二連アーチの石橋の下の濁流が轟音をたてて、周囲に響き渡っている。
これはかなりの大雨の雨上がりの時のことだが、この橋が竣工したのは明治11年だから、それ以降もこの橋には数限りなく豪雨による激しい濁流が押し寄せているのだが、欄干には補修の跡が見られるものの、石積みの橋脚部分にはほとんど補修の跡が見いだせないから、百三十四年間持ち堪えてきたことになる。
それに加え、すぐそばに新しく国道が切り開かれる以前は「旧羽州街道」にかかる橋としてトラックなどのクルマもかなり多く走っていたから、重圧もかけられ続けてきたのにもかかわらず大した補修も加えられることがなかったようで、これにも驚嘆してしまう。
そして、この橋は世界史的旅行家のイザベラ・バードが渡ったことでも記念すべき橋である。しかも、明治11年の竣工直後のようだから、いわば渡り初めのようなものである。
この意味でもこの堅磐橋(かきわばし)は立派な「史跡」と言える。
できれば国の史跡や少なくとも県の史跡であってほしいが、今のところは「勝手連」指定の史跡ということでも構わない。
一日でも早めに「史跡」にでも指定しておかないと、このままではすぐそばに巨大な清掃工場が建てられて、せっかくの歴史的記念物がうずもれてしまいかねないからである。
◆参考までに下記10月13日の記事を是非ご覧いただきたし。
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20121013
また、12月7日および11月15日の記事も参考にしてください。
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20121207
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20121115
これはかなりの大雨の雨上がりの時のことだが、この橋が竣工したのは明治11年だから、それ以降もこの橋には数限りなく豪雨による激しい濁流が押し寄せているのだが、欄干には補修の跡が見られるものの、石積みの橋脚部分にはほとんど補修の跡が見いだせないから、百三十四年間持ち堪えてきたことになる。
それに加え、すぐそばに新しく国道が切り開かれる以前は「旧羽州街道」にかかる橋としてトラックなどのクルマもかなり多く走っていたから、重圧もかけられ続けてきたのにもかかわらず大した補修も加えられることがなかったようで、これにも驚嘆してしまう。
そして、この橋は世界史的旅行家のイザベラ・バードが渡ったことでも記念すべき橋である。しかも、明治11年の竣工直後のようだから、いわば渡り初めのようなものである。
この意味でもこの堅磐橋(かきわばし)は立派な「史跡」と言える。
できれば国の史跡や少なくとも県の史跡であってほしいが、今のところは「勝手連」指定の史跡ということでも構わない。
一日でも早めに「史跡」にでも指定しておかないと、このままではすぐそばに巨大な清掃工場が建てられて、せっかくの歴史的記念物がうずもれてしまいかねないからである。
◆参考までに下記10月13日の記事を是非ご覧いただきたし。
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20121013
また、12月7日および11月15日の記事も参考にしてください。
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20121207
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20121115