山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

山形・川越  蔵造り店舗比べ(5)

2007-06-29 21:29:23 | 建物

 現存する土蔵の多くは山形、川越も共に明治中期の大火以降に建てられているが、それ以前に建てられた土蔵造りが火災を免れていることから急速に広まったようである。
 すなわち「耐火の模範」となる土蔵が以前から存在していたからこそ、明治中期以降に土蔵造りが盛んになったわけである。
 今日の記事の山形の場合はその典型で、明治中期以前どころか、江戸時代の天保年間の建造と言われている。現在は醤油醸造と販売を営んでいるが、この一見店蔵に見える部分は現在店舗としての機能を持ち合わせてはいない。
※ 写真は「左」が川越の蔵造り資料館、「右」が山形の丸十大屋(クリックで拡大)
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メクラ判のアメリカ議会(下院外交委員会)

2007-06-27 23:46:34 | Weblog
 差別用語を使用しているようなタイトルになってしまった。
 セイジにからむセイジの問題(性事と政治)はあまり取り上げたくはないが、アメリカ議会下院の外交委員会で日本軍のいわゆる「従軍慰安婦」問題について日本の首相が公式に謝罪するよう求める決議案が可決されたことは日本の将来に暗雲を投げかけるものとして無関心ではいられない思いがある。つまり、謝罪と保障をしさえすれば済む問題ではないからである。
 これは中国と韓国の官民(在米民間人を含む)挙げてのしたたかなロビー外交攻勢の勝利と日本政府(むろん外務省が中心)の外交能力の拙劣さを物語る。「軍と慰安婦」の問題は日本特有では絶対にありえないが、いつのまにか旧日本軍だけの問題に特化されてしまった感がある。百人の「悪ガキ」の中で弱い立場の1人だけが責められているようなものである。
 日本の国会議員は「いい加減」だと揶揄されることが多いが、アメリカ議会の議員も通りいっぺんの「人道問題」扱いで、決議案の内容をよく吟味しないまま評決したように思える。 →3月28日の記事および4月28日の記事(←クリック)を参照

 ※ 写真は山形市内の進駐米兵の出入りが多かった建物(司令部として使われた銀行、遊郭、写真館)と決議案提出の中心存在の日系(疑問視する説もある)マイク・ホンダ議員(関連HPより) 山形でも米兵の暴行を受けた女性が居たようだ。
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昭和初期の国民的歌姫、佐藤千夜子

2007-06-25 23:12:38 | 郷土史
 丁度30年前にNHK朝の連続TVドラマで『いちばん星』というのがあった。その主人公が山形市の北隣の天童市出身の佐藤千夜子である。
 彼女は明治30年(1897)生まれだから、もし存命ならばやはり丁度110歳になる。
 千夜子は昭和初期の国民的歌手として数々の名歌とともに一世を風靡したが、そのきっかけとなったのが彼女が31歳の時に吹き込んだ日本の商業レコードの第1号となった『波浮の港』である。
 以後、映画の主題歌第1号でもあり、歌謡曲というジャンルを確立させることになったとされる『東京行進曲』、『さすらいの歌』『雨降りお月さん』『ゴンドラの唄』『君恋し』『紅屋の娘』『愛して頂戴』、そして古賀政男氏が世に出るきっかけとなった『影を慕いて』などはいずれも大ヒットし、今でも歌い継がれているものが多い。
 また、オペラの勉強のためイタリアに在住していた時は日本民謡も紹介している。

 ※ 写真は佐藤千夜子と舞鶴山の北の麓に移築された生家(見学は要予約)
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山形・川越  蔵造り店舗比べ(4)

2007-06-23 18:14:05 | 建物
 どうも山形の場合は既に失われた蔵店の再登場が多い。
 今回は「塔」の形体を画面に取り入れることになる。
 川越の場合はきわめて有名な「時の鐘」の楼閣であるが、これ自体は蔵造りではなく、前景の建物が蔵店である。
 山形の場合(写真「右」)は戦後の高度成長期に失われた老舗の時計店の蔵店である。時計店ということもあり、時計塔がそびえる印象的な店舗であった。
 もし現存していれば、おそらく全国的にも傑出した時計塔として観光的にも“名物”になっていたに違いない。

※ この時計店については昨年の8月28日の記事(←クリック)を参照
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歴史ロマンを夢見る

2007-06-21 22:43:02 | Weblog
 東北南部もとうとう梅雨入り。
 でも昨日までは本当に晴天の暑い日がよくも続いたものだ。
 だから家の中で寝るにはかなり暑苦しかったが、今日は寝心地が良い。
 夢もなかなか壮大で楽しいものが多い。
 むろん、目下は古代ローマから中世の騎士物語り、シェイクスピア時代の英国、そしてマリー・アントワネットなども夢の中に現れる。
 今日はヨーロッパ史だから、明日は平安朝の夢を見ることにしたい。きっとボクは光源氏として登場することになるだろう。
 また、あさっては古代中国の夢を見たいものだ。そこでは3000人の美女がボクにアツイ視線を向ける阿房宮を巡り歩くことになる。つまりそこではボクは秦の始皇帝になっている。でも、ボクは既に満15歳。もう立派な老人。否、老猫。
 やはり、熟睡するなら、哲学書を枕にすべきかな。
 ニ、ニ、ニーチェかサルトルか。ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか。実存主義か弁証法か。頭の中がクラクラ、やっぱり、ホッダナ、ムッズガスイ内容ダド、アダマノナガサ、カスミカガテ来テ、ネムタグナル・・・ボーッ・・・ムニャムニャ・・・スヤスヤ・・・クークー。
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山形・川越  蔵造り店舗比べ(3)

2007-06-19 22:57:46 | 建物

       
 川越の店蔵は現在も“健康はつらつ”なものが多い(写真「下」)のに対し、山形の場合は残念ながら現存しないものを多く紹介せざるをえない事情がある。
 だからと言って山形には土蔵造りの店舗が少なかったわけではない。かつての旧街道沿いにはかなりの蔵店が軒を連ねていた。しかも川越の蔵店と比べても遜色のない豪壮なものが多かったのであるが、昭和30年代以降は急速に姿を消していった。今日紹介する蔵店(写真「上」クリックすれば拡大)はつい2年ほど前に解体されている。この店には屋敷内に他に3棟の堅固な土蔵を擁しており、当の店蔵自体も当地方有数のがっしりした造りとして高い評価を得ていたが、今では敷地全体が無味乾燥な貸し駐車と変貌している。
 大地震にも堪えられるような堅固な建物でも「クルマ社会」の前にはあっさりと崩壊してしまう例であるといえるが、市民意識と行政の姿勢に拠るともいえる。それが山形と川越の差異となって現れている。
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「王将」の里のハナカミ王子

2007-06-18 23:52:03 | 郷土史
 スポーツ界とマスコミ界では連日のようにハンカチ王子とハニカミ王子のことが話題にされているが、わが郷土にも後に“偉人”として尊敬されている“ハナカミ王子”が居ったことを知る山形人はそう多くはない。
 だが、彼の顕彰碑がある丘陵は桜が満開になる時期に人間将棋が開かれる場所として県内外に広く知られている。ここ天童市は温泉と将棋の駒の生産地としても有名だが、織田信長の子孫の城下町でもあり、顕彰碑のすぐ近くには信長公を祭神とした神社がある。
 彼は幕末の織田家の御典医の孫として明治10年に生まれたから、いわば地域ではエリートの出と言える。彼、高橋英雄は海外に関心を向け、アメリカ行きの貨物船に忍びこんで米国に渡り、色んな辛い労働をしながらも多くのことを学んだが、帰国後ふるさとの天童に居住した。
 だが、ふるさとの子どもたちの多くが鼻汁をたらしたままの不衛生な状態であるのに心を痛め、「鼻をかみましよう」運動に力を入れたことから後に“ハナカミ先生”と呼ばれるようになった。その他、塀の落書き消し、ローマ字の普及、河川清掃、荒れたツツジ公園の手入れと整備など多方面の社会活動を行い、やがて多くの市民や子供たちにも親しまれ尊敬されるようになった。
 生活は仙人のようだったらしいが、心はツツジのような錦であり、まさに“王子さま”であったと言えよう。
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山形・川越  蔵造り店舗比べ(2)

2007-06-16 23:58:20 | 建物

 川越の蔵の色調が概して「黒」だとすれば、山形の蔵の多くは「白」である。
 山形にも黒壁の蔵が皆無ではないが、やはり稀である。それに対して川越の蔵の多くが「黒」というのは山形と比べまことに好対照である。

 ※写真の「右」が山形市十日町の「のむらや寝装」の蔵店。明治19年の建造だから、明治の2度の大火以前の建造であり、既にこの時代に防火建築としての土蔵や蔵店の建造が進められていたことが伺える。その上、単に「防火」だけでなく、塔楼が建て加えられるなど華麗な「遊び心」も忘れられていなかった。なお、この奥の方にも豪壮な蔵座敷があり、ミニ・コンサートや落語会なども開かれる。(※クリックすれば拡大します。ただしこちらのみ) 写真の「左」は川越の蔵店 レトロなポストが引き立て役ともなっている。
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まほろばの里、高畠探訪(7 最終回) 街道の旅宿

2007-06-15 22:05:32 | 建物

 二井宿小学校(今月11日の記事)の同一地域内の街村のとある古い民家に立寄った。しかもなんと8人もの集団が不意に訪れたにもかかわらず、わが集団の案内役のT先生とここの主人とは知人ということもあり、快く囲炉裏のある居間や座敷まで案内してくれた。
 昔は陸奥国(宮城県)との境界近くの山ふところの街道旅宿でもあったから、造りは民家としては大きく、広い複数の座敷には見知らぬ旅人たちが雑魚寝をしたのだという。
 ともかくも、この民家のSさんご夫妻と高畠案内のT先生には感謝にたえない。

※ 写真「上左」S邸玄関付近  「上右」屋敷内の錆びた鉄のオブジェ(ナニ?)   「中」懐かしい模様ガラスと並んだ和傘 
 
↑ 「左」土間廊下  「右」居間の囲炉裏の火を焚くS氏と孫(5月時点)
   クリックすると拡大(この2つの写真だけ)    
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山形・川越  蔵造り店舗比べ(1)

2007-06-13 11:36:38 | 建物

 川越市を訪れたのは5月20日だったから既にひと月近く以前のことになる。
 川越は「蔵の街」として超有名であるが、洋風建造物が多く保存活用されていることにも感動させられたので、数回にわたり断続的に山形の洋風建造物との対比として紹介した。
 だが、やはり川越は「蔵の街」。それでも目立つのは「土蔵造りの店舗」の多さである。山形も「蔵の街」であるが、多くは文字どうり「倉庫」や「座敷蔵」として建てられたものが多く、直接公道に顔を出している「土蔵造りの店舗」は少ない。
 それでも少ないながら豪壮華麗なものが多く、それらを今回から断続的ながら川越の「土蔵造りの店舗」と対比しながらシリーズで紹介したい。

 第1回目として、それぞれの市の代表格を紹介する。
 山形のは紅花豪商の末裔の「マルタニ」(写真「左」 クリックすれば拡大)、川越のは「松崎商店」(写真「右」)である。
 マルタニについては解体が心配されていたが、内部補修が進められ、どうやら保存活用が進められているようで多くの市民が一安心しているところである。なお、マルタニに関する過去の記事は下記の日付の文字列をクリックしてご覧いただきたい。
 ●1月28日の記事  ●1月31日の記事
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