山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

戊辰戦争の英霊がゴミ分別を監視?

2006-05-11 07:10:30 | 郷土史
 国分寺薬師堂の祭礼も昨日で3日間の幕を閉じたが、広い境内の一角に大きな墓標が立っている。それには「戊辰薩藩戦死者墓」と刻まれ、「大勲位侯爵松方正義」の名も添えられている。
 すなわち明治初年、薩摩藩兵を主力とする維新政府の官軍が奥羽鎮定のため山形盆地にも進攻し、寒河江方面で庄内藩兵と戦火を交え、かなりの死傷者を出したが、彼らの氏名がこの墓標の下に刻まれている。
 驚くことに十代が多く、中には15歳の少年兵の名も見える。しかも満年齢ではさらに1,2歳下回ることになる。
 遥か遠い薩摩(鹿児島県)から奥羽の地まで引き連れられ、この地で若い命を散らしたのである。彼らの両親や兄弟姉妹も無事の帰郷を祈っていたであろう。
 この墓石を撮影する前は数名の怖~い感じのうら若いお兄さん方が墓石の台石や柵に腰掛けてたむろしており、また、超ミニスカートの女子高生たちの黄色い声も若葉の樹林の間に響き渡っていた。殺戮を強いられることのない幸せいっぱいの彼ら彼女らの中で同年代で死んだ異郷の少年兵たちが眠っていることに気付いている者がどれだけ居たであろうか。
 薩摩の少年兵たちは安らかに眠るどころか、祭りのゴミ分別監視の役目を担わされているかのようである。
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする