多く通る坂道になっていることが特筆されるだろう。標柱の西側の坂を登って行った所に、アカデミー受賞作品の「おくりびと」のロケ地で有名になった「旧割烹小幡」があり、登りきった先には、海と湊の眺望が開ける日和山の見晴し台があるためです。

 また、この通りは東の中町まで5月20日の山王祭りの時のメーンストリートになり、お客さんで溢れかえる通りでもあります。
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酒田の通り11 今町

2013-09-04 21:13:01 | Weblog
 この町は、酒田甚句に「今町、船場町、高野浜」と酒田遊所の一番目に唄われた町で、旧秋田街道にもあたります。酒田の街の特徴である緩やかな勾配があり、道の先には青空が見えたりします。歴史のある通りのため、沿道には、「酒田十景」を包み紙にしているお菓子屋さんや、マリリンモンローのカレンダーを毎年造られる粋な酒屋さんなどがあります。
 観音堂の入り口に標柱がありますが、昔から茶屋家業の者が多く住んでいたとのこと。

 沿道には史跡が多く残っていて、晴れた朝に開け放たれた扉の立ち姿を見れば、地元の方々に大事にされているのが伺えます。

 さらに、日本キリスト教団酒田協会の木造建築は大正13年築造ですが、現役で活躍中です。設計施工は、地元の棟梁池田徳次であるそうです。

 現在の町名は、日吉町や寿町などになっていて、「今町」の地名は「北今町」に名残が残っています。
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酒田の通り10 河岸八町(山椒、稲荷小路)

2013-08-26 20:06:52 | Weblog
 山椒小路は、慶長14年(1609)に名が出ていたそうです。山升小路とも書いたそうです。現在は、市役所に隣接する東側の通りで「希望ホール」が面しています。山椒小路の標柱があるお宅は、たまたま古くからの友人の実家であることが、先日、朝のジョギングで分かりました。向こうに見えるは、やはり山居倉庫の欅の緑。
 稲荷小路は、名の通りお稲荷さんに面する通りで、北は本間家旧本邸、南は新井田川越しに山居倉庫が覗く。下の写真左側の竜徳稲荷の名に由来する。

 酒田の河岸八町は、車の通りが少なく、酒田らしい坂道の街で、歩き回るには程よいスケールで、昔ながらの建物も残り、どの通りからも昔の湊、今の新井田川が臨める「酒田感じるゾーン」です。
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酒田の通り9 河岸八町(中袋、上袋小路)

2013-08-24 07:55:24 | Weblog
 酒田の河岸八町には、袋小路が3本ありまして、東側から、上中下と並んでいます。上の写真は、新しい標柱ですが、河岸八町を唯一示してします。上質な旅館の角地に建っています。
 下の写真の中袋小路は、現在の酒田市民会館「希望ホール」の南側になり駐車場に囲まれていますが、新井田川側には山居倉庫の欅が見えます。希望ホールは今年開館10周年で、12月1日に新日フィルの記念コンサートが行われる予定で、私も「第九」の合唱に参加するため練習中です。

 次の写真の上袋小路は、川側には山居倉庫の欅が見えますが、下った所に酒田町奉行所跡があり、美味しいイタリアンレストランなどもあります。北側は本間家の別館「御店(おたな)」に突き当たります。写真左側は虚空蔵さんでこの時は祭り準備のようでした。この辺りは、道路の路肩に石畳が敷かれ、歩行者に少し配慮しています。 
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酒田の通り8 河岸八町(染屋、下袋小路)

2013-08-20 09:03:27 | Weblog
 酒田の河岸八町は、一番西側の染屋小路から東に並んで、街と港を繋いでいる。染屋小路は、染屋家業の者が居住していたことによるとのことです。現在は染屋さんの気配はありませんが、坂を下ると魚市場に繋がる道になっています。
 河岸八町の中には、袋小路という名前が3本ありますが、その一番西側が次の写真の下袋小路。確かに北に向かうと本町通りには真っ直ぐ抜けられません。酒田の他の通りと同じように、西側が「下」で東側は「上」ということは、亀ヶ崎城から上下を定めたのでしょうか。
 この辺りは車の通りが少ない分だけ、曲りくねった道が心地よい。目立たないが安くて美味しい店があります。
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酒田の通り7 河岸八町(実、利右衛門小路)

2013-08-18 15:07:54 | Weblog
 酒田の中心部の街割りは、整然とした碁盤目になっていますが、東西の道が「通り」と呼ばれるのに対し、南北方向は「小路」と呼ばれるのが多い。西側の日枝神社(東側は亀ヶ崎城(旧東禅寺城)でもある)に向かう方向があくまでも主軸・縦糸であり、南北方向はそれを連結する横糸だったのでしょう。そのために、柳小路のように道幅が広いのに小路と呼ばれるものもあった。「通りと小路」も酒田の街の特徴でもあるようです。
 また、昭和37年の住居表示法が制定されるまでは日本国内の住所は道路方式で、道路名が住所名になっており、郵便配達の利便性のために街区方式に変更されたそうで、旧町名が相当数失われました。
 酒田の旧町名も味わい深いものが多く、旧町名の標柱が現在60本建てられています。そのパンフレットがありますので、それを参考にここで紹介していきます。
 さて、酒田の通り・小路の中で「河岸八町」という呼ばれる地域があります。本町や船場町には大問屋が軒を並べていたが、北前船の船員たちは、河岸の小問屋や船宿に泊まったという。
また、ここには山形・長井・大石田などの回船問屋の支店が多数置かれていたようで、相当の賑わいを見せていたようです。
 上の写真はその一つ、実小路。もとは御宿小路と呼ばれ、天正19年、加賀の前田利家の宿舎になったことが由来だそうです。現在は市役所の西側を通る国道112号で、新井田川に実生橋が架かっています。

 上の写真は、実小路の西側の通りで利右衛門小路と呼ばれ、港橋から柳小路に通じている。ここも、道幅の広い小路になっている。酒田の長人・村井利右衛門が居住したことに由来するそうです。標柱が電柱の陰になっており、道行く人にも気づかれないようです。
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酒田の通り6 上、下小路、出町通り

2013-08-07 05:58:35 | Weblog
 酒田の道は、山王山の下日枝神社の例大祭(5月20日)の頃に、太陽が沈む方向に通りを定め、本町通りとし、これを基本に町割りを作ったと云われています。
 そのため、城下町でもないのに碁盤の目状に出来ており、また、概ね、東西方向の道を「通り」と称し、それに交わる南北の道を「小路」と称しているようです。
 その街の中を、毎日通勤していますが、その通勤路の一つが上小路と下小路です。
 上の写真の、上小路は、酒田港本港地区と日吉町(旧台町)を結ぶ坂道で、通り沿いには、今も街中で酒造りを続けている酒田酒造さんが黒塀の粋な姿を見せてくれています。
 次の写真の下小路は、上小路の一つ西側の通りで、港に向けて坂道になっていますが、沿道に古い建屋が残っている静かな通りで、私のお気に入りの小路です。

 上小路、下小路に交わる道路は、出町通り(旧鶴岡街道)で、日和山に通じますが、車では行き止まりになっており、芭蕉坂に通じます。
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酒田の通り5 あおの小路

2013-07-31 20:48:10 | Weblog
 上内町の伊藤餅屋から中の口町へ行く通り。最上氏時代、斎藤淡路が住んでいたので淡路小路と呼ばれた。「淡」の字は、水が一つであるのに火が二つあるというので火事が起きるということから「あおの」と呼ばれるようになったという。この云われも有りうるなあと腑に落ちます。

 この写真を撮る時に、玄関先の鉢に水遣りをする奥さんに尋ねたら、「そう、ここは「あおの小路」というのよのお、斎藤淡路が住んでいたのよのお」ということで、確信した次第。
 地元の方も大事にしている。
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酒田の通り4 見返り小路

2013-07-28 21:38:28 | Weblog
 私の通勤は、自転車もしくは徒歩です。できるだけ車の通行が少なく、信号のない道路を通りたくて、一本裏通りを通ることにしています。
 下台町の裁判所脇から新町に抜ける、坂道が見返り小路。新町の遊女や恋人や、馴染みの客が別れを惜しんで見返ったから付いた名前と云われる。街は出会いと別れの場所。そんな艶っぽい話はいくらでもあった方が良い。
 そして、その東側の持地院の墓地脇を抜ける細道も気になるのですが、交差部の三角地には社と井戸跡のようなものが気になっている。

 新町側から見ると登り坂の向こうには何があるんだろうと思ってしまう、先の曲りが怪しげです。
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酒田の通り3 弁天小路

2013-07-25 07:34:10 | Weblog
 姿見小路と観音小路が突き当たるところは弁天小路と名付けられているようです。秋田街道から西に一旦下り(上の写真)、中ほどから山王山に向かって上る(下の写真)通りになります。

 明治から昭和初期にかけて活躍した名棟梁佐藤泰太郎が住まいしていたということです。佐藤泰太郎は、相馬屋、山王くらぶから六角灯台まで酒田の主要な文化財建造物を手掛けたということです。別の機会に改めて注目していきます。
 いい具合の上り下りがある、坂の街酒田の通りの一つです。
 西に向かって左折すれば日和山方面、右折すれば裁判所前から見返り小路に続きます。
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