◇微笑みのアラ還美女を見つけた◇
かつての緑したたる市内有数の名園も今では一面が車用族の利便最優先の敷地と化した。これが戦後の“リベラル界”を先導してきた教育関係団体と労働関係団体の発想かと思うとなんとやら・・・。それはともかく、この無味乾燥な景観の中にも潤いの微笑みが見られる。前回の投稿の中でも述べた「アラ6」つまりaround kanreki(アラ還)の美女のお顔である。
そしてたまたま、早朝からクルマの進入が見られた。旧山形ホテルの後裔である大手門パルズに(たぶん、おそらく、perhaps, maybe)無用で前夜に駐車した車を回収に来たお方を乗せた代行車と見られた。旧山形ホテル時代の遺品たる石灯籠は微笑みの美女とともに車用族の方がたをお出迎えしてくれているのだ。
水と緑が人びとの生活を潤すとは誰しも言う。特にこれは政治家の口癖である。しかし「言うは易く行うは難し」つまり言行不一致は世の常で、現代では一層顕著。これを如実に示す例が旧山形ホテル(現・大手門パルズ)の名園のな れの果てである。
藩政時代(山形城主が秋元氏)からの名園は旧山形ホテル(後の山形県教育会館)の和館、洋館ともに解体のうえに第二世代の教育会館の建設のために昭和50年頃に破却され、主要な部分が駐車場化したが、それでも東側に小さな池の部分が残されていた(写真右)。それが大手門パルズの新築の際にすっかり毀されて駐車場化してしまったのである。止めどもなきクルマ社会の進行を教育関係団体と労働団体も抗しきれず、「背に腹は代えられない」とは言うが、哀れなのは「水と緑」である。
前回の投稿⑭で現在の大手門パルズ建築に際して取り壊された藩政時代からの名園の一部と思われる「小さな池」はかつての山形ホテル時代の写真の池ではなかったかと思われる。