山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

いよいよ人力発電の時代

2011-03-31 22:58:53 | Weblog
 火力発電は二酸化炭素を大量に排出するからダメばかりでなく、化石燃料自体が資源として限界があり、原子力発電も安全性の上であまりにも不安が大きいとなれば、次にどのような発電が望ましいのかわからなくなる。
 風力発電や太陽光発電とてそれほど効率的とは言えないし、もし、日本の国土が風車や太陽光パネルだらけになったら、それこそ日本の景観は見苦しくなる。
 今日のニュースというか話題というか、どこか咲き始めの桜を自転車発電でライトアップするイベントが行われていたが、そういえば我が山形県酒田市でも日和山公園内に移築された古い灯台をも同じく自転車発電で点灯するというイベントがあったことを思い出した。むろん、一台の自転車の車輪だけではどちらの場合も到底無理である。
 でも、もし自転車発電の効率化の研究を進めて、同じ原理の機器を家庭内で設置すれば、家庭電器をかなりの程度使用することができるようになりそうな気もする。
 走らない自転車のペダルを漕ぐためにクルマでスポーツジムに通うというような無駄な努力をするヒマとお金があったら、似たような自転車型の機器を家庭内に置いて一日30分程度でも足や手で車輪を回して発電し、バッテリーに蓄電しておけば、幾分でも電力を賄えるようになるのではないか。
 原子力の安全技術の開発に巨額の財政支出するよりは、自転車発電のような単純な発電原理の進化に努力する方が国のためになりそうな気がするのだが、どうであろうか。
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4月の公職選挙はやめるべし

2011-03-29 21:54:33 | 時評
 まことにお色気ゼロの写真で御免蒙る。
 大きな顔写真入りのポスターが貼り付けられたとしても、美人投票のためのものではないから、やはりお色気が格段に増すことは期待できない。
 山形は大震災にもかかわらず被害が最小限であったということで、4月の統一地方選挙の県議選と市町村議選挙は実施されることになり、写真のとおり候補者のポスター掲示板が各所で設置されている。
 被害がきわめて大きい岩手県、宮城県、福島県で選挙の実施が延期されたのはごく当然のことだが、山形県など被害が少ない県においても多くの県民は関心と投票意欲はきわめて低いようだ。いくら直接的被害が少ないとはいえ、大方の国民感情としては「選挙どころではない」のだ。
 さらに、たとえ大震災と巨大津波、原発事故がなかったとしても、そもそも4月に選挙というのは無理な話なのだ。
 これはブログ主がかねて以前から思っていたことであるが、4月の公職選挙はわざわざ投票率を低くするために実施されるようなものなのである。
 とりわけ4月の前半に実施される都道府県議会議員選挙なるものはより身近な市町村議選挙や国政選挙と比べかなり関心度が低くなる選挙であり、また4月上旬は住民の移動期であり、特に転勤族などの新住民にとっては候補者の誰一人名前も顔も知らないために投票意欲はきわめて低い。
 従前からの住民にとっても新年度に入ったばかりで仕事も多忙をきわめ、選挙どころでない住民も少なくないし、選挙の管理にあたる自治体にとっても人事異動と重なり本来の業務に多少ともしわ寄せを及ぼす迷惑なものである。
 4月の公職選挙は今回限りとし、投票率を少しでもアップさせるためにも、来期からは5月以降の実施にすべきと思われる。
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揺れた明治の楼閣

2011-03-25 21:25:57 | Weblog

 大地震が東日本を直撃した11日には山形もかなり揺れた。それでも震度は4ということで、多くの山形市民の体感と気象台の観測値とはかなりのズレを感じたようだ。
 この日だけでなく、同じ山形市内でありながら地盤の強弱の差があるせいか、いつも気象台と市内のその他の地域とでは地震の揺れの度合が異なることが多すぎる感じがしてならない。
 それはともかくとして、山形市民にとって11日の午後2時46分から数分間ほど時間が長く感じたことはなかったに違いない。特に文化財の建物の管理をあずかっている方にとっては更に2倍以上長く感じられたことであろう。
 この奇抜そのもものデザインの建物は明治11年竣工の公立病院済生館であり、しかも地元の宮大工たちの手によって施工された和洋折衷の擬洋風建築の代表格とか明治建築の華とまで言われ、国の重要文化財に指定されてから中心市街地より城址公園内に移築されている。
 この旧済生館本館も11日にはかなり揺れたようで、管理スタッフの話によれば、空中を泳いでいるように目に映ったということである。
 幸い、大きな損壊はなかったとのことであるが、現在は当面「閉館」とのことである。
 ちなみに、同じ山形城跡公園内のすぐ西隣の山形県立体育館と武道館は大震災と福島原発事故の被災地からの避難住民の緊急避難所となっている[写真「下」]。
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山形空港に大異変

2011-03-21 22:00:23 | Weblog
 上の二つの写真ともどう見ても空港でのものとは思えない。
 その通り。場所は双方とも山形駅前である。
 山形駅前を通りかかったら、何やら長蛇の列。それもほとんどの人が大きな荷物を幾つもかかえて並んでいる。
 そして次々と駅前のバス停プールに入りこむのは「山形空港ライナー」との表示つきの複数のバスである。
 えっ、山形空港と山形駅前を結ぶバスといえば、バスというよりは9人乗りのワゴン型タクシーであり、それすら普段は満員になることは稀であるのに、こんなに多くのバスが次々と山形駅前で発着するとはどういうことなのか。しかもいずれもほぼ満員状態である。
 そして、それらのバスから降りた人々はすぐさまその「長蛇の列」の最後尾に並ぶから、ますますその列は長くなる。
 それではその列に並んだ人たちは何処行きのバスを待っているのかを見たら、仙台行きの高速バスであった。
 山形=仙台の高速バスは都市間高速バスとしては全国的にも有名なドル箱の黒字路線であるが、ここ数日は更なる増発のようである。
 航路の閉鎖路線と減便が相次ぎ、存続すら危ぶまれた山形空港とを結ぶバスがこれほどまでに大増便され、しかもワゴン型タクシーから中型バスになり、しかも降りた乗客の大半が仙台行きの高速バスに乗るために長蛇の列をなすようになったのは何ゆえなのかは既に多くの方はおわかりのことであろう。

◆写真「上」のうち真ん中の3台のバスが空港と往復するバスで、両脇が仙台行き。
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文化財建造物が緊急避難所になりながら・・・

2011-03-17 23:37:32 | Weblog

 市民の熱意によりなんとか解体を免れ、国の登録文化財にまでなった山形市立第一小学校の旧校舎は保存活用方法をめぐり二転三転したうえで、ようやく昨年4月に中心市街地活性化施設「山形まなび館」としてオープンした。
 それから満1年を間近にした昨今、急遽市民の一般利用ができなくなったと思ったら、大震災や福島原発の災禍から逃れて山形までやってきた宮城県や福島県からの人たちの緊急避難所となったが、なんと今日になって彼らは郊外のスポーツセンターへ移動を余儀なくされた。
 まなび館は文字通り中心商店街の傍らにあるために、ここ2、3日はコンビニや薬局、デパート、日用品店、総菜店などに出入りするこれらの人たちの姿が見受けられた。
 そして早速支援を心がける近隣住民や学生たちも現れ始めていた。
 山形市が彼らを急遽まなび館から退去させた理由はただ一つ、避難所管理の「効率化」。しかし目の前の「効率化」により失う代償も小さくない。
 まなび館の他にもう1か所市役所の近くの施設を緊急避難所としていたが、さらに急増する避難者のために広大なスポーツセンターをも避難所としたまでは良かった。ところが「効率化」のために県外からの避難者を中心街から追い出した形になった。
 ところが、市街地からは隔絶されたような環境の体育施設では寒空の下では外出して心を紛らすこともできないだろう。
 それが中心市街地で、しかも商店街ならば、避難所に閉じ籠ってばかりいないで、降雪の中でも外出して商業施設に出入りしながらわずかなショッピングや街歩きをして気を紛らすことはできるし、また、商店関係者など近隣住民にとっても彼らと触れあい、慰めたり励ましたりする機会にもなる。
だから、もし私が県外から避難者ならば、いかに諸設備が整った郊外の大型スポーツ施設よりも中心街にある施設を選ぶであろう。
 さらに一小の生徒たちにとっても大震災と原発事故という厳しい現実を直接目にすることができる。
 こんなことで、山形の市民と県外からの避難者の人たちが温かく触れあうことができたなら、間違いなく山形に対する好感度は向上し、状況が落ち着いた後にはもう一度山形に訪れてみたいという気になるのかもしれない。
 まなび館は市の商工課管轄であるということは中心市街地の活性化、賑わい回復のための施設だからである。
 それなのに、急遽「避難所閉鎖」というのでは山形のイメージを低下させ、ひいては市外や県外からの「交流人口」の減少を招くことが危惧されてならない。

写真は修築前の旧校舎(左上の蔦のからまる外観、右下の廊下)とリニューアルによる「まなび館」(右上と左下)

 
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麗しい山並みの陰に展開する地獄絵図

2011-03-13 23:16:05 | 時評
 大震災が発生し巨大津波が牙をむいた頃の山形は吹雪に見舞われていたが、翌日の12日と13日は快晴の中に新雪の白銀に輝く山並みが見渡せた。
 しかし、この美麗な風景に見とれている気持ちになれないのは言うまでもない。
 この山並みの向こう側こそ巨大津波に呑み込まれた太平洋沿岸の街並みや集落が無残な壊滅的な姿となって、数知れない人命が失われているのだ。

◆写真は奥羽山脈に美しい姿を見せる雁戸山の山形市側(被害は死者1名、物的損害は軽微) その向こう側が激甚被災地の宮城県側
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これ、何月の雪景色?

2011-03-10 18:08:09 | 風景

2月の下旬には「春も近し」と感じられる陽気が続いていたが、3月に入るや再び真冬のような寒波が襲来。
 昨晩から本格的な降雪があり、今朝には15cmほどの積雪となっていた。しかも今日は断続的ながら雪降りの1日であった。
 もう3月なのにこんなに積雪があるなんてなどと驚くことなかれ。
 この上の教会堂の写真はナント4月の撮影で、しかも4月後半の17日のことである。
 えっ、今はまだ三月で、なんで四月の写真がここに掲載されているの?
 だとしたらブログ主は予知・予見能力があるだけでなく、未来の写真まで撮影できる超能力者ということになる。
 でも、いくらなんでも、4月にこんなに雪が降るなんてありえない。
 しかも山形の4月後半入りとなれば桜が開花する頃ではないか。
 そんな時に雪降りになったら、桜祭りも台無しだ。
 ところがところが、4月後半入りの降雪はもはや「史実」なのである。
 当プログの昨年の4月17日の記事と写真を見てくだされ。
 やはりブログ主は未来の写真を撮影できる超能力者ではなかった。
 ただの再掲写真なのである。

 でも、下の写真は正真正銘の本日の山形文翔館冬景色である。
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親指王子の出身高はブログ主の母校にあらず

2011-03-05 23:45:49 | 方言
 以下は約40年ほど前まで年配者たちに使われていた山形訛りの言語。
 意味がわからない場合はYahooさ質問を送信してみでけろ(ください)。
 ただし、携帯電話機で、しかも迅速に!

 まったぐまったぐ、たまげですまたまず~!!
 京ど大がぐの入がぐ試験ば受けでる最中に出さっだすうがぐの試験問題をそのまま左手の親指で携帯電話機のキーば操作してYahooに質問ば送信したんだど。
 その受験生は仙台の予備校さ通てだ野郎子なんだげど、出身地は山がだ県だというはなすなのっだな。
 出身高は山がだ県内でも指折りの進がぐ高で、毎年東ほぐ大どが山がだ大どがさいっぱい進がぐさせでいで、しかも今回は京ど大どが、私りづでも名門の早稲田どがさ受験して、そごでも携帯メールでカンニングしたというはなすだ。
 んだもんだがら、彼の母校はてっきりブログ主であるわだすの母校の山がだひがす高のごどだどばっかりおもてすまていだっけのっだな、まず~。
 山がだひがす高ていうど、小和田ひさすさんが現在オランダのハーグさある国際司法裁判所の長官しているわげだげんと、小和田さんの現職の大しぇん輩の安達峰えづ郎も山がだひがす高の前身の学校さ通っていだごどあって、それがら東大さ進んで外交官としてかづやぐして「しぇがいの良すん」とまで言わっで、小和田さんと同ず国際司法裁判所の長官の現職中に亡ぐなて、オランダの国葬までしてもらったのよっす~。
 もす、その大天才の親指王子(おうず)様も我が母校の出身だごんたら、安達峰えづ郎以来の超有名ずんというごどになんのがなあど思ていだら、彼の出身高はおんなず山がだ県内の北の方のずっとずっと雪(ゆぎ)が深いとごろの高校だというごどだった。
 なるほど、その高校がらもやっぱす毎年東ほぐ大どが山がだ大どがさなんぼが進がぐさせでいるごどは確かだ。

 ◆安達峰一郎と小和田恒氏については等ブログの過去の記事を参照願いたし。
   → 下記の年月日により、右の年月をクリックにより開く
2006/3/7  2009/4/6  8/7

 ◆写真は、彼の出身高のある小都市の駅近くで見た不可解な広告アーチ。さすがに大天才を生んだ街。
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