山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

クールビズな街のイベント

2011-07-30 23:20:05 | イベント
 いよいよ7月も明日で終わりだから、今ころが一年中で最も暑いはずなのに、なぜかここ数日は涼しい。
 隣県の新潟、福島県西部の豪雨の影響による気候の不安定によるものかもしれない。
 先日、中心街の用水堰(御殿堰)でのイベントをのぞいてみた。
 たたでさえ涼感あふれる水流の上に鈴なりの風鈴が並べられ、一層涼感を醸し出し、このままでは雪が降るのではないかとまで思われた。
 この水流の対岸では山形舞子と並んでの記念写真が撮影されていた。
 京都の舞妓もそうかもしれないが、それでも一応は夏向きの衣裳らしい。
 だから四肢をすべて被う身なりでもそれなりのクールビズということになる。
 幸い猛暑にはほど遠く、しかも日陰での撮影だから彼女たちはなんとかしのげたようだ。
 それでも真夏の浴衣ですらない和装ではかなりの重労働に思えた。
 頑張れトウホク。頑張れ山形舞子。
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ピラミッドが見える錦鯉の里 金山(3)

2011-07-27 23:41:43 | Weblog

 前回の町屋店舗とそっくりだが、別の商店。白亜の土蔵とのコラボも優雅。

 またまた見えました金山式緑のピラミッド。

 昭和11年建造の旧郵便局。現在は観光客や地域住民の交流施設として開放されている。
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ピラミッドが見える錦鯉の里 金山(2)

2011-07-25 13:57:48 | 旅行、小旅行
 金山を訪れてから早一か月になろうとしている。
 賞味期限が切れないうちにと思いながら、続編はついつい後回しになっている。
 長ったらしいこ面倒な解説抜きで写真で紹介したい。

 土蔵の外部壁面が画廊になっている屋敷を出ると両側が豪壮な土蔵構えの資産家屋敷で、正面に武家風の長屋門。いかにも歴史の街

 これはイザベラ・バードが秋田県方面に向かった旧羽州街道

 まあ、ここは金山の中心街。やはり豪壮な土蔵が並ぶ。

 伝統的な金山式二階建て町屋で現在は蕎麦屋となっている。

 → 次回に続く
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原田芳雄さんの名演技と山形イメージ

2011-07-22 06:44:11 | Weblog
 イザベラ・バードのシリーズを続けようとしていながら、またまたお休みになって失礼!

 先日逝去された俳優の原田芳雄さんと山形市は大いに関係がある。
 だからといって原田さんが山形出身であるとか山形に長い年月滞在したことがあるというのではない。
 山形市民で彼のことを忘れることができない人がかなり多いということなのである。
 それはかつてのNHK大河歴史ドラマで最高視聴率が今なお破られていない『独眼竜政宗』に原田さんが山形城主最上義光の役で名演技していたことがかなり強烈な印象として記憶されていたからである。
ただし、その“名演技”が悪役としての演技であったがために、おらほ(俺方)の郷土の英雄最上義光公が“悪人”として描かれていたことで自分の郷土に対する自尊心を低下させられた山形市民が多かったことも確かである。
 そのシナリオの基本になったのは仙台の伊達家の正史としての『貞山公治家記録』(※注1)であり、どういうわけか最上義光のことを露骨なまでに悪しざまに記述している。
 その中でも最も有名なのは伊達政宗毒殺未遂事件の直接的“犯人”は政宗の母お東の方(義姫)であり、兄であり政宗の伯父である最上義光の差し金だと記している。
 だが、この事件についてはかねてから疑問視(※注2)されていたが、現在は仙台側からも義光・義姫犯人説を否定する史料が発見されている。
 ともかく原田氏の名演技ばかりでなく、これを機に一躍人気が高まった渡辺謙さんと戦国の鬼姫とまで激しい気性の女性としての義姫役の岩下志麻さんの名演技も印象深い。
 なお、義姫については当ブログでも2009年5月12日以降断続的に記事にしているのでご覧いただきたい。「伊達政宗の母」「義姫」をキーワードにすればかなりの数になる。

※注1:貞山公(伊達政宗)の治績等を記しているが、最上家が改易により山形から遠く離れただけでなく、甥の政宗の死去後もかなり経過してからのためか、遠慮なしに悪しざまな表現で義光を非難する記述が多い。
※注2:義姫が政宗のもとを去った後も義姫と政宗の間では情愛あふれる手紙のやり取りがあり、義姫が毒殺の犯人ならば親密な手紙のやり取りなどできるわけがないと考えられていた。

◆写真 国指定史跡「山形城跡」本丸および二の丸 真ん中の人物像は原田芳雄氏が扮する最上義光(大河ドラマ「独眼竜政宗」より)
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なでしこチャパツ

2011-07-18 23:58:53 | 時評

 なでしこチャパツ・・・?
 なでしこジャパンならわかるのだが・・・。
 今日一日は東日本大震災以来ともいえる大がかりなマスコミ報道で「なでしこ」の文字が賑わった。
 なるほど、「茶髪・金髪にあらざればヤマトなでしこにあらず」という格言?のとおり、FIFAワールドカップ・ドイツ大会での劇的な優勝に歓喜するイレブンのほとんどが茶髪であり、茶髪であるがゆえに「ヤマトなでしこ」であることが確認できた。
 漆黒の頭髪の選手の姿はごく希(ホマレのマレ)でしかない。
 これを「文化的多様性」というなら、まさにそうかもしれない。
 純粋に黒髪の選手がチームから排除されているわけではない。
 でも、このチームはあくまでも日本チームだ。完全に逆転している。
多数の黒髪の選手たちの中に若干名の茶髪の選手が混じっているというのではない。
 そうならば「文化的多様性」や「嗜好の多様性」の尊重精神は生きてくる。
 日本チームは試合の以前から頭髪の色において欧米のチームにほぼ互角に、否、黒髪の国民が多い南米や南欧のチームを凌ぐまでになっていた。
 さすがに金髪の国民が多い北欧スウェーデン・チームには敵うものではなかった。
 だが、「なでしこ」の意味の一つに清楚」さというのがあるが、東洋人の頭髪の色が茶髪系になると、むしろ連日のホコリまみれの貧しい生活のために髪がうす汚れて変色したようで清潔感からかけ離れてしまうものなのだ(これはブログ主だけの感覚?)。
 でも、彼女たちの頭髪は連日の土まみれの試合と練習のために変色したのではない。
 あくまでも故意による人工変色である。
 日本全国が歓喜に湧き立ち浮かれ騒ぐ中で、なんでヤマトなでしこがこれほどまでに漆黒の頭髪にホコリを持てずに、わざわざ汗とホコリまみに見えるように頭髪を染色し、そんな外見で日本を代表して君が代を歌い日の丸マークにより世界の舞台に立っていることに違和感を覚えるツムジ曲りの一家言である。
 茶髪がどうした。強ければそれでよいのではないか、つまらぬことを言うなという声が聴こえてきそうだが、あえて当ブログのアクセス件数が大幅に減少することを覚悟でのつぶやきである。

 原発は豊蘆原瑞穂国である日本の国土に合わない。
  → http://blog.goo.ne.jp/ezoben-k/d/20110629参照
 人工の茶髪金髪も日本人には合わない。

 えっ、なんでこれが当ブログのタイトル「山形の過去、現在、未来」と関係あるの。
 関係が大ありである。
 なでしこチャパツを栄えある金メダルに導いた佐々木監督は山形県尾花沢市の生まれだからである。
(写真は厳しい表情で試合を見つめる佐々木監督と尾花沢市街=昨年11月)
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ピラミッドが見える錦鯉の里 金山(1)

2011-07-13 10:22:09 | Weblog
 
 あのうっとおしい梅雨の季節も今は昔。
 連日の真夏日ながら、雷雨も多い毎日だ。
 英国人旅行家イザベラ・バードが明治11年に訪れて絶賛した最上郡の金山に彼女(の足跡)を愛するグループが訪れたのも梅雨のさ中であった。
 南方にある街道の峠からはピラミッド状の丘陵の連山が見渡せたが、まるでエジプトのギザのピラミッド群をが緑に包まれているかのようである。(写真・上

 金山の街に入ったが、静寂に包まれていた。
 土蔵と現代和風の金山式住宅の間に一つのピラミッド状の丘陵が望めた。
 
 上が水の街金山のシンボル大堰(おおぜき)と周囲の景観である。
 多くの錦鯉が我々ご一行を歓迎してくれた。
 猛暑の現在に訪れたなら、さらに清涼感があふれていたことであろう。

 大堰に沿って続く長い黒塀の内側にも自由に入ることができたが、そこは「半分露天の美術ギャラリー」であった。

 この画廊のある屋敷を抜けようとすると、その先にも豪奢にしてユニークな窓のレイアウトの土蔵が見えた。
 とにかく、このいと小さな街ながら、なんとも豪勢な構えの屋敷が多く、驚かされる。
 それに加えて高度経済成長期以前は街も人出で賑わっていたに違いない。
 イザベラ・バードが訪れた時はむろん、彼女を黒山の人だかりが彼女見たさに取り囲んでいたことであろう。
      金山の写真紀行は次回に続きます。
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緑の丘陵からピラミッドが見えた

2011-07-05 00:06:52 | 旅行、小旅行
 130年と少し昔に英国人のイザベラ・バードが歩いた旧羽州街道もかなり起伏が多い。
 起伏が多いというからには平地というよりは丘陵地帯ということになるから、それだけに樹林が多く、だから暑い夏の間も木陰が多く、直射日光に当たることも少ないから、かえって樹林の少ない平地よりは歩きやすかったのかもしれない。
 新庄盆地を過ぎて丘陵地帯を蛇行する旧羽州街道をしばらく歩くと、やがて小さな市街地を包みこんだ小盆地が望まれるようになる(上の写真)。
 その小さな市街地の背後にはいずれもピラミッド状の小さな独立峰が並んでいる。
 これは木材王国、金山町を象徴する自然景観であり、イザベラ・バードもこの景観を目にして感嘆の声を上げたことであろう。
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ポポポポ~ンとともに去りぬ

2011-07-02 11:07:42 | Weblog

 大震災と原発事故により通常の一般番組の放送がほとんどなくなっている時に民放では一般コマーシャルの代わりに「公共広告機構」が提供する非営利的広告が頻繁に繰り返されたが、その中でも「あいさつで友達の輪を広げよう!」を訴える人間の子どもたちや可愛い動物たちのアニメが動画となって登場するものが特に子どもたちや若者たちの間で大ブレークしたようだ。
 そのコマーシャルソングの題名は知らないが、ソングの最後に「ポポポポ~ン」と唄われていたので、それがソングの題名かのように思われているのではないだろうか。
 また、原発事故に際して事故や対処の状況説明に最も多くテレビ画面に登場したと思われるのが上の写真の西山氏であった。
 彼は経済産業省の原子力安全・保安院の一審議官であって決して保安院のトップではないにもかかわらず多くの国民にとっては事実上の「保安院の顔」となっていた。
 ところが、大震災原発事故の発生から3か月以上も経過した現在は民放でも「ポポポポ~ン」にお目にかかることはほとんどなくなり、なんとなく寂しい思いをしていたところ、つい先日から「保安院の顔」の西山氏もテレビ画面に登場することがなくなった。
 さ~て、女性婦人を英語に翻訳すると、どちらもWOMANとなるのだが、婦人問題女性問題の英訳はかなり困難である。
 ともかく西山氏のテレビ画面からの“降板”は婦人問題か女性問題かのいずれかが理由と週刊誌等は書きたてている。
 風とともに去りぬは映画のタイトルだが、西山氏は「ポポポポ~ンとともに去りぬ」の如しである。

 上の写真は前回の記事の続きになるが、この道路も旧羽州街道でイザベラ・バードが通った道の跡である。
 場所は新庄と金山の間だが、金山寄りの所にある。
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