山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

ただ一面にたちこめた街の朝は霧の中

2008-10-31 14:07:22 | 風景
 今朝の最低気温はプラスではあるが、2度台であり、昨日の予報の5度台をもだいぶ下回った。いよいよ本格的な晩秋の到来である。
 ゴミ出しついでに近所の街を少しだけ歩いたが、もう7時近くなっているのにまだ街にも霧がたちこめ、遠くのビルは霞んでいた。
 でも、空は青く、昼の気温は上がるようだ。
 今朝の寒さは放射冷却現象ということになるようである。

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  今日の記事は地球温暖化についてのチャールズ英国皇太子の発言についてです。


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金と銀に彩られた学問の府

2008-10-30 23:02:47 | 風景
 昨日、山形大学構内を歩いた。
 10月も下旬に入ってもしばらくは温暖な日が続いていたが、いよいよ山形も晩秋らしく再び急速に寒さが到来した。
 そのせいか大学構内の銀杏の並木もすっかりと黄金色となっていた。
 黄金色が拡がっている下の歩行用通路には「銀輪」が所狭しと並んでいた。
 まさに「金」と「銀」との共演の舞台であるかのようであった。
また、その脇には戦国時代のような幟旗が立ち並んでいたから、見てみたら「全面禁煙」と記されていた。大学構内での「紫煙」を禁じる呼びかけであった。
「金」と「銀」の世界に「紫」が加われば、もっと華やかになるはずだが、ラベンダーならともかく、もはや紫煙は許されないのである。なるほど。
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山形教会の開祖はアン・ブーリン

2008-10-28 23:16:59 | Weblog
 今日は世界史の復習をやってみた。
 ただし、十六世紀のイギリスが舞台の映画を観ての復習である。
“アン・ブーリン”という名がその頃の英国史に登場する女性の名であることだけは覚えていたが、英国国教会の開祖である英国国王ヘンリー8世の二番目の妃であったことを今日確認できた。
 だが、彼がローマ・カトリック教団からの独立を決意させたのも純粋に宗教的な確信からというよりは彼女との婚姻を正当化するためのものであったようだ。
 だから、信仰の内容もプロテスタント(新教)とカトリック(旧教)との中間的なものであり、その流れは米国や日本でも「聖公会」という教団に受け継がれ、山形市でも明治末期に建てられた教会堂が国の登録文化財として街に彩りを添えている。
 いわば、日本聖公会山形聖ペテロ教会はアン・ブーリンの婚姻事件があってこそのものであったと言える。
 ちなみに、後に英国を興隆に導いたのが彼女が産んだエリザベス一世である。
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名も無き寺の巨大な朱塗りの山門

2008-10-27 21:44:29 | 郷土史
 観光とは無縁の土地に県内でもひと際鮮やかな色彩の山門を構えた寺がある。
 でも、来年のテレビドラマの展開によっては一躍全国区にならないとも限らない。確かに今のところは全国レベルでは“無名”と言えるが、当地ではある程度知られた寺である。寺院としての規模は山形市内では有数であり、また映画になった『やまびこ学校』の青年教師の実家でもある。
 この寺の門はこの朱塗りの山門だけではない。これは三番目の門だから、かなり奥行きの深い広大な境内を有する寺であることがわかる。
 門前には水田が開けているが、その水田に浮かぶ島のように見えるのが長谷堂城址たる城山である。
 この門前の水田では慶長5年に直江兼続が率いる米沢の上杉軍と長谷堂城に立て籠もる山形の最上軍との血みどろの激戦が展開され、水田は折り重なる屍でおおわれ、また血塗られていたことを思えば、今でこそ目にもまばゆい朱塗りの山門も鎮魂の意味が込められているようにも思えてならない。

※2009年のNHK大河ドラマ『天地人』の主人公は直江兼続であり、後半では長谷堂合戦が描かれることが予想され、今後この合戦の関連記事を断続的に掲載したい。
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母なる川の港町、大石田の街歩き ⑪最終

2008-10-25 23:40:05 | 建物
 かつては母なる川最上川の最大の港町として栄えた大石田の街歩きのシリーズの第1回は9月28日であったが、今回でいよいよ最終となった。
 今日は既に10月も下旬。まもなく11月となり、冬の準備にとりかかることになる。ああ、今度の冬はどんな冬になるのだろうか、と、堤防への登り口の前で安眠していたのを妨げられた猫も気にしている頃であろう。
 地球温暖化の中の冬は暖冬小雪か、逆に海水の異常高温に伴う水蒸気の異常発生による豪雪のどちらかになりそうだ。

●写真「上左」斎藤茂吉が戦後滞在した聴禽書屋(前回にも写真掲載)の2階 彼はここから大石田の四季を眺めたであろう。無論豪雪の景色も 「上右」9月の大石田の蔵造りの店 「下左」一昨年の冬の大石田 「下右」三階建てになる理由がわかる豪雪
「真ん中」堤防への登り口でゴロ寝していた猫

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母なる川の港町、大石田の街歩き ⑩

2008-10-24 15:09:03 | 建物
 大石田の街歩きもいよいよ終わりに近づいた。
 蕎麦屋で昼食を済ませ、鏝絵(こてえ)など大石田の職人たちの技を展示している桂桜会館をあとにして、もう一度街のど真ん中に向かう。
 ど真ん中といってものどかな蕎麦畑も見られるような所だが、あの豪商屋敷が並ぶ大通りの裏手に町の歴史民俗資料館があり、そこに歌人斎藤茂吉が戦後に少しだけ住んだ聴禽書屋(ちょうきんしょおく)が連結している。
 この建物は大石田を代表する素封家の二藤部家の裏手に建てられた離れ家であるが、離れ家といっても流石にかつての大資産家が巨費をつぎこんで建てただけあって、建造物としてもなかなかのものである。
 ところが、母屋(今月15日の写真)には常時家の持ち主は住んでいない。
 東京かどこかが現在の主たる住まいであり、たまに大石田に帰って家屋敷の手入れや掃除をするらしい。
 この町の歴史を体現するような家すらこのような現状であり、この小さな町で「日本の縮図」を垣間見たような気がした。

●写真「上左」及び「上右」どちらも三階建てで豪雪仕様だが、外観はまことに対照的 片や和風、もう一方は無国籍的外観 どちらが大石田風と言えるのか 「下左」聴禽書屋の外観 「下右」同じく2階の内部 ここで斎藤茂吉はのんびりと鼻毛でも抜いていたのだろうか。

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母なる川の港町、大石田の街歩き ⑨

2008-10-22 21:18:51 | 建物
 大石田には河川の港町として豪商の館が軒を連ね、また交易の川船の建造も盛んだったことから大工や左官を始めとする有能な職人が多数輩出したことでも山形県の内外によく知られ、また大石田の町民自身の自慢でもある。
 ●写真「上左」大石田左官職人による鏝絵(こてえ)などの展示が多い桂桜会館の外観 外壁にも鏝絵がしつらえられている この会館の別称をクロスカルチャープラザとも言うが、どんな異種の文化の交流のことを意味しているのか、わかりにくい 「上右」内部に昔の大石田の川港と街並みの模型が展示 「下左」これが鏝絵(こてえ) 「下右」珍しい円形校舎 でも間もなく解体されるらしい。

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名勝史跡の山寺で歴史景観フォーラム

2008-10-20 11:03:44 | 街づくり
山形歴史たてもの研究会の主催による歴史景観フォーラム「名勝山寺の歴史と景観を考える」が18日に山寺芭蕉記念館で開催された。
 山寺は東北地方で屈指の名刹である立石寺を『奥の細道』のハイライトとも言える「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」を詠んだことでも大変有名な観光地である。
 しかし、確かに境内は古い歴史が感じられるものの、「名勝史跡」の指定ゾーンである境内から少しでも出れば、土産物店や飲食店などが建ち並ぶ門前町では歴史を感じさせる建物や街並みは皆無に近く、わずかに残された元の宿泊施設の建物なども老朽化や経営の困難などにより消滅が心配されており、この度のシンポジウム開催の運びとなった。
 行政、JR、地元等の関係者のほか、横浜の歴史建築の保存活動をされている人もパネラーとして登壇し、それぞれが山寺の印象や今後のあるべき姿を語り、地元山寺の住民や山形市内の街づくり関係者などとの意見交換もなされた。
 門前の街並みに統一性を加味する、交通規制により徒歩の観光客に安心感を持たせる、門前のシンボリックな古い建造物の保存に前向きに取り組むべきなどの発言があった。最後の頃、観光のオフシーズン期である冬季にもう一度同様なフォーラムの開催が望ましい旨の発言が地元山寺の参加者からの発言もあった。

●写真「左」JR山寺駅前からの門前と宝珠山(立石寺境内)の景観「右上」9月の宝珠山と山上の堂宇「右中」フォーラムの模様「右下」多くの大型バスや乗用車が行き交う間隙を縫って門前町を歩く観光客

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母なる川の港町、大石田の街歩き ⑧

2008-10-17 04:59:36 | 建物
●写真説明
「上左」ああ懐かしや、昭和レトロの街並み  
「上右」観音霊場の寺院境内にて これぞ大石田職人の技による鏝絵
「下左」またも豪雪都市対応型3階建て現代住宅
「下右」街はずれに拡がる蕎麦畑 蕎麦は大石田の特産となった
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母なる川の港町、大石田の街歩き ⑦

2008-10-15 20:47:38 | 建物
 クルマの走行音だけがやけに耳に障るほど静かな大石田の中心街であるが、ともかく豪壮な構えの店舗が街路の両側に点在する。
 こんなに街を歩く人の姿が少ないのに、こんなに貫禄充分の店の経営が立ち行くのかが心配になってくる。

●写真「上左」豪壮な蔵店とビル風建物 松が静かな街並みに彩りを添えている「上右」ビル風建物と一体の土蔵造り店舗 「下左」及び「下右」離れ部屋に歌人斎藤茂吉が宿泊した町きっての素封家の屋敷と家屋 土蔵がわずかに顔をのぞかせている
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