山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

ここに上杉(直江)軍右翼部隊が集結

2009-07-31 23:07:56 | 郷土史

 JR中山駅を降りて西の丘陵地帯に向かい、眺望が良くなった所で「中山城跡」の表札が待ち構えてくれる。
 ここが慶長5年(1600)に米沢を拠点とした直江兼続が率いる上杉の軍勢と最上義光を総大将とする山形軍とが激突した「慶長出羽合戦」のうち上山城を攻略しようとした上杉軍右翼部隊の約4000人が集結した拠点である。
 以前は石垣なども見られたのだが、現在では深い樹林と鬱蒼と伸びた草に被われて足を踏み入れることなどほぼ無理な状態であった。
 現在こそ上山市に組み入れられているから「山形県村山地域」になっているが、昭和の大合併以前は「置賜地域」であり、歴史的に順に伊達氏、蒲生氏、上杉氏の支配領域であったが、この小盆地と中山城は置賜郡の最北部であり、山形方面を攻撃するにしても、また逆に山形側から置賜方面を攻撃するにしても必ず通過せねばならない軍事的要衝であった。
 ここに集結した上杉の軍勢はすぐさまに山形側の上山城を攻略しようと出陣したが、彼らがどのような運命に遭遇したかは次回以降で述べたい。
 ※7月16日の記事『誰が上杉軍が隠れた「かくれ石」を隠したか』を参照されたし
 ※写真をクリックにより画面拡大
 
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小さな都市の瀟洒な街並み

2009-07-30 21:03:53 | 建物

 上山市と聞けば多くの人は温泉旅館とサクランボ、ラフランス、ブドウなどの果物、そして今年はアカデミー賞受賞映画『おくりびと』のロケ家屋のことを想起するようだが、温泉街以外の箇所をそぞろ歩きするとそれら以外にもかなり楽しい景観にめぐり合うことが多い街である。
 ともかく上山市は他の山形県内の都市と異なり、坂道や曲がりくねっている道が多いことが一層街歩きを楽しくさせてくれる。
 でも、JR「かみのやま温泉」駅の近くになると平板な地形になるが、レトロな昭和を偲ばせる商店や街並みが観られるので、それらを紹介したい。
◆写真 ①と③洒落た洋風店舗 でも「空き店舗」の表示も見られるのが侘しい ②これこそ昔懐かしい民家風の店舗 ④正面に立ちはだかるのは巨大な墓石?否、東北一高層のマンションなり  ※写真をクリックにより画面拡大

 
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車(竜巻)が車を吹き飛ばした

2009-07-28 21:54:34 | Weblog
 大の気象庁は何に遠慮しているのか、山口・九州北部豪雨や館林の竜巻による大きな被害の要因を、梅雨前線や気圧配置の関係であるとかエルニーニョ現象によるものとかと語っており、むろんそれらも要因ではあろうが、何よりも地球温暖化の表れであると明確に語ることを避けているように思える。
 私は一昨日は所用で横浜に出かけたが、横浜は快晴であったのに対し、留守にした山形は激しい雨に見舞われたという。
 山口・九州北部豪雨は1週間前だが、同じ頃ヨーロッパでは異常乾燥による山火事が相次いでいるようだ。
 竜巻は館林だけでなく、岡山県美作市と山形県米沢市でも発生している。
 また、梅雨明けもしないまま日本列島の8月は概して低温気味になるらしいが、これは温暖化による水蒸気の異常発生が雲の層を厚く広範囲にしたことによるものである。
 これだけ日本と世界の各地で異常気象が多くなっているのは、やはり地球温暖化が加速しているからと言える(とは政府機関は言ってはいない)。
 その要因の最たるものは、レジ袋、それとも割り箸、またはテレビを見ない時にコンセントを抜かないことなのだろうか。
   この続きは、⇒ 姉妹ブログ『島国ニッポンの山国から』
http://blog.goo.ne.jp/ezoben-k/d/20090728
 ※ 写真はNHKニュースより(竜巻と横転した車)
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うらやまスい、この豊かな自然

2009-07-27 16:19:33 | 風景
 猛暑のなか戸外を歩いていたら「タヌキに注意」の看板が目の前に掲げられていた。それも間を置いて複数枚であった。
 ここは一応の幹線道路沿いで、路線バスが頻繁に走行していた。
 猛暑にして快晴なのに、荷物を抱えて歩いていてもさほどの暑さは感じない。
 それは駅前からすぐに高く生い茂った並木道がしばらく続き、たっぷりの木陰の歩道ならば直射日光を受けることもなく、おまけにさわやかな緑風が吹いてわずかに吹き出た汗もすぐ乾く状態であったからである。
 この並木道が途絶えた先は道路の両側は鬱蒼とした樹林で覆われた丘陵が押し迫り、とりわけ左側は密林のような深い森が続き、いかにも色んな野生動物が出没しそうで、「タヌキに注意」の看板が現れるのも当然の気がした。
 さ~て、こんな自然豊かな所とはいったいどごなんだべ。
 山形市の市街地さ、タヌギが出っどごなて、あるわげないべす、郊外の山際には歩道がついでる幹線道路が走っているどごなてないべす、よっぽどザイゴ(田舎)でないどタヌギなの出るわげないべす、ええと、ええと・・・???

 回答は・・・・・「AMAHOKOY」でした。
           ↑ ただし、後の方から読んでくだされたし。
 写真の画質がよくないのは携帯電話機のため 7月26日撮影

 
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1600年と2009年の大工事

2009-07-25 23:51:40 | 郷土史
 現在ここでは道路工事が急ピッチで進められている。
 ここの東の方にも国道が走っているが、この道路の完成後はここが国道となるのであろうか。
 この工事現場のすぐ西側の丘陵地帯でも今を去ること409年前にある工事が行われていたと考えられる。
 なぜならその丘陵地帯は直江兼続の武将の居城の「中山城」があった箇所であり、慶長出羽合戦の際に上山攻略の拠点として多くの将兵が終結するために、また万一山形の最上軍からの攻撃や反撃があった場合の前線にもなりうるため、城郭の補強工事が不可欠であったからである。
 左手前方の山並みの向こう側は最上領であり、上山城主が防備を固めていた。
 その山並みの高い部分が「物見山」であり、上杉軍がそこから上山盆地を見渡し、最上勢の動きを捉えようとしていた。
 また、先日このブログで紹介した「かくれ石」は物見山の左の麓にある。
 つまり、ここは当時は上杉領であり、置賜郡内であった。
 えっ? ここは現在上山市内だから村山地方になるのではないか。
 でもこの「中山地区」は戦後の町村合併により、置賜郡から分離して上山市に編入されたのである。
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7777突破  アカデミー賞に輝く家屋

2009-07-24 14:51:38 | 建物

 街なかの小さな川べりに並ぶごく平凡な家屋群。
 でも、この中の一軒は山形県内陸部で最も有名な家屋になってしまった。
 家屋とは言っても現在は誰も住んではいない。
 住んではいないが、留守番の人はいるようだ。
 今や、この建物は“開館”以来多くの観光客が押し寄せ、内覧者だけで先日7777人を突破し、丁度この人数に達した新潟県からの来館者に記念品が贈られた。
“開館”というからには当然一般の家屋や店舗であるわけがなく、既に公共的公開施設となっていることを意味している。
 さ~て、こごはどごさある何て言うたでもので、なしてほだいに有名になったんだべ?(ここはどこにある何と言う建物で、どうしてそんなに有名になったんだろうか?)
今回は勿体ぶらないで、即座に解答しよう。
 それは上山市の前川河畔に建つ、コンチェルト館と申して、アカデミー賞に輝いた映画『おくりびと』の主人公大悟の実家としてロケで使われた建物である。
向かって一番右側がその建物であり、ごく平凡に見える外観だが、表側はかなり個性的にしてハイカラな外観である。[写真をクリックすれば建物の表側が見られる。]
 入館者の7777人というのは、7月7日あたりに来館者がその数に達しそうだと予想され、しかも「ラッキーセブン」の「7」の数字が四つ並ぶという御目出度い数字であることから、祝福しようとなったようである。
 詳しくは、下記URLをクリックされたし。
 http://concerto.n-da.jp/e94793.html 
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ワガハイは「怪奇日食」である

2009-07-22 21:18:31 | Weblog
 今日の日本列島は「皆既日食」で涌き返っていた感がある。
 でも、日本国内では悪天候や曇り空のためにダイアモンドリングが観測できた所はほとんどなかったようである。

 ここで、たまにおふざけ気分の投稿を披露したい。
 8月にはこれまた山形県内が主要なロケ地の「山形スクリーム」という喜劇風のホラー(怪奇)映画が封切られる。
 スクリームとは「叫び」という意味で、怪奇現象に遭遇して絶叫する女子高生たちのことを描いている映画らしい。
 やはり日本では昔から怪談は真夏にやるものと相場が決まっており、怪奇映画も真夏の上映が多い。
 たぶん、今年の夏も浴衣姿でアイスクリームを頬張りながら、こっわ~い怪談を聴いてキャーとスクリームする女の子たちの光景もあちこちで見られることになろう。
 西日本ではとうに梅雨が明けたはずなのに豪雨とか土石流とかに見舞われているようで、皆既日食の「聖地」となるはずの悪石島までひどい悪天候であった。
 とにかく全地球的に水蒸気の発生量は多いようで、7月も下旬になれば山形名物の猛暑が訪れるはずなのに、予報では月末まで低気温だそうである。
 やはり温暖化現象は本格的のようだが、「二酸化炭素大量排出促進インフラ」とも言うべき高速道路の無料化を「公約」に掲げている政党の躍進が予想され、気候の変動ぶりはただ単に「怪奇」だけでは済まされなくなりそうである。
 ああ、結局硬い内容になってしまった。ゴメン!!
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永く残したい都心の私宅の緑(続)

2009-07-21 22:34:15 | 街づくり
 急激に様相が変わる中心市街地の中にこんなに古典的な和風の空間があったとは山形市民の多くが、それどころか近隣住民でも知らないでいた。
 それがどうやら保存されることになったらしいので嬉しいことである。
 そのために学生グループが7月の休日に母屋の広縁と土蔵にてオープンカフェを開いているので、一度その屋敷内を訪れてみていただきたい。
 7月いっぱいということは、あと25日と26日の土曜、日曜の2日間しかないということになる。入館も飲み物も無料である。
 しばしの時間を「和」の雰囲気と学生たちのささやかな“演出”を楽しんでみたらいかがであろうか。
 そんなに勧めるのなら、場所を教えてほしい?
ヒントは、この緑の空間の向こうは道路一つを隔てて各種の公的証明の発給や諸届出の受理を行うビルが建っている所である。
◆写真は「上左」座敷蔵の入口 「上右」座敷蔵の控えの間の燈火ー学生の演出 「下左」広縁で緑に対面する女性 「下右」左手の土蔵にテルテル坊主が
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永く残したい都心の私宅の緑

2009-07-18 13:56:42 | 街づくり
 広縁に座して庭の緑と対面する若い女性。
 でも彼女はこの屋敷の娘さんではない。
 この日は彼女以外にも多くの市民がこの屋敷を訪れていた。
 この屋敷にはこの母屋の他に堅固な土蔵もあり、その土蔵の中はむろん、緑豊かな広い庭のために屋外も真夏が近いのに涼感たっぷりである。
 ところがここは郊外にあるわけではなく、中心市街地の中の中心部である。
 でも、この広縁に佇んでいるとここが都心部であることを忘れてしまう。
 最近は中心市街地から緑が急速に失われているが、多くは高齢者が住んでいた個人宅であり、彼らがどこかに転居したり死去したりして空き家になると多くが更地になったうえに駐車場になったりする。
 古い建物はむろんのこと、草木一本たりとも残されることはない。
 選挙が近づけば、政治家たちは「緑豊かな地域づくり」を訴えるが、現行の税制のあり方がそのままでは都心部の私宅の緑が守られることはありえない。
 幸い、この屋敷の樹木は多くの若者たちの活動や市民たちの支援、そして行政のはからいで建物とともに保存の見通である。
 ただし、この屋敷だけを例外としてはならないであろう。

●姉妹ブログ「島国ニッポンの山国から」(←クリック)を閲覧ください。
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誰が上杉軍が隠れた「かくれ石」を隠したか

2009-07-16 22:57:19 | 郷土史
 ああ、また一つ歴史が隠されようとしているのか。
 この右の写真は「掛入石」または「かくれ石」と呼ばれ、この岩のような巨石が最上領と置賜郡の境界とされ、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの最大の余波戦である出羽合戦がこの巨石の周辺でも戦われた。
 巨石の右側に供養塔のような物が並んでいるが、様式からして明らかにここまでが上杉領であったことを示している。戦死者の墓石か供養塔なのであろうか。
 ここを越境しようとする者がこの岩の所に掛け入ったからとも、また最上軍の攻撃に備えて上杉軍の兵士たちが隠れたとも伝えられていることから、これらの名で呼ばれることになったのであろう。
 この岩の周辺は両軍の将兵たちにとってはまさに命懸けの場所であったに違いない。
 だが、現代でもここは同じく「命懸け」の場所である。
 この巨石のすぐ脇には国道13号が走っており、クルマがひっきりなしに疾走しているし、この巨石の所で大きくカーブしているから見通しも悪い。むろん、歩行者が横断することはまさしく命懸けである。
 だから、危険緩和のための「道路改良」工事が進行中なのであろう。(ただしクルマ相互での危険解消であり、むろん横断歩道なんぞ新設されそうもない。)
 この工事の以前は少々危険ではあるが自転車や徒歩でも通ることができたから、間近にこの巨石を見ることができたが、この工事のために巨石側の歩道(路側帯?)は寸断され、危険を冒して反対側に設けられた歩道に渡ってそこから眺めようとしたが、高架になったために巨石の上部しか見られなかった。
 工事が完成して反対側にも歩道が設けられたとしても「かくれ石」を見下ろすことになるが、この歩道を利用する歩行者も自転車もほとんどないし、わざわざクルマから降りて眺めるドライバーもまずは居ないであろうから、この歴史的な記念物もほとんど視界から消え失せるも同然ということになる。
 今や世を挙げて「天地人」ブームなのに、一方で「歴史無視」の事業が進められており、出羽合戦で命を失った両軍の将兵の霊魂はますます浮かばれないことになろう。
それにしても、渋滞解消のためと称して巨費を投じた工事を行うよりも「クルマ通行の制限」を断行することの方がよほど地球温暖化抑制策になるのではないか。
◆ 右側の写真は工事以前に撮影されたもの(関連HPより)
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