山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

いっそのことなら通年行事にしたら・・・・・

2011-01-31 06:31:52 | 街づくり

 20日ほど以前の写真で恐縮だが、つい今しがた思いついたことなので、ここで所論を述べさせていただきたい。

 山形市伝統の恒例イベントである「初市」は毎年1月10日に開催され、今年も例に漏れずたいへんな人出で賑わった。
 積雪がなかった前年と比べかなりの積雪と低温にもかかわらず、そんな悪条件などモノともせず市の内外から大勢が参集し、押すな押すなの盛況である。
 このイベントが開設される区間は山形市民を二分するほど賛否両論が渦巻く自転車道が設置されている区間とほぼ同じで、北の端が若干左右に伸びている程度である。
 この自転車道に反対する市民によれば、自転車道のために車道が狭くなって渋滞がさらに深刻化し、クルマによる来街者からの不評が増えて沿道商店への客足の減少を招き、閉店の危機に瀕している商店が増えているとのことである。
 だが、この日はほぼ終日(9時~18時)クルマの通行は1台もない。
 それなのにすごい人だかりであり、“客足の減少”どころでない。
 だから、この日のようにびっしりとテント張りの店が並ぶ形でなくとも、ほぼ通年クルマの走行がない楽しい歩行者空間にしたら、この街はいつもかなりの人出で賑わうことになるのではないか。
 むろん必ずしもこの1kmの区間を全部でなくとも、江戸時代の城下のように、毎月「七日」の日は七日町に、「十日」には十日町に「市」がたつのと同じようにすれば無理がかからないのではないか。
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温暖化の中の寒波続き

2011-01-26 22:22:39 | 建物
 当ブログを一週間以上更新しないでいたことはほとんどなかったはずだ。
 確かにこの間に首都圏に所用ででかけたり、シンポジウムで登壇したりと多忙なこともあったのだが、こうも連日寒波の中に断続的ながら降雪が繰り返されるとうんざりとして体も心も凍りついて固まってしまったためかもしれない。
 今日、しばらくぶりに中心市街地をカメラに収めたが、上の写真では建物の屋根にさほどの積雪があるようには思えないのは、今日はしばらくぶりで気温がプラスの4度までに上昇したためでもある。
 ともかくも、当地方では12月後半からはほとんど連日の降雪と寒波が続き、多くの山形市民には「地球温暖化」など信じにくくなっているようだ。
 でも、この寒波と降雪続きの天候は地球温暖化のゆえの現象であると私は思量する。
 テレビ報道でも気象学者が山陰地方の豪雪も昨年夏の猛暑による海水温の上昇により水蒸気が異常に発生し、シベリアからの季節風が真南に吹きつけたためであると語っている。
 そしてもう一つ温暖化による地球規模の海水温の異変が重なって寒波を長続きさせているようだ。
 温暖化による海水温の上昇は暖流の北上を鈍化させるようだ。
 つまり北極海の氷の溶解により北極海の海水の塩分濃度が低下すると南からの暖流が北極海に潜り込む力が弱まり、それゆえ暖流の北上が鈍化し、日本沿岸での暖流の影響も弱まるからのようである。

◆写真は七日町御殿堰界隈
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愛の援助はこちらにも、伊達直人様

2011-01-18 23:57:01 | 郷土史
 またまた出ましたMr.Tiger Mask,伊達直人様!

 伊達様は全国各地に出没なされましたが、ほとんどは「恵まれない人たち」、とりわけ児童施設の子どもたちの援助のためのようである。
 むろん、それはそれで大いに結構である。
 だが、愛ある援助の手を期待しているのは人間たちばかりではない。  
 モノはモノでも「者」ではなく「物」とて同じことである。
 しかし、「物」であるだけに「モノ」を言わない。
 それでも愛ある援助の手を待ち望んでいることは確かである。
 写真はかつては繁栄を極めた商家の土蔵造りの建物であるが、いずれも今では寂れ果て、店を閉じたままの状態になっている。
 でも、かつての奥州街道沿いの栄えし時代を物語る貴重な歴史遺産でもある。
 なんとか保存のうえ利活用が図られ、永らく住民の宝として愛され続けてほしい。
 ここは伊達様の領内で、仙台からも遠くない。
 しかも藩政以前の領主は伊達様と最上様との抗争の際に最上様により「人質」として山形に幽閉されたこともあるという。
 そこでMr.Tiger Mask,伊達直人様!
 是非、これらの建物にも援助の手を差し伸べてくだされ!

※ 写真は宮城県岩沼市の旧中心街(旧奥州街道)沿道の土蔵造りの商家の建物
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山形人としては「最上直人」が望ましい

2011-01-14 04:33:26 | Weblog
  姓名のうち下の「名」が同じでも人気がウナギ昇りなものもあれば、下降が留まらないものもある。
 上の写真の真ん中の人物こそまさしく人気の下降が留まらない「直人」さんである。
 それにしても両脇の騎馬武者姿の戦国武将らしき人物は誰々であり、「直人」さんとどのような関連性があるのか不可解に思われる方はさぞかし多いことであろう。
 でも、左側の武将騎馬像ならば全国的にも有名で、それが仙台の青葉城跡にあることがわかれば、すぐにこの騎馬武者が「伊達政宗」であることもお分かりになるであろう。
 それならば右側の武将は誰かということになるが、ヒントは当記事の標題にある。
 「山形」と「最上」の固有名詞に符号する山形ゆかりの歴史上の人物と言えば当然「最上義光」ということになる。
最上義光は伊達政宗の伯父で、彼の妹が政宗の母だが、戦国女性の中でも「鬼姫」と呼ばれるほどの男勝りで勝気な気性の持ち主で、息子政宗と兄義光の軍が対峙して一触即発の状況の中に駆けつけて両軍の間に80日間座り込み、ついに両軍を撤退させたという話はPKO国連軍顔負けである。
 宮城県はタイガーマスクが現れるのが最も遅かった4県のうちの1県であったが、一昨日「伊達直人」を名乗って現れたために安堵した仙台市民も多かったようだ。
 一方山形県内には一足早く伊達直人氏が現れている。
 でも、伊達政宗は米沢生まれだが、仙台藩祖になっているのに対し、最上義光は山形で生まれ山形で死去している。だから山形県内に現れたタイガーマスク氏にはどうせのことなら「最上直人」と名乗ってほしかった。
 山形人のブログ主として、つまらない郷土ナショナリズム感情を吐露した次第である。
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師走の酒田街歩き(7)最終回

2011-01-11 16:39:42 | 旅行、小旅行

 昨年上旬にでかけた酒田市街歩きの報告もついに今回で最終となった。
 今回の街歩きで痛感したことはかつてかなりの賑わいを見せていたであろう古い中心街が駅前も含めてまことに物寂しくなっていたことである。
 新年になってのローカル・ニュースによれば、その時昼食のために入った山形県最古の老舗デパートが60年の歴史に幕を閉じるということである。
 むろん、中心商店街賑わいの地盤沈下は近年に始まったことではないものの、“決定打”となったのはやはり郊外(市外を含む)に複数の大型ショッピング・ゾーンがオープンしてからのことであるのは間違いがない。
 だから、酒田市では郊外に近くなればなるほどクルマの渋滞がひどくなり、かつて典型的な豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)の景観をなしていた庄内平野のかなりの部分がコンクリートとアスファルトで塗り固められた広大な無機的景観のゾーンへと変身している。

◆写真説明○AB:酒田伝統の外観の一般住宅 ○C:酒田の繁栄時代を伝える山王クラブ ○DE:歴然とした日曜日の中心商店街 なんとも淋しい光景 ○F:老舗デパートの脇で身構える獅子頭も閉店を予感して悲しんでいるよう ○GH:山居倉庫 ○I:さきほどの中心商店街のはずれに立つ不思議な建物
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師走の酒田街歩き(6)

2011-01-08 16:47:12 | 旅行、小旅行

    ↑ クリックにより画面拡大
 新年が明けても心はまだ師走。
 酒田市観光の目玉スポットでもあり、また酒田市民の癒しのスポットでもある日和山公園界隈の散策を続けたい。写真説明は下記のとおりである。
 ◆写真説明 ○A:12月上旬、酒田の守護神日枝神社石段上ではまだ鮮やかな紅葉が見られた。○B:厳かな雰囲気の日枝神社本殿 ところで前回の記事の2匹の猫と社殿の前の狛犬とを見比べてみると面白い。 ○C・D:旧白崎医院 ○E:映画『おくりびと』のメインロケの旧料亭洋館棟 ○F:日枝神社の随身門(Eの建物の向かい側)○G:公園から望む最上川河口 ○H:旧灯台 ○I:公園から望む酒田港
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“やらせ”にあらず。奇跡の対面。

2011-01-04 23:38:38 | Weblog
 我が家の元最高実力者(写真で向かって左側)が逝去して今日で丁度百か日目。
 彼には想い出が数多いが、中でも上の写真のシーンが最も心に残って離れない。
 これは彼(もとホームレスの捨て猫)が我が家に住み着いてから半年とわずかの頃の写真であるが、私が外出しようとして玄関を開けたところ目に入ったのがこのシーンであり、急いで家からカメラを取り出して撮影した次第である。
 向かって右は体毛のデザインがかなり異なるが、確か彼の兄弟で一緒に我が家に住み着いたのだが、間もなく彼は感染症らしき病気を患い、わずか生後一年以内の夏にこの世を去った。
 その代わり左側の子猫が一身に我ら飼い主家族の愛情を受けて、その後17年も幸せな人生、否、猫生を送り、我が家の最高実力者にまで上りつめたのであった。
 断じて申すが、この両者が向かい合っての“巨頭会談”は神社の参道に並ぶ狛犬(こまいぬ)のようでもあるが、断じて申すが、決して“やらせ”の姿勢ではない。
 まことに自然そのままの彼ら2人、否、2匹の自発的な姿勢なのである。
 門塀の上の表札には「OBAMA」と記されているが、むろんこの家の家主の姓はオバマではない。だが、ローマ字で記せば、一部符号する文字列がある。
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謹賀新年 師走の酒田街歩き(5)

2011-01-01 10:37:34 | Weblog

 ついに師走の街歩きの紹介記事も年を越してしまった。
 でも、あと2、3回ほどは「師走」の字を使用させていただくことにしたい。

 我々は前回記事の建物により「おくられびと」となって、新春を迎えることになったが、映画『おくりびと』のメインのロケがなされた旧料亭の建物のすぐそばに何とも言えないほどの不思議な建物がある。
 まるで中世イタリア都市国家の望楼のような四階建ての建物であるが、近くで働く人からこの建物は以前何であったかを訪ねてもわからないとの返答であった。
 でも、その方は今後の酒田の歴史を活かした街づくりにとって大切な建物だから、是非とも調べておきたいと語っていたのは心強かった。
 それはともかくとして、その建物がどのようなものであるかを上の写真で紹介するが、ともかく窓枠とかに装飾が施され、けっこうお洒落な建物であることがわかる。
 また、下の方にもこの建物と山形市内の最高に無機的で無味乾燥な建物(駐車ビル)の壁面に年賀の文字とことばを記した写真を追加したので、ご覧あれ。
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