山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

川越・山形洋館比べ(3) 店舗(2)

2007-05-31 23:41:27 | 建物

↑ クリックすれば拡大写真となります。

 先日掲載した川越の連続する洋風店舗と今回の連続する店舗は別の通りのものだが、山形の場合は先日掲載の店舗とまったく同一である。
 山形の場合、連続する古い洋風店舗はここ(旅籠町)しかなかった(もはや過去形)のであるが、きわめて残念ながら2棟はすっかり解体が終わり、一番南側の西谷菓子店もまもなく解体である。 山形の店舗群については過去もこのブログでなんども紹介してきたが、ついに「保存」や「引き家」「レプリカ建造」を訴える市民の大きな声は湧き起こらず、道路拡幅のためまったくの単純解体となった。
 ここの道路拡幅が完成しても、隣接する南方に伸びる道路の拡幅工事はまだまったく始まっていないし、たとえすぐに起工されたとしても完成まではかなりの年月を要することは間違いない。だから、ここに将来装いも新たな商店街ができたとしても歩行者で賑わいのある街になるとも思われない。 なぜなら、新たな拡幅道路はクルマのスピード向上のための道路だから、商店街としての情緒に欠けたものにならざるをえず、そのような道路の沿道の商店街が歩行者で賑わうためしは稀だからである。
 一方、川越の場合は古い洋風店舗群がかえってお洒落な雰囲気を醸し出し、また道路もあえて歩車分離はせず、また非アスファルト舗装のためクルマがスピードをだしにくい環境のせいか、歩行者で賑わっている。

※この「川越・山形洋館比べ」シリーズは「まほろばの里、高畠めぐり」と交互連載です。
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まほろばの里、高畠探訪(2)三重塔など

2007-05-30 16:56:33 | 建物
 
 ↑ この写真をクリックすると拡大します。(このブログ初めての試み)

高畠石の石切り場を離れて町の中心部へ戻る途中、阿久津八幡神社に寄った。
 ここの一帯は隣りに復元された古代住宅があるなど「歴史公園」として整備され、まさにみちのくの「まほろばの里」らしい景観が形成されている。
 中でも神社境内にある三重塔が見える景観は心が洗われる。
 2百年と少し前の建造だが、古びた感じは少しもなく、しっかりと高畠町全体を支えているようだ。そして背景の丘陵の緑の美しさはまぶしいほどだ。また、手前の水田、三重塔、そして背後の丘陵と、まさに絶妙の構図である。
 高畠の中心市街に入ったところで丁度正午になり、ある蕎麦屋で昼食をとる。
 なかなか歯ごたえのある手打ち蕎麦をほおばったのち、次の町歩きへと続く。
 ところで、写真の蕎麦屋さんの入口に立つ女性は店主夫人だが、なんと東京オリンピックの陸上選手だった方で、店内は「昭和ミニ資料館」の一つとしてオリンピック関係の記念品とか他の有名陸上選手関係の出版物とかが多数展示されていた。

※ このシリーズの次回は2日後。明日は「川越・山形洋館比べ(3)」

※ 5月21日の記事の洋館は「旧前田侯爵邸」で、東京の駒場公園内
  5月22日の記事のイスラム建築は通称「東京モスク」(東京ジャーミィ・トルコ文化センター)で、東京・代々木上原駅(小田急線)の近く
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川越・山形洋館比べ(2) 教会堂

2007-05-29 23:11:09 | 建物
 川越の蔵が多い街並みからほんの少し離れた街路に重厚なキリスト教会堂がある。日本聖公会川越キリスト教会という。
 「聖公会」といえば、英国国教会、すなわちイギリス王室ゆかりのキリスト教の宗派で、旧教カトリック派と新教プロテスタント派の中間的性格を有する。
 同じ聖公会の教会は山形にも川越と同じく中心市街地のど真ん中にある。
 この写真には樹木が写っているが、残念なことにごく最近、敷地内の旧幼稚園舎や司祭館などの解体に伴い伐採され、跡地のほとんどが駐車場となるようだ。
 寺や神社の境内がクルマだらけになるのも気になるが、教会の敷地もまたクルマ社会に侵食されるのも忍びない感じがする。
 魂の救済を叫びつつ、なし崩しに地球温暖化に手を貸しているのが宗教界の現実である。
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まほろばの里、高畠探訪(1)旧駅舎と石切り場

2007-05-28 11:40:54 | 建物
 このほどグループで山形県内置賜地方の高畠町を訪れ、周遊を楽しんだ。
 高畠町は古墳などの古代遺跡も多く、「まほろばの里」としても知られているが、住民は歴史的に独立と自立の気概が強く、有名な産物も豊かで、特に有機農業が盛んで首都圏からそのために移住する元都会人も増えている。
 街づくりにも斬新な町民のアイディアにより県の内外から注目されている。 でも、この度は高畠の歴史的建造物がどのように活かされているかを中心に街の中心部と郊外を見て廻った。
 そこで初回のこの記事では廃線となって久しい私鉄の旧高畠線の旧高畠駅舎と駅舎の建材となった高畠石の石切り場を紹介したい。
 しかし旧駅舎の建物は辛うじて残されているものの、町の財政難等により補修もままならない状態のため内部の活用はまったく不可能のままであるが、軌道の跡地はサイクリングロードとして良く活用され、そのためにこそ片山右京氏所属の女性たちがサイクリングで訪れるまでになっているのだから、「高畠の宝」である旧駅舎がコースの拠点施設として活用されるようであってほしい。

 ※ 山形映画祭でも縁が深い河瀬直美監督の作品『殯(もがり)の森』がカンヌ映画祭で最高賞の次席に選ばれました。⇒5月11日の記事(←クリック)
 ※ シリーズ「川越・山形洋館比べ」と「シリーズ高畠探訪」は交互に掲載します。
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川越・山形洋館比べ(1)

2007-05-27 09:41:02 | 建物
 埼玉県川越市を訪れて一週間になるが、「蔵の街」のイメージが強い川越市には洋風建造物もかなり多く保存活用されていることが注目された。そこで今回からしばらく断続的ながら川越と山形の洋風建造物との対比をシリーズとしたい。
 今回は、洋風店舗に工事用の覆いがかけられた洋風店舗を対比してみたい。
 山形の場合(下の写真)は、せっかくの優れた洋風店舗でありながら、「解体」のために工事用の覆いがかぶせられた状態であるのに対し、川越の場合(上の写真)は保存活用のための補修工事の覆いであることに大きな違いがある。
 山形のこの旧店舗は現在ではすっかり解体が終了(左隣の建物も)し、右隣の菓子店も間もなく解体される。同じレトロな洋風店舗でありながら、川越の場合は何故生き残り、山形の場合は何故消滅するのか、山形の行政と市民に真剣に考えてもらいたいものである。 ⇒ 5月14日の記事(←クリック)参照
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市民は安心安全、観光客はハラハラ・・・川越市

2007-05-25 23:11:44 | 街づくり
 蔵の街、小江戸として名高い埼玉県川越市で最も賑わう街路は、観光客が多い蔵の街の一番街ではなく、狭隘な街路のクレアモールではないか。
 クレアモールはクルマ通行を排除した商店街で、ショッピングの市民で終日賑わっている(写真・上 この場合はそれほどの混雑ではない)。徒歩10分ほどのかなりの長距離の区間であり、またほとんどの商店は中小規模で大型店は少ない。
 川越市は東京や県都さいたま市にも近く、また郊外大型店もあろうが、このショッピングモールはこのように縁日のような賑わいを見せている。しかもクルマが締め出されているから、歩行者(ほとんどは市民であろう)は安心安全で闊歩できる。山形にもこんな街路があってほしいものだ。
 これに対して蔵店が並び江戸情緒が色濃く残る一番街はクルマの走行量が多い。だが、観光客はしきりに車道を横断したり、カメラを構えているうちに車道にはみ出してしまう。また、歩道と車道との間には段差もガードレールなどの仕切りもないので、混雑であふれる観光客はいつクルマと接触してもおかしくない(写真・下)。
 ヨーロッパの歴史的街並みならマイカー走行排除は普通だが、川越では日本有数の歴史的街並みの街区こそマイカーの走行量が多いのは観光客の1人として不可解に思われてならなかった。 5月20日
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クルマが怖がる街2つ・・・東京・下北沢、山形・○◎

2007-05-23 23:38:16 | 街づくり
 新宿から至近距離なのに世田谷区の領域にある下北沢は「若者の街」ということで有名であり、なるほど先日の土曜日の午後から夜にかけては多くの若者で賑わっていた。
 ところで現在「下北沢」という地名はない。ただし小田急線と井の頭線が交錯する地点に同名の駅があるところから周辺一帯がそう呼ばれている。
 下北沢には片道二車線の道路はなく、狭小な道路が迷路のように入り組んでいるが、それゆえに街を探険する楽しさがあるようだ。商店も小規模なものが多いが、小劇場やファッション系の店もあり、若者だけでなく中高年層にも人気がある。
 だが、防火防災上の危険性が行政からも指摘され、また交通渋滞解消をねらいとする多車線の幹線道路の新設計画も進められている。これに対して多車線の都市計画道路計画に反対する住民運動も盛んであり、たまたま代表の方のミニ講演を聞く機会があった。※Save the下北沢(←クリック)
 なるほど、ここの街路がこれだけ多くの若者たちで賑わうならば、ドライバーがこの街区への進入を怖がるのは無理もない。普通は「歩行者がクルマを怖がる」のだが、ここでは「クルマが歩行者を怖がる」のである。私もそんな街が好きであり、クルマが通りにくくても活気のある街の好例と言える。
 そういえば、山形にも迷路のような街区がある。山形市の双月町・和合町であり、道路は昔の村道や農道を舗装しただけである。やはりここもドライバー泣かせの街区であるが、うろうろするクルマの通行を除けば閑静そのものである。→06/10/12の記事(←クリック)参照
※写真は上が下北沢(翌日の午前) 下が山形市の鈴川地区の旧家
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ありゃりゃ、今度は中東?

2007-05-22 21:41:48 | 建物
 数年前一度訪れ、内部にも入って、壁面と天井いっぱいに描かれた幾何学的で植物画的な模様の美しさに溜め息が出るような感動を覚え、パラダイスとはこのようなものかと思ったものであったが、近くまで来たので、もう一度訪れてみた。
 かつての超セレブの館を離れて、徒歩でもわずか20分ほどで到達できた。
 英国テューダー様式の建造物からすぐにイスラム様式の建造物の見物ときた。わずかな時間ながら徒歩で世界めぐりをやったようなものだ。しかも決してテーマパーク内を歩いたわけではない。
 残念なことに今回は礼拝堂のドアが閉められていて、内部を見ることができなかったが、やはり外観だけでも美しい。外壁は白が基調だが、形態はロシア正教の神田のニコライ堂と似ていないこともない。宗教は違うが、建物においてはロシア様式とイスラム様式は近いと言える。
 前回内部を見せてもらった時は模様が美しいだけでなく、外の光も充分に射し込み、まさに「晴れやかな」印象であった。イスラム教徒がモスク(礼拝堂)を心の拠り所とするのは当然であると感じられた。

※ 場所と名称は数日後に示します。
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無料で徘徊した超セレブの館

2007-05-21 22:00:32 | 建物
 さて、ここはどこか?
 いかに洋館の多い山形にもこれほどのものはありえない。
 蔦旗氏、一足飛びに欧州まででかけたのか?
 ともかくも本格的なヨーロッパ建築であることには変わりがない。
 でも、ベランダから「・・・ざあますのよ~」というような会話の声が聴こえてくるような雰囲気である。そんな会話の中にズーズー弁が割り込んだら、その超セレブ婦人たちは一体どこの外国人かと怪訝な顔をするに違いがない。
 この私が外国人と間違われるということならば、ここは日本国内ということになる。
 それにしても周囲は昼なお暗き鬱蒼とした森林。わが山形にも平地にこれほどの深い樹林はない。そんな深い樹林の中に立つ超セレブの館。
 それでは軽井沢? 軽井沢にも平地は少ない。
 この建物がイギリス・テューダー様式なら、わが山形の旧県庁舎(前回の記事参照)はイギリス・ルネサンス様式。どちらも「無料」で徘徊できるというところに共通点があり、うれしくなる。

 ⇒ [回答]は数日後に示します。
 
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21世紀の山形風景

2007-05-19 06:42:31 | 建物
 ヨーロッパの宮殿前に現れた京舞妓?
 ノー! これは歴然とした山形の光景。
 建物も山形の建物なら、舞妓さんも山形の舞妓さん。
 ともに21世紀の山形を彩る観光の目玉である。

 さて、山形の舞妓さんはヤマガダ弁ばしゃべるんだべが?

  ※ 旧山形県庁舎“文翔館”前にて (男性は県外からの観光客)
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