山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

頑張れサクラ! 頑張れトウホク!

2011-04-28 23:16:48 | Weblog
 例年になく遅咲きの桜がようやく満開になった矢先に降雨と強風にたたられ、花吹雪が舞っていた。
 馬見ヶ崎川沿いに連なる桜並木はまことに美しい。
 それが穏やかな青空のもとであるなら、本当に心が晴れ晴れ、浮き浮きするであろう。
 でも、今日の桜並木の光景はなんとも冷え冷えしているように感じられた。
 背後の県境の雁戸山の残雪も五月を目前としながらかなり多いから、暗雲とあいまっていかにも寒々とした光景をなしている。
 それでも桜並木の花びらたちは今季のとくに短いいのちを少しでも持ち堪えそうと懸命であった。
 背後の山並みの向こうの太平洋岸でも多くの人たちが生活再建のために奮闘しているのだ。

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国史跡の内部に自転車レーン?

2011-04-25 07:13:52 | Weblog

 この記事は前日の続編でもある。
 上が今年の4月22日の撮影で、下が4年前の4月23日の撮影。場所は同一である。

 今年の城跡公園内での観桜会(桜まつり)は自粛ムードの中で中止となった。
 むろん、単なる自粛ムードだけが中止の理由ではない。
 同公園内の施設にはごく少数になったが、隣県からの避難者も寝泊りしており、夜間の喧騒を申し訳なく思う山形市民の気持ちもあるようだし、桜のライトアップには余計な電力を消費する。また、毎年桜まつりに協力してきた近隣の商店街も客足の低迷で自己の商売もままならない中での協力は困難なのかもしれない。
それでも歌舞音曲など鳴り物なしの「地味」そのものの花見環境にもかかわらず、昨日は好天に恵まれ、昨日の二分咲きが一気に六分咲きに成長し、日曜日ということもあり、花見のために訪れる市民で城跡内は賑わいを呈した。 ↓
それにしても、上の写真のどちらが「史跡」としての雰囲気にふさわしいであろうか。
 国指定の史跡にまるで自転車レーンのような園路を造ったが、山形藩のサムライたちは自転車に乗っていたという史実でもあったというのか。でも、ここは土塁の上。ここまで自転車を運ぶのは骨が折れそうである。
 ともかく、前回の記事もご覧くだされ。

 ◆姉妹ブログで原発関連に言及 ぜひ、見でけろ!
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安全安心で文化景観が死滅

2011-04-23 22:25:04 | 街づくり

 上の写真と下の写真同一の場所であるが、上は2007年の4月23日撮影で、下は今年の今日2011年7の4月23日付けであるから、丁度満4年の間隔がある。
 しかし、見てすぐわかるのは4年前と比べれば今年の桜の開花はだいぶ遅れていることである。

 だが、違いは開花の状態だけにあるのではない。
 以前は城跡の土塁の上はほぼ自然に近い状態であったが、現在は遊歩道が明るい色彩の簡易舗装で真っ平になり、周囲の自然的色彩との調和を著しく損ねているだけでなく、左側には擬木の柵を連ねた間にこれまた明るい色のロープを張り巡らせて、子供たちなどが、左手の堀に落ちていかないようにしているつもりのようであるが、これにも違和感を覚えてならない。
 ここ、山形城跡は歴然とした国指定の史跡なのであり、決して一般的な都市公園内の園路ではない。一般的な都市公園内でもこのような園路を造成したら、利用する市民の不評を買うであろう。
 まるで、中心市街の自転車レーンのようなイメージである。
 これほど真っ平ならば、散策の高齢者などが凹凸に足を取られて転倒することもなかろうし、クルマ椅子やベビーカーも通り易いことは確かである。ただし、この土塁の上にのぼるためのエレベーターもエスカレーターもないから、そもそもクルマ椅子やベビーカーをここまで運ぶことは困難である。
 ここは旧山形城二の丸部分であるが、現在本丸部分の復原工事が進められているものの、本丸御殿は藩政時代の建物の資料や写真・絵図がないために建設ができない状態が続いて久しい。
 これはむろん「国史跡」という制約上当然ということになるが、それならば、土塁の上を現在のような姿に変貌させたことに対して文化庁からのクレームはなかったのであろうか。高齢者などの安全安心のためなら史跡としての景観を損ねてもかまわないとでも文化庁は申したのであろうか。
 そもそも、藩政時代は土塁の上に桜並木などなかった(明治後期に日露戦争勝利記念として植樹された)のだから、「国史跡」として「史実」に忠実たらんとするなら、桜並木などはすべて伐採しなければならないことになる。
 また、城跡公園内の北東部には新しく駐車場が造成されたが、これも当然史跡としてはそぐわないことになる。
 制約がきわめて厳格なようで制約が緩いような史跡であるが、一体全体史跡とは何なのであろうか。
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ようやく咲き始めの桜花とジェット機騒音

2011-04-20 21:30:51 | 時評
 昨年の4月17日は山形市観桜会の開幕日であったが、想定外の降雪(昨年同日付けの当ブログ記事と写真を参照!)により中止となり、多くの市民は「花見」ならぬ「雪見」の1日となった。
 今年こそ晴れやかな観桜会が期待されたが、大震災と原発事故の影響で代表的な桜の名所である山形城跡内の体育施設には隣県からの避難者が身を寄せており、夜間のライトアップも電力不足で困難などの様々な理由が重なり、「観桜会は中止」となった。
 たとえ中止されずとも、周囲の山肌には残雪が例年以上に多く、今日は下界の市街地でもかなりの寒さだし、桜の開花も昨年よりもかなり遅れており、とても「お花見気分」にはなれない気候である。
 上の写真でも今年の開花がだいぶ遅れていることは明らかである。
 せめて被災地の太平洋岸だけでも温暖であってほしいものだが、今朝は降雪もあったという。
 これでは地球温暖化ならぬ地球寒冷化であり、これまた想定外である。
 こんな寒々とした雰囲気の桜の季節なのに、今日も山形市街地の上空には山形空港発着の飛行機の姿が頻繁に見られた。
 昨年までは「閉鎖」の音沙汰まであった山形空港だけは「異常な賑わい」を呈している。
 これまた「想定外」であり、仙台空港が全面復旧(最近ようやく一部復旧)するまで山形空港は賑わい続けるであろう。

◆下記の姉妹ブログにて原発問題などに論究。閲覧ください。
   「島国ニッポンの山国から」 ←クリック
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初夏のような陽気と残雪が見える風景

2011-04-16 23:27:44 | 風景
 一昨日と昨日の山形は20℃を超す高温だ。
 今年になってから私は初めて衣服が三枚の姿で外出したが、緩い坂道を歩いているうちにとうとう二枚の衣服になった。
 道路の向こう側には蔵王連峰の主峰熊野岳の前立てのようにそびえている龍山の雄姿が眺められるが、手前の丘陵部分は早くも春の装いを急いでいるのに対し、上半分の龍山の部分のほとんどがいまだに残雪で覆われている。
 まもなく山形でも桜が開花しようとしているのに、例年よりはかなり残雪が多いようだ。
 龍山の標高は1364m。その背後の蔵王熊野岳は1841mである。
 そしてこの2つの峰に連なる蔵王連峰は南北にのびており、その背後に大地震と巨大津波で未曾有の災禍がもたらされた宮城県と原発事故の渦中にある福島県がある。
 こうして、こちら側の山形は津波の災厄からも、また放射能の飛散からも護られている。
 もともと有史において山形の地は大きな地震は少なく、また多少強い地震があっても被害は少なく、それゆえ最上(もがみ)の地と呼ばれてきたとも言われる。
 でも、蔵王連峰は複合火山の集合体で、手前の龍山の前面も背後も火口壁である。
 つまり、背後の蔵王温泉も古い火口の跡であり、手前の西蔵王高原の窪地部分も火口があった所のようだ。
 この度の三陸沖を震源とする超巨大地震の影響で休火山である蔵王も「寝た子が起こされた」ような状態になって火山性地震が起きる心配はないか、いささか心配である。
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この世は「大汚鬼神」だらけに

2011-04-12 07:13:24 | Weblog
 長い年月、怖いもの、恐ろしいものとして「地震、カミナリ、火事、オヤジ」と言われ続けてきたが、最近は既にその言い方は「古すぎる」として破棄されても仕方ない。
 現在は「大津波、原発、三、四がなくて、地震、竜巻」になりそうだ。
 あるタレント的人気の知識人が「津波に比べたら放射能なんて大したことない」と発言して総スカンを食わされたようだが、確かに津波に襲われたら「ほぼ即死」になるのに対して、放射性物質に触れたとしても即死ということはほとんどありえないし、即ばたばたと苦しむということもない。
津波や地震による死亡が「瞬間的殺人」なら、放射線による死亡は「緩慢毒殺」と呼べそうである。
 だから多くの原子力の知識人が「人体や健康に影響は希少」と申すのであろう。それでも日常的に大量に被曝を受けて長年蓄積されれば「死」の可能性はゼロではない。
 とくに乳幼児などには危険な物質であるといわれている。
 しかし、放射性物質と追う大津波と地震と比べるのは無理だとしても、放射性物質の他にも「微細な有害物質」は数限りなく我々の周囲を取り囲んでいる。
現在、山形市を中心とした広域環境事務組合は清掃工場の移転新築問題で迷走している。 むろん今も市内南北の2か所に清掃工場が稼働しているのだが、既に老朽化しており、10年以上も前から改築や移転新築が叫ばれていた。そのうち1か所については現在地のすぐそばに新設という案が示されたが、周辺住民から猛反対で頓挫。次に別の場所に候補地が選定されたが、それも住民パワーで挫折。さらに別の候補地が示されたがこれまた住民の強い反対運動で建設に向けての進展はみられない。
 行政側はむろん有害物質の排出は極力抑制される設計で「健康に影響を及ぼすレベルではない」と、現在原子力安全保安院と同じような説明がなされているが、なかなか住民は納得しない。
 もし、全国の既存の清掃工場から排出される有害物資が本当に「危険レベル」なら、多くの在日外国人はフクシマ原発事故以前にとっくに日本から脱出していたり、外国人観光客が日本に多数押し寄せることなどなかったであろう。
 清掃工場といえば「ダイオキシン」の排出が懸念されていたことがあり、「史上最悪の汚染物質」とまで言われていたほどであるが、ダイオキシン除去技術の進歩のためか近年はその名を聞くことすらない。
 それでも清掃工場の新築に反対する住民は数多い。
 その他、無数の種類の環境ホルモンとかO-157新型インフル・鳥インフル・口蹄疫ウィールス毒ギョーザ事件が端緒の中国製食品農薬使用の農産物、建築物に残存するアスベスト、クルマから排出される二酸化硫黄や二酸化窒素、粒子状物質、等々、「健康に影響を及ぼしかねない目に見えない」物質に日本は満ち満ちている。
 これらの健康阻害因子を総称して代表格たるダイオキシンにちなんで「大汚鬼神」と呼んでもよさそうである。
 それらと原発起源の放射性物質との危険度の差異はどうなのであろうか。
 大震災と巨大津波、そして原発事故で関心すらなくなった中国からの黄砂にはかなりの中国核実験()残存放射性物質が混じって飛来しているという。
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これまた「想定外」・・・どちらが2月?

2011-04-06 21:34:14 | 風景

  これは2月、それとも4月?

 こちらも、2月なのか4月なのかわからない!
 ああ、雲一つない紺碧の青空の中に踊る白銀の稜線。
 今朝の街なかも氷点下の冷え込みだったが、昼にはすっかり4月下旬のようなポカポカ陽気。
 でも、午後遅くなっても県境の山肌の雪の白さは陽光を受けてますます輝きを増している。
 ところが、当ブログの2月24日に掲載した写真を見たら、同じ山の方向の雪肌の加減がほとんど変わりがないことに気付いた。
 その写真の撮影日は前日の2月23日(2枚の写真のうちのどちらか)で、記事の文面からは2月半ばから春のような陽気続きであったことがわかる。
 しかし、その後まもなく冬の寒さがぶり返し、3月に入っても降雪や冷え込みの日々が続き、2月と3月が逆転したような感じであった。
 そんな異常な気象の中で迎えたのが、まさに未曾有の大地震と巨大津波であった。
 頻繁に打ち続く強い余震と太平洋岸の深刻このうえない被災状況と原発事故の報道に接しながら連日の雪模様のため被害が軽微な山形市民にとっても陰鬱な気分に沈み込まざるをえなかった。
 それゆえ、4月に入ってすら山の雪はさほど消えることなく、今日を迎えることになった。
 2月下旬の山肌の雪模様と4月上旬の雪模様とがほとんど変わりがないことも、まさしく「想定外」というしかない。
 この県境の山並みの向こうでは何千、何万という人々が瞬時に命を落とし、また、今なお避難所等でひもじい思いをしながら体調を崩している人たちも膨大であることを想い起こさずにはいられない。
 
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山形内陸部の巨大津波に強い?ビル

2011-04-04 09:44:57 | 建物
 世も末のよな世相の中にも「安全・安心」のスローガンだけは健在である。
 山形市内の官庁・ビジネス街を歩いていたら何とも珍妙な外観のビルがあった。
 新興教団の総本山のようでもあり、駐車ビルのようにも思えるが、なんとそれは判事様たちの職場であった。
 このビル(山形地方裁判所)の建屋自体は既にかなり以前(30年以上か)に建造されているが、決してこのような外観ではなかった。
 特にナナメの支柱のようなものが外部に貼りめぐらされていることはなかった。
 それらのナナメの支柱がこれほどまでに貼りめぐらされていると装飾的でもあり、ヨーロッパのバロック建築やロココ建築をも思わせるが、過剰装飾との批判も強くなりそうだ。
 現代建築は努めて「装飾性の排除」を推し進めてきたが、今後はますますこのビルのような装飾?が建造物を覆うようになるだろう。
 それも「安全・安心」の掛声とともに「耐震補強」の名分で進められるであろう。
 山形弁で表現するなら「みっだぐない」(みっともない)ということになろうが、「外観の見栄え」よりも「安全・安心」には代えられないということになれば、21世紀は「文化の終焉の世紀」となりそうである。
 内陸部の山形市を中心とする地域は津波は当然押し寄せることはない(最上川を遡上して海抜120m以上のこの地まで襲うことはまず考えられない)し、このたびの大地震でさえ「伝統こけし館」のこけし達が多く倒れて閉館に追い込まれた程度だから、蔵王連峰が大噴火でもしない限りは激甚災害はないように思えるのだが、やはり「想定外」を想定して備えておくことは必要なのかもしれない。
 それでも小惑星の地球衝突のような事態すらありうるのだから、考えればきりがない。
 科学技術を過信した「人類の驕り」を大自然はあざ笑ったという言い方が横行しているが、「驕っても驕らなくても」大自然・大宇宙の驚異が上を行くことがあるのである。
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