山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

戌年は逆イナバウアー連発。亥年は・・・?

2006-12-31 16:17:15 | Weblog
 
 
 今年一年に限ったことではないが、今年も社会の“お偉いさん”方による“謝罪”会見のニュース映像が見られない日が無いような一年であった。
 戌年は荒川静香選手のトリノ五輪でのイナバウアーが光り輝き、今年の流行語の筆頭にもなったほどで、まさに人々の心を打つ渾身の技であった。
 これに対し、警察、教育界、官公庁、大企業、医療機関、福祉機関などで次々に発生した不祥事で責任ある立場のお歴々らが“謝罪”を意味する首(こうべ)を垂れる“逆イナバウアー”とも申すべき姿は何ともしらじらしい思いで眺めるしかない。それがほぼ連日のように見せつけられる。
 折りしも、かつて“無責任時代”の到来を宣言した青島幸男氏が亡くなったが、“大の男”たちが雁首並べて首を垂れるのは配下の不祥事について“責任”を表しているつもりのようだが、本気の度合いの高低はともかく、将来の日本を担うべき子どもたちには、“偉い人”たちの仕事とはペコペコすることだと目に映るに違いない。これでは若者たちの上昇志向が萎えてくるのも当然な気がする。
 明日からの亥年もペコペコ映像が連日繰り返されるのだろうか。

※ 写真はいずれも関連HPより
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明治、大正、昭和のロマン史館大集合!

2006-12-30 10:51:03 | 建物
 
 
 揃た揃たよ~レトロ館が揃た。花笠音頭の出だしでないが、山形の明治前期、明治後期、大正、昭和初期の建造物がこのブログ画面で一同に揃うのは初めてのことである。
 このうち三つは元来公共機関の建物だから立派に保存され、いずれも国の重要文化財、いわば準国宝に指定されているが、右下の2棟の店舗は民間施設でもあり、道路拡幅のため近い将来がどうなるのか危うい。
 最近、国でもようやっと「いま在るものの価値を再評価して活用した街づくり」を推奨するようになったが、「歴史的建造物破壊の超先進国」とも言える日本ではこの考え方がどれだけ定着するのか不安だが、来年以降に希望を託したい。
 ※ 左上/県教育資料館(旧師範学校、明治34年) 右上/市郷土館(旧市立病院済生館、明治11年) 左下/県郷土館文翔館(旧県庁舎、大正5年) 右下/西谷菓子店、他(昭和2年)
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芸術作品としての山形の蔵 (13)

2006-12-28 22:33:05 | 建物
 土蔵とかクラと言っても、いわば「倉庫」である。
 倉庫は現在もなくてはならない建物であり、特に産業界では不可欠である。
 だが、現代の倉庫には、たとえ何億や何十億の建設費がかかった巨大なものでも、日本の伝統的なクラのような美的雰囲気をただよわせるものはない。
 おそらく外国の大金持ちの倉庫も日本のクラのような特別仕立ての建造物とはなっていないであろう。
 「蔵」は確かに倉庫だが、倉庫を超えた建造物であり、それに加えてその存在感は母屋すら超えており、神聖にすら感じられる。

 ※ 写真は市街地北部にある土蔵。松の木は土蔵の品格を一層高めている。
   だが、電話線や支柱が景観を阻害。まあ、仕方がないか・・・。
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工事休止の道路と財源に思う

2006-12-27 21:10:33 | 街づくり
 年末なのに不景気な景観で失礼!
 いつ供用開始できるかわからない市街地の工事休止の新設道路。前方のガードレールの向こうには歩道付設のゆったりした新しい道路が開通しているが、走る車はほとんど見当たらない。更にその先は行き止まりになっているが、いつかはぶち抜く計画があるものの建設は未だ開始すらしていない。これは住宅密集地域を貫くのだから、トンネルを掘りぬくよりも困難な事業であろう。また、カメラの後方には寺院と墓地があり、これを動かすのも難事業である。
 全路線が開通するなら既に完成した部分の道路も利用度がかなり高くなるであろう。だが、全線開通までにはどうやらかなりの年月がかかることになりそうだ。
 しかしこの古い市街地での道路新設にはどんなメリットがあるのか。
 中心商店街を通る旧国道13号(現国道112号)の渋滞解消のために東郊外にバイパスを建設し、現在の国道13号となり、さらに車線も増設したが、渋滞が慢性化して既に久しい。だから旧市街地に「バイパスのバイパス」が必要になっているようだ。工事費用もさることながら、市街地だけに用地購入費も住宅等の移転補償費もきわめて巨額になろう。
 そこまでして全路線を開通させたとしても、沿道市街地に活性化をもたらす保証はどこにもない。ただ高速度の通過車両が多くなるだけである。むしろ高齢者等の歩行者が広い道路を横断するのは困難かつ恐怖で、地域の分断化が進む。
 道路特定財源は限定的ながらも一般財源化していく趨勢は変わらないだろうから、この道路の工事再開の費用拠出も困難になろう。
 道路特定財源を道路新設や拡幅などにのみ使うべきという考え方はおかしい。とりわけクルマの使用は環境と社会に対する負荷(※)はきわめて大きいゆえに、それらの負荷の「補正」のためにこそ使われるべきではないか。
 ※ 地球温暖化と気候激変、大気汚染、騒音、事故、公共交通の減退、
   中心市街地の空洞化と街並み崩壊、子どもの遊び場喪失、高齢者の孤立など
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芸術作品としての山形の蔵 (12)

2006-12-26 21:04:18 | 建物
この辺りも今ではすっかり中心市街地であり、明治以前も歴然として城下町に属していた。それでも以前は半分は農村地帯だつたのであろう。幹線道路(県道)から少し西の方の横道に入ると、今でも佇まいに豪農的雰囲気が漂う屋敷が点在する。
 この屋敷の場合は、古風な門柱の間から庭の植栽越しの斜め方向に土蔵が眺められるが、なかなかの風情である。
 土蔵も美的だが、門柱及び庭の植栽との組み合わせは一層絵画的である。
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無雪だがホワイトのクリスマス

2006-12-24 23:57:37 | イベント
 街には『ジングルベル』や『ホワイト・クリスマス』のメロディーが鳴り響いているが、今年の“聖夜”は無雪の状態。
 でも、教会ならぬ昔のお役人の城はライトアップによりやけに“美白”の状態。へたな現代風の教会建築よりもずうっと荘厳でクリスマス・イヴにふさわしい。(旧山形県庁舎「文翔館」)

 ※教会堂の写真は昨年の12月のクリスマス・シリーズ(計16回)でご覧ください。
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いま話題の『ダーウィンの悪夢』

2006-12-23 21:14:23 | Weblog
 いま『ダーウィンの悪夢』というドキュメンタリー映画が日本の内外でかなりの話題になっている。昨日も今日も別々の新聞でこの映画のことと監督のことが報じられていた。
 この映画は今年のアカデミー賞のドキュメンタリー部門でもノミネートされたほどだから、映画自体も秀作なことはむろんだが、タンザニアの政府が神経を尖らし、在日大使館が日本での上映に抗議しているということからもかなり深刻な内容の映画である。
 この映画の内容と上映予定等については左記の文字列をクリックして関連HPをご覧いただきたいが、昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭でも2つの賞に輝いており、監督自身も山形市の姉妹都市であるオーストリアのキッツビューエル市(かつての五輪スキー三冠王トニー・ザイラー氏も同郷)出身ということで山形市とも縁が深い。
 望むらくは山形市民の関心も高まってほしい。(2月17日以降に山形で上映予定)

 ※ 写真は山形市馬見ケ崎川河川敷で芋煮会を楽しむ監督のF.ザウパー氏
   2005年10月 撮影は当ブログ管理者
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硫黄島陥落から60年、国土の“品格”も陥落

2006-12-22 22:38:08 | Weblog

  ↑ 映画『父親たちの星条旗』から 擂鉢山にたたずむ米兵 
        ↓「品格」ゼロの新興商業ゾーンの景観(←クリック)(再掲)
            
 日本は都市も農村も山林も自然もすべて病み、荒廃している。都市の中心部は空洞化して空き店舗が目立ち、戦渦も免れた歴史的建造物も解体のうえ無骨な駐車場と化して街並みは崩れ、風格も情緒も潤いも失せ、郊外の新興商業ゾーンすら過当競争により店舗の廃墟化が進む。
 農村部の主要道路の沿線でも何百年も続いた牧歌的な田園風景が失われ、山林も原野も大自然も荒廃の一途をたどり、クマなどの野生動物の来襲に怯えている。
 いわば日本中から日本らしい、地方らしい原風景が失われている。同時に日本人の精神までが大いに病んで陰惨な事件が多発するようになった。
 米国の日本占領政策の効果は数十年後になって顕著になったと言える。高度成長期は米経済界を震撼させたが、国土の乱開発は国家の疲弊を現し始めた。
 商店街の表示には横文字が溢れ、年末の紅白歌合戦ではグループ名や曲名、歌詞にも横文字が溢れ、金髪茶髪のスポーツ選手の数は欧州チームを上回る。
 大型店の郊外進出が中心市街地の空洞化を招くことは当初から明白なのに、米国の圧力で容認し、北朝鮮の如き小国に対しても毅然とした態度がとれずに六ヶ国協議では全くカヤの外に置かれた状態である。
 その同じ日本人が60年前には硫黄島で米軍の大軍を震え上がらせた。米軍は上陸以前に天文学的物量の砲爆撃をおこなったが、それでも6千名近くの戦死者を出し、負傷者を合わせると日本軍の死傷者数を上回った。これに懲りた米軍は日本の軍民全ての戦意を削ぐ挙に出た。それが激しい無差別爆撃と原爆投下である。しかし戦後の日本人は悲惨極まりない民衆の犠牲すら米国の犯罪ではなく、日本の軍国主義のせいにしてきた。
 さらに日本的なるものの多くを無価値どころか民主国家にふさわしくないものとして排除し、土地の文化の集積ともいえる中心市街地までを崩壊させ、それが周辺の郊外や自然にまで及ぼしたのである。
 これでは視覚的にも“日本の品格”を探るのは困難で、欧米人観光客の日本離れすら招いている。今や“経済的活力”は日本以外の多くの国々で見受けられる。「魂」や「骨格」が感じられない国民は諸外国から退け者にされる。文化や景観を疎かにすることは「安全保障」にかかわると論じる講演を聴いたが、まさにそのとおりである(東京工業大学名誉教授、中村良夫氏)。
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山形の陸上少女、ロス五輪、硫黄島

2006-12-21 21:57:34 | 郷土史
  
↑ 山形市中心部の街路  ↓ 硫黄島擂鉢山(写真は「硫黄島写真館」のHPより)
      
 山形市内のごくありふれた街路風景と話題の映画で有名な硫黄島の擂鉢山とはむろん普通は何の関係もない。
 この街路は1932年のロスアンゼルス五輪の陸上百㍍に出場した少女が毎日歩き、時々鍛錬がてら走ったであろう道である。というのも沿道に実家があったからである。この年も山形は大いに沸き返ったと私の母(故人)は語っていた。
 惜しくも彼女は予選で敗退したが、日本選手団の中には馬術で金メダルに輝き、男爵家の嫡男でもあったために欧米人から「バロン西」と呼ばれていた西竹一も居た。彼は軍人であり、後に硫黄島に赴任して米軍と戦い、壮絶な戦死(※1)を遂げた(自害説もあり)。
 山形の少女(※2)もこの頃は既に30歳近くになっていたが、後に彼の死を知ってどんな思いをしたであろうか。
 ※1 映画『硫黄島からの手紙』では伊原剛志が西中佐を演じた。
 ※2 私も以前初老の主婦となっていた彼女と短い会話を交わしたことがある。
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芸術作品としての山形の蔵 (11)

2006-12-20 20:53:27 | 建物
 背景が鬱蒼とした樹林であるだけに白亜の壁面がよく映える。
 白壁の一部が剥離し、二階の側面の汚れも目立つし、アルミサッシの窓が嵌め込まれてはいても、豪壮な造りであることには変わりがない。
 この辺りは寺院が密集し、“小京都”と言われる所以でもあるが、そんな中に不意にこのような土蔵を目にすると寺社のたたずまいとは一味違う雰囲気に浸される。(背後の樹林は寺院の境内ではない)

 ※ 昨年連載のクリスマス特集(←クリック)もご覧ください。
 
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