山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

◆戦国の傾奇者前田慶次、志田義秀(上杉軍のハンニバル)そして米沢芳泉町伊藤家◆

2014-11-28 16:45:49 | Weblog

前2回の投稿で米沢芳泉町の伊藤家について記事にしたが、彼の父祖が山形城主最上義光ばかりでなく、加賀100万石の祖前田利家の親族にして戦国時代随一の傾奇者(かぶきもの)前田慶次と東北アルプス朝日連峰の峰伝いに軍を率いて踏破した直江兼続の側近武将志駄義秀とも関連があることが先日米沢市東郊の堂森善光寺を訪れてわかった。
◆前田慶次は後にこのあたりに隠遁し、埋葬地は定かでないが、供養碑が善光寺境内にあり、また志駄義秀の墓もあると案内チラシに図示されながら、彼の墓を確認できなかった。それにしてもカルタゴの勇将ハンニバルもどきの冠雪の山道を踏破したほどの武将の墓がきわめて探しにくいとはどうしたものか。◆詳細は後日投稿したい。
右は前田慶次か隠棲した堂森(米沢市東郊)の荒神山。道路の正面に彼の供養碑がある善光寺と墓地。中腹に志駄義秀の墓があるとされる。左は前田慶次の甲冑。

「右」私が見つけた米沢風(上杉風?)墓碑。もしかして志駄義秀の墓碑かとも思ったが確認できず。
「左」某HPで見つけた志駄義秀の墓碑。時間が無いことと急傾斜の墓地のために探索を断念。

連なる朝日連峰の尾根 ここに直江兼続が急遽「朝日軍道」を造成させた。尾根の片側のすぐ下は最上領内など他領。この軍道が志駄が統治を任された庄内地方と直江兼続が統治する置賜地方を結ぶ唯一のコース。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◆上杉軍と直接戦った武将の子孫が米沢藩士となる物語◆

2014-11-27 22:40:39 | Weblog
[前回投稿の続編] 前回投稿の内容を時代小説とした『風雪の一刀』を呼んでみた。著者は米沢市芳泉町の伊藤家がルーツの小林邦子氏。当然坂紀伊守光秀(長谷堂城と上山城の城主)が山形城主最上義光の弟という設定であり、最初は「中野」姓としている。
◆最上義光関係の家系図は『山形市史・史料編1最上氏関係史料』では9系統が掲載されているが、義光の兄弟が記されているのは4家系図のみであり、その中に「坂紀伊守」や「光秀」とあるのは見当たらない。
◆ただし系図Eでは2名が「某」と記され、うち1名の下に「中野殿」とある。また系図Iでは「義時・中野殿」と記されているが、義光と家督争いをやったと伝えられているが、存在自体が疑問視されている。
◆それでは系図Eにおける「某・中野殿」が坂光秀なのだろうか。確かに『風雪の一刀』には彼が以前中野(現在の山形市北西部)の城に住み、中野姓を名乗ったとある。しかしこの著書は歴史書ではなく、米沢伊藤氏の家系図をもとにした時代小説なのである。
◆たぶん小林氏は「某・中野殿」を坂光秀に充てたのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◆最上義光の弟の子孫宅が米沢市芳泉町に!?◆

2014-11-26 21:45:33 | Weblog

◆月に2〜3度は訪れる米沢市芳泉町で某居住者の方からまことに意外な話を聞いた。その芳泉町には何と戦国大名の最上義光の弟の子孫宅が「伊藤家」として現存しているのだという。

◆それで昨日その住居を探してみた。地区民有志が立てた説明版には確かに「伊藤家」と記されているが、どうも居住者が住まいしているようには見えない「空き家」同然の佇まいだ。
◆話によれば、最上義光の弟なる人物は現在の新庄方面に移り坂上氏を称したが、最上氏と同様に「上」の文字があるために「坂」姓に改称した。最上家改易後は米沢藩領の荒砥の統治を任され、子孫は伊藤家の養子となり、芳泉町に住むに至ったという。
◆ところが最上家の家系図を見ても坂氏を称した弟は見当たらない。だが最上義光の重臣には成沢城主から長谷堂城主になった「坂紀伊守光秀」という武将がよく知られており、しかも彼は肖像画にまで描かれている(長谷堂の清源寺所蔵)。数ある最上義光の武将の中で画像として面影が現代までに伝えられているのは彼だけである。
◆はたして坂光秀は最上義光の弟なのか。最上義光歴史館のホームページでは坂光秀の血を引く者が白鷹町と米沢市に存在すると記されているから、芳泉町に伝わる話と一致する部分がある。
◆だが、最上家と上杉家の間では長谷堂で東北の関ヶ原と言われるほどの合戦を演じている。だから最上家の親族や重臣が米沢藩に召抱えられることなどありえたとは思いにくい。昨日は芳泉町の古民家の裏畑からもダイコンなどの収穫物を山形に持ち帰ったが、この歴史ロマンも大きな収穫物であり、真相解明の宿題ともなった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする