山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

師走の酒田街歩き(4)

2010-12-31 09:20:04 | 旅行、小旅行
 酒田を訪れたのは12月上旬。
 でも、このブログで紹介するのも師走のどんづまり。ついに大晦日だ。
 これでは「師走の酒田街歩き」も「新春街歩き」になりそうだ。
 たったの3時間と少しだけの酒田街歩きだったが、訪れた所はまだまだあって、残りのスポットの写真での紹介は「新年のお年玉」ということにしよう。
 えっ! そんな程度の「お年玉」?
 近年のガキどもは五十円硬貨や百円硬貨などは「要らない」、「落とし札」ならいくらでも貰いたいというほどだから、ウェブ上での写真程度では一円や五円の硬貨くらいにしか思われないかもしれない。
 ともかく、今日は大晦日である。
 我々は新年に向けて「送られ」ようとしている。
 そこで登場したのがアカデミー賞映画おくりびとの主たるロケ地となった旧料亭の洋館棟である。
 えっ! 縁起でもない、などと言うなかれ。
 この建物はまさしくよみがえりの館(やかた)であり、今や酒田観光の目玉の一つとまでなっている。
 数年前に酒田を訪れた時は誰にも顧みられないあまりにも物淋しい印象(写真左)で、まもなく解体される運命なのかなと心配していたが、映画のスクリーンに現れてびっくり。「まだご存命でしたか!」と心の中で叫んだのであった。
 アカデミー賞を受賞して「おくりびと」ブームに沸いたのは2009年2月の受賞から約一年程度。だから今頃はかなり下火になっていたかと思っていた。
 でも、先日訪れた時もひっきりなしに観光客が訪れていた(写真右)。
 むろん、外観自体はさほど変わっていない。
 大きく変わったのは内部も公開されていることである。
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師走の酒田街歩き(3)

2010-12-30 23:24:43 | 旅行、小旅行

    ↑ クリックにより画面拡大します

 酒田は歴史的に商業都市であり港町であるが、寺社の多い街でもある。
 それゆえにまた、料亭文化も栄えた街であり、今なお伝統は受け継がれている。
 
 ◆写真説明・A:外国の盛り場に来たように思える建物だが、有名料亭と日枝神社の参道沿いでもある。・B:相馬楼の土蔵・C:相馬楼の正面。さきほどのアメリカ風建物の色と似ているのは何故?・D:酒田舞子が現れそうな脇小路・E:これも歴史ある料亭・F:日枝神社の入口・G:日枝神社のある丘の上に立つ光丘文庫・H:文庫のすぐ脇にある中国風あずまや・I:日枝神社の丘から眺める酒田市街
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師走の酒田街歩き(2)

2010-12-29 08:48:44 | 旅行、小旅行

 昨日の三重塔のある寺院(海晏寺)の一帯は寺院ゾーンである。
 酒田でもこの寺院が集中する地帯を「寺町」と通称しているようだ。
 酒田は藩政時代は既に城下町ではなくなっているが、「日本一の大地主」と言われる本間家を中心に豪農・豪商が実質的支配権を担っていた豊かな平民の都市であった。
 それゆえ彼ら平民の富裕層の財力をもとに豪壮な寺院が多く建ち並ぶようになった。
 以下にそれらの寺院の写真の説明を記す。
◆写真説明・A:正徳寺の参道・B:正徳寺の山門・C:海晏寺(三重塔のある寺院)の参道・D:海晏寺境内の二棟の寺院施設・E:海晏寺本堂F・海晏寺境内の石地蔵群・G:龍厳寺山門・H:浄徳寺本堂・I:浄福寺門前

 そして今日は下にもう4枚の寺院の写真[上下の写真ともにクリックにより画面拡大
 ◆下の写真の説明 ・J:浄福寺の山門(酒田市文化財)・K:浄福寺の本堂・L:安祥寺本堂・M:同じく安祥寺本堂  浄福寺、安祥寺ともに堂々たる本堂である
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師走の酒田街歩き(1)

2010-12-28 21:23:24 | 旅行、小旅行
 昔は最上川の船運と日本海沿岸の有数の港町として栄えた酒田市はごく近年は映画『おくりびと』の舞台と主要なロケ地で有名になり、観光客が多く訪れるようになった。
 でも、「おくりびと」フィーバーも今年あたりはだいぶ下火になったと聞く。
 以前に酒田を訪れたのはもう6年以上も前になり、その後酒田の町はどう変わったのか無性に酒田を再度訪れてみたくなった次第である。
 交通手段は山形からJR鉄道であり、新庄までも少数の乗客であったが、新庄から酒田まで直通の列車(陸羽西線と羽越線)は貸切同然であった。
 しかも後者の車両の窓は泥だらけで、窓の外の初秋の景色を楽しむどころでなかった。
“鉄道ファン”は決して少なくないはずであるが、このローカル線の乗客の少なさは一体どういうわけなのかと考えさせられた。
 酒田駅前に降りたら、その淋しさはかなりのもので、とてもこれがかつて港町として栄え、観光地でもある酒田なのかと鳥肌が立つ思いにかられた。
 このことについては下記の姉妹ブログでも論じているので、閲覧ねがいたい。
http://blog.goo.ne.jp/ezoben-k/d/20101227 ←クリック 
酒田駅前で私を出迎えてくれたのは「おくりびと」ロケ地めぐりの案内板であった(写真「左」)。「おくりびと」が「むかえ」てくれたわけである。
 そして駅前のきわめて淋しい商店街を10分ほど中心街に向けて歩くと右手に緑豊かな場所が見えたので右折して進むと寺院の三重の塔が目の中に飛び込んできた(写真「右」)。近くで見たところかなり新しい建築に思われた。
 酒田には格式の高い巨刹が多いというもともとの印象は持ち合わせていたが、三重塔まであるとはいささか驚きであった。 ◆次回は酒田の寺院群を写真で紹介したい。
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日本の国土は風車だらけに?

2010-12-25 23:54:56 | 時評
 ここは庄内町の田園風景。
 のどかな風景のようにも見えるが、何やら巨大な白い塔にプロペラのようなものがついている物体が9基ほど並んでいる。
 これが山形県有数の「風の通り道」と呼ばれる地帯に設置された風車群である。
 この日(今月上旬)は不思議にもどの風車も回転しておらず、電力造りはお休みであったようである。
 それが一斉に稼動しているならば、その「うなり音」はかなりのものではないか。とても田園情緒を味わうどころではないのかもしれない。
 でも、特に「風の通り道」でもないような地帯にも否応なく風車が建設される時代が近々やってくる気配もある。
 その推進力となるのはクルマの脱化石燃料化に伴う電気自動車の台頭ではないか。
 電気自動車そのものからの二酸化炭素排出はゼロとは言うが、石油資源を大量に消費する火力発電からの電力供給では結局二酸化炭素の排出量は同じになってしまう。
 だから、自然エネルギーの活用推進が求められることになろう。
 いかに効率的なバッテリーが開発されて車体に登載されるようになったとしても、その充電が家庭の電源からだとすれば、家庭での電力消費量の大半が電気自動車に占められかねない。それほど電気自動車とは電力をがぶ飲みするものなのである。
 ということになれば、猛暑の夏や氷地獄のような酷寒の真冬にも電気による冷暖房はかなり控えなければならないことになりそうだ。
 それでもやはりクルマ(むろん電気自動車)もエアコンも不可欠だとすれば、風車や太陽光発電所を日本国中の至る所に建設しなければならなくなる。
 不気味なほど巨大な風車が林立し、その林立の間の平地に太陽光パネルで埋め尽くされた光景が日本の姿ということになりかねない。
 ああ、電気自動車の普及のために日本の国土は自然エネルギー発電設備で覆われることになるのだろうか。
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いつか見た景観、ここは何処?(3)

2010-12-24 18:42:09 | 旅行、小旅行

 いよいよ今回の県内での小旅行も終わりに近づいた。
 最後の建物見物は昔この地方の県の出先機関であった建物だが、あいにく修築中で、カメラアングルが最適の位置に工事車両が停車している状況で、外観も最良な状態とは言えず、むろん内部見学は不可能であった。(11月下旬現在)
 でも、この建物はこの小都市の観光の拠点かつシンボルになることは疑いがない。
 ここから駅まで徒歩で約10分。
 この街までは山形市からバスで来たが、乗車中はかなり悲しく辛い思いをした。
 帰路も同じような悲しく辛い思いをしたくないので鉄道で帰ることにした。
 その「悲しく辛い思い」とは、乗客があまりにも少ないゆえであった。
 そのような公共交通の過疎路線にもかかわらずマイカーの通行はかなりのもので、もしこれらのマイカー利用者のすべてがこのバスを利用したら、むろん車内は満員になり、かなり増便もされていたであろうにと思われてならなかった。
 それでは列車の方はどうだったかといえば、乗り換え駅までの区間は同じくがらあき状態であった。1月からのNHK大河ドラマの主人公のお江の方ご一行様も数年前に乗車した鉄道路線なのに、やはり暖簾に腕押しのようである。
 えっ、なんでここに将軍徳川秀忠夫人の名が出てくるの?
 これがこの小旅行で訪れた街が何処であり、その名が何というのかのヒントだからである。そしてついでに、彼女の役を演じる若手女優の名と彼女が数年前に主役の一人として出演したこの地方が舞台の映画の名もクイズとしたい。 ⇒ 回答は写真説明の下

◆写真説明 A:明治建築の「小桜館」。正面玄関に工事用トラックが停車中。でもつい先日新装オープン。B:この駅舎も既に歴史的建造物で、鉄道ファンの人気が高いらしい。C:これが「お江の方」ご一行が乗車した車両? D:樹林で囲われた農家が点在する景観。E:風格充分の木造駅舎。だが西日で逆光。F:むろん「お江の方」ご一行も数年前に眺めたであろう最上川のある風景

◆[回答]長井市。上野樹里さん、「スウィング・ガールズ」
◆今夜はクリスマスイヴ。以下にクリスマス・ムードながらいかにも日本的な写真(昨年12月の記事から)をプレゼント! 
 
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いつか見た景観、ここは何処?(2)

2010-12-22 17:15:55 | Weblog

 前回は幾分「洋風」が優勢であったが、今回は完全に「和風」が優勢である。
 いずれにせよ、この街は徒歩で15分圏内でこれらすべての歴史的建造物を目にすることができるし、行政も市民もこれらの建物を極力保存して利活用することを目指しているからすばらしい。今後の活躍を大いに期待したい。
 それとともに、同じ山形県民としてできるだけこの街を訪れて、これらの「宝のような建物」探しのために徒歩で巡ってほしい。
 むろん、途中で飲食店などに立ち寄っていただければ、経済効果も生まれるであろう。

 今回はあえて写真説明を抜きにした。駅か市役所などから街歩きの観光パンフレットを手に入れれば、これらの建物のうちかなりを探索できるであろう。 ◆次回に続く
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いつか見た景観。ここは何処?(1)

2010-12-20 07:36:20 | 建物

 12月も既に下旬に突入。
 しかし11月と12月にでかけながら未だ紹介していない街や建物も数多いので、一つ一つの建物の写真を大きな画面でお見せしていたら年が明けてしまう。
 だから残念ながら小さな画面の組み合わせにより紹介するしかない。

 さ~て、上の組み合わせ写真は県内の某市の中心部だが、ここでは古い建造物を街造りに活かそうとする取組みが行政と市民ともに盛んである。
 この市については当ブログでも既に過去に2回ほど紹介しているので、訪れたことがない人でも見たことがある建物があると感じている方も少なくないかもしれない。
ともかく、下の写真説明を参考にしながら、何処なのかを推察していただきたい。

◆写真説明 A:旧医院、現在は広く市民の文化活動等に利用されている。運営は街づくりNPO。元の所在地から現在地に「引き家」された。B:旧医院。近い将来の利活用が望まれている。C:旧工場の建物。線路のそばにある。D:元銀行支店の建物。現在は住居の一部。E:登録文化財の町家。F:市立小学校の正面玄関。色褪せた紅葉により11月後半の撮影であることがわかる。G:用水路と小道。この市では小路が遊歩道・散策路として整備が進められている。H:町家。I:確かごく最近登録文化財として公認された醤油屋。
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山形市の豪農街道を歩く(2)

2010-12-15 21:56:52 | 建物

 江南の江俣南公園で一休みしてから西バイパスを越えれば陣場地区に入る。
 ここは昔の豪農やら大地主の屋敷が多く並ぶまさしく豪農街道である。

 ◆写真説明 A:豪農街の入口にある神社の社殿の造りは他には見られない豪奢な造り BCD:豪壮な土蔵や長大な土塀 E:土塀越しに見られた洋館 F:豊かな樹木に囲まれたデザインに優れた近代和風の家屋
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山形市の豪農街道を歩く(1)

2010-12-13 08:21:26 | 建物
   ↑ クリックすると大きな画面が見られます

 特に猛烈に忙しいというわけでもないのに、当ブログの更新間隔が少々空いてしまった。でも、先月以来市内外の各所を巡り歩いて、色ん素敵な建物や街並みにめぐり合いながら、早いうちに皆さんに紹介しないとネタの賞味期限経過したままが年を越してしまう。師匠ではないが、師走だから、急いで走れ、走れ!

今日は、先月の上旬にグループで街歩きした路線の沿道を紹介する。
 そのコースとはJR北山形駅の西口付近から西北方向のいわゆる豪農街道である。
 この方面の主要な旧街道としては山形城下から湯殿山付近へと至る六十里街道があるが、今回のコースでは下条町の旧道のみが六十里街道に当たる。
 豪農屋敷が並ぶ街路は主たる街道からは幾分離れており、いわば脇街道である。
◆写真 A:北山形駅といえば歴然たる市街地。でもすぐ西側にはこんな石垣と生垣で囲われた農村風の素封家の屋敷が並ぶ。この辺りから全国レベルの画家や詩人が出たらしい B:屋敷の広大さがわかる石垣塀。東の方向に行くとすぐ北山形駅西口 C:すぐ近くの龍門寺の参道から隣りの寺院の紅葉が見られた D:山形城主最上義光の父義守と数代前の最上義春の墓所である龍門寺 E:この通りが六十里街道としての下条町旧街道 F:県道を越えれば江俣地区だが、その裏通りの新興住宅地のすぐ脇に郷愁をそそる農村的建造物が並ぶ
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