山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

もう一つの「いのち」

2009-08-31 22:15:44 | 街づくり
 
 総選挙も終わり、民主党の歴史的な圧勝によりついに政権交代の運びとなった。
 民主党を始めとする旧野党の多くは、国民の暮らしを省みない自公連立政権の政策に対して国民が見限っために自公政権が大敗したのだと言っている。
 とりわけ、中高年世代の年金に対する不安やまともな医療にもありつけない非正規勤労者や失職者らの不安などが政治不信を高めてきたようだ。
 それでも自民党政権下でも「いのち」の尊重を裏付ける政策は遂行されてきたと言える。その代表例は学校、病院などの耐震補強の推進である。また、その他の自然災害による人命損失を最小限にしようとする諸々の取組みである。
 しかし、現代の政治や行政において守るべき「いのち」とは専ら生身の人間の肉体のことである。むろん、それはごく当然のことである。
 だが、生身の肉体だけが「いのち」ではない。
 歴史の中で連綿と伝えられてきた「文化」も立派な「いのち」である。
 その「文化」にはそれらを造り上げてきた先人たちの思い入れや魂、そして情熱が込められている。だから「いのち」そのものでもあり、これらの文化遺産を粗末にすることはもう一つの「いのち」を粗末にすることである。
 中でも建造物は多くの公衆の目に触れるだけに最も公共的文化財であり、とりわけ街を個性づけてきた歴史的建造物の消滅は如実に地方の個性の消滅を招く。
 これを国家や民族のレベルにすると、まさに国家や民族の個性喪失になる。
 わが山形でも山形の近代史を個性づけてきた建造物の多くは戦後容赦なく解体消滅させられてきた。父祖たちの嘆きの声が聞こえてくるようだ。
 だから戦災を被っていない山形は「戦災復興都市」と間違えられる。
 いかに人間個人の肉体の余命が伸びてもいつかは終末を迎える。
 しかし「文化」は世代から世代へと受け継がれるから永続性があり、文化の継承により個人の「生き甲斐」を実感でき、幸せすら感じられるのだ。
 新政権にも固有文化を象徴する建造物及び街並みの保存・継承できる仕組みづくりを重要施策とするよう要望したい。

◆写真 ①~⑤は消滅した建物 いずれも基調は洋風だが地元職人の手が施されている。⑥は⑤の建物の隣に新築された商業ビルだが、⑤の建物が道路拡幅のために解体されたために無粋な側面が国道に直接露わになった。なお、②の洋風土蔵造りの店舗は⑥の新ビルの二代前の建物である。◆写真をクリックにより画面拡大
 
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全面立ち入り禁止、全面解体!

2009-08-29 06:36:53 | 街づくり
 この3枚の写真はいずれも世界遺産であるローマの遺跡とバチカンの大聖堂であるが、もし日本のお役人たちがローマ市やバチカンの職員とすっかり入れ替わったとすれば、これらの遺跡や建物にはすべて立ち入り禁止措置がとられることになりかねない。
 とかく日本のお役人たちは歴史ある古い建造物は大の苦手のようで、市民の中からちょっとでも「保存」の要望の声があげられれば、「古いから老朽化により耐震構造に問題があり、耐震補強をやるにも工事に巨額の費用がかかるから予算措置を講じることは困難である」とか言って、極力この問題から逃れようとして、多くの場合、全面的に解体することを選ぶようになる。
 つまりはローマの遺跡なんぞも日本のお役人に言わせるならば、ほとんどが耐震構造に問題がありそうであり、万一地震が起きて死傷者が出た場合は責任は負いかねるから、一斉点検が必要であり、やはり耐震構造に問題がある場合は是非とも補強工事が必要になるが、点検の費用も、ましてや耐震補強工事も巨額の費用がかかるから、ともかくも観光客の立ち入りは全面禁止とすべきであると考えるであろう。
 ただし、それでも立ち入る者は居るであろうし、そこで犠牲者が出て役所の管理責任を問われたり訴訟を起こされる恐れもあるから、いっそうのこと全面解体した方が安上がりであるとも考えるかもしれない。
 なるほど、今年になってローマからかなり近い所でも大地震が発生し、古い教会堂などの歴史的建造物も崩壊しているから、そう考えるのも無理はないのかもしれないが、百年、2百年は言うまでもなく、5百年どころか2千年以前の建物が数多いローマのお役人は鷹揚そのものである。
 これに対して日本では百年にも満たない建物でもすぐ「耐震構造」が問題とされ、保存が見送られて解体を迫られる。
 木造建築ばかりでなく、石造りの建物に対してもそうである。

 いよいよ明日が総選挙の投票日だが、歴史的建造物の保存に情熱のある政党は残念ながらほとんど見当たらないようである。
 やはり、「日本沈没」か。
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追悼 トニー・ザイラー氏

2009-08-26 23:56:01 | 郷土史
 1959年、コルチナ・ダンペッツォ(イタリア)で開かれた冬季五輪においてオーストリアのトニー・ザイラー氏がアルペン・スキーで初の三冠王に輝き、その際に日本の猪谷千春氏が銀メダルを獲得した時の日本国民の興奮はかなりのものであった。
 しかも、その若き世界のスーパースターが間もなく日本に、そして我が山形、蔵王にもやってきたのであるから、むろん山形市民は沸きに沸いた。
 やがてそれが一つの機縁で、ともに有名スキー場を持つ都市として山形市とザイラー氏の出身地のキッツビューエル市が国際姉妹都市になり、ザイラー氏には山形市の特別名誉市民章が贈られることになった。
 あれから既に数十年。彼が病気のために亡くなられたというニュースが報じられた。
 学校で蔵王にでかけた際に、三宝荒神岳の急傾斜の峻厳な斜面をみんなで眺めながら、あそこをトニー・ザイラーさんが滑り下ったんだ、すご~いなあと一同で叫んだことが思い出されてならない。
 ※ 写真は関連HPより 左側が厳冬期の三宝荒神岳
 
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炭焼藤太父子が通った道 ①

2009-08-24 21:17:21 | 郷土史

   シリーズ「炭焼藤太と金売吉次が通った道」の復活版
 蔵王山系(北側)の山懐で炭焼きを業としている炭焼藤太は炭の商いに里に降り、馬見ケ崎川扇状地をしばらく北東方向に進むと薬師堂がたたずむあたりに水鳥が戯れる池があり、彼はそこで休息のために立寄った。
 藤太は水鳥を捕まえようとして妻の豊丸姫から渡された金塊を石の変わりにして水鳥に投げつけたが、金塊は水鳥には当たらず、池の底に沈んでしまった。
 帰宅したところ、豊丸姫は金塊で何を買って来たのかと聴いたのに対して藤太は池の底に沈んだことを告げたので、豊丸姫は「金は都ではたいへん貴重なものなのに非常に勿体ないことをしてくれましたね。」といたく嘆いた。
 藤太は「なんだ、そんなものなら、家の周りや炭焼き小屋のあたりには沢山ごろごろしているよ」と言って、早速見せてくれた。
 こうして、藤太は炭ばかりでなく金の商いにも精を出すようになり、息子に受け継がれたが、その息子が源義経と親しかった金売吉次である。
 以後、彼らの村は「宝沢」と称されるようになる。
◆写真 ①現在の薬師堂 ②薬師堂の裏にある庭園の池 ③明治末期の大火で焼失以前の薬師堂 ④薬師堂の西方にあった鴻池の跡(薬師町通りの六日町側)この池で遊ぶ水鳥に藤太は金塊をぶつけようとして失敗したと伝えられている。⇒写真をクリックにより画面拡大
 
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2人の山形城主の墓

2009-08-21 23:27:04 | 郷土史
 山形城主の最上氏は南北朝期の始祖斯波兼頼から江戸初期の改易まで12代とも13代とも継承されてきたが、累代の墓がまとめて並んでいる寺院は存在しない。
 せいぜい2人の城主の墓が並んでいる寺院が市内に2カ寺あるのみである。
 そのうちの一つが最上家を最も隆盛に導いた57万石の大大名、最上義光とその後継の最上家親の墓がある光禅寺であり、もう一つがこの写真の最上義春と最上義守の墓が並ぶ龍門寺である。
 その他の山形城主最上氏の墓は山形市の旧市内や郊外の農村部ばかりでなく尾花沢市など市外の寺院にまでという具合にばらばらである。
 つまりは南北朝期から江戸初期までは城主すら同一の寺院に葬られるべきという規則はなかったことを物語っている。
「家の信仰」というよりは「個人の信仰」という色彩が強かったことになる。
 この写真の二つの墓の被葬者は親子だから墓が並んでいるというわけでもない。
 向かって左の墓は最上義光の父の義守の墓であるが、右は5代ほど(6代という説もある)先の城主の義春の墓である。
 この義春の代から山形城主は名に「義」の字をかぶるようになる。
 足利将軍の名にある「義」の字の使用を室町幕府から許されたからとも言われている。
この二基の墓がある龍門寺は曹洞宗で、北山形駅の西の方向にある。
  ※ 写真が逆光のため画質が劣り蒙御免!
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夏草の古戦場よさらば!

2009-08-18 21:42:26 | 郷土史
 かつては置賜郡内だったこの羽前中山地区は戦後に上山市に編入されて以後に村山郡の一部となった。
 慶長出羽合戦の際に、この物寂しい駅のホームの向こうに望まれる物見山の上から上山盆地での最上勢の動きを探るために上杉軍が見渡していたものの、既に上山兵が主体の最上軍はここの裏側の山腹に潜んで、上山盆地に雪崩れ込もうとしていた上杉軍に果敢なゲリラ的攻撃を仕掛けて大きな損害を与え、その辺りで戦死した上杉軍の部隊長の本村造酒丞は山すそに葬られた。
 また、撤退して中山地区方面に逃げ込んだ上杉軍を追撃するために侵入した最上軍との中規模の会戦はこの駅の東南方向の広河原で繰り広げられ、山形城主最上義光の武将の草苅志摩守が戦死している。
 このあまりに物寂しい駅のホームの佇まいからは往古に近くで血みどろの殺し合いが繰り広げられたとは想像し難いが、時折激しい音響とともに通過するミニ新幹線や背後の国道を疾走する車列の轟音が無念の最後を遂げた武士たちの叫びにも聞こえる。

◆山形大花火大会の模様が下記ホームページで観られます。
 http://www.yamu.deko8.jp/09-08-15hanabi/09-08-15hanabi.html
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旧盆だ、首塚の前で鎮魂を

2009-08-13 23:53:42 | 郷土史
 今日13日が旧盆の盆の入り。
「盆の入り」に因んでの投稿というわけではないが、上山市最南端の小さな地に入ったのは先月のことで、中山地区全体が小盆地なのだが、その小盆地の中にまた小盆地のような所がある。
 盆地というからには、それなりの平地があり、昔、戦国の軍勢が駐屯するにはやはり適地といえたのかもしれない。
 現在ではのどかな農地になっているが、伊達や最上、蒲生、上杉の軍勢が駐屯したり、ほんのしばし進軍の歩を休んだこともあつたのかもしれない。
 すぐ近くには湖沼もあり、小川や地下水などの水の便もよく、それゆえ現在は豊かな農地になっているのであろう。
 だが、道路がやや暗がりにさしかかった所に「首塚」という名の慰霊碑があり、凄惨な悲劇が伝えられている場所でもあることを物語っている。
 ここは関ヶ原の戦いの最大の余波戦ともいうべき慶長出羽合戦の激戦地の近くであり、上杉軍と最上軍(上山城兵が主力)との戦いで多数の兵士たちが戦死し、その鎮魂のために後に建立されたのがこの首塚だという。
 勝利した上山軍により狩り集められた上杉兵たちの首は長谷堂城の周囲に並べられたために、それを見た直江兼続の上杉軍の将兵の士気はひどく低下したという。
 だから、この首塚には上杉兵の首が埋葬されているとは思えない。
 もし、文字通り首が埋葬されているとすれば、追撃のために上杉領内まで押し寄せた最上軍と迎撃した上杉軍との「広河原の戦い」で戦死して遺棄された最上兵の首ではなかろうか。
 ともかく、この慰霊碑(墓碑でもある)は両軍将兵の鎮魂のためのものであり、409年昔の惨劇を想起すると、霊よ安かれと祈らないではいられない。
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熱烈に希求したい「清純党」

2009-08-10 16:48:09 | Weblog
 今月末の総選挙に向けて各党は準備に大わらわであり、どの候補者も「清潔」をアピールしようとイメージ作りに苦心している。
 確かに国民は政治家にクリーンさ(清潔さ)を求めているから、各候補者がイメージだけでもそれに応えようとするのは当然であろう。
 このように政治家は「清潔」を求められるが、これに対して芸能人、とりわけ女性の芸能人には「清純」さが求められる場合が多いようだ。
 だから「清純派」アイドルならば、若者ばかりでなく大人や年配層にも好感を抱かれ、国民的人気の的になるのであろう。
 ところが、政治家については清潔どころか泥臭さがつきまとい、幻滅させられることが多いが、最近は芸能人についても「清純」イメージの女性タレントまで覚醒剤に汚染されているなど、同様に幻滅される場合が多くなったように思える。
 政治家たちにも裏切られ、芸能人たちにも裏切られ、次から次へと“神話”は打ち砕かれて国民のストレスは蓄積される一方である。
 清楚な感じの女性タレントも“魔”に巣食われていたわけだが、やはり一見“神聖”なイメージの国会議事堂も“伏魔殿”と呼ばれることが多い。
 総選挙で自民党が勝とうが民主党が勝とうが、ともかく国会を「清潔」でも良いし、また「清純」でも良いから、ともかく真に国民のためのものにしてほしい。
 さ~て、政界の「清潔回復」が早いか、それとものりピーの「清純回復」が早いか、競争してもらいたいものだ。
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「天地人」国際平和版

2009-08-07 23:39:36 | 郷土史
 今日、新潟県出身で高田高校卒業という方が山形を訪れた。
 新潟県の高田といえば、上杉謙信・景勝、そして今にときめく直江兼続らの越後時代の本拠地「春日山城」があった所である。
 サッカーJ1のアルビレックス新潟とモンテディオ山形の対戦は「天地人」ダービーと呼ばれているが、今日の越後人の来訪も「天地人」に関係した事柄なのだろうか。
 本番の「天地人」は血生臭さがただようが、今日来訪の越後人は「世界平和」構築の歴史、とりわけ、山形(山辺)出身で戦前のハーグの常設国際司法裁判所所長を務め、「世界の良心」とまで讃えられ、死去に際してオランダの国葬により送られた安達峰一郎の国際紛争解決の貢献について講演していただいた。
 この越後人の講師の方こそ現在の国際司法裁判所所長の小和田恒氏である。
 会場は大正ロマンの香りがただよう旧山形県議会議場(写真)であった。
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ヤッショーマガショー!栗キントン

2009-08-05 22:36:01 | Weblog
 大よく小を制し、小よく大を制す。どちらも大男と小男が並んだ写真である。
 前者は1945年のことで、後者はつい先ほどのニュースで感じたことであるから、まさしく2009年のことである。
 それにしても、よく似た写真がニュースの中で紹介されたものである。
 この写真の構図、なんだか確かどこかで見たことがあるような気がした。
 でも、最新のニュースだから絶対に以前に見ていることはない。
 しかし、この写真は64年前に日本で撮影された歴史的写真の再現のようなものであることは確かである。
 ただし、似てはいるけれど、内容はまるっきり正反対である。
 まさしく、勝ち誇った態度もしくは表情、そして緊張と畏み畏みの身なりの人物(いずれも最高権威者)が完全に入れ替わっている。
 アメリカは元大統領を北朝鮮に送り込んで、2人の囚われの米人女性を帰国させることに成功した。しかし、日本政府が「栗キントン」を手土産にしても拉致家族が帰国できることはありえない。まさしく、甘い、甘い。
ところが、元大統領氏はしっかりと「拉致問題の解決」を要望したという。だから、日本政府にとっては「棚からボタモチ」ならぬ「棚から栗キントン」のようなものとなった。
 折りしも山形では今日から3日間、ヤッショーマガショーの掛け声で華麗な踊りの花笠パレードが開かれている。むろん、日本には寝耳の水の米朝交渉と花笠は無関係である。たまたま時期が重なっただけのことである。
 しばらくぶりでくだらない駄洒落?になったが、読んでいただき、お疲れ様!
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