山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

アカデミー賞と山形

2009-03-30 20:37:33 | Weblog
 上の写真は3枚の写真の組合せであるが、いったいこれら3枚にはどんな関連性があるというのだろうか。
 今日のタイトルからして映画のアカデミー賞および山形と関連があることは確かのようだが、何でなのかはなかなか分かりにくいことであろう。
 右の建物は最近すっかり有名になった酒田市の洋館で、『おくりびと』のロケで使われたから、これならアカデミー賞と容易に結びつく。[2003撮影]
 また、左の写真は真田弘之さんが扮する侍であり、これもアカデミー賞に関係しているようだが、映画のタイトルがすぐ浮かんでこない。
 そして真ん中の外国人はいったい誰なのであろう。
 その外国人が山形と関係があるのか。
 侍の名前を本名で呼ぶとアカデミー賞との関連がまったく分からなくなるのだが、通称で呼ぶと「ああ、ようく覚えている。私も見た。武士たちの庄内弁のセリフが懐かしい。」と言う人も多くなろう。つまりその通称が映画のタイトルそのものの『たそがれ清兵衛』であり、賞こそ逸したものの、2003年のアカデミー賞外国語部門にノミネートされている。ロケ地も舞台背景も完全に我が山形県の庄内地方であった。
 さあて、真ん中の外国人の写真は何とこのブログの開設者である私の撮影で、場所は山形市内の河川敷であり、山形名物の芋煮会のスナップである。しかも彼はその時山形に居ただけの人物ではない。彼の名はF・ザウパー氏。山形市の海外姉妹都市、スキー場で有名なオーストリアのキッツビューエル出身である。かつての冬季五輪のスキー三冠王トニー・ザイラー氏と同郷でもある。
 彼は山形国際ドキュメンタリー映画祭の作品『ダーウィンの悪夢』の出品のため2005年訪れ、むろんこの映画祭でも受賞したが、翌年のアカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門にもノミネートされた。
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大手門パルズの過去、現在

2009-03-28 23:09:19 | 建物
 さて、現在の「大手門パルズ」と「旧山形ホテル」、更には「旧山形教育会館」については前回および3日前にも記事にして紹介したが、4枚の組合せ写真によりその3者の歴史をお目にかけたい。
「上左」は古写真で見る旧山形ホテルの門前である。この前通を先に行くと七日町新道に至る。まことにホテルとは言いがたい風格のある景観である。
「上右」が同所の現在の景観で、やはり前方に進むと七日町新道に至る。
「下左」は、手前の和風の建物と前方のビルの2つともに教育会館と称した時代の写真。ともに昭和40年代末に解体されて第2世代の教育会館が建設されたが3年ほど前にまたも解体され現在の大手門パルズとなった。手前の和風の建物がかつての旧山形ホテルで、撮影当時はユースホステル山形教育会館として使用されていた。
「下右」が旧山形ホテルの裏側の外観で、手前が庭園

◆高速道路料金大幅引き下げに関する所論をもご覧ください。 ↓
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石灯籠のみが残った

2009-03-27 23:53:14 | 郷土史
 24日の記事において旧山形ホテル玄関前の庭にあった石灯篭が新しい駐車場の入り口の脇に置き直されていることを述べたが、上の写真により、まさしくこの石灯篭が同一のものであることが確認できる。
 旧山形ホテル(ホテルと称しても外観はほぼ完全に和風であった)が建てられていた跡地には現在「大手門パルズ」というホール主体のビルが建っており、教育関連や労働団体関連の事務所と労働金庫も入居している。
 この大手門パルズの建設に当たり建て主たる教育及び労働団体もかつての旧山形ホテル時代の遺産を一つでも良いから活用しようということで、この石灯篭を残して活用しようとしたのであろう。
 でも、石灯篭は樹木が繁っている場所にこそ映えるのだが、残念ながらコンクリートが敷き詰められただけの場所には映えないのである。
 この意味でも旧山形ホテルの庭園の緑は貴重であった。
 
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これも桜吹雪か!?

2009-03-26 23:32:36 | 風景
 西日本や首都圏では桜が開花したというのに、昨日から当地方は真冬のような寒さで、翌朝は氷点下の6℃になるとかの予報である。
 つい数日前は最高気温が20℃を超えた日が2日も続いたのに、4月をすぐ目の前にして、この寒さは一体どうしたというのか。
 地球温暖化なのか地球寒冷化なのか、まったくわけのわからぬ天候が繰り返されている。まさに気温においては極端な乱高下である。すなわち気象激変こそが地球温暖化を如実に物語っているとも言える。
 今日は南隣の上山市の街歩きをやったが、丁度正午頃になったらとうとう降雪が激しくなり、街並みは花吹雪ならぬ本当の吹雪でしばし霞んでいた。

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完全に消された都心部の潤い空間

2009-03-24 22:16:09 | 郷土史
 上の写真こそ昨日の「つまらない景観」の前身の姿である。
 そもそもこの庭園は泰安寺という山形城主秋元氏の菩提寺の庭園であったが、その後秋元氏が山形を去ってからは荒廃したが、明治の後半になってから山形ホテルという和風ホテルの庭園として修復拡張されたもののようである。
 その後、敷地の西側に教育会館ビルが建てられて庭園は狭められ、和風ホテルの部分も教育会館の宿泊施設となり、更に戦後に和館はユースホステルとしてしばらく利用されたが、昭和40年代末頃には旧教育会館ビルと和館はともに解体のうえ全面的に改築され、庭園部分はほんのわずかに残されただけであった。
 それがわずか3年ほど前に更なる全面改築に伴い、庭園は完全に消滅した。
 その代わり白っぽいがちがちと硬い感じだけの駐車スペースだけが拡がり、風格充分であった旧山形ホテルの面影をわずかに残すのは駐車場入り口の左側に立つ巨大な石灯籠のみである。(その石灯籠は庭園内ではなく旧ホテルの玄関前にあつたもの。)
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心貧しき現代人

2009-03-23 16:16:25 | 郷土史
 このつまらない景観もかつては緑豊かにして文化性豊かな景観であった。
 こう考えると、未曾有の不況と言われながらも今なお“文明の利器”なるものを駆使しまくる現代人がこの緑豊かな人工景観を造成した明治・大正の人びとよりはるかに豊かな生活を享受しているとは言いにくくなる。
 行政の標語として「潤い」や「緑と水」は多用されがちだが、現実は緑も水も“文明の利器”には邪魔者扱いにしかされていないようで、まさに山形有数の緑と水の空間であったこの場所すらもガチガチしたコンクリートで覆われてしまい、潤いゼロの白々しい平面施設だけが都市部を蚕食し続けているように思える。
 さて、かつての緑と水の「潤い空間」がどのようなものであったか、古写真により次回の記事でおめにかけたい。

 ところがところがどうして、下記の姉妹ブログでは「緑と水と潤い」のオンパレードの現象を記事にしているのだが、はたして現代人は「緑と水と潤い」と文明の利器を利用しての目先の利便のどちらを選択しようとしているのか不可解になる。
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コメントを歓迎します!  ↓
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Q ここ゛、どごだべ? A 下に~↓

2009-03-19 21:52:00 | 郷土史
 渋滞は渋滞でも橇(そり)による大渋滞。
 それにしても街並みと商店の建物はかなりハイカラ。
 むろん、戦前の写真であるが、豪雪でも現代のように公道から“徹底排除”はしなかったようだ。橇さえ対面通行できる程度を掻き分ければそれで済まされた。
 さて、ここは当然山形市内だが、どこなのだろうか?
 答えは21日(土)の3時からの昔の山形の街並みのスライド映写会によって明かされるようだ。場所は山形市中央公民館ということである。
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京都議定書? へっげなもの忘っだはあ

2009-03-17 22:35:34 | Weblog
 不況克服の一手段ということで高速道路通行料が大幅に引き下げられ、千円以内でどこまでも通行が可能になるのだという。ただしETC車載器が設置されているクルマにのみ適用されるということで、未設置者は購入のためにカー用品店に殺到しているらしい。
 通行料が大幅に引き下げられるだけでなく、クルマ使用者にとってはETC車載器購入には多額の助成金が行政から交付されるという。
 これにより確かに若干だけ景気浮揚につながる可能性はあるだろうし、この施策を無邪気に喜び歓迎している日本国民が多いことも確かである。
 でも、これが地球温暖化防止の京都国際会議が開かれて有名な「京都議定書」が締結され、また昨年は地球温暖化問題を主要議題とした洞爺湖サミットを主催した国のやる政策であることを忘れてはならない。
 クルマの走行を主軸とするクルマ社会全体が二酸化炭素の大量排出を招き、地球温暖化の主要原因になっていることはこのブログ及び姉妹ブログ「島国ニッポンの山国から」でも幾度か述べてきたが、高速道路通行料の大幅値下げと、それを促進させるETC車載器購入助成はまさに京都議定書の趣旨である温室効果ガスの大幅削減に真っ向から歯向かうものであると言える。
 高速道路の利用促進は二酸化炭素排出量が減少して地球温暖化の抑制にも貢献するという論もあるが、それに対する反論は下記姉妹ブログに記載した。
「京都議定書?へっげなもの忘っだはあ」(こんな山形弁を話す人も今や少数派)
  →[訳文]京都議定書だって? そんなもの忘れてしまったよ
 日本政府と日本国民は重度の健忘症ないしは認知症に罹患してしまったかのようである。

◆写真の左は京都議定書が締結された京都国際会議場 右は平安神宮と庭園

●姉妹ブログ「島国ニッポンの山国から」(←クリック)を閲覧ください。この論稿の続編があります。
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鳩山総務大臣と鳩バス

2009-03-16 23:48:00 | 建物
 さあて、またまた東京方面にでかけた。
 だが、前日は東京の街には足を一歩も踏み入れずにそのまま神奈川県に向かい、翌日も夕方に東京駅界隈をほんのわずかの時間だけぶらついだだけである。
 それでも文化財としての価値が高いために極力原状を損なうべきでないと鳩山総務大臣に一喝されて“再開発”の大幅な変更を余儀なくされた東京中央郵便局の建物を見ることができた。しかし、やはり南側は工事の足場が組まれ、テントで覆われていた。
 この建物は東京観光の“足”として名高い鳩バスの発着場は東京駅の南側にあるが、その東京駅の真ん前に建っているのが文化財(登録有形文化財)としてのビルになるのだから、東京駅とともに鳩バスの最初の観光スポットととしてガイド嬢によって説明されることになるのだろう。
 鳩山さんと鳩バスとは直接的には何の関係もないが、東京中央郵便局ビルを媒介にして両者は結びついたのである。
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これが世界一?!有名な銭湯

2009-03-13 23:55:01 | 建物
銭湯なるものがもし世界の各地にあるとすれば、まことに急な話ではあるが、この写真の建物は現在はまさに“世界一有名な”銭湯ということになりそうである。
 ここは同じ山形県内の某城下町。
 幕末は会津藩とともに幕府を協力に支える藩として反幕府勢力に対し睨みを効かせていたが、現在は藤沢周平の時代小説の舞台(海坂藩)としても知られている。
 また、明治以降に建造された擬洋風建造物が多いことでも有名であり、われわれは主としてそれらを見物に訪れたのだが、ついでにその急激に知名度が高くなったその銭湯も訪れてみた次第である。
 そしたら、やはり我々と同じように“ひと目”見物の来訪者たちが何組かあった。しかも黒ずくめの衣装の一団も訪れており、記念写真を撮っていた。
 あいにくその日は休業日で、内部に入ることは叶わなかった。
 さ~て、この銭湯はどうしてそんなに急に有名になったのか? 
 そして、ここは何処なのか?       ← 宿題
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