山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

◆旧木村邸と活用をめざした人たち◆

2013-06-23 23:50:15 | Weblog

山形市役所に間近な旧木村邸(旅籠町)が遺族から山形市に寄贈されたのは2009年だが、その前後には若い学生中心の蔵プロジェクトと支援の市民たちにより清掃奉仕やオープンカフェなどの活動が行われ賑わっていた。しかし、間もなく山形市の完全管理課に置かれて後は約3年ほど外部からはほとんど動きが見られず、駐車場に市の軽自動車が若干台駐車している程度である。
そしてこのたび唐突に土地の活用法(母屋は撤去が前提)のアイディア公募が新聞で報じられたが、市のHPで詳細を見れば資金力のある事業体しか参入不可能な内容である。はたして市の職員には活用法のアイディアは浮かばないものなのか。また、若い職員(頭脳明晰で柔軟思考の若手が多いはず)からアイディアを募ることはなかったのか。そもそも職員全般に旧木村邸の存在自体を知らしめてさえいないでいたのか。
ここでは2009年に学生たちが意欲的に活躍していた頃の写真(撮影は筆者)を紹介したい。


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◆旧木村邸の価値は「土地」だけか◆

2013-06-18 20:27:00 | Weblog
何年か前に学生を中心とした蔵プロジェクトの皆さんが見事なまでに掃除してくれた山形市役所近くの旧木村邸が遺族から寄贈されたのは平成21年。その後市が補修のうえ何らか活用されるのかと期待していたものの、先日新聞を開いてびっくり。
利活用のアイディアを広く市民から募る内容だが、「建物の撤去も可」の記載があるので、詳細を市のホームページを開いてさらに愕然とした。やはり母屋も土蔵も撤去を誘導する内容だ。
応募用紙にも「既存建物の取扱」の選択肢として、①母屋、土蔵とも撤去、②土蔵のみ活用とあり、③として「その他」とあるものの、母屋と土蔵双方の活用は考慮外というのが市の姿勢のようだ。また同応募用紙の下の枠外に「土地活用の参考に・・」と記されているものの、「建物の活用」の字句はない。これでは歴史的建造物の活用を夢見て真夏の猛暑の中何日もかけて凄い塵埃の中を献身的に清掃に励んだ若い学生さんたちの夢をぶち壊すだけでなく、寄贈主の遺族の方の厚意を無視するようにすら思える。
紅の蔵も一小旧校舎まなび館も御殿堰の親水空間も歴史的遺産活用の新名所として賑わっているように、旧木村邸についても建物が歴史的価値あるものとして活用が望まれるのに、山形市は歴史的建造物としての価値を評価することなく、土地のみに価値を認めているように思え、残念である。

※蔵プロジェクトの学生さんたちの旧木村邸の土蔵・母屋の清掃や活用イベントの様子は下記URLによりご覧くだされたし。
   http://kura-project.sakura.ne.jp/2009/06/
   http://kura-project.sakura.ne.jp/2009/07/
   http://kura-project.sakura.ne.jp/2009/08/
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山形ホテル物語(7)[最終回]

2013-06-11 23:30:52 | Weblog

和風ホテルとしての山形ホテルの明治から昭和初期にかけての界隈の雰囲気は山形城主の重臣屋敷の門前通りのようなものであったと思われる。
それほど風格充分の街並み景観を形成していた。
だが、現在では同じ地所で同じ角度からの撮影ではまったく様相が変わっている。

手前は「ガラスの城」のような大手門パルズ。そして向こう前方には「採算ベース」だけで上へ上へと階を積み重ねただけの街並み景観を大きく乱す高層マンションが並んでいる。
さ~て、大手門パルズという名称の中の「パルズ」の意味がわかる人はどれだけ居るであろうか。この施設内には教育関係団体も入居しているが、センセイ方にだってパルズの意味がわかる人は大半(→「ほぼ皆無」と訂正)であろう。まあ、「先生方の大先生」とでも申すべき、よほどガク(学)のあるお方が命名したのであろう。

山形城三の丸内にあった藩主秋元公の菩提寺「泰安寺」の跡地に和式建築の「山形ホテル」が建てられたのは明治後期であるが、後に山形県教育会の所有となった。さらに昭和2年には敷地の西部分に洋館棟が建てられ、現代山形のシンボル的高層建築となったが、旧泰安寺の庭園はほぼそのまま貴重な緑と親水の空間として残された。
その後、和館はユースホステルとなったが、昭和50年代に洋館とともに解体され、第2世代の教育会館が建てられた。その際に庭園の大半が破却されて駐車スペースとなった。

  ↑ 西北側から見る大手門パルズ

  ↑ 西南側から見る大手門パルズ
そして平成18年には現在のガラスの城のような第三世代の教育会館と労働関係機関が合体した「大手門パルズ」となって現在に至っている。庭園についてはすべて駐車スペースとなり、今は片鱗すら留めていない。[このシリーズはこれにて終了します。]
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本田の金髪を不快と言えない異常な日本

2013-06-07 01:03:56 | Weblog
 ―――昨日フェイスブックでサッカーの本田の金髪について下記のように投稿したが、初めて「いいね」がゼロ。本田の金髪を云々することはまるで禁句やタブーのような雰囲気を感じた。サッカー選手に多い金髪や茶髪を不快に思う日本人は多いはず。なのに口にする人はきわめてまれ。でも、この傾向は政治や社会問題についても同じことが言える。問題あるものを問題にしない傾向が強くなっている。―――

 一昨日のサッカー試合で日本チームが土壇場で辛くも同点にこぎつけ、Wカップ出場権を手にしたことでマスコミを始め日本中が沸きかえっている。だが、歓喜するのは早過ぎはしないか。たかだか出場権が与えられたに過ぎない。
 国技の相撲では長年日本人力士が横綱になれないでいるし、柔道での日本人選手の低迷は悲惨そのもの。それに、一昨日の“英雄”(本田選手のこと)の金髪度はオーストラリア選手の誰よりも格段に高かった。これだけで既に金と黒が大逆転。
 あえて「夷」という“差別的”用語を使って申せば、まさに「夷をもって夷を征す」とはこのことにも当てはまるように思えてくる。
 ところで、トルコで吹き荒れる反政府デモに現東京都知事氏と前任者の暴走老人氏は大喜びしているのだろうか。
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