総選挙も終わり、民主党の歴史的な圧勝によりついに政権交代の運びとなった。
民主党を始めとする旧野党の多くは、国民の暮らしを省みない自公連立政権の政策に対して国民が見限っために自公政権が大敗したのだと言っている。
とりわけ、中高年世代の年金に対する不安やまともな医療にもありつけない非正規勤労者や失職者らの不安などが政治不信を高めてきたようだ。
それでも自民党政権下でも「いのち」の尊重を裏付ける政策は遂行されてきたと言える。その代表例は学校、病院などの耐震補強の推進である。また、その他の自然災害による人命損失を最小限にしようとする諸々の取組みである。
しかし、現代の政治や行政において守るべき「いのち」とは専ら生身の人間の肉体のことである。むろん、それはごく当然のことである。
だが、生身の肉体だけが「いのち」ではない。
歴史の中で連綿と伝えられてきた「文化」も立派な「いのち」である。
その「文化」にはそれらを造り上げてきた先人たちの思い入れや魂、そして情熱が込められている。だから「いのち」そのものでもあり、これらの文化遺産を粗末にすることはもう一つの「いのち」を粗末にすることである。
中でも建造物は多くの公衆の目に触れるだけに最も公共的文化財であり、とりわけ街を個性づけてきた歴史的建造物の消滅は如実に地方の個性の消滅を招く。
これを国家や民族のレベルにすると、まさに国家や民族の個性喪失になる。
わが山形でも山形の近代史を個性づけてきた建造物の多くは戦後容赦なく解体消滅させられてきた。父祖たちの嘆きの声が聞こえてくるようだ。
だから戦災を被っていない山形は「戦災復興都市」と間違えられる。
いかに人間個人の肉体の余命が伸びてもいつかは終末を迎える。
しかし「文化」は世代から世代へと受け継がれるから永続性があり、文化の継承により個人の「生き甲斐」を実感でき、幸せすら感じられるのだ。
新政権にも固有文化を象徴する建造物及び街並みの保存・継承できる仕組みづくりを重要施策とするよう要望したい。
◆写真 ①~⑤は消滅した建物 いずれも基調は洋風だが地元職人の手が施されている。⑥は⑤の建物の隣に新築された商業ビルだが、⑤の建物が道路拡幅のために解体されたために無粋な側面が国道に直接露わになった。なお、②の洋風土蔵造りの店舗は⑥の新ビルの二代前の建物である。◆写真をクリックにより画面拡大