山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

母なる川の港町、大石田の街歩き ③

2008-09-30 17:56:28 | 建物
 豪雪対策の三階建て住宅が目立つものの、懐かしさが漂う街並みを期待して訪れたものにとっては何とも味気ない新設道路の向こうに鉄橋が見えてきた。
 大石田の町民にとってはまさに母なる川である最上川に架かる鉄橋である。
 この鉄橋の手前に最上川に沿った街路が南北に伸びているが、これがかつて川の船運の港町として大いに栄えた大石田の中心街路である。
 明治以降、車両利用の道路交通や鉄道の発達により、港町としての機能が減退し、かつての賑わいが次第に見られなくなったが、現在も以前の栄華を偲ばせる名家や豪商の建物や屋敷構えが通りの左右に見られる。

●写真説明 ①かつて銀行であった土蔵造りの建物 ②横から見るとかなり豪壮 ③すぐ脇で営業している銀行 和風を加味した外観が嬉しい ④土蔵利用の店舗の一つ

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母なる川の港町、大石田の街歩き ②

2008-09-29 20:26:56 | 建物
 大石田町の中心部、大石田は山形市からJR普通列車で約50分。
 新幹線も停車するが、大正ロマンの街並みが人気の銀山温泉(尾花沢市)に向かう観光客の出入りで賑わうが、大石田の街自体は現在はまことに静かそのもの。
 しばらく歩いて、やっと歩行者が1人という状態。
 商店もあることはあるが、はたして商店として成り立ちうるのか心配になる。
 でも、かつては最上川中流部の港町として大いに賑わった町である。
 今日の大石田では多くの所で“再開発”の“逆白波”が立ちあがっていた。
 とりわけ駅前付近は昔懐かしい街並みや建物は消え失せていた。
 だが、一つだけ“大石田らしさ”が新たに創造されていた。
 それは現代型住宅でありながら、豪雪地帯にふさわしく、1階は車庫や倉庫、そして2階が玄関や居間とする3階建てが多くなったことである。

●写真説明 ①右も左も3階建て住宅 でも色彩がまちまち ②不意に目に止まった古色蒼然たる洋館風建物 ③かつての大資産家の門であったとか・・・ ④このあたりもかつては樹林が続いていたが、新道開削で樹林がだいぶ少なくなった。

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母なる川の港町、大石田の街歩き ①

2008-09-28 21:57:08 | 建物

 最上川の中流のかつて港町としておおいに栄えた大石田の栄華の面影を尋ねて街歩きをグループで実施した。参加者の多くはJRを利用し、大石田駅前で合流した。
 今朝も冷え込み、しかもいつ降雨があるか不安な空模様だったが、おおむね天候に恵まれ、楽しい街歩きができた。

●写真説明 ①これ、サッカーのスタンド? でもヘンだ。実はこれが大石田駅。山形新幹線の発着駅 ②これも駅近くの新設大通りにわずかに残った懐かしい民家のたたずまい ③豪雪地仕様の大石田の現代住宅 居宅部分は2階以上 ④これまた豪雪地仕様の新型住宅 ⑤偶然、茶室風建造物を見つける  次回には伝統型建造物も・・・
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一転寒波 やはり睡眠欲と食欲が大事

2008-09-26 15:28:35 | Weblog
 後期高齢者のボクだが、厚生労働省にはなんらモノ申すことはない。
 ボク自身がこの家の内閣総理大臣で、つまりは最高実力者だ。
 我が家の厚生大臣の我輩に対する福祉は万全だから、心身ともに健康が維持され、ほとんどお医者の世話になることはない。つまり獣医泣かせだ。
 でも、9月に入ってもしばらくは真夏のような暑い日が続き、昼寝をするのに家の内外の涼しい場所を探すのに苦労をしたのだが、一転ここ数日は晩秋のような寒さとなり、厚生大臣はモモヒキをはきたいとぼやくほどだ。
 だから今度は夜はもちろん、昼寝をするのに暖かい場所を探し回る毎日になった。今日は(今日も?)幸い厚生大臣の寝床がそのままになっていたので、そこで寝ていたら、カメラを向けられた。
 安眠が破られたところで、おなかがすいていたことに気付き、早速昼食を要求する「おねだり猫」に変身した。
 でも食べても、すぐまた食事を要求したくなる。
 だから、厚生大臣から「早速食べことを忘れたのか? これでは末期高齢者だ。」と揶揄されてしまう。失言大臣は罷免だ!

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擬洋風建築で癒される

2008-09-24 21:22:11 | Weblog
 山形県は擬洋風建造物の宝庫。
 その頂点が山形市の旧済生館だとすれば、その裾野は県内各地に拡がっており、ここ天童市の旧東村山郡役所はその一つである。
 独立丘陵の舞鶴山の西麓の少し小高い所に建つこの建物は旧済生館や他の県内の擬洋風建築とは異なった独特の雰囲気を放っている。
 この建物のような建造物は下見板張りの外壁が基調の洋風だが、和風の意匠もふんだんに施されているので、擬洋風建造物と言われており、明治10年代に全国的に流行したが、やがて本格的洋風建築にとって変わられる。
 それでもこのタイプの建築は本格洋風以上に明治ロマンと個性が感じられ、不思議に癒された気分になってくる。
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ここはどこ? 雨天も悪くない

2008-09-23 23:31:07 | 風景
 つい先日、海外からの客(アジア人)を近くの観光地に案内した。
 あいにくの雨天だったが、ここの窓からの眺めは幻想的であった。
 故国でも、むろん東京でも見られない素敵な風景であると喜ばれた。
 さて、ここは何処でしょうか。

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舞妓が待つ城下町やまがた巡り

2008-09-20 15:38:07 | イベント

 「JR駅長オススメの小さな旅」の一環として山形の街歩きが行われた。
 上の写真は山形城二の丸東大手門  下は座敷蔵での昼食と山形舞妓

 山形駅に降り立った県外観光客を山形の市民グループが案内する企画である。
 山形駅の西口を出て山形城跡と旧城下町部分の中心市街地を歩き、土蔵を活かした食事処で山形舞妓の舞を観賞しながらの昼食。
 最後に大正ロマンの豪奢な建築、旧県庁舎(文翔館)を見てもらった。

※ 昨日までのシリーズ「炭焼藤太と金売吉次が通った道」はしばらく休止します。

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炭焼藤太・金売吉次が通った道 ⑧

2008-09-18 11:19:29 | 郷土史
 唐松観音堂を出た藤太たちは間もなく馬見ケ崎川の扇状地の扇央部に入る。
 今の大字釈迦堂あたりはまだ狭隘の地だが、大字妙見寺あたりから扇状地らしい地形となって視界が広くなる。
 だから、道も一本だけでなく、今の小白川町方面に至る道や阿古耶姫や中将姫伝説が秘められた千歳山と平清水の方面に至る道などが当時も在ったと考えられ、得意先の寒河江方面に向かうなら小白川経由となろうが、平清水方面も肥沃な農地が広がり、有力土豪や在地官人も居たであろうから、そちらに向かう時もあったと思われる。
 また、官道の重要施設である古代の物資集散と荷駄の中継がなされた「最上駅」は奥羽両国でも有数の規模であったが、小白川界隈にあったと目している学説もあるから、やはり藤太たちも小白川を通過すことが多かったのだろうか。
 それにしても、上の写真は昭和41年の馬見ケ崎扇状地だが、もしこのままの姿であったら、世界遺産にしてもおかしくない見事で典型的な扇状地であったといえる。(『まちと人と 小白川周辺の記録写真集』1990年刊より)

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炭焼藤太・金売吉次が通った道 ⑦

2008-09-16 21:44:54 | Weblog
 山形市の東郊外で随一の景勝地とも言えるのが唐松観音堂であろう。
 この観音堂は馬見ケ崎川中流部の清流のすぐ脇に建てられており、ちょうど蔵王北麓の宝沢方面からの道路と笹谷街道とが交差する地点に位置しているから、立寄るには至極便利な所である。
 この堂宇の本尊は炭焼藤太の妻の豊丸姫が京都から持参した金無垢の観音像と伝えられているが、姫は清水寺の観音に対する信仰が篤く、姫を尊敬する地元民が後世に姫の意を汲んで堂宇を清水寺を模して懸崖作りとしたと思われる。
 藤太や吉次たちは炭や金の商いで山形や寒河江方面にでかける際は必ずこの観音堂に立寄るか遥拝して通り過ぎたのであろう。

●写真説明「左」「中」が現在の観音堂 「右」が再建前の廃墟同然の姿
  
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“正統派”二つ  芋煮会と舞楽

2008-09-15 17:23:19 | イベント
 昨日は山形名物の芋煮会を楽しんだ。
 一応、自称“正統派”の流儀の味付けであったようで、やはり美味かった。
 最近は激辛カレーを入れたり、山形流の牛肉から離れてブタ肉を入れたり、“異端”や“邪道”のやり方が流行りだし、それを「嘆かわスい」と本気で嘆く正調芋煮会の達人も居るほどである。
 ましてや昨日は遠く県外からの客人をも加えての芋煮会だったから、なおのこと“正統派”の流儀でやる必要があった。
 でもでも、昔々を思い出せば、水も川の水をそのまま鍋に汲み入れ、焚き木も河川敷に残された流木の枝を利用していたのだから、これこそが真の“正統派”の芋煮道ではないかとも思われる。
 さて、話は変わるが、今日は全国各地の八幡神社で例祭が開かれていたはずである。紅花とお雛様で有名な河北町谷地の八幡神社では恒例の舞楽が演じられていたであろう。写真は何と30年以上前のものである。
 これこそ、伝統の古式の舞楽で、正統派そのものである。

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