山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

この姿勢もザンテイ(暫定)的ナノデアル

2008-03-31 23:01:34 | Weblog
 政界は中央も地方も含めて、また経済界も一般消費者も目下テンヤワンヤである。
 道路特定財源の暫定税率が今月いっぱいで、つまりはあと1時間足らずで期限切れになるので、とりわけ運送業者やガソリンスタンドなどは対応に追われている。
 だけれど、我輩はガソリンなど必要ないから何にも気にならない。
 つまりそんなの関係ねえよ!と言ったところである。
 ここ数日は冬のような寒さに戻ったが、とにかくこういう姿勢でいると気持ちがいい。この姿勢に飽きたら、またコタツの中にでも潜ればいいだけだ。
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かつて子どもたちの喚声が響いた街路

2008-03-29 23:57:31 | 街づくり
 駐車中の車や進入したばかりの車がちらほら見える程度のうら寂しい街路。
 今は人の姿はまったく見えない。
 たまたまカメラを向けたこの時だけが人の姿が見えないのではない。
 だいたい常にこんなものである。
 通りかかる車のほとんどはこの街路沿いの住宅等に用向きがあって通るのではなく、ほとんどが単なる通り抜けのためでしかない。
 でも、今から約50年前後の昔、この街路は子どもたちの喚声が響き合う賑わうゾーンだったのである。
 平日の午後から夕方にかけて、紙芝居のおじさんが紙芝居装置を積んだ自転車をこの道の脇に止めると子どもたちがたいてい十数人ばかり参集していたし、この路上で縄跳びをする女の子たちや路上いっぱいでテニスボールよりもはるかに軟らかいボールを使った野球に興じる男の子たちで溢れかえっていた。
 それでもこの街路沿いには自動車関連の営業所があって関係車両が訪れることはあったが、無関係の車が通り抜けるということはほとんどなかったから、この街路は子どもたちの天国同然であった。
 今はこの路上で遊ぶ子供たちの姿はまったく見られないだけでなく、子どもたちの絶対数がきわめて少ない。一方で80代、90代の高齢者たちだけが増え、その高齢世帯や単身高齢者の家が空き家になるとたちまち駐車場と化してしまう。
 まさに少子高齢化とクルマ社会が一体化した街と言うしかない。
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むむむ!白い浮遊物、これ霊現象?

2008-03-28 16:58:22 | Weblog
  二、三日前まではしばらく平年を上回る陽気の日が続いた。
 特に3月25日は20度近くまで上昇して、馬鹿陽気とすら言えた。
 だが、今日はうって変わって一日中冬のような寒さとなる。
 窓の外には白いふわふわした物体がしきりに舞い降りてきたので、玄関から出てカメラのシャッターをきってパソコンで眺めてみたら、やはり画面にはかなりの大きさの白い浮遊物のようなものが数多く写っていた。
 まるで心霊写真を見ているようだ。
 やはり気象は異常であるとしか言いようがない。不気味、不気味!
 西日本では桜が満開であり、当地方の桜の開花予想(第2次)も2日早くなったと一昨日発表されたばかりであった。
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安全・安心の新校舎。でも顔がない。

2008-03-26 17:53:23 | 建物

 新学年を前に既に真新しい校舎で子どもたちは学んでいる。
 先日、市立七小の新旧校舎の見学会が学校主催で行われた。
 外観の無機的雰囲気とはうってかわって校舎の内部は木の香りと温もりがぶんぷん。それだけでなく、廊下と教室を隔てる窓枠も木製で、しかも和風の感じ。
 むろん、建物全体が耐震構造も充分になされているだろうし、内部では木材がふんだんに用いられていても防火構造も万全であろう。
 しかも冬は暖かく、夏は涼しくなるように設計されている。
 子どもたちにとっては大変恵まれている勉学環境であるといえるかもしれない。
 だが、この新校舎には何か大きな要素が欠けているような気がしてならなかった。
 見学会が終わって帰宅してから感じたことだが、外観に「顔」がなく、団地のアパートと変わらない。これは旧校舎(前回と前々回の記事)との大きな違いである。
 旧校舎の場合は中央部分の半円形の塔楼部分のようにきわめて個性的で一度見たら誰しも忘れられない「顔」の部分があった。
 「顔」のある校舎は当然外観全体を引き締め、生徒たちにとって卒業後も母校としての印象を強く残す。これも教育にとって大切なことである。
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また一つ消え去るアール・デコ ②

2008-03-24 22:40:58 | 建物

 七小の旧校舎は外観も存在感充分だが、内部も壊すには惜しい箇所が多い。
 第一小旧校舎は登録文化財にもなったから解体を免れ、保存利活用の道が開かれたが、七小はそこまでには至らずに解体目前である。

[写真] 上左・上右/中央半円状塔楼部分 遊び心充分の夢を呼ぶ空間である
    下左/長い廊下 これではやんちゃな生徒は走りたくなる
    下右/児童たちの作品のギャラリーとして使われていたスロープ(旧校舎北西部分) 
壊すにはまことに惜しい空間 

※ クリックにより写真拡大します。
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また一つ消え去るアール・デコ ①

2008-03-23 22:05:45 | 建物
 昨日、市立第七小学校の新旧校舎の見学会があった。
 昭和8年建造の旧校舎は“老朽化”などの理由で解体が決まり、子どもたちは既に新校舎で学んでいるが、4月になってからは旧校舎もいよいよ解体される。
 この旧校舎は昭和一ケタ時代に流行したアール・デコ様式(※注)で建てられ、今となっては貴重な存在となっていたが、“古い建物ぎらい”の現代日本人の好みに合わず、様々な理由がつけられて解体が決定された。
 見学会には卒業生などを中心とした老若男女が百名近く訪れ、まず真新しい新校舎を見学してから、旧校舎を見学した。
 新校舎の窓からはすぐ間近に旧校舎の威風堂々とした存在感溢れる姿が見られたが、塔屋部分のすぐ左手に同じくアール・デコ風の万年雪をかぶったまろやかな霊峰月山の姿が並び、多くの見学者たちが感激しながらカメラを向けていた。
 ※ 現存する代表的なアール・デコ様式の建造物としては東京白銀台にある庭園美術館(旧朝香宮邸)(←クリック)があるが、建造年は七小旧校舎と同じである。戦時色が濃厚になった時代にもかかわらず、当時の山形市がよくも皇族の邸宅と同系統の様式の校舎を建てられたものだと感激してしまう。にもかかわらず・・・・・。
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日本晴れと山形の眺め

2008-03-22 23:41:56 | Weblog

 異常高温が気になることも確かだが、日本晴れの下では景色を存分に楽しめる。
 今日は山形市の各地を巡り歩いて楽しんだ。
 集団での行動だから山形市内なのに普通はなかなか見られない所や入れない所にも訪れることができた。
 そこで今日一番印象に残った眺めの写真を一枚紹介したい。
 それは、県境の麗峰雁戸山(蔵王国定公園)の真下で専称寺(※)の大屋根が合掌している姿の写真。近くの他の寺院群の甍の波も美しい。
 (※ 東北一の大伽藍と言われ、元禄時代の建造)
 さて、この写真はどこから撮影したものなのか?  クリックにより拡大
 
 
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花の宴まで1カ月

2008-03-20 16:47:51 | 風景

 気象庁は昨日桜の開花予想日を発表したが、それによると山形市では4月15日が開花日である。
 桜の開花から満開まで数日かかるから、満開は4月20日頃になるだろう。今日から丁度1カ月後である。
 上の写真は霞城公園(山形城二の丸跡)の土塁東部分の散策路と西門の所の濠及び土塁・石垣であり、積雪はこのところの陽気ですっかり消え失せたが、まだまだ物寂しい眺めである。でも、1カ月後は桜花で彩られ、極楽のような楽しくあでやかなパノラマになるであろう。

 ※ 写真はクリックにより拡大
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2年半前に見たチベットの映画

2008-03-17 23:47:42 | イベント
 チベットでかなり激しい“暴動”があり、かなりの犠牲者が出ているとのニュースが全世界を駆け巡り、北京五輪開催への影響すら心配されている。
 このチベットといえば、2005年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された若い在日韓国人監督の作品『Tibet Tibet』を観賞したことが思い出される。その印象をブログの記事にしたが、既にweb上で削除し媒体に保存していたものを復活して紹介したい。(部分省略)

●表題 『在印チベット人、在日韓国人、在山山形人』
2005-10-12 17:32:32 / イベント

 在日韓国人3世の青年で祖国韓国を好きになれず日本への帰化まで考えたものの、異郷の地インドに逃れた数多いチベットからの亡命者たちがチベット固有の文化・信仰を強く守ろうとしている姿に心打たれ、中国に支配されたチベットの現状を探るためにチベット取材した映画である。
 現在のチベットは中国に支配されたというよりも、首都ラサの若い中国人女性が金髪・茶髪になっている光景からもわかるように、グローバル化(全地球規模化)した欧米型文化と経済発展優先政策に支配されていると申しても過言でない。ここから伝統的生活を守ろうとするチベット人と現代型生活を希求する中国人との間に物凄い生活格差が生まれ、物乞いするか命懸けでインドに逃れるチベット人が激増しているという。しかしチベット人の苦難を知る中国人は少ないし関心もない。同様に日本に支配された朝鮮民族の苦難を知る日本人も少ないばかりでなく、この映画の作者自身もかつては韓国人としての自覚も誇りも欠けていたと独白する。
 さて山形在住の山形市民はどうか。街並みから誇るべき歴史的建物が次々と失われても惜しむどころか、その存在すら知らない市民が多いと私は感じるのだが・・。

※写真はかつてのダライ・ラマの王宮「ポタラ宮」 最近は信仰心なき観光客で溢れていた。(チベット関連HPより)
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今は亡きソウル市南大門

2008-03-15 16:25:19 | 建物
 1カ月以上も前のことだが、韓国ソウル市の象徴ともいうべき国宝「南大門」が放火により消失したのは2月10日のことであった。
 まことに惜しいこととは思いながら、このブログの記事にする意志はなかった。
 というのも6年近く前にソウル市を訪れた時のデジカメ写真の中に南大門の写真があったのかの記憶も薄れており、また探す気持ちすらなかったためでもある。
 だが、写真保存の媒体を開いてみたら、在った、有った、あったのである。
 一つはソウル市民が見たら涙を流しそうな大写しの堂々たる写真であり、もう一枚は今や韓国でも珍しくなったリヤカーを含むクルマで雑踏する南大門前通りの写真である。
 外国の建物とはいえ、素晴しい歴史的建造物が消失するということにはやはり無関心ではいられない。むしろ、在りし日の南大門が「探せ!」と呼びかけたのかも知れない。
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