山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

町の中心部で見た茅葺民家

2012-09-27 03:51:02 | 旅行、小旅行

 県内の某町にでかけてから早2か月。
 その町役場のすぐ隣の小路を歩いて目についたのがこの茅葺の民家。
 中心街でもこのような建物に出会ってたいへん懐かしい思いをしてしまった。
 というのも、我が県都山形市でも中心部に茅葺民家があったことを思い出したからである。
 それも我が家の隣組の住宅である。
 そのお宅は元の山形藩の武家屋敷であったが、今ではすっかり現代風の住宅に建て替えられている。
 さて、この写真の建物が農家なのか武家住宅なのかは不明であるが、とにかくタイムスリップしたような感じを受けたことは間違いない。
 住む人にとっては快適かどうかはわからないが、私のような街歩きをする外来者にとってこのような建物にめぐり逢うことは悪くない。



◆新しいブログ『山形街なか大正レトロ館』を紹介します。
 山形市の本町にある大正10年建造の「旧西村写真館」の保存の取り組みに特化したブログです。ご愛顧ください。
   http://blog.goo.ne.jp/kyuu-nishimu-stadio
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山形弁ならば安全?in CHINA

2012-09-19 21:32:03 | 方言

 中国の各都市での反日デモは今日になったらほぼすっかり下火になっていた。
 でも、中国に滞在中の日本人は街を歩く際は極力「日本語」を口にすべきではないという。また、「お前は日本人か?」と訪ねられた場合は「私は韓国人です」と答えれば安全らしい。
 それならば、中国国内で外出する場合は「山形弁」で語ることを勧めたい。
 山形弁は標準日本語とはだいぶ語調や響きが異なり、これが同じ日本語であるとは思い難い向きもあり、韓国語と間違えられることもあるからである。
 おおかたの中国市民も山形弁を日本語とは思わないで、やはり韓国語やモンゴル語、満州語と勘違いするかもしれない。

 上の写真は山形弁を話す戦前の山形女性である。
 下記URLを開けば標準日本語の翻訳が現れます。
     http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20070203   
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崩れた街並みの中の豪商屋敷

2012-09-14 10:25:01 | 建物
 白鷹町の中心街は団体バスの車窓から眺めただけで、それも20年以上も昔のことになるのだが、その際の印象では「小ぶりながらも中心街らしい街並みと賑わいがあった」ということである。
 それが、今回初めて足を地面に降ろして歩いてみたが、下手に道路の「整備」、つまり拡幅や新設をやったためであろうか、どこが中心街かわからないようになっていた。
 つまり、全体として茫漠たる街並み景観になってしまい、おまけにすっかり「街の賑わい」が失われていたのである。
 むろん、外周部の大型店にはやはり駐車のクルマがひしめき、内部は買い物客で賑わっているが、それは「街の賑わい」とは言えない。
その荒砥の中心地というべき箇所で見つけたのが見出し写真の豪壮で個性的外観の土蔵を持つ豪商の屋敷である。
 今でも“豪商”かどうかはわからないし、かなり古びたままで補修もされぬままになっているような感じだが、やはりかなりのインパクトを放っている。
 かつては荒砥もこの建物に象徴されるような富の集積がなされる時代もあったことを物語っている。たぶん、この建物だけでなく、周囲にはやはり幾つかの豪商の建物が並んでいたのであろう。
 しかし今では荒砥のかつての栄華もこの旧?豪商屋敷を遺すのみ。
 確かに土蔵の豪壮さに目を見張ってしまうが、その佇まいに何とはなしにうら淋しさを覚えてならないのである。
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駅前はさぞ賑やか?

2012-09-11 22:17:40 | 建物
 山形県人でありながら我が山形市と西南部で隣接する白鷹町の中心地の荒砥に初めて足を降ろした。
 以前は貸切バスや路線バスで通りかかったことがあるものの、この街を歩いたのは本当に生まれて初めてである。
 それでは山形市方面から直接訪れたのかと言えば、そうではなく、南の方からフラワー長井線により訪れたのである。
 だから、荒砥駅に降り立ったのも初めてである。
 その荒砥駅たるや真新しくデラックスな外観に驚いた。
 これだけ立派な駅舎だから、さぞかし多くの乗降客で賑わっているのかと思いきや、自分を含めてほんの数人だけ。
 着いたのは丁度正午頃だったから、駅前の蕎麦屋か食堂に入るか、コンビニからおにぎりでも買おうかと思って駅前に出たら、それこそびっくり。
 駅前には人家や商店、宿泊施設や郵便局など建築物がほとんど見当たらない。
 駅前広場の前は道路と木立で鬱蒼とした丘陵が見えるのみ。
 いわゆる一般的な駅前のイメージとはあまりにも違い過ぎる。[写真がないのでご勘弁を!]
 これが白鷹町の中心地、荒砥の駅前の様相である。
 だから、荒砥の街らしい箇所に至るには約10分ほど歩く必要があった。
 それにしても、駅前にほとんど建物が見当たらない豪華な駅舎は全国的にも珍しいのではないか。
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片田舎の都市のハイカラ医院

2012-09-07 06:58:14 | 建物
 しばらく歴史的建造物の記事をご無沙汰にしていた。
 長井市にでかけたのも既に2か月近く以前のことになるので、その時に撮ったハイカラな建物を紹介したい。
 長井市は県内でもかなりわかりにくい場所に位置しているし、人口も3万あるかないかの規模である。
 だから長井市民には失礼ながら「片田舎の都市」と呼ばせていただいた。
 でも、長井には今でもまことに和も洋もともに素晴らしい古い建造物がかなり多く残されている。
 ましてや30年以上以前なら、まだまだ素敵な建物が存在していたはずである。
 このことについては長井市に限らないことだが、クルマ社会の本格的な到来以前はどんな「片田舎」の小さな都市や町にも豪壮で風雅な和風建築やハイカラな洋館が軒を並べ、街に彩りと賑わいを演出していたのである。
 この以前は医院だった建物(既に廃業)もその一つで、建造に巨額な投資をしてもモトが採れるくらいに患者が押しかけていたのであるが、クルマ社会の進行により、駐車スペースが少ないなどのつまらない理由で来院を避ける市民が増えて医院の経営が困難になってくるというお決まりのパターンが全国的になってしまった。
 併せてこの医院の近隣も空洞化により空き地は駐車場化かただの更地になり、お蔭さまで(失礼かな?)この旧医院の側面の撮影がやりやすくなっていた。
 ちなみに、この建物の外観はイギリス風と言えそうである。
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山形と濁流

2012-09-01 22:36:05 | 時評

 今日は防災の日ということでテレビでは防災に関する放送が多かった。
 山形は昔から「最上」(もがみ)の地と呼ばれてきただけあって(※注)、豊穣にして天災も少ない土地柄ではあるが、近年は当地でも豪雨に見舞われることは少なくなくなっている。 [※注:古代には「最上」が南部、「村山」が北部で、現代とは南北が逆であった。]
 それで、見出し写真には今年五月初旬の山寺立谷川の恐ろしげな濁流を掲げ、この下には5年前の9月の豪雨の際に撮影した市街地のすぐそばを流れる馬見ヶ崎川の濁流を登載してみた。

 それにしても馬見ヶ崎川の濁流のすぐそばで犬の散歩のついでに濁流の様子を“観光”している市民の姿にはあっけにとられる。
 もっとも、その時点では豪雨も止み、濁流自体もかなり弱化していたのだから、彼はもう安心しきっていたのであろう。
 この凄まじい状態ですら「弱化」していたのだから、ピーク時はいかほどの凄まじさであったのであろうか。
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