山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

来年こそ「ゆるり」と行こう

2008-12-31 19:51:43 | Weblog
 しばらくぶりで大晦日の大雪だが、寝場所があるっていうのは本当に幸せなことだ。
 でも、夜になって暗くなると御日様が射す所がなくなるので、コタツのある部屋に入ろうとしたら、ガラス戸が閉まって入れない。
 やはり年の瀬の寒さは耐え難い。
 それでもボクなんかはすっかり後期高齢者でネコゼなのに「最高実力者」扱いで大事にされているから、これ以上の贅沢は望まない。
 自動車もパソコンなどのIT機器も要らない。
 食べ物と寝場所と家族の「愛」だけで充分だ。
 さて、今年は「ゆるキャラ」が大人気の年であった。
 何と言っても最高の人気者は「ひこにゃん」であったようだが、来年も様々な「ゆるキャラ」が目白押しになりそうだ。
 中でも、NHK大河ドラマの『天地人』の主人公に因んだ「かねたん」は是非とも大人気を集めてほしいものだ。山形県人、否、山形県猫として強く希望したい。
 それにしても大の大人の経済人とかいう方々は「ゆるキャラ」たちが訴えていることが少しもわかっていないようだ。
 不況の度合いが「少々」なのか「大いに」なのかはともかく、いきなり働いている人たちを住まいからまで追い出すなんて、あまりにもぎすぎすし過ぎている。
 も少しでも「ゆるり」とした対応はとれないものだろうか?
◎写真 「上左」彦根城のひこにゃん「上右」かねたん「下左」直江兼続の兜についた「愛」の字「下右」奥羽の関ヶ原の戦いの対激戦の際、上杉軍から受けた弾痕が残っている最上義光の兜
 
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大津、石山寺、京都、仁徳陵紀行 ⑯最終回

2008-12-29 21:36:53 | 風景

 いよいよ今回の関西旅行の記事も終盤を迎えることとなった。
 締めくくりは「巨大古墳群」である。
 世界最大の墓と言われる仁徳天皇陵を始めとして四つの古墳をレンタサイクルで駆け巡ったが、それだけでかなりの運動量であった。
 ともかく、大和朝廷の基盤が必ずしも磐石になったとは言えない時代に膨大な労力を使役して多くの巨大な墳墓が築かれたわけだが、謎が謎を呼ぶ事象である。
 しかし、後世に仏教の普及とともにこのような極端に大掛かりな葬制はすっかり衰微することになった。
 ともかくも現代は真夏にも涼気を放出し、工業都市堺の大気の浄化に一役かっている「肺臓」の機能を果たし続けているようだ。
◎写真説明 ①仁徳天皇陵(大山古墳ともいう)の拝礼箇所 まさしく小山を拝むような感じになるが、築造されてからしばらくは樹木のない巨大な土饅頭であった
②濠が巡らされているが、古墳というよりは古城という感じになる(仁徳陵)
③濠の水が澱んで緑色になっている箇所も多い(仁徳陵)
④仁徳陵の北西部分 自転車を走らせても1周するにはかなりの時間を要した
⑤履中天皇陵 仁徳陵に次ぐ大きさ 小山や城山を連想させる
⑥履中陵の環濠の広さは仁徳陵の環濠をはるかに凌ぐ
⑦履中陵の拝礼箇所
⑧いたすけ古墳 国の史跡 名前が面白い
⑨御廟山古墳 現在発掘調査が行われていた  以上、写真をクリックにより画面拡大

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「ぬりかべタワーの話」
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大津、石山寺、京都、仁徳陵紀行 ⑭

2008-12-28 21:37:14 | 建物

 レンタサイクルは鉄砲鍛冶屋敷を後にして次は寺院の多い地域を回遊する。
◎写真説明 ①レンタサイクルで堺市内周遊する前に堺市役所展望室から仁徳天皇陵と履中天皇陵を遠望するが、高温過ぎて靄がかかり望は良くはなかった
②③④堺市はかつての町人らによる自治都市 豪商屋敷のような佇まいの寺院が多い
⑤⑥堺市で一番大きい浄土真宗の寺院で大本山本願寺の別院 門前からの景観は⑧の山形専称寺の景観とよく似ている ⑥はその本堂 さすがに重厚だ
⑦この長屋門のような構えも寺院の建物 内側に本堂
⑧これは山形の専称寺 ⑤の寺院と同じく浄土真宗寺院で明治以前は出羽の中本 
⑨これも山形 積雪の中の旧山形県庁「文翔館」
  ↑ クリックにより写真拡大

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大津、石山寺、京都、仁徳陵紀行 ⑬

2008-12-26 23:46:21 | 建物

 この度の関西旅行の記事もいよいよ大阪府入り。
 滋賀県大津市東部の石山駅からまっすぐに大阪駅で乗り換えて堺市へ。
 JR「堺市駅」という所で降り立ったから、当然堺市の表玄関と思ったのが大間違い。観光案内所もなければ、駅員自体がごくわずかの小さな駅であったので、堺市役所や仁徳天皇陵へ行く道がほとんどわからないままの下車であった。
(後で堺市役所内の観光案内担当の方に聞いたら、やはり観光客には間違いやすいらしいとのことであった。)
◎写真説明 ①「堺市駅」を出て間もなくこの並木道を適当に歩いてみたが、それなりに爽やかな気分を味わえた
②やがて右手にこんもりとした樹林が見えてきたので、古墳に違いないと思って狭い住宅地の細道に入ってみたら、やはり天皇様の陵墓「反正天皇陵」であった
➂堺市役所20階展望室からも反正天皇陵と堺市駅方面が見渡せた(ツインタワーのすぐ背後) ここではボランティア観光ガイドの方が説明してくれる
④と⑤路面電車通りに面した伝統的町家 観光地図には「利器製作所」とあるから家打刃物の製作所と思われる 
⑥と⑨かつての旧市内にはちらりほらりと伝統的町家が残っている 
⑦と⑧鉄砲鍛冶屋敷(堺市指定有形文化財、内部非公開) 探すのに苦労した
 ※ 写真をクリックすれは画面拡大
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今年もホトケ様からMerry Christmas!

2008-12-24 17:54:12 | Weblog
 またもや極めて日本的な光景を街角で目にした。
 ある店のガラス戸の前に黒板が立てかけてあり、そこには『新約聖書』に関する事柄が書かれていた。
 ようく読んでみたら東方からの3人の賢人たちが生まれたばかりのイエスのもとを訪れて、三点の贈り物を捧げたことについてであるが、そのうち二つが「香」であることを記している。
 さ~て、この店は仏壇店なのである。
 欧米のキリスト教関連物品を販売する店やイスラム諸国の店舗で、仏典の内容を紹介する表示を掲げることはないであろう。
 まさしく、日本的な、あまりに日本的な(←クリック)光景である。

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京都二条城、姫路城、山形城

2008-12-22 22:14:42 | 郷土史

 昨日出した写真のうち一枚を今日も出してみた。
 今月3日に脇を通り過ぎただけの二条城の東南角の櫓の写真である。
 この二条城の内部には10年前に入っているから、今回は内覧をパスした。
 さて、二条城は申すまでもなく、江戸城の京都支庁ともいうべき城であるが、それだけに天下に名を轟かせた城である。
 その二条城と我が山形城の二の丸内郭(旧本丸を含む)の面積がかなり似通っているのではないかと思い、インターネットの地図ソフトにより同一の縮尺(6250分の1)により比べてみた。
 また、世界遺産の姫路城の二の丸内郭(本丸の天守閣部分を含む)とも比べてみたが、これまた山形城とほぼ同一の面積であると認められた。
 むしろ山形城が幾分大きめかという感じさえする。
◎写真
 ①二条城東南角の櫓  ②二条城二の丸内郭の地図  ③山形城  ④姫路城
   ※ 上の写真は6250分の1の縮尺を更に縮小しています。
       ↑ クリックにより写真・図面拡大
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大津、石山寺、京都、仁徳陵紀行 ⑫

2008-12-21 14:21:55 | 建物
 京都大学に到着の少し前、聖護院の近くを通ったら伝統的外観の町家が目に付いたので、自転車を止めて眺めてみたら、京都の代表的な菓子の本舗であった。
 やはり京都には祇園や西陣でなくともちらほらと伝統的造りの町家が点在する。また、案外に街の一角に無名の洋風建造物をも目にする時もある。
 でも、一棟一棟をすべてカメラの被写体にしようとするとバッテリーが切れてしまうので、そうやたらと撮影はできないもので、やはり被写体や角度等を厳選しながらシャッターを押すしかないものである。
 京都市役所の風格と威容に圧倒され、また、二条城を右手に見い出した頃は4時半近くになっており、レンタサイクル返却の期限時間に間に合うべく先をいそいだ。
◎写真
①聖護院近くの有名菓子の本舗
②無名の洋風建造物
③京都市役所本庁舎 東館は昭和2年、連結の西館は昭和6年に竣工
 外壁部分の装飾にはインド風やイスラム風の意匠が施されている
④二条城の西南櫓 山形城との比較は翌日の記事参照
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大津、石山寺、京都、仁徳陵紀行 ⑪

2008-12-20 23:50:05 | 建物
 昨日に引続き、洋風建造物ばかりが並んだが、ここもまた全て京都である。
 一般の京都の街なかにも洋風建造物は無ではないが、まとまって並んでいる所はほとんど探し出すことはできないであろう。
 容易に洋風建造物ウォッチングを京都でやるならば京都の名門大学、とりわけ国立の京都大学の構内を歩き回るに限る。
◎写真
 ①~⑥京都大学各学部構内
 ⑦~⑨医学部構内
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大津、石山寺、京都、仁徳陵紀行 ⑩ 

2008-12-19 21:27:58 | 建物
 洋風建造物ばかりが並んでいるが、ここも歴然とした京都の一箇所である。
 自転車は「哲学の道」ではひいて歩き、そこを出てからは自転車で西に下って聖護院の脇を通って京都大学を目指した。
 京都大学は京都市の中心部、つまり鴨川以西にあるかと思っていたら、なんと鴨川以東にあることが京都に来て初めてわかった次第である。
 京都大学は大阪を凌いで建てられた関西きっての名門大学で、旧帝国大学でも権威のランクは東京大学に次いでいた。現在もその地位は変わらないようだ。
 それだけに構内にたたずむ大学の建物にも威厳ある歴史性が感じられるものが数多く残り、さすがに旧帝大らしい風格が保たれていた。
 でも、各建物のファサード(正面)部分の風格が東大の建物と比べて少々落ちる感じがするのと、戦後に建てられた新しい建造物がこれら古い建物の間にひしめき合い、牧歌的な風情を醸し出す広いキャンパスが少なくなっているのが気になった。
◎写真 大きな写真は京都大学のシンボルの時計塔のある本部 ほかはそれぞれの学部の建物
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右や左の哲人さま 優雅ですな

2008-12-18 15:49:30 | Weblog
 「左」の写真には何やら遊歩道らしき道をおおぜいの人たちが歩いている。
 また「右」の写真では後期高齢者にして若作りのお方が何やら物思いにふけっている風貌を見せている。彼いわく、哲学中なのだそうだ。
 いわば老哲学者ということになる。
 哲学者という言葉がふさわしくないなら、“哲人”否“哲猫”ということになる。
 さて、左の写真の面々もみ~んな同じく“哲人”なのである。
 なぜなら、彼ら彼女らが歩いている道はかの有名な“哲学の道”だからである。
 つまり、この道を歩けば誰しも哲人または哲学者になれるのである。
 もっとも私だけは、こんなおおぜいの人たちで混雑する道では“哲学的思考”にふけっているどころではなかった。
 ともかく、今が盛りとばかり鮮やかな彩りの路傍のモミジを愛でながら哲学遊歩する日本人とは何と優雅な民族であろうか。(12月3日、京都にて)
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