山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

「格調ある日本の、そして山形の歴史的建造物、歴史的町並み、豊かな自然景観を守るのが第一の党」結党

2012-11-26 23:57:14 | Weblog

 前回に引き続きタイトルを「ああ、美しき最上川」の「パート2」とでもしたいところだが、国政の方が風雲急を告げて衆議院が解散となり、新党が続々結成されたかと思えば、合併も相次ぐなど目まぐるしい。
 小沢氏が代表の集団が「国民の生活が第一」を党名と発表された時は何と長たらしい名称だと思ったものだが、衆議院の解散後には「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」という新党が結成され、党名の長たらしいことでは間違いなく「第一党」に躍り出た。
 だが、14ほどの新旧大小の政党が乱立するものの、どれも決定的に魅力がある政党は見当たらないので、できることなら自分の手で新党を結成したくなった。
 それで、党名はどうせのことなら誰にも正確に覚えられないほどの長い名称の政党にしようと考え、みだしのタイトルに掲げたような名称にしてみた。
 まさに「ジュゲムジュゲム・・・」氏の政治団体版である。
 むろん、この“新党”は当ブログの内容とねらいに沿った党名である。
 でも、ブログ主はむろん国政進出は毛頭考えていないし、たぶん“党員”はブログ主一人であろう。
 だが、当ブログを読んで少しでも喜んでくれる人の“入党”は大歓迎である。
 ただし、党費もなければ党規約もない。
 党首の存在も必要としないし、党役員を置く考えもない。
 だから、集会もなければ、役員会議も必要がない。
 ただし、できたら当ブログをできるだけ愛顧してほしい。

 タイトル写真は三月に訪れた長野県の海野宿の歴史的街並み

 ↑ 山形県大江町左沢の豪商屋敷  この度このあたり一帯が「重要文化的景観」として文部科学大臣に答申された

 ↑ 山形県朝日町を南北に貫く最上川と左岸の景観
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ああ美しきかな最上川

2012-11-20 20:38:41 | 風景

 しばらくぶりに朝日町訪問記事となった。
 もう一か月以上のことになるので、最上川沿岸の自然景観はすっかり晩秋または初秋の色合いになっていることであろう。
 それでも何とか訪れた時の美しい景色の感動を他の人にも伝えたいので、月遅れながら紹介したい。
 まず見出し写真であるが、橋の上から対岸西側を望んだ景色である。
 丘陵の中腹部には朝日町指定文化財になっている二つの建物が望まれる。
 一つが旧三中分校であり、もう一つが若宮寺の鐘楼である。
 むろん、そちら側からの眺めも絶景である。
 次の二つの写真は橋から望まれる北の方向と南の方向の最上川である。



 そして最後は渡り終えた橋を西側から見つめた写真である。
 つまり、橋の向こうは朝日町の中心地である宮宿である。
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トレンディな二つ

2012-11-17 20:39:07 | Weblog

 朝日町の見所紹介のシリーズを続けているところだが、前回も、そして今回も中断することになった。
 というのも、今日の新聞記事で朝日町の北隣の大江町の左沢が「重要文化的景観」のゾーンとして文部科学大臣に答申したことが報じられていたからであり、また、山形市内の紅葉の名勝、その名も文字通りの「もみじ公園」を訪ねた際に紅葉が鮮やかさを増していたので、それを賞味期限が切れないうちに紹介したくなったからである。
 上が大江町左沢(あてらざわ)の豪商屋敷であり(撮影は2006年3月だが、現在も景観はほとんど変わっていない)、下が昨日の旧宝幢寺庭園(もみじ公園)の紅葉である。
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かたや上山市、こなた山形市

2012-11-15 21:58:32 | 街づくり

 こちらは(↑)のどかな田園風景。
しかも、この田畑のすぐそばにはイザベラ・バードが通った明治11年竣工の石造りの二連アーチの橋があり、また慶長出羽合戦の際の最上軍と上杉軍が刃を交わした古戦場も間近な歴史的スポットでもある。
 そして、もう一方(↓)は荒涼とした砕石場の光景。
 前者は上山市の市域内で、後者は山形市の市域内。
 両者はきわめて対照的な景観ながら、現在はきわめて共通する環境下にさらされている。
 それは双方とも新しい清掃工場敷地の有力な候補またはその至近の位置だということであり、また近隣住民には強力に反対している人たちが存在するということでも共通している。
 さて、どちらが敷地としてふさわしいのか、それとも双方ともふさわしくないのか。
 ともかく敷地決定は間近なようであり、ここに紹介したところである。
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最上川への道下り

2012-11-13 06:28:59 | 旅行、小旅行
 
 柿食えば腹下るなり最上川

 もちろんこれは「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」をもじったものだが、食事しながらの方にはきわめて失礼になることは必至。
 また、最上川は「舟下り」の名所でもあるから、「腹下り」では色気も何もあったものではなくなり、最上川にも失礼。
 それはともかく、朝日町宮宿は最上川中流の河岸に発達した街。
 でも、川岸と街の中心部ではかなりの高低差があるから、街から川岸まで至るにはかなりの勾配の道を下る必要があり、見出し写真の通りである。しかもこれは川岸というよりは橋が架けられている箇所まででしかない。
 だからクルマ社会の到来以前は川岸から街まで荷物を運ぶには急勾配の道をかなりの労力が必要であったと思われる。それゆえ宮宿が舟運で発達した街とは思いにくい。
 さて、これからも何回か朝日町の最上川左岸(西側)の無名の風景を紹介したい。
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淋しい街を歩いたら・・・(3) 内陸女性の新名所

2012-11-07 09:09:27 | 街づくり
 前回記事の洋館の手前(東)に江戸時代末期に建てられたという土蔵造りの観光施設がある。
 むろん江戸時代から観光施設であったわけではない。
 だから、かなり古い建物ながら、見た目にはすっかり真新しい建物に見える。
 写真では向かって右側(前方)が観光案内施設で、手前の左側がレストランである。
 ここでは地元の女性たちが懸命に郷土食豊かなメニューを提供しているから、昼食のため訪れた時には既にほぼ満席状態で、街路の静けさと閑散ぶりからは想像できない賑わいであった。
 むろん、客の多くは女性たち。若い女性たちはむろん「ご婦人」の名がふさわしい方がたの姿も多かった。
 観光案内所の方に聴いてみたら、地元朝日町の人だけでなく山形県内陸全般からの人たちが多いという。特に白鷹丘陵を隔てた県都山形市からわざわざここを訪れるご婦人たちが少なくないという。
 地元の人々のちょっとしたアイディアと女性パワーがかくも「町おこし」に貢献している好例と言えよう。
 むろん、「食」だけでなく、歴史・文化のスポットにも訪れてほしいものである。

 なお、ここ「ココロ館」では坂道の多い朝日町に適した電動アシスト付きのレンタサイクルの貸出も行っている。
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淋しい街を歩いたら・・・(2) これぞ街の第一級の「お宝」

2012-11-03 09:03:49 | 建物

 いよいよ朝日町宮宿の中心部。
 確かそろそろ古い郵便局の建物が現れるはずだが、町の観光パンフレットにも表記されていないのだから、もしかしたら既に解体されているのかなと思って心配しながら、歩いていたら、ついに目の前に現れてくれた。
 とにかく今よりずうっと貧しい時代なのに昔の郵便局にはきわめて個性的な建物が多かったように思える。
 この建物もその一つで、しかも山形県内でも最も交通の便に恵まれない「袋小路の奥」のような位置にある自治体である。
 つまり西村山郡朝日町には以前から鉄道も主要国道も走っていないから経済的ハンディが大きいはずなのだが、それでもこのようにハイカラな建物を戦前に建てている。
 それこそハンディをモノともしないで自力をつけようとしていた心意気が感じられる。
 でも、この建物は現在は郵便局として使われないで、学習塾に転用されているようだ。
 しかし、やはり宮宿の第一級のシンボル的建造物であることには変わりがない。
 現在こそ「私的」に使われているが、好むと好まないにかかわらず「シンボル的建造物」である限り「公共的性格」を有している。
 朝日町役場と観光協会の皆さん、もっとこの建物に光を当ててくだされたし。

 この建物の前の通りを西に進めば最上川の鉄橋にさしかかる。
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