山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

スカイモンスターの競演とスカイ吊リー

2012-08-28 02:01:33 | 風景
 
 積乱雲と聞けば最近では頻発する殺人的落雷やゲリラ豪雨、そして竜巻などの恐ろしい気象を想起するようになった。
 恐ろしい気象と言うと、どうしても地球温暖化に伴う気候大変動のことを連想してしまうが、今日はそんな深刻な話題をあえて避けることにしたい。
 積乱雲を入道雲と言い直すと「夏の風物詩」的な情景として親しみを感じる。
 さて、「入道」と聞かされてもそれを「僧侶」であると言い当てる若者は現代では多くはなさそうである。
 僧侶は僧侶でも、むろん仏教の坊さんのことであるが、文字通り解釈すれば「仏道に入った人間」ということになる。
 しかし、僧侶とはいっても体格の優れた僧侶もあれば、さほど体格には恵まれていない僧侶もあろう。
 それでは「入道雲」の入道はそのどちらかと言えば当然筋骨隆々たる並外れた体格の僧侶である。しかも怪力の持ち主であり、その怪力の腕試しをやりたくて、うずうずしている若い僧侶である。
 だから修行や勤行の妨げをする邪神が侵入するならば、怒り狂って退治しようとするであろう。
 入道雲はその様子を連想させる。
 だが、なんとはなしにユーモラスな感じがしてならない。
 いわば「ユーモラスなモンスター」である。
 ところで、入道雲は蔵王の樹氷と酷似してはいないだろうか。
 そういえば、蔵王の樹氷は別名を英語風に「スノーモンスター」と呼ばれている。
 ならば、入道雲を「スカイモンスター」と言い換えても決して不当ではない。

 さて、東の空にもスカイモンスターたちが筋骨を膨らませていた。
 そして、高層マンションの建築現場では巨大なクレーンが鉄骨を運んでいた(すぐ上の写真)。
 まさにスカイツリー(吊リー)である。
 そして、この下にも西の空で拳(こぶし)を振り上げようとしていたスカイモンスターの写真を掲げよう。
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政治家よ、お役人よ、感動をありがとう!

2012-08-21 04:28:59 | 時評
 昨日は東京銀座でロンドン五輪でのメダリストのパレードがあり、ニュースでは見物に集まった観衆の「感動をありがとう」の言葉が多かった。
 あるコラムニストはこれを「メダリストに対する神格化」と評していた。
 なるほど、メダリストたちには染髪により頭がピカピカで仏像の頭の周囲のように放射状の光の環ができている者が多い。
 むろん、彼ら彼女らは全員がスポーツマン・スポーツウーマンである。
 もし、このパレードの主役が政治家たち・官僚たちだったらどうであろうか。
 彼らに対して熱狂的に「感動をありがとう!」の声が投げかけられるであろうか。
 むろん、そんなことはありえない。
 むしろ浴びせられるのは罵声だけであろう。
 でも、わざわざそのために銀座に集まる人はほとんどいないであろう。

 ところで、政治家や官僚も多くは偉丈夫で頑健な者が多い。
 頑健だからこそ政治家や官僚(特に高級官僚)になれたと言える。
 だから、ほとんどがメダリストと同じようにスポーツが得意な人士であり、どちらかと言えば文化系というよりは「体育会系」が圧倒的に多いと言える。
 私が知っている地方公務員にも国体など国家レベルの競技会に出場の経験者はかなり存在する。 つまり五輪メダリストと政治家等とは基底は同じなのだ。
 ところが、国民や地方住民が期待するような仕事をなかなかやってくれない。
 彼らの「重要課題」に取り組む姿勢にはまったくスポーツマンにふさわしい「ねばり」がまったく感じられない。
 それらの課題もなかなか達成しないままに2~3年で別の部署に異動してしまう。
 どうせ、オレは2~3年で配置転換になるとか定年退職だから死ぬ思いで取り組まずとも給料はもらえるし、退職後の生活も安泰だということのようである。
 つまりは五輪メダリストとは異なる単なる「スポーツマン崩れ」でしかないのか。
 だから、五輪メダリストたちには是非政治家や公務員になってもらおう。
 彼ら特有の「ねばり」と「克己心」で国政や地方の重要課題や諸案件の解決に取り組んでもらいたいものである。

 謂わば「神格化」され「聖人君子」のように崇められる彼らの真骨頂は政治家や公務員になってこそ発揮されるのではないか。※写真は関連HPより
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これぞ豪商の館(やかた)

2012-08-13 02:39:29 | 建物



 直接山形とは無関係の記事が続いた。
 今度こそ山形関係の記事となる。ただし、山形市内ではなく、山形県内である。
 これは3回前の記事の続きだから、長井市の歴史的建物である。
 3回前の記事で紹介した旧西置賜郡庁舎「小桜館」の北隣にある「丸大扇屋」という300年前前から呉服など販売の商家だった屋敷の建物で、こんな雪深い片田舎の町で、しかも自動車交通はもちろん鉄道もなかった時代に外部との交易により財をなし栄えた商家があったことに驚きを覚える。
 江戸後期の天保から大正初期までの建物が甍を並べ、近くの洋館の小桜館とともに和風の歴史建造物の風雅さを楽しむことができる。
 県の指定文化財である。
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「金メダル」に輝く染髪剤メーカー

2012-08-10 18:46:35 | 時評
見出しの写真と「染髪剤メーカー」との関係はこれ如何に?

 まあ、花としての「なでしこ」を見たこともなく、「大和なでしこ」の意味も知らないと思われる茶髪揃いの「なでしこ」たちがアメリカに敗れ、銀メダルとなった。
 今のところは女子レスリングを含め金メダルは5個で、まださほど多いとは言えない。
 でも、染髪剤メーカーは確実に「金メダル」に輝いていると言える。
 男女のサッカーに限らず各種競技の選手たちは「日本代表」でありながら、なんとも茶髪や金髪が多いことに違和感を覚えた者も少なくないはずである。
 なんでこうも日本人の間で染髪が激増したかと言えば、太平洋戦争後に日本を占領したアメリカは「日本人軟化」「骨抜き」政策に力を注ぎ、3S政策(スポーツ、スクリーン、セックス)が有名(スピード、シュガーに置き換わることもある)で、背後に「ユダヤ人陰謀説」があるとも言われたり、「共産主義者の陰謀」と言う説さえあるが、そんな小難しい説を挙げるまでもなく、もっとも単純にはそれはやはり染髪剤業界の“功績”が大きいからと言うしかない。
 今や、各家庭の茶の間の中心を為すカラーテレビもワイドな大型液晶画面が主流となり、その大型画面に連日のようにメダル有力選手たちの茶髪(中には金髪に近い頭髪も)揃いの姿が映し出される。その彼ら彼女らが世界的ヒーローとなっているのだから、染髪剤業界は鼻高々であろう。
 これ以上の宣伝効果はない。
 現在ではスクリーンに代わってテレビの大型液晶画面になっているが、その大型液晶画面に一億の日本人が釘付けになっているのもオリンピック競技という名の「スポーツ」が映し出されているからである。
 そして3Sの中の「セックス」であるが、ほとんどの競技にも女子が進出し、いわば「超セックス」化している。
 以前はサッカーや重量挙げなんぞに女子が参入することなど考えられなかったが、今や彼女らの“活躍”に日本中が沸きかえっている。
 そんな中、韓国の李明博大統領竹島に上陸したというニュースが飛び込んだ。
 でも、日本政府は在日韓国大使館や在韓日本大使館を遠しての「抗議」以上のことしかできないでいる。
 やはり確かに3S政策は効き目が現れてきたと言える。
 スポーツ栄えて国滅ぶ。
 その象徴が有名アスリートたちの茶髪なのかもしれない。

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五輪選手には「感動」、政治家には「非感動」

2012-08-08 00:45:33 | 時評
 ああ、マスコミには「感動」「感動!」の言葉が乱舞。
日本人とは思われない茶髪・金髪の選手たちが画面いっぱいに現れても「日本を代表する者としてふさわしくない」というようなクレームはまったくなしに、やはり「感動」「感動!」のオンパレードである。
 これまた「大政翼賛」ならぬ「大勢翼賛」の報道姿勢ではないか。
 むろん、オリンピック報道でのことであるが、オリンピック終了後はこの「感動」という言葉はまったく聴かれなくなるのか。
 とりわけ日本の政治報道においては「感動」の言葉が聞かれることはまったく無い。
 それならば、オリンピックのメダリスト経験の皆さん全員に「政治への転向」を願うしかないようだ。
 そうしたら、ひたむきな目標への邁進努力と闘志、ねばりにより日本の政治は劇的に良き方向に向かうことを期待できそうだが、・・・しかし、メダリストで政治家に転向した人士は皆無ではない。
 その後、日本の政治は良き方向に変わったのか? 日本がかかえる諸問題は改善の方向に向かったと言えるのか?

 ああ、政治家たち、官僚たち(地方公務員を含む)はオリンピックの過剰報道は大歓迎であろう。
 願わくは、オリンピックは毎年でも年間を通して開催してもらいたいところであろう。そうならば「感動」に酔いしれる国民は批判や非難の矛先を自分たちに向けることはない。
 
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明治と平成によみがえった平安武士の小桜城

2012-08-04 11:09:28 | 建物
 ここは長井市のやや中心部。
 明治11年に建造された郡役所の建物であったが、現在は市民の会合や音楽練習、展示会などに使用されている。
 この地は平安時代後期の土豪武士の居城があった所で、戦国時代末期には名高い伊達政宗の幼少期の時から仕えた重臣中の重臣、片倉小十郎の居城であったこともあるという。
 そしてこの城は「小桜城」と呼ばれていたらしい。
 伊達政宗が米沢を離れ、陸奥の岩出山、そして仙台に移ってからは廃城になってすっかり荒廃したが、明治維新に至り、西置賜郡の行政の中心として洋風建造物として甦った。
 その後、使われ方には幾多の変遷があったが、平成8年に長井市の指定文化財になってから、恒久保存が検討され、一昨年に一部補修と壁面等の化粧直しが施され、近くの旧呉服商家及び長沼孝三彫塑館とともに「文教の杜」を形成し、長井市民の文化活動や観光の拠点となっている。
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