山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

「奥羽の大坂」最大の商人屋敷

2007-10-30 23:55:33 | 郷土史
 土壁が露わな土蔵も眺める分にはなかなか味わいがある。
 この土蔵の周囲はすっかり駐車場となっており、普段この土蔵の前にはクルマがどっかりと駐車しているので、写真が撮りにくいのだが、この日のこの時間には幸い駐車していないので、しっかりと撮ることができた。
 江戸時代の後期、山形は紅花を京都方面に出荷することによって「奥羽の大坂」と自認するほどまでにおおいに栄えた。その山形の最大の商人H家の屋敷があったのがこの地であった。
 ゆえに往古はこの土蔵の前の駐車場の前には豪壮な店蔵や母屋、蔵座敷、その他の荷蔵が建ち並んでいたに違いない。以後、この家から分家した2つの家が同じ山形市内の別の地で今もなお豪壮な甍の波を誇っている。
 ふだん、ここにクルマを駐めている人たちはむろんそんな栄華の歴史を識ることなく利用しているにすぎないのであろう。

 ※ 写真は古い建物巡りをしながら社会学習をしている親子の一団
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赤い雪道

2007-10-29 09:23:00 | 風景
 山の紅葉はすでに見頃。街なかはまだまだ。
 でも、ある所の構内を歩いたら、路面は“赤い雪”でおおわれていた。
 踏みつけても溶解しない。
 ようく見たら、傍の生垣の細かな紅色の花弁が散っていたのであった。
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柏倉九左衛門氏よ永遠なれ(6)

2007-10-27 23:02:07 | 建物

 あっと驚くタメゴロウ!ではないが、ここ柏倉家を訪れて驚くことは多いが、中でも一番度肝を抜かれるのが仏間の巨大な仏壇と迎賓館の機能を備えた前蔵であろう。
 仏壇が巨大であるからには仏間としての仏蔵自体も21畳敷きの広間と框を一段高くした仏壇が置かれている内陣とからなっている。
 同家は浄土真宗門徒であるが、素封家にふさわしく仏間も真宗寺院の形式がとられている。また、本尊の阿弥陀如来像は鎌倉初期の作であるとも伝えられている。

 前蔵は「客殿」とも称され、結婚式の花嫁と家族や貴賓客の宿泊や接待にしようされた。全体が漆で仕上げられており、華麗な襖絵や山水図の扁額など内部全体が日本美術館ともいえる。
 東の窓からは山形盆地の田園風景を手前に遠方に山形市街が望める。

 ※ 仏壇の写真は同家のパンフ、見張り台のような裏門の写真は関連HPより
※ このシリーズは今回をもって終了します。
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巌に巌を重ねて、紅葉未だし

2007-10-25 23:46:55 | 風景

 ↑ 境内参道から眺める巨大な奇岩の壁 ↓ 五大堂から見下ろす山寺の門前と奥山寺方面  上下ともクリックにより画面拡大

 県外から多数の参加者が集まった某研修会に急遽参加したら、現地研修会場が市内の山寺。今年3回目の山寺訪問となった。
 季節柄、さすがに東北有数の観光地。平日ながら境内の狭い石段の参道はかなりの“交通渋滞”。これだけの観光客の多くはほとんどが遠来の団体さん。かなり中国語が境内に響く。
 多くは鮮やかさが絶頂の紅葉観賞をアテに訪れたのであろうが、山寺の紅葉はわずかに色づいている箇所(写真「上」)が少しだけある程度の状態。
 俳聖芭蕉の名句「閑かさや・・・」の蝉の声も当然聞かれる季節には非ず。
 それでも「奥の細道」の山寺の項の前文中の「巌に巌を重ねて・・・」のそのままの景観に見とれた観光客は多かったに違いない。

 ※ シリーズ「柏倉久左衛門氏よ永遠なれ」は次回以降
 
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柏倉九左衛門氏よ永遠なれ(5)

2007-10-23 23:45:38 | 建物
 建物面積の合計が普通の住宅(約30坪)の12倍もあるだけでも驚きであり、母屋自体は質素な造りだが、仏間の仏壇や重要な客人を接待する前蔵(次回以降)は目を瞠るべき豪華さである。旧米蔵は映画会場、講演会場としても使えるほどの広さである。
 さらに驚くのは庭園の美しさである。
 戸外に出て眺めるのももちろん優美である(写真「上」)が、母屋のガラス窓越しに眺める美しさもすばらしい(写真「下」同家パンフより 撮影は山本やす子氏)。
 遠州流の作風を模した池泉回遊式庭園であり、小さな滝も見られる。
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柏倉九左衛門氏よ永遠なれ(4)

2007-10-22 23:56:12 | 建物

  「下」の写真のみクリックにより拡大

 現在の当主は初老の女性である。ゆえに「九左衛門」とは当然彼女の名ではない。
 また、彼女には後継ぎが居ないという。
 でも、この家と屋敷を愛する人々が多い限り「九左衛門」氏は生き続けているのである。

※ 写真「上」 見学に訪れる人々は後を絶たない。
  写真「下」 母屋の前の広い庭には巨大な石灯籠が客人を圧倒させる。
 
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柏倉九左衛門氏よ永遠なれ(3)

2007-10-20 23:55:36 | 建物
 柏倉家は建物が豪壮であるだけでなく、自然の色彩も豊かである。
 写真は長屋門の内部の前庭 多くの草花と植栽により、四季折々に楽しめる。
   2005年4月に撮影
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柏倉九左衛門氏よ永遠なれ(2)

2007-10-19 22:39:18 | Weblog

柏倉家も一種の城郭的性格を持ち合わせていたのであろうか、山形盆地の眺望がすぐれたわずかに小高い所に位置しており、夜には写真の土蔵の窓から遠くに星を散りばめたような山形城下の灯が見えたはずであったろう。
 門前の道からの盆地の眺めもなかなかであり、道と風格のある長大な黒塀に併行する清らかな疎水の流れを耳にしながらの歩行は気分を一新させる。
 それにしてもこの場所は山形城下からはもちろん、かつての最上川と須川の船着場としての羽前長崎からも離れている。
 どうして「大庄屋」としてでなく、豪商としても繁栄を極めたのか不思議ですらある。

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柏倉九左衛門氏よ永遠なれ(1)

2007-10-17 23:42:39 | 建物
 山形市の北西隣りに位置する中山町に県有形文化財の「柏倉九左衛門家」がある。
 この家は18世紀に山形藩の大庄屋を勤め、以後も豪農として発展し、明治以降には山形県内屈指の大地主となった。
 敷地面積は約2,300坪で、建物面積は360坪であるから維持は大変であり、現在の当主には跡継ぎが居ない。でも、地区の住民らの有志によりNPO法人「柏倉家文化村」が組織され、この九左衛門家を中心に周辺一体を地域の財産として大切にして行こうとしているから、九左衛門氏の精神はそのままこの地で受け継がれると思われる。(続く)
 ※下の写真は九左衛門家のパンフより
 
 
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またもや出羽の豪農街路を歩く(2)

2007-10-16 23:17:25 | 建物

 ↑ クリック→拡大画像右下角の赤い拡大指示マークをクリック→更に画像が拡大

 “総本家”格の柏倉九左衛門家の近くの街路を歩くのも楽しく、風情を味わえる。
 九左衛門家の門前を出て、黒塀が続く平坦な街路をほんの少し歩いて左に曲がると坂道となり、これまた黒塀が続く街路となる。
 すぐ右手には分家筋のこれまた茅葺きの豪壮な母屋と土蔵が見えて来る。
 やがて左手にもやはり別の分家筋の大きな屋敷が現れ、これまた見応えのある風格である。
 山形市の周囲にこれほどの歴史的景観が残されている街路は見当たらないから、まことに貴重な遺産と言わなければならない。
 ただし、日常内部が公開されているのは九左衛門家のみであるが、雛祭りの季節には一部立ち入りができるとも聞いている。
 九左衛門家の屋敷がいかに広大であっても、九左衛門家の景観だけでなく、隣接の景観も保全されていることによって一層価値が高められていると言えそうだ。
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