土壁が露わな土蔵も眺める分にはなかなか味わいがある。
この土蔵の周囲はすっかり駐車場となっており、普段この土蔵の前にはクルマがどっかりと駐車しているので、写真が撮りにくいのだが、この日のこの時間には幸い駐車していないので、しっかりと撮ることができた。
江戸時代の後期、山形は紅花を京都方面に出荷することによって「奥羽の大坂」と自認するほどまでにおおいに栄えた。その山形の最大の商人H家の屋敷があったのがこの地であった。
ゆえに往古はこの土蔵の前の駐車場の前には豪壮な店蔵や母屋、蔵座敷、その他の荷蔵が建ち並んでいたに違いない。以後、この家から分家した2つの家が同じ山形市内の別の地で今もなお豪壮な甍の波を誇っている。
ふだん、ここにクルマを駐めている人たちはむろんそんな栄華の歴史を識ることなく利用しているにすぎないのであろう。
※ 写真は古い建物巡りをしながら社会学習をしている親子の一団
この土蔵の周囲はすっかり駐車場となっており、普段この土蔵の前にはクルマがどっかりと駐車しているので、写真が撮りにくいのだが、この日のこの時間には幸い駐車していないので、しっかりと撮ることができた。
江戸時代の後期、山形は紅花を京都方面に出荷することによって「奥羽の大坂」と自認するほどまでにおおいに栄えた。その山形の最大の商人H家の屋敷があったのがこの地であった。
ゆえに往古はこの土蔵の前の駐車場の前には豪壮な店蔵や母屋、蔵座敷、その他の荷蔵が建ち並んでいたに違いない。以後、この家から分家した2つの家が同じ山形市内の別の地で今もなお豪壮な甍の波を誇っている。
ふだん、ここにクルマを駐めている人たちはむろんそんな栄華の歴史を識ることなく利用しているにすぎないのであろう。
※ 写真は古い建物巡りをしながら社会学習をしている親子の一団