山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

いっそ旧暦のクリスマスまで続けたら

2011-11-19 20:53:32 | イベント
 冬の繁華街の夜を彩る「光のページェント」が一昨夜から山形市の中心商店街で始められた。
 なるほど心の中まで華やかにしてくれそうなほど美しいものだ。
 ところで、街路樹をおおうイルミネーションがクリスマスツリーの華やかさにあやかったものであることは確かで、これらの光の競演の中に橇に乗ったサンタクロースの姿も見られることからもわかる。
 えっ? もう12月? いや、そんなはずはない。
 確か今日は11月19日だから電飾が点灯されたのは17日。
 まだまだ11月も中旬でしかない。
 なんという気の早いサンタクロースのお出ましなのか。
 気の早いというよりはクリスマスソングでも唄われている「あわてん坊のサンタクロース」そのものだ。
 とにかく最早クリスマス・ムードいっぱいの光景だが、さすがにここ山形ではクリスマスの主役にして御本尊のイエス様の姿は見当たらない。
 でも、イエス様に対する信仰が希薄だからというわけでもなく、クリスマスとはサンタクロースの誕生を祝う行事と勘違いされているからなのかもしれない。
 ところがこの光のページェントは1月の上旬で終わりにされるそうだ。
 しかし1ヵ月以上も前からクリスマス・ムードを演出させるのだから、いっそうのこと1月下旬まで延長させたらどうか。
 もし、クリスマスを旧暦でも祝いたいのなら、1月の下旬ということになりそうだからである。
 それでこそ日本人の面目躍如となる。
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むっずがすい映画の祭典、盛会裏に終幕

2011-10-17 16:22:45 | イベント
 山形の街を多数の外国人たちが行き交う中では山形弁も数多い外国語の一つと感じた人も少なくなかったのかも知れない。
 8日間にわたって山形市の中心市街地で開催された「山形国際ドキュメンタリー映画祭」も先週の木曜日に全日程を終了した。
 日本人でさえ、とくに西日本に住む人たちにとっては山形の地理的位置など普段は正確に認識していないために巨大地震と津波により被災した宮城県や岩手県、原発事故が発生した福島県のすぐ近くくらいであることくらいはうっすらと覚えているだけに、さぞかし山形も大きく被災し、放射線量も高いものと思う人が多いのだから、「国際」的イベントながらもわざわざ危険な思いをしながら遠い外国から山形までやって来る外国人など少ないのではないかとの懸念が山形市民や映画祭関係者の間でも支配的であった。
 しかしフタを開けてみると参加者数は前回を上回っているから盛会だったと言えそうだ。
 しかも文字通り「ドキュメンタリー」という名にふさわしい社会派、硬派的な内容の映画が多く、山形弁で言うなら「むっずがすい」、つまり難しい、難解な映画が鈴なりなのだから、そんな映画ばかりで「盛会」になるなど奇跡に近いことだと申されても不思議でない。
 その「奇跡」が現実に山形で起きたことになる。
 タイトル写真は閉幕式典に際して行われた受賞作品と監督たちに対する表彰式の様子であるが、観客席の前の方は確かにがら空き状態であるものの、中段や上段の方の席はほぼ満席であった。
 また2年後には第13回目が開かれることになるが、海外、とくにアジアの若手の映画作家たちは2年後のヤマガタに熱い眼差しを向けることになるであろう。
 
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二つの国際的祭典inやまがた

2011-10-07 23:28:36 | イベント
 昨日のことになるが、二つの国際的祭典が山形で開かれた。
 一つは昨日の一日だけのもの、もう一つは昨日から一週間の開催である。
 確かに左側には彫の深い顔立ちの人物の姿が見られるからいかにも国際的イベントと思しき写真であるのに対し、右側の馬を使っている競技は和式そのものである。
 左は前々回記事で予告した通りの「山形国際ドキュメンタリー映画祭」の開会行事の模様で、外国人監督らの紹介の場面であるが、左の写真はどうして国際的なのか。
 むろん、馬を使っての団体競技には映画祭関係の外国人監督たちも観客として訪れていたから確かに国際色豊かではあったが、この競技自体は起源が遠い異国であるということにおいても国際的と言える。
 この打毬については下記の過去記事を参照ねがいたい。
  http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/s/%C2%C7%DD%DC
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和傘がある旧ホテルでレトロ館ペン画の展示会

2011-10-04 22:26:56 | イベント



 6年前に逝去した故結城泰作氏が79歳から83歳までの間(実質約3年間)に描いた山形市内外の歴史ある建造物のペン画の展示会が現在タイトル写真の和傘が置かれている旧ホテルで開催中である。
 この旧ホテルについては当ブログでも過去に何度か記事にしているから、その名称と場所についてはここであらためて述べるまでもないであろう。
 ただし、この和傘はいつでも玄関前に置かれているわけではない。
 ともかく、この和傘はこの旧ホテルの歴史の深さと和風の良さを感じさせてくれるので、訪れた際に写真の“モデル”になっていただいた次第なのである。
 なお、展示会は11月8日までの開催である。
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国際ドキュメンタリー映画祭まであと1週間

2011-09-29 21:32:33 | イベント
 映画の都やまがた
 山形国際ドキュメンタリー映画祭2011もあと1週間で開幕となった。
 上のタイトル写真(左が今回のポスター)で見てもわかるとおり、右側は戦前の山形市内の映画館街の様子だが、このとおり大勢の人通りで賑わっている。
 だから、山形は昔から映画が盛んな街であり、昔も今も「映画の都」と申しても過言ではないようだ。
 この映画祭も今年で第12回目となり、22年の歴史を有するが、特に今年は内容が盛りだくさんで、わずか1週間という限られた期間でどの映画を選んで見るべきか取捨選択に困るほどである。
 このように映画の数もきわめて多いが、山形を訪れる人もかなり多くなりそうである。
 むろん文字通り訪れる人たちの顔ぶれもそれこそ国際色豊かで、たぶんこの山形が大震災と原発事故の被災県の隣県であるとは思えない雰囲気にさせてくれるであろう。
 ともかくその1週間、無事かつ盛会であってほしい。

 開催期間 10月6日(木)~13(木) 初日は開会式
 ◇会場 山形市中央公民館、山形市民会館、フォーラム、山形まなび館、
     山形美術館、やまがた芸術学舎
 ◇部門など インターナショナル・コンペティションアジア千波万波
     シマ/島、いまーキューバから・が・に・を 見る
     ニュー・ドックス・ジャパン、公開講座:わたしのテレビジョン青春編
     ヤマガタ映画批評ワークショップ、やまがたと映画、
     回到一圏:日台ドキュメンタリーの12年後
     特別上映作品、YIDFFネットワーク企画上映
     東日本大震災復興支援上映プロジェクト
     おやこ・映画とアニメのワンダーランド
     アート・ドキュメンタリー・プログラム
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「なでしこ」比べ

2011-08-06 23:27:47 | イベント

 朝の天気予報では午後には降水確率50%ということであり、実際に午後には入道雲(積乱雲、一番下の写真)が幾つも発達して雷鳴がとどろき渡った。
 最近は降水確率が30%程度でも午後や夕刻にはゲリラ的に激しい雷雨となる場合が多いから、花笠パレードも雷雨に見舞われるのではないかと心配された。
 だが、上の写真の優美な踊りの女性たちの一団が雷雲を追い払ってくれた。
 だから、わざわざ被災地や関東方面から見物にかけつけてくれた観光客は充分に艶やかな踊りを堪能できたに違いない。
 最近は「なでしこ」と言うと、若い世代では茶髪ぞろいの「けっとばし」一団(すぐ下の写真)のことしか思い浮ばないのかもしれない。

 でも、少し年かさが増した世代ならば、茶髪が支配的な一団が「なでしこ」と呼ばれることに少なからず違和感を覚えている者が多いはずである。
 それが昨日から明日までの三日間山形の中心市街を踊りながら練り歩く女性たちの優美さにこそ「なでしこ」らしさを実感できたのではないだろうか。
 彼女たちは身の動きが優美だけでなく、雷雨すら追い払ったのである。
 さて、「なでしこ比べ」にはどちらに軍配を!
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クールビズな街のイベント

2011-07-30 23:20:05 | イベント
 いよいよ7月も明日で終わりだから、今ころが一年中で最も暑いはずなのに、なぜかここ数日は涼しい。
 隣県の新潟、福島県西部の豪雨の影響による気候の不安定によるものかもしれない。
 先日、中心街の用水堰(御殿堰)でのイベントをのぞいてみた。
 たたでさえ涼感あふれる水流の上に鈴なりの風鈴が並べられ、一層涼感を醸し出し、このままでは雪が降るのではないかとまで思われた。
 この水流の対岸では山形舞子と並んでの記念写真が撮影されていた。
 京都の舞妓もそうかもしれないが、それでも一応は夏向きの衣裳らしい。
 だから四肢をすべて被う身なりでもそれなりのクールビズということになる。
 幸い猛暑にはほど遠く、しかも日陰での撮影だから彼女たちはなんとかしのげたようだ。
 それでも真夏の浴衣ですらない和装ではかなりの重労働に思えた。
 頑張れトウホク。頑張れ山形舞子。
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400年伝統の福幸市(復興市)

2011-05-10 21:45:52 | イベント

大震災、超巨大津波の被災地の多くの地域では復興を目指した市の開催が盛んだ。
 これを「復興市」とか「福幸市」とか自称して景気づけを図っている。
 しかし、この記事の写真はそれらの被災地の復興市ではない。
 むろん山形市内での恒例の植木市である。↓

 でも、この植木市は最上義光公の時代からの伝統行事であり、言い伝えによればこれまた一種の復興市のようであり、それが現代まで400年間も続いてきているのだから、日本国内でも「最古の部類の復興市」ということになる。
 その400年前には山形の城下で大火があり、樹木も多く失われたために植木市が始められたということのようである。
 しかし、建物は燃えても樹木自体は燃えにくいはずであるから、山形城内の建物や城下町の再建のために多くの樹木が伐採されたために植林の再生を為そうとして始められたとも考えられる。↓

 ところで、最上時代の火事として伝えられるものとしては、元和3年(1617)3月8日に発生した城下の大火であり、光明寺以下多くの寺院も焼失し、長谷堂合戦で物凄い形相で戦死した上杉方の武将上泉主水の首塚の崇りであるとの流言までが広がったとも言われている。
 だから、その大火は最上義光公の死去の3年後で後継の家親公急死の3日後になるから、植木市の由来で伝えられている「大火」と同一であるとすれば、植木市の始まりは義光公の時代どころか家親公時代のことでもなく、孫でわずか13歳の義俊公の時代ということになる。
 むろん、これでは家臣たちにとっても城下民にとってもあまりにもの不吉続きのために心は沈みがちであったために、「頑張ろうヤマガタの大きな掛け声とともに城下再興のための植樹運動が始められたのであろう。

◆写真説明◎一番上は植木や草花の露天市=「日本三大植木祭」の幟旗も見える ◎二番目は[上左]若者で賑わう縁日市 なぜか「広島」の文字が。むろんここはヤマガタ[上右]一番目と同一の拡大[下左]植木を物色する市民[下右]薬師堂裏手の池端で満開の八重桜 ◎三番目は[上左]薬師堂裏手の池[上右]国分寺薬師堂 植木市は薬師堂の祭礼の一環として始められた[下左]薬師堂前の新緑がまぶしい樹林帯[下右]恒例のお化け屋敷 少女たちの恐怖の黄色い声が響く
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天然打ち水、後、人為打ち水、ゆかったです。

2010-07-25 17:12:16 | イベント

 今日、7月25日は栄えある!?20世紀日本最高気温記念の日
 ところがどうして、連日続いた真夏日の翌日なのに、今日に限って朝からどんよりとした曇り空で、気温はなかなか上がらないどころか、正午間近になってかなり激しい降雨があった。
 いわばこれは“天然の打ち水”だが、午後になってやや気温が上がり、3時に中心商店街で開始される“人為打ち水”のイベントにどうやら相応しい天候になった。
 デパート前の歩道には浴衣姿の若い女性たち(ほんのわずかの男性や子どもたちも)が銭湯の洗い桶のようなものをたがて(←山形弁で「手に持って」の意味)片手を桶に入れながらずらりと並んでいた。
 主催スタッフの開始の合図の声により、一斉に片手で水撒きを始めた。

 これにより商店街界隈の気温が若干低下し、涼感を味わえたことは確かである。
 まさか、夢よもう一度とばかり、多治見市や熊谷市に負けじとばかり日本最高気温の更新を狙っているわけではあるまい。
 どうせ、多治見や熊谷の“王位”は、この地球温暖化のご時勢、はかない“短期政権”のようなものであり、そんな“王位の回復”を狙うよりは、涼感溢れる街づくりに励んで、その意味での王位を狙う方が有意義であろう。打ち水はその一つの方策ともいえよう。

 ↑ 「水の町屋」に繰り出した打ち水に参加した人たち
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これぞ紅花豪商の雛飾り

2010-03-09 11:32:58 | イベント

 山形県内での雛飾りイベントの多くはこれから4月上旬にかけてが盛りだが、ここ山形市中心市街の「紅の蔵」の雛飾りだけは先週の3月3日が最終日であった。
 ちょうど3日には我が家に北欧から2名の知人女性が観光旅行で立ち寄る予定があり、午後3時山形駅到着だったのでまっすぐに案内した。
 雛飾りの公開時間は午後4時半だったので、なんとか間に合った次第である。
 この2名のうち1名は2度目の山形観光であり、つまりリピーターである。
前回はなんとか山形を気に入ってもらえたようだから、再び山形を訪れたくなったのだろう。山形人としてはたいへん嬉しいことである。
 3年前の前回は山寺と置賜桜回廊の案内だったので、今回は山形中心市街を案内した。
 その第一弾が旧紅花豪商屋敷の蔵座敷での「雛飾り」案内ということになる。
 はたして、彼女たちが何組もの雛飾りが賑々しく飾られているのを眺めて、どのように感じたかはその後もよく聴き出せなかったが、多少は喜んでもらえたのではないか。
 この雛飾りがなされている蔵座敷の片隅で千代紙による折り紙雛人形作りの体験コーナーがあり、彼女たちも千代紙雛人形作りに挑戦した。
 それにしても200円とは安い。
 ちょうど台湾人の女子留学生も参加し、ちょっとした国際交流コーナーが形作られた。

◆写真説明[表画面]2月末に開かれた「お雛様研究家」による同所での講演会 「女の子のための雛祭り」というよりは「昔の少女のための雛祭り」という感じ
[裏画面]千代紙雛人形づくり体験コーナー 故国に帰った今頃は友人や同僚たちに土産として持ち帰った“作品”を見せているのだろうか←表画面クリックにより開けます。
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