山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

山形市史と縁ある街を訪ねて(1)

2012-04-24 23:03:30 | 旅行、小旅行

 三月の上旬にも県外に出かけたが、四月の後半にまたまた県外に出かけることになった。
 今回は東京での某集まりへの出席が主たる旅行目的であったが、むろん前後に各地で「物見遊山」否「物見遊街」を楽しんだ。
 たまたま訪れた都市や町には山形の郷土史と関連が深い箇所が多く、しばし当ブログにて紹介を続けたい。
 最初に訪れたのは◆◆店が多いことで知られる◎◎◎市であるが、駅を出て5分ほどの橋のすぐそばにレトロな外観の不思議な建物があるのを発見した。
 それにしてもこの建物は何なのか? 今は何にも使用されていないようだが、かつて交番でもあった建物なのだろうか。

 この◎◎◎市は人口が51万人だから、わが山形市よりはだいぶ大きいが、駅前から西に延びる中心街はむろん大きな商業施設やビルが数多く建ち並んでいるものの、シャッターを降ろした小さな商店がかなり多く目についたし、歩行者だけでなくクルマの数も意外に少ないように見受けられた。
 50万人都市でもご多聞に漏れず郊外型の大型商業施設の進出により“人災”に遭遇しているようだ。

 ◎◎◎市は城下町、宿場町かつ門前町の3つの要素を兼ね備えて発展し、明治維新を迎えたのだが、伝統ある商人街としての面影を残す歴史的建造物はこの重厚な豪商邸宅くらいしか半日程度の街歩きにおいて見い出すことはできなかった。これは戦災のためでもあろう。

この都市の名と山形市との関連は次回以降をも読んでもらえれば、お分かりいただけよう。
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桜並木の昨日の状態

2012-04-20 05:04:19 | 風景
 昨日は4月19日。
 山形地方気象台によれば、山形市での桜の開花予想は20日頃のこと。
 つまりは、写真の桜並木の桜たちはすぐ明日にでも開花しようとしているはずなのだ。
 確かに数日前よりは赤らんできたような気もする。
 この桜並木の先には桜の名所の山形城跡がある。
 だが、山形城跡の毎年恒例の「観桜会」のイベントは一昨年は「想定外」の激しい俄か雪と低温のために完全中止となり、昨年は東日本大震災のために被災地のすぐ隣県のにある山形市では桜祭りなどとてもやれない状況だったので、2年連続「観桜会」は開催されなかったことになる。
 でも、この桜並木と山形城跡の桜たちは「今年こそ!!」と、桜祭りの実施により更に彩りを増したいとうずうずしているようだ。
 ブログ主は今日から数日間山形を離れるが、帰った頃には開花していることだろう。
 むろん、満開には至っていないと思うのだが。頑張れサクラ!
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古志びとの面影の丘と芭蕉句碑

2012-04-16 10:30:28 | 風景

 前回記事の写真により紹介した沼の東南部を縁取る丘陵沿いに西北方向に廻ると今度は田園風景の中にこの丘陵が浮かび上がる。
 この丘陵の名は「越王山」。頂上には越王神を祀る小祠がある。
 越王とは「越の国」を築いたとされる「越族」リーダーの祖が神格化されたものである。
 その「越の国」とは現在の福井県東北部から新潟県にかけての地域一帯で、出羽国、特に庄内地方や秋田県西南部も越の国の影響が及ぶ地域であり、越の国の「でっぱ」つまり「はずれ」でもあった。  
 この「越」は「古志」とか「腰」「古四」などとも記され、越王は「小塩」とか「小姓」などと記されることもある。
 新潟県中部には近年まで「古志郡山古志村」という自治体があり、中越地震で甚大な被害を蒙ったが、その後長岡市に吸収合併されて、唯一の「コシ」を名称とする郡と自治体は消滅してしまった。
 古代の越の勢力は山形県内の内陸部にも及び、「コシ」と称する地名や山の名、神社や小祠が確知に散在しているが、この越王山はそれらの典型であろう。
 この越王山と沼を挟んで西側の八幡山、そしてさらに西北方の舞鶴山の三つの丘陵を総称して「◎◎三森」と言うが、つまり大和三山(畝傍山、耳成山、天香久山)と同じような「◎◎三山」とも言いかえることができる。
 大和三山が眺められる大和盆地南部は「まほろばの里」とも言われているが、ここ◎◎三森の周囲の景観もきわめて「まほろばの里」的であり、大和三山を彷彿とさせられる。
 だが、大和三山と大きく異なるのは盆地の周囲には冠雪を頂く高い峰々が張り巡らされていることである。果樹園を手前にした越王山の西北方面にはやはり雪をかぶった二つの霊峰が聳えており、まことに神々しい眺めである。[↓ 下の写真]

 このちに進出した古志びとたちも東西の気高い霊峰群に包まれた豊穣が約束できる盆地に立ち、同じく神々しい気分に浸り、丘の頂に祠を建てたのではないか。

 ブログ主が古志びとの面影を偲んでいた地点のすぐそばの果樹園地帯の中に「紅花に女性の眉掃きの面影を感じた」芭蕉の句碑があった(↓ 下の写真)。

 さて、◎◎は地名であるが、漢字を当て嵌めてほしい。また、写真の冠雪を頂いた二つの霊峰の名称は何か? さらに前回記事の写真の沼の名称は如何に? →◆回答は次回記事の下部
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春らしい水辺の風景

2012-04-14 00:52:44 | 風景

 四月になっても何度も雪降りが繰り返された山形でもようやく春らしい陽気になったので、つい先日しばらくぶりで自転車で少し遠くまででかけた。
 自宅から一時間ほど自転車を走らせたところで、二つのなだらかな独立丘陵が目の前に迫り、その二つの丘陵の間を進んだら初めて目にする広々とした沼が現れた。

 さて、この沼はどこの沼であろうか?
 そして、この沼の名は何というのだろうか?

※ 姉妹ブログ「島国ニッポンの山国から」を下記URLによりご覧ください。
    http://blog.goo.ne.jp/ezoben-k
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いったい何に視線が注がれたのか?

2012-04-09 21:57:57 | 風景

 しばらくぶりで某高層ビルの展望室から北の方向を眺めようとした。
 でも、残念ながら山形市街地が途切れた先にある天童市のシンボルの舞鶴山の姿は生憎の雪模様のために霞んで見えなかった。
 少し残念に思っていたところに“ナイスショット”になるものが目に入ったので、思わずカメラのシャッターをきった。
 それは何だろうか?[回答]は一番下の写真を見ていただければお分かりになろう。

 その翌日は同じ山形市内の松尾芭蕉で有名な山寺の某氏のお宅を訪れた。
 懇談しているうちに窓に吹雪が激しく打ち付ける様子が目に映しだされたので、前日に引き続いての断続的な俄か雪という異常気象の様相をカメラに収めたいと思い、玄関を出た。

 しかしあまりにも細かな吹雪なので写真の画面では雪粒が捉えられなかったが、立石寺境内を内包している宝珠山が吹雪のため霞んでいる様子は捉えることができた。

 さらに翌日のことである。山形市中心市街地の裏小路を歩いていたら、またもや激しい俄か雪に見舞われた。昨日の俄か雪とはまた違ったかなりの「ぼた雪」のため、はっきりとレンズで捉えることができた。
 
 それにしても四月に入ったのに、連日の雪模様の日々。しかも僅か2~3時間のうちに「晴れ、時々雪、雪、時々晴れ」の状態が繰り返される。
 こんな中でかつて子どもたちに人気のあった「晴れ、時々ブタ」という児童書を思い出した。
 これでは雪だけでなく、ブタが降ってもおかしくない異常気象である。

 あっ! 高層ビルの下に“へび”が現れた!
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豪雪の中の山形老舗料亭群を訪ね歩く

2012-04-06 22:46:25 | 建物
 
 前回の記事の二つの写真の場所の回答は下記の通りである。

 上の写真については、霞城セントラル・ビルの展望室から眺めた長谷堂城跡と白鷹丘陵方面である。むろん、手前は山形市の市街地西南部である。
 下の写真は山形駅前大通りであり、右手のビルは十字屋デパートである。

 さて、前回の記事の以前は一か月ほど駒ケ根市や海野宿などの長野県の探訪記となったが、その前後の一月から三月にかけて毎月一回ずつ山形市内の老舗料亭を順次探訪した。
 こんなことを申すと、自他共に「貧乏性」を認めるブログ主が珍しくも豪遊を繰り返したと思われそうであるが、いずれの場合も昼食の時間帯であったので、さほど「すっからかん」になったわけではない。
 山形は明治以降料亭文化が花開いた土地柄であり、それゆえ建造物や庭園などに格式の高さが偲ばれる。しかし、この三軒の老舗料亭はいずれも互いに近距離にあり、近い将来に道路の拡幅計画により風雅な建物や樹木を大きく削り取られることが懸念されている。
 そこで貴重な山形の歴史的遺産を愛するグループの仲間たちにより昼食会を兼ねた老舗料亭の見学会を3回に分けて実施した次第である。
 ところがブログ主は3回ともカメラ持参を怠り、解像度の低い携帯電話機による撮影しかできなかった。冒頭の雪景色の写真(千歳館)と下の同じく雪景色の写真(四山楼)がそれである。二月の「のゝ村」での撮影は失敗であった。

 それぞれの料亭の写真と解説についてはグループの下記ホームページによりご覧いただきたい。
http://www.retorokan.org/contents/history20120115.htm
 ↑ 1月15日 千歳館
http://www.retorokan.org/contents/history20120219.htm
 ↑ 2月19日 のゝ村
http://www.retorokan.org/contents/history20120311.htm
 ↑ 3月11日 四山楼
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しばらくぶりの山形

2012-04-04 22:37:39 | Weblog



 信州旅行から帰ってからほぼ一か月になるが、当ブログは信州シリーズが続き、山形の写真が登場するのはまことにしばらくぶりのこととなった。
 それにしても上の2枚の写真を見てどこを写したか即座に言い当てられる山形人はどの程度存在するであろうか。
 山形は文字通りの「山の形」の地帯だから、上の写真が山形市街の周辺の山並みと郊外部であることまではお分かりいただけるとは思うが、方角的に東西南北のいずれの方角なのか、言い当てられるだろうか。
 次の市街地の写真についてなら、かなりの山形人は市街地のどの辺りかは見当がつくのではないか。
 でも、県外の人たちなら、山形にもこんなビル街があるなんて信じられないと言う人もあるかもしれない。
 この写真ではクルマの数が少ないが、クルマの姿が多いと撮影しにくいので、できるだけクルマが少ない瞬間をねらってシャッターをきっているからである。
 ともかく、ヤマガダって、ほっだいザイゴでもないどごなんだズ~。
  ↑ こんじゃ、ザイゴ弁、まるだすだべず~。
[通訳]山形って、そんなに田舎でもない所ですよ。これでは、田舎弁丸出しですなあ。

◆姉妹ブログ「島国ニッポンの山国から」をご覧ください。
   http://blog.goo.ne.jp/ezoben-k
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