山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

イザベラ・バードが仰ぎ見た一里塚のブナ

2011-06-28 23:42:50 | Weblog
 英国人旅行家のイザベラ・バードは明治11年に東北地方を旅行し、新潟方面から山形県入りし、峠道から置賜盆地を眺めてその美しさに感動し、「東洋のアルカディア」と呼んだことは山形県人にとってはあまりにも有名であるが、その他の山形県内についても彼女が讃えた地域は数多い。
 それゆえ特に山形県内の彼女が辿ったコースを巡ろうとする東京人と山形県人の愛好グループが発足し、この度2日間にわたって赤湯方面から金山町に至るコースをバスと徒歩で巡るツァーが企画され、私も2日目だけ参加した。
 2日目は村山市の土生田から以北のコースであったが、この写真は新庄市街地にほど近い所にある「一里塚」を示すブナの木である。
 ブナといえば世界遺産の白神山地のように山岳地帯に生育する樹木という印象が強いが、この写真のように平地でも見事な存在感を示すブナの木もある。太古の時代には平地にもブナが群生していたらしく、その名残なのかもしれない。
 イザベラもきっとこれを仰ぎ見て感動したことであろう。(←ブログ主は彼女の著書『日本奥地紀行』の新庄方面の箇所を読んでいないから、このような推測的記述しかできないのである。)

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見えざる針のムシロよりヒマワリのムシロ

2011-06-24 21:19:07 | 時評
 東日本、とりわけ福島県の県民はすべて「針のムシロ」の上に居るようなものである。
 しかし、その針のムシロは見えないばかりでなく、針が敷き詰められているのに痛みすら感じないのである。
 ところが、どの針も毒針で、鍼灸の鍼(はり)のように健康に有益なものではない。
 毒針ではあるが、刺されたら直ちに激痛が走るとかいうものではなく、健康被害は数年から二十年ほど後になってから現れ始め、死に至る場合も少なくないといわれる。
 だから、これらの毒針による攻撃を受けても「痛くも痒くもない」のである。
 特に乳児や幼児、未成年などの子どもたちを恰好の餌食とするらしい。
 自分の子どもがいつなんぞ見えざる毒針のムシロが敷き詰められた場所に足を踏み入れるか不安にかられる親たちが多い。
 そんなわけで育児中の若い母親たちは子どもたち自身よりもストレスが大きい。
 いわばゲリラ攻撃におびえているかのようだが、無理もないことなのかもしれない。

 話が変わるようだが、夏が本格化すれば、日本の各地でヒマワリが咲き誇るようになる。
 わが、山形県内でも中山町や天童市などにはヒマワリの名所がある。
 そのヒマワリはなんと放射性物質を吸収する能力があるということから、ヒマワリを植える動きも活発になっている。
 放射性物質を吸収しようがしまいが、一面に力強く咲き誇るヒマワリを見ていると陽気な気持ちになるものだから、どうせムシロが敷かれるなら、ヒマワリのムシロがあちこちで敷かれてほしいものである。

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かくとだに・・・巨大津波と千歳山

2011-06-21 22:31:09 | Weblog

 百人一首にあったような言葉で始まる当ブログの今回のタイトルの奇妙さ。
 そう、「かくとだに」の後には「えやはいぶきのさしもぐささしもしらじなもゆるおもひを」と続くのだから、詠み人は当然藤原実方であり、光源氏のモデルとまで想像されている風流人である。
 彼が山形の千歳山(上の写真。30年前に撮影)の阿古耶の松を訪ねたという伝承は意外にも山形市民にはそれほど知られていない。
 また彼の墓が千歳山北麓の萬松寺の境内にあることも知る人ぞ知る程度である。
 だが、たとえ伝承のみであっても、「国民的伝統遊戯文化」ともいえる百人一首の作者の一人が山形を訪れ、彼の墓と称せられる墓標が山形市内にあることは特筆すべきことであろう。
 その彼は陸奥国司としてはるばる京都から下って赴任したのだが、なんと彼の在任中に最近超有名になった「貞観の大地震・大津波」に匹敵するほどの大津波と大地震が仙台平野を襲ったと記されている書物が今回の東日本大震災の80歳の被災者によって刊行されている。
 貞観の大津波は西暦の869年だが、藤原実方が陸奥に赴任した翌年に発生した大津波は996年(長徳2年)だから、貞観の大津波から127年後になる。
 この書物『3・11その日を忘れない』によれば、その同じ年に彼は阿古耶の松を訪れている。
 その巨大地震と大津波により国府の多賀城は壊滅的な打撃を受けて国府としての機能を失い、現在の名取市の丘陵地帯に避難し、陸奥国の官民の犠牲者の弔いと復興祈願のために山越えして出羽の寺社参詣を兼ねて、天皇から命じられた歌枕の阿古耶の松を訪ねることとしたのかもしれない。
 彼の墓はもう一か所陸奥国に存在するが、現在の名取市の丘陵地の麓にある。

 津波はすぐ近くまで押し寄せていたようだ。
 たぶん、彼と国府の役人たちの仮住まいもその近辺にあったのかもしれない。
 彼は近くの道祖神の前で道祖神の怒りに触れて落馬により死んだという。
 千歳山の萬松寺境内にある墓は分骨が収められた墓もしくは単なる供養碑なのかもしれない。
 犠牲者の遺体が累々にして広大な仙台平野の農地が塩漬け状態になった陸奥国と被害が軽微で農作物が豊かに穣る最上(さいじょう、もがみ)の地を訪れた藤原実方はその差異に驚いたに違いない。
 その差異はまさしく現在においてもまったく同じである。

◆写真説明 [上段]左から、実方の墓への参道、実方の墓所(土饅頭状)、墓所のある丘陵と仙台平野(名取市) [下段]左から、実方墓所から道祖神社に至る山道(東北新幹線を跨ぐ)、道祖神社鳥居、道祖神社本殿(丘陵地の上にあるから、津波が押し寄せることはなかったに違いない)

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ここにも隠れた癒しの緑地が

2011-06-16 22:25:51 | 風景
 山形市のど真ん中のど真ん中を歩いていたら、上の写真のような緑地があることに気付いた。この日もやや暑い日だったので、この緑地の中に足を踏み入れてみたらやはり涼感が得られた。
 ただ、せっかくの癒しの空間で街の真ん中なのに、ここで憩う市民の姿が無いのがさびしい。それでも、やはり緑地は都市をクールビズにする。

 でも、原発事故のせいで、小さな子どもたちには極力緑地に入れさせようとしない親が多くなっている。
 だが、コンクリートやアスファルトで固められた地面の上で転倒しても子どもたちがケガをする確率は土や草の上での転倒よりもはるかに高いはずだ。
 微量の放射性物質と現代的人工地盤のどちらが危険なのか。

 こむずかしいことを述べてしまったが、この緑地はどこにある?
 クイズになってしまった。[安価な使い捨てカメラでの撮影のため画質に問題あり]

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街なかに小水力発電を!

2011-06-13 23:11:02 | Weblog
 歴史的に山形は「水のまち」。
 今日でこそ街なかを流れる水流は多くの建物などに隠れたり、ふたで覆われるなどして見えにくくなっている上に、水路もひどく狭められているが、かつては山形の城下には幾筋もの小さな水流が放射状に横切っていたのである。
 むろん、それらをすべて復活復原せよというつもりはないが、一部には写真のようにかつての水流を市民や観光客の目にも見えて、かつ楽しめるように復活した箇所もあるから、もう少しだけでもさらに「街なかの小水流」を復活してもらいたいものだ。
 そして、ついでにこれらの小水流(山形ではこれらをなぜか「堰」と呼ぶ)に水車を取り付けて、これで幾ばくかの「小水力発電」が賄えるようにしたらどうであろうか。
 これらの「堰」が数多く市民の目にふれられるようになっただけで、特に真夏には清涼感が味わえるだけでなく、わずかながらも電力が得られるならば、これにより「小水力発電」を全市はもとより全国に広げることになるのではないか。

 ※写真は七日町に親水施設として復原された御殿堰とその水流に設置された水車(むろんこれは想像が生んだ合成写真)
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「緑の衣」は都市のクールビズ

2011-06-09 06:56:42 | 街づくり

 あれあれ、更地になった元の店舗の敷地の向こう側に何やら緑色の高い棒状のようなものが立っている。
よく見ると、電線か電話線のようなものが張られている。
 さらによく見つめてみたら、「緑色の被い」の実体は蔦状植物の葉っぱであった。
 この日は山形では今年初の真夏日だったから、手前に駐車しているクルマのボディーはバーベキューの鉄板並みに熱く、車内は蒸し風呂以上の高温になっていることであろう。
 これに対して、「緑棒」の内側の電柱?はクールな状態に保たれているに違いない。
 それゆえ、電柱氏にとっては緑の衣服姿はまさしくクールビズである。

 さて、この日さらに別の所にでかけ、あまりにも暑いので、どこか涼をとれる所はないかと思っていたら、街なかなのに鬱蒼とした樹林で覆われた古い神社でしばし休んだ。
 この神社の境内には池があり、噴水もあるので、まさしく涼感満点であった。
 これだけの「緑と水」に恵まれているのだから、ここから発せられる涼風は近隣の市街地一帯の気温をある程度下げる役割を果たしているのではないかと思った。
増やそう樹木! 減らそう真夏の熱発生源(クイズ→その代表例は何だろう?回答は下記姉妹ブログ)!
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街なかで見つけた癒しの情景

2011-06-04 23:43:53 | Weblog
 
 街を歩いていたら、あれ?ここが街なかだったのかと錯覚させられるような情景を目にした。
 三叉路の角地にメルヘンチックな土蔵があって、その陰の敷地一帯がささやかな食品工場がある。
 何やらコトコトコットンと緩やかな音をたてて動いているものがあるので、思わずその敷地内に足を踏み入れて覗いてみたら、なんと水車が回っていた。
 その水車はその食品工場の操業とは現在は無関係のようであるが、昔は実際にその工場の前身の時代に立派に稼働していたようだ。
 この水車に限らず、この近辺にはかなりの水車が粉ひきなどの作業をやっていたとのことである。

 そこで考えたのだが、これからは街なかにも数多い水車を復活させてみるのも有益ではないか。
 すなわち「小水力発電機」としてである。

 それから、ここにほど近い所に「自然の花園」があった。

 数年前まではここには某国家機関の出先のお偉い様の官舎があったとの記憶がある。
 現在もここは国の土地なのだろうか。
 だとすれば現在は「国立自然植物園」ということになる。
 えっ? 害虫の巣窟となる上に微量の放射能がくっついてしまうから、子どもたちの安心安全上に問題がある・・・とかいう声も聞こえてきそうだが、私にとっては水車とともに癒される風景である。
 ともかく、ここはどこだろう?
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