「失われし山形の建物」シリーズ及び「何とモッタイナイ」シリーズの続編としてこれから断続的に連載したい。
同名の病院は同じ所に現存するが、写真の建物はかなり以前に解体されている。
この写真は21年ほど前に撮影されたものであるが、見るからに瀟洒な建物であり、病院というよりは欧州貴族の城館(シャトー)のような外観である。
残念なことに、市街地のど真ん中(本町)の狭い敷地に建てられた私立病院ということもあり、周囲の小さな建物群と背後の高層の新館により折角の美しい外観も少々阻害された感じである。
この建物が建てられた頃(たぶん昭和初期か大正後期)は当然現代よりは医療水準は劣っていたはずだが、「医療の権威」は現在よりも高かったことを格調高い外観が物語っている。
もし、この建物が現存しているならば国の「登録文化財」である南向かいの第一小学校などとともに「歴史ゾーン」を形成していたことであろう。
同名の病院は同じ所に現存するが、写真の建物はかなり以前に解体されている。
この写真は21年ほど前に撮影されたものであるが、見るからに瀟洒な建物であり、病院というよりは欧州貴族の城館(シャトー)のような外観である。
残念なことに、市街地のど真ん中(本町)の狭い敷地に建てられた私立病院ということもあり、周囲の小さな建物群と背後の高層の新館により折角の美しい外観も少々阻害された感じである。
この建物が建てられた頃(たぶん昭和初期か大正後期)は当然現代よりは医療水準は劣っていたはずだが、「医療の権威」は現在よりも高かったことを格調高い外観が物語っている。
もし、この建物が現存しているならば国の「登録文化財」である南向かいの第一小学校などとともに「歴史ゾーン」を形成していたことであろう。
健太郎