山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

山形ホテル物語(6)

2013-05-24 07:22:11 | 街づくり

 ◇微笑みのアラ還美女を見つけた◇
 かつての緑したたる市内有数の名園も今では一面が車用族の利便最優先の敷地と化した。これが戦後の“リベラル界”を先導してきた教育関係団体と労働関係団体の発想かと思うとなんとやら・・・。それはともかく、この無味乾燥な景観の中にも潤いの微笑みが見られる。前回の投稿の中でも述べた「アラ6」つまりaround kanreki(アラ還)の美女のお顔である。
 そしてたまたま、早朝からクルマの進入が見られた。旧山形ホテルの後裔である大手門パルズに(たぶん、おそらく、perhaps, maybe)無用で前夜に駐車した車を回収に来たお方を乗せた代行車と見られた。旧山形ホテル時代の遺品たる石灯籠は微笑みの美女とともに車用族の方がたをお出迎えしてくれているのだ。

 水と緑が人びとの生活を潤すとは誰しも言う。特にこれは政治家の口癖である。しかし「言うは易く行うは難し」つまり言行不一致は世の常で、現代では一層顕著。これを如実に示す例が旧山形ホテル(現・大手門パルズ)の名園のな れの果てである。
 藩政時代(山形城主が秋元氏)からの名園は旧山形ホテル(後の山形県教育会館)の和館、洋館ともに解体のうえに第二世代の教育会館の建設のために昭和50年頃に破却され、主要な部分が駐車場化したが、それでも東側に小さな池の部分が残されていた(写真右)。それが大手門パルズの新築の際にすっかり毀されて駐車場化してしまったのである。止めどもなきクルマ社会の進行を教育関係団体と労働団体も抗しきれず、「背に腹は代えられない」とは言うが、哀れなのは「水と緑」である。

 前回の投稿⑭で現在の大手門パルズ建築に際して取り壊された藩政時代からの名園の一部と思われる「小さな池」はかつての山形ホテル時代の写真の池ではなかったかと思われる。
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山形の自転車道とバス停問題

2012-12-25 21:38:27 | 街づくり
 以前の車道東側に「双方向」の自転車道であったのが、12月から車道両側に「片方向」の自転車道と大幅に改変された。
 写真でもおわかりのように、バスの乗降者は自転車道を跨ぐことになり、早速事故発生の危険性が指摘され始めている。
 しかし、この形に至るには様々の曲折があった。
 歩行者、自転車、バス乗降者、クルマ・・・どれもが完全に安全に道路を利用できるようにするには「ノーベル賞」的なアタマが必要なようである。
 この自転車道問題については、姉妹ブログ島国ニッポンの山国からでも詳しくふれているので、ぜひご覧いただきたい。
   http://blog.goo.ne.jp/ezoben-k ←クリック
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かたや上山市、こなた山形市

2012-11-15 21:58:32 | 街づくり

 こちらは(↑)のどかな田園風景。
しかも、この田畑のすぐそばにはイザベラ・バードが通った明治11年竣工の石造りの二連アーチの橋があり、また慶長出羽合戦の際の最上軍と上杉軍が刃を交わした古戦場も間近な歴史的スポットでもある。
 そして、もう一方(↓)は荒涼とした砕石場の光景。
 前者は上山市の市域内で、後者は山形市の市域内。
 両者はきわめて対照的な景観ながら、現在はきわめて共通する環境下にさらされている。
 それは双方とも新しい清掃工場敷地の有力な候補またはその至近の位置だということであり、また近隣住民には強力に反対している人たちが存在するということでも共通している。
 さて、どちらが敷地としてふさわしいのか、それとも双方ともふさわしくないのか。
 ともかく敷地決定は間近なようであり、ここに紹介したところである。
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淋しい街を歩いたら・・・(3) 内陸女性の新名所

2012-11-07 09:09:27 | 街づくり
 前回記事の洋館の手前(東)に江戸時代末期に建てられたという土蔵造りの観光施設がある。
 むろん江戸時代から観光施設であったわけではない。
 だから、かなり古い建物ながら、見た目にはすっかり真新しい建物に見える。
 写真では向かって右側(前方)が観光案内施設で、手前の左側がレストランである。
 ここでは地元の女性たちが懸命に郷土食豊かなメニューを提供しているから、昼食のため訪れた時には既にほぼ満席状態で、街路の静けさと閑散ぶりからは想像できない賑わいであった。
 むろん、客の多くは女性たち。若い女性たちはむろん「ご婦人」の名がふさわしい方がたの姿も多かった。
 観光案内所の方に聴いてみたら、地元朝日町の人だけでなく山形県内陸全般からの人たちが多いという。特に白鷹丘陵を隔てた県都山形市からわざわざここを訪れるご婦人たちが少なくないという。
 地元の人々のちょっとしたアイディアと女性パワーがかくも「町おこし」に貢献している好例と言えよう。
 むろん、「食」だけでなく、歴史・文化のスポットにも訪れてほしいものである。

 なお、ここ「ココロ館」では坂道の多い朝日町に適した電動アシスト付きのレンタサイクルの貸出も行っている。
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淋しい街を歩いたら・・・(1)

2012-10-29 23:22:37 | 街づくり

 西村山郡朝日町の“中心部”の宮宿を歩いてみた。
 やはり小さな町であるがゆえにご多聞に洩れず中心部の街路は淋しい限りで、歩行者の姿はむろん、クルマの走行もほとんどない状態である。
 むろん、廃業したり空き地になった箇所も少なくなく、街並みが崩壊しつつある箇所もかなり見受けられたが、下の写真のように中心商店街らしい街並み(店舗の建物が連続)が残されている箇所もあり、ほっとする。
 やはりこの街も行き交う人々で賑わっていた時代もあったことがうかがえる。
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色気のない景観どころでなくなるかも・・・

2012-10-08 11:42:06 | 街づくり

 一見のどかな田園風景。
 でも、ここのすぐそばには山形新幹線も通るし、国道も通り、やがて東北中央高速道路との接続も見込まれるから、今でもかなりの交通騒音が鳴り響いている。
 そして、ここは413年の昔、関ヶ原の戦いに連動して北上しようとした上杉軍と最上軍が激突した古戦場のすぐそばであり、史跡としての雰囲気もある。

 その歴史的背景と関係があるのかどうか、この田園地帯のすぐ南側の道路沿線に戦国武将たちが掲げるような幟端が立ち並び、何かを訴えている。
 ようく見たら、「清掃工場建設反対」と記されている。
 つまり、このすぐ近く、というよりは、この田園ゾーンがそのまま新しい清掃工場の候補地となっているということである。
 一見しただけでは広々とした空間だが、もし本当に清掃工場がここに建設されるなら、山形市・上山市・中山町・山辺町の2市2町で構成されている「広域環境事務組合」が建設するのだから、かなり巨大な清掃工場となる。
 建設反対派の主張の主なものには「大気汚染に伴う農産物に対する風評被害」と「景観破壊」の二つがある。
 だが、前者に対しては設置側は「安全は科学技術的に完全に保証されている」と盛んにPRしており、それゆえ「大気汚染を心配する必要はない」としているから、地域住民はこれを「信じるか信じないか」で態度を決めることになろう。
 一方の「景観破壊」については確実性はきわめて高く、このことは誰しも否定し難いのだが、近年の日本人と山形人は景観についてはきわめて鈍感である。
 つまり景観など破壊されても「生活の安全」にはほとんど関わりないとする感覚である。
 しかし、ここの景観は単なる「のどかな田園風景」「古戦場の近くという雰囲気」だけにとどまるだけでなく、いわば第一級的歴史的遺産が存在しており、もし、ここに巨大な清掃工場が本当に建設されたら、この歴史的遺産の高い価値が大幅に削がれ、山形県・上山市にとって大きな損失になることは確実なのである。
 その「第一級的歴史的遺産」とは何か、次回の記事で紹介しよう。

◆新しいブログ『山形街なか大正レトロ館』を紹介します。
 山形市の本町にある大正10年建造の「旧西村写真館」の保存の取り組みに特化したブログです。ご愛顧ください。
   http://blog.goo.ne.jp/kyuu-nishimu-stadio
 
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自転車利用者不在!?の自転車道論議(1)

2012-01-17 22:36:14 | 街づくり

  ↑ 写真1 ローカルニュース(NHK山形)の出だし

 今日のテレビ・ローカルニュースで山形市中心部で約三年前に始められた「自転車道社会実験」の今後について国土交通省は地元の3商店会に対して3つの案を提示したことが報じられた(写真1、2、3は当ブログ。写真4、5、6は下記姉妹ブログ)。

↑ 写真2 ホテル内での国土交通省(向かって右側)と商店会

 第1案は、現在のように片側に双方向の自転車道を設けるが、自転車道と車道との立体的区画のために縁石を連ねる。そして、図のように自転車道と歩道を狭めて荷捌き車両のスペースを設ける。
 第2案は、車道の左右部分にそれぞれ一方向の自転車道を設け、第二案と同様に縁石と荷捌き車両のスペースを食い込ませる。
 第3案は元通りの自転車道でなく車道の両脇に車道との立体的区画がない自転車レーンに戻すことである。

 以上の3案に対して沿道の各商店会はどれを選択するか決定して意向を国土交通省に伝えるのだという。
 従来の商店会の自転車道に対する反応であるが、特に某商店会は自転車道はクルマでの来街者に大いなる不便を与え、客足と売上の減退を招いた(ただし具体的な統計数値は不明。公表もしていないようだ。)ということで、自転車道の「即時撤廃!」を強硬に主張してきた。
 むろん、国土交通省としては地元商店会の意向を無視した形で自転車道について「社会実験」から本格的な施行へと移行することは憚られたからであろう、今日の商店会に対する3つの案の提示となったのであろう。
 しかし、自転車道の今後の在り方の決定について大きく抜けた点がある。
 それは肝心の自転車での来街者徒歩やバス等での来街者の意見を聴取する姿勢が見えないことである。
 また、地元の自治体、すなわち山形市役所(それこそ自転車道の間近)の意向も見い出せないないのも気にかかる。

なお「自転車利用者不在の自転車道論議(2)」および写真の4、5、6は下記姉妹ブログ(本日1月17日付け)によりご覧いただきたい。
http://blog.goo.ne.jp/ezoben-k  また、上記のブログでは2009年の11月から自転車道についてのシリーズを連載しているので併せてご覧いただきたい。。

↑ 写真3 3年前の11月に「自転車道社会実験」が始まった当初の様子
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世界遺産候補?の最新建築

2011-08-09 23:45:38 | 街づくり
 写真映りが悪いのか、どうも目がちかちかして見ずらい建物が山形市の中心部に新しくお目見えした。
 でも、写真のせいだけではなさそうだ。
 肉眼で見ても、やはり目がちらちらしてくるデザインの建物だ。
 それでも施工主と設計士たちは市の中心部に建てられるために外観のデザインにはかなり配慮したようである。
 ともかく、鉄骨やコンクリートなどの建材が道路を歩く人たちの目にもむき出しになったり、駐車するクルマの姿がもろに見えたりして無粋無骨な感じにならぬよう努力したと思われる。
 現代建築はとかく機能本位のために外観デザインが殺風景になりがちだが、とりわけ駐車ビルほど無骨な現代建築はないと言える。
 もし、駐車ビルで将来文化財になるものがあるとすれば、それこそ奇跡である。
 文化財と言われるものには国宝や国の重要文化財のレベルから都道府県や市町村の指定文化財、登録有形文化財に至るまで様々あるが、世界遺産の中の世界文化遺産も文化財と言えよう。
 クルマ社会はもはや飽和状態に突入した感があるが、クルマ関連の建物の中で、とりわけ駐車施設の中から一つでも世界遺産になりうるものがあるだろうか。
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「緑の衣」は都市のクールビズ

2011-06-09 06:56:42 | 街づくり

 あれあれ、更地になった元の店舗の敷地の向こう側に何やら緑色の高い棒状のようなものが立っている。
よく見ると、電線か電話線のようなものが張られている。
 さらによく見つめてみたら、「緑色の被い」の実体は蔦状植物の葉っぱであった。
 この日は山形では今年初の真夏日だったから、手前に駐車しているクルマのボディーはバーベキューの鉄板並みに熱く、車内は蒸し風呂以上の高温になっていることであろう。
 これに対して、「緑棒」の内側の電柱?はクールな状態に保たれているに違いない。
 それゆえ、電柱氏にとっては緑の衣服姿はまさしくクールビズである。

 さて、この日さらに別の所にでかけ、あまりにも暑いので、どこか涼をとれる所はないかと思っていたら、街なかなのに鬱蒼とした樹林で覆われた古い神社でしばし休んだ。
 この神社の境内には池があり、噴水もあるので、まさしく涼感満点であった。
 これだけの「緑と水」に恵まれているのだから、ここから発せられる涼風は近隣の市街地一帯の気温をある程度下げる役割を果たしているのではないかと思った。
増やそう樹木! 減らそう真夏の熱発生源(クイズ→その代表例は何だろう?回答は下記姉妹ブログ)!
 http://blog.goo.ne.jp/ezoben-k(←クリック)
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安全安心で文化景観が死滅

2011-04-23 22:25:04 | 街づくり

 上の写真と下の写真同一の場所であるが、上は2007年の4月23日撮影で、下は今年の今日2011年7の4月23日付けであるから、丁度満4年の間隔がある。
 しかし、見てすぐわかるのは4年前と比べれば今年の桜の開花はだいぶ遅れていることである。

 だが、違いは開花の状態だけにあるのではない。
 以前は城跡の土塁の上はほぼ自然に近い状態であったが、現在は遊歩道が明るい色彩の簡易舗装で真っ平になり、周囲の自然的色彩との調和を著しく損ねているだけでなく、左側には擬木の柵を連ねた間にこれまた明るい色のロープを張り巡らせて、子供たちなどが、左手の堀に落ちていかないようにしているつもりのようであるが、これにも違和感を覚えてならない。
 ここ、山形城跡は歴然とした国指定の史跡なのであり、決して一般的な都市公園内の園路ではない。一般的な都市公園内でもこのような園路を造成したら、利用する市民の不評を買うであろう。
 まるで、中心市街の自転車レーンのようなイメージである。
 これほど真っ平ならば、散策の高齢者などが凹凸に足を取られて転倒することもなかろうし、クルマ椅子やベビーカーも通り易いことは確かである。ただし、この土塁の上にのぼるためのエレベーターもエスカレーターもないから、そもそもクルマ椅子やベビーカーをここまで運ぶことは困難である。
 ここは旧山形城二の丸部分であるが、現在本丸部分の復原工事が進められているものの、本丸御殿は藩政時代の建物の資料や写真・絵図がないために建設ができない状態が続いて久しい。
 これはむろん「国史跡」という制約上当然ということになるが、それならば、土塁の上を現在のような姿に変貌させたことに対して文化庁からのクレームはなかったのであろうか。高齢者などの安全安心のためなら史跡としての景観を損ねてもかまわないとでも文化庁は申したのであろうか。
 そもそも、藩政時代は土塁の上に桜並木などなかった(明治後期に日露戦争勝利記念として植樹された)のだから、「国史跡」として「史実」に忠実たらんとするなら、桜並木などはすべて伐採しなければならないことになる。
 また、城跡公園内の北東部には新しく駐車場が造成されたが、これも当然史跡としてはそぐわないことになる。
 制約がきわめて厳格なようで制約が緩いような史跡であるが、一体全体史跡とは何なのであろうか。
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