山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

阿古耶の松を教えた塩竈様

2009-04-28 21:47:36 | 郷土史
 塩竈市は宮城県で山形市にも近いし、交通の便でも山形市には近いものの、やはり宮城県内であることには変わりがないのに、なんで「郷土史」なのか。
 山形市のシンボルである千歳山は「阿古耶姫伝説」でも有名であるが、姫が植えたとされる「阿古耶の松」の名は古代の都の貴人たちにも歌枕の松としてもよく知られており、三十六歌仙の一人としても有名で清少納言とも親交が深かった藤原実方が陸奥国司として下向した際も阿古耶の松を探し当てようとしていた。
 実方が知っていた阿古耶の松の歌は山形盆地はまだ陸奥国に属していた時代に作られたもので、実方の時代には山形は既に出羽国に編入されていたので、実方は当然陸奥国内で阿古耶の松を探し出すことは不可能であった。
 途方に暮れていたところで老翁が現れ、「阿古耶の松はいまでは出羽国になっていますよ」と教えてくれて立ち去った。
 その老翁とは塩竈明神の化身であった。
 海の神であり、製塩の神ともいうべき塩竈明神は航海の水先案内ばかりでなく内陸の道案内までしてくれたのである。
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街も花だらけ。これ4月の成人式?

2009-04-24 17:07:10 | イベント
 桜の最盛期がやや終わりにさしかかっても、日曜日ということもあり霞城公園はかなりの人出のようだ。(ただし4月19日のこと)
 でも街を歩いたらここでも目の前は「花」だらけであった。
 あれれ、山形市でも成人式を4月にやるようになったの?とは一瞬思ったものの、「新成人企画参画」による山形市の成人式が2年連続の全国準大賞に輝いたというニュースを聞いたのは確か今年だから、やはりこれは成人式に向かう和装女性たちではない。
 それにしても男性の姿はほとんど見られないし、見返りの尊顔をちらっと拝見した限りでは新成人の2倍から3倍以上の年齢と思しき御婦人も少なくなかった。
 これは、きもの業界やら料亭らの協力のうえで和文化の普及を図ろうとするイベント「きものdeやまがた」の一コマであり、彼女らは中心市街地をほんのしばしねり歩いた上で和食を嗜むために料亭に向かおうとしているのであろう。
 でも「一言居士」ならぬ「多言居士」である小生に最後に「一言」言わせてもらおう。「和文化の普及」はもちろん大いに結構である。しかし、街並みからはほとんどすっかりのように和文化が消滅しているのが気にかかって仕方がないのである。

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英霊の聖域に感激?スポット

2009-04-20 12:17:00 | Weblog

 金欠の末期中年がまたまた東京を訪れた。
 某会合までには若干時間があったので、好奇心の趣くままに歩を進めたが、まずは中央線の四谷駅で降りた。
 好奇心で四谷となると、いにしえの昔の、ひたいに三角頭巾をつけた女性(クイズ:彼女の名は?)が井戸から両手首をだらりと下げた怖~い姿で現れる場所がイメージされるが、今回は一人の人物の霊魂ではなく、幾百万もの霊魂を鎮魂する2ヵ所の施設である。
 むろん、一つは千鳥が淵戦没者墓苑で、もう一つが靖国神社である。
 戦没者の慰霊については様々な論議が交わされており、軍国調であろうがなかろうが、どちらにしても英霊または戦没者の魂が安らかでいられるような環境であるのが望ましいのだが、千鳥が淵にしても靖国にしても、すぐそばを高速道路や幹線道路が通っているためにクルマの騒音が凄まじく、み霊が安んじられているとは思えないような物理的環境ではないかと思われた。
 さ~て、写真のような感激的な?スポットがあるのを見つけたのだが、場所は両者のうちどちらであろうか。ヒントは、千鳥が淵が国家管理で、靖国が民間施設である。
 まさか、小銭で参拝者に売られる麻生首相や小泉元首相の“尊顔”にお目にかかり、思わず噴き出しそうになった次第である。

※ 写真はクリックにより画面拡大
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外も花、内も花。花の山形、真っ盛り。

2009-04-17 22:34:59 | イベント

 山形県の県の花は紅花となっているが、ご他聞に漏れず、人気の高さからいえば、やはり4月の桜の方が圧倒的である。
「花の山形」と民謡の歌詞で唄われているのも紅花なのだが、4月に限っては「花」とはやはり桜花であると言える。
 3日前の降雨で大量の花びらが叩き落されることが大いに心配されたが、雨の強さもさほどでなかったし、降雨の後は好天ながら冷涼な日が続いたために桜花の盛りも長持ちしており、明日と明後日の土日の観桜会の諸イベントも桜花に包まれた状態での開催が期待され、関係者は安堵しているようである。
 その観桜会イベントの前夜祭が今日、とある座敷蔵で開催され、人気の女性講談師による直江兼続と最上義光の対決の語りと山形舞妓の舞が演じられた。
 屋外はむろん花だらけだが、屋内も華やかさと艶やかさに包まれていた。
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北国ならではの桜開花の嬉しさひとしお

2009-04-16 16:50:25 | 風景

 桜の開花が温暖化の影響で、当ブログでもどうとかこうとか論じてきたきらいがあるが、それでも桜が開花すると嬉しい気持ちになることにおいては小生とて“一人前”。
 しかも山形の桜も知名度が“全国区”になり、団体観光客も多数我が家の近くの城跡公園まで来てくれているとなると、この意味でも誇らしく思えてくる。
 とりわけ、ほぼ直前まで真冬並みの気候が続いていたため、柔らかな華やかさいっぱいの桜花で街のあちこちが飾られると嬉しさも一入(ひとしお)となるのは北国の人間なら誰しも同じであろう。
 今日は存分に山形の桜花の競演を楽しんでいただきたい。

写真 ①城跡土塁に水仙も ②満百余歳の古木桜の列柱 ③樹齢6百年超のエドヒガン ④桜色と黄色の競演 ⑤団体観光客で溢れる二の丸東大手門前 ⑥市街地住宅屋敷内のシダレ桜 ⑦東北一の大伽藍専称寺 ⑧山形開基城主墓所光明寺 ⑨明善寺
  ↑ 写真をクリックにより画面拡大
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つばさ 川越と山形

2009-04-14 18:04:52 | Weblog
 4月からNHK朝の連続ドラマ『つばさ』が始まった。
 このドラマの舞台は蔵の街として有名な川越市。主人公の名は「つばさ」。
 小生が川越を訪れたのは一昨年の五月で、当ブログにも山形の歴史建造物との対比でシリーズで記事にしたので、ご覧いただきたい。
 [例]http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20070527(←クリック)
 いま、山形は桜が満開なので今日も近くの城跡公園にでかけようとした。
 城跡のすぐ脇をJR奥羽本線が走っているが、丁度山形新幹線が終着点の新庄に向けて通り過ぎようとしているところをカメラにおさめた。
 このミニ新幹線の車両の名前も「つばさ」である。
 ドラマのヒロインの実家は和菓子の店で、むろん川越の代表的な蔵店がロケ地となっているが、ドラマの上ではこの蔵店は人手にわたる。
 その他にもドラマの画面には多くの蔵店が登場するのは当然であるが、小生が川越を訪れて強く感じたことは、川越はただ単に和建築の蔵店だけでなく、レトロな洋風店舗も数多く残されて現在もしっかりと活用されていたことであり、むろん現在も同じであろう。
 古い写真で見ると、山形も本来は川越に勝るとも劣らないほどの土蔵と洋風店舗の街であったのだが、近年になってそれらは加速度的に消滅しつつあるのが川越との大きな違いである。
 
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桜花爛漫なのに、野暮な話

2009-04-13 23:39:35 | 風景

 そもそもが今日こそが山形で開花宣言が出される予想だったが、一昨日に一斉開花にわずかに遅れて気象台からの開花宣言が報じられた。
 そしてわずか2日後の今日、早くも桜は満開となった。
 平日にもかかわらず城跡公園は押すな押すなの人だかり。
 皆はむろん大いにウキウキ気分。
 ちとツムジ曲がりの小生すら気分はやはりウキウキ。
 ところが、遠方に華麗な波形を描く奥羽山脈の山肌を見て、そのウキウキ気分も若干沈んでしまった。(写真「左下」)
 桜が満開になる頃は普通はこの方面の山頂付近の雪はだいぶ消えているのだが、今年は例年になく残雪がかなり多いように感じられる。
 そういえば、3月は末が目前になるまで市街地ですらわずかずつながら降雪が繰り返されたのだから、山の残雪が多いのは当然であろう。(3月26日の記事参照)
 そしてその3月においては極端に暖かい日が続いたこともあり、気温と気候の変動が著しかったように思える。
 さらに県外では異常高温と乾燥により山火事が相次いだ。
 この目まぐるしい気象変動はまさしく地球温暖化進展の表れではないか。
 低料金化により高速道路利用で桜の名所を訪ね回る御仁も増加するであろうから、二酸化炭素の排出も増え、来年以降桜の“狂い咲き”はさらに顕著になりそうである。
 こんな華やいだ気分の中なのに、野暮な話で恐縮!!

 ※ 写真を二段階クリックにより画面拡大
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開花宣言など待てないで開いた桜

2009-04-11 22:04:00 | 風景

 近所にある桜は市内でも最も開花が早いようだ。
 その桜の木は幕末まで家老屋敷のあった場所にある。(写真「左」)
 確か山形の気象台から開花宣言が出されたというニュースはまだ耳にしていないまま外出したところ、その桜は既に五分咲きくらいにはなっており、驚いた次第である。
 土曜日で午前中ながら20度近い陽気ということもあり、その桜の近くの城跡公園には既に多ぜいの市民が訪れていた。確かに家老屋敷跡の桜よりはかなり遅咲きのようだが、この陽気では一気に花の開きが拡大するのは疑いない。
 予定外の早咲きのために困惑しているのが市を中心とした観桜会イベントの実行委員会。主要なイベントの大半は来週の土日に予定されており、その頃には葉桜になってしまうのではないかとやきもきしているようだ。
 昨晩の段階では開花した桜はまだまだ少なかったことは確かである。
 だが、桜は気象台を出し抜くかのように驚くべき速さで開花したのである。
 城跡公園内の桜は開花を始めたばかりだが、梅は今が盛りである。(写真「右」)
※ 写真をクリックにより画面拡大

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炭焼藤太と金売吉次が通った道 ⑮

2009-04-09 23:06:42 | Weblog
 彼らが馬見ケ崎川扇状地に足を踏み入れた頃からはこの写真のような流水のほとりを歩くことが多かったに違いない。
 かつての馬見ケ崎川の本流は現在の八ケ郷堰であるが、川幅はさほど広かったとは思われず、長い年月の間に蛇行を繰り返し、また幾筋もの分流を出して広大な扇状地を形成したのであるが、これらの水流を利用して農地と集落が形成され、神社や仏閣も建設されて山方(やまがた)郷や最上郷となって、古代奥羽の一大交通中継基地たる最上駅および行政拠点としての郡衙まで建設されるに至った。
 だから彼らの炭や鉱物資源の商い先は割合に近い所にもあつたことになるのだが、遠い寒河江方面なら平泉の藤原氏につながる荘官たちとの交流もできたから、むろんそちらまで足を運ぶことも多かったであろう。
 ともかく、彼ら父子はこのような水流を道標として商いに通い続けたのである。

※ このシリーズの前回の記事は3月12日です。
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山形のイチローは世界の良心

2009-04-06 23:46:56 | 郷土史
 土曜日にNHKで放送された「プロジェクトJAPAN」という特集番組で20世紀の歴史的な平和構築に向けた国際的な取組みの推移が紹介され、その中で常設国際司法裁判所の所長として尽力した安達峰一郎についてかなりの時間が割かれていた。
 彼は山形市の隣町の山辺町の出身で明治2年生まれ。生家も保存されており、まさに郷土の大偉人であり、私の母校の高校の大先輩でもある。
 国家間の訴訟に対する裁判は公正さに満ち、平和希求の熱意とともに「世界の良心」とまで言われ、死してオランダの国葬でもって遇せられた。
 なお、現在の国際司法裁判所所長は雅子妃父の小和田恒氏である。

 当ブログの安達峰一郎に関する過去の記事は下記URLにより閲覧を
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/e/582bfb91e4880254a05aa28d672aeb54
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/e/777d8d89e35d1c9e1278da62dc88eda5
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