山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

国際舞台では「公人」・・・政治家もスポーツ選手も

2010-06-28 23:41:40 | 時評
 今日の記事は山形にはほぼ無関係の内容になった。
 菅内閣の支持率は既に一ヶ月足らずで50%以下に低落している。
 これに対して明日のワールドカップ南アフリカ大会での日本・パラグアイ戦を前にしての日本国民のサッカー熱は高揚するばかりで、中でも本田選手の人気はすさまじい。
 さ~て、またまた謎解きのような写真になった。
 左の金髪頭のおっさんと右の黒髪の青年は誰なのであろうか。
 左のおっさんが菅直人首相であることはわかるが、右の青年はすぐにはわかりにくい。
 むろん、菅首相の頭を金髪にしたのはブログ主であるが、右の写真は「無修正」である。
 菅首相はカナダでのサミット出席を終えたばかりであるが、もし菅首相が金髪頭で出席していたとしたら、他国の首脳からは非常に奇異に思われるだけでなく、消費税発言のためにただでさえ低下した支持率が更に急下降することは間違いなかろう。
 なぜ日本の首相が頭髪を金髪にしないかと言えば「公人」だからであろう。
 さ~て、右の青年は誰かといえば、な~んと、ホンダ、ホンダの本田圭佑選手が黒髪のままの時代の写真である。これなら爽やかで好感度抜群である。
 日本のサッカーファンで欧米諸国チームの非金髪系の選手に意外に金髪頭が少ないのに気づかれた人はどの程度であろうか。
 欧米白人の南欧に多い非金髪頭の女性には北欧女性のような金髪に対する憧れが強く、中世ヴェネチアの女性たちが競って金髪に染め上げた時代以来の伝統のようであるが、男性にはその伝統は少ないようで、日本チームの男子選手が金髪にしている姿は欧米人から見ても奇異に感じるに違いない。
 いかにスポーツの世界と政治の世界とは違うとは申しても、スポーツ選手とて日本代表として国際試合に臨む場合は「公人」としての自覚が欲しいものである。
 もし、本田選手が金髪を止めたとしても彼の人気が低落するとは思えず、かえってブログ主のようなおじさん族にも好感を持たれて人気は更に上昇することは疑いない。
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今日の1日、成沢城跡と巨大のり巻と

2010-06-26 23:52:22 | 郷土史

 当ブログの今日のカテゴリーは「郷土史」、そしてジャンルは「イベント」との表示になった。
 午前は市内蔵王成沢のS氏の案内で戦国期に山形城の南の守りの役目を果たしていた成沢城の城山の山頂(旧本丸部分)にあがってきた。
 近年は長谷堂城跡と同様に史跡公園としての整備が進められ、山頂広場はイベント会場としても用いられ、近くに住むアメリカ人家庭の幼い娘たちが津軽三味線をなれたさばきで披露する姿をローカルニュースで見た記憶がある。
 山頂からは24階建ての霞城セントラルビルの姿が手に取るように眺められる。
「霞城」と名がつくからには霞が城、すなわち山形城の三の丸部分が在った地帯である。そしそて二の丸と本丸はこのノッポビルの背後になる。
 つまり、成沢城からは北に山形城と山形城下の方面を、西に谷柏楯や長谷堂城の方面を、南に上山城方面を見渡すことができたので、まさしく軍略上きわめて重要な山城であったといえる。
 ※ 成沢城に関しては断続的にシリーズ記事としたい。請う御期待! 

 そして午後には某「村」で市民参加の巨大のり巻作りのイベントにでかけた。
「村」と申しても中心商店街ゾーンの真っ只中にある昨年オープンの「屋台村」のことであり、開村一周年を記念してのイベントである。
 こののり巻作りの進行具合は写真の通りである。
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ワーキング・プアーの「傾向と対策」

2010-06-22 08:53:50 | 時評
 またまた当ブログ主お得意の不可解な写真の組み合わせ。そして不可解な標題。
 死闘のさ中のサッカーの選手たちの写真とビルに囲まれた広場の写真、及び有名大学への合格を目指す受験生向けのような標題との多少無理な関係づけは下記の文章を読んでもらえばわずかなりでもお分かりいただけよう。
ワールドカップサッカー南アフリカ大会での日本チームは第三戦を控え、選手たちはむろん、マスコミは挙げて対デンマーク戦について「傾向と対策」に打ち込んでいる。
 さて、サッカーの試合を見ていると(前回の記事ではテレビ観戦は極力避けていると述べたが、まったく見ないわけではなく、つい目にすることもある)、選手すべての運動量はかなりのもので、瞬発的動作も頻繁で、マラソンを上回るとも思える。だから試合も数日か一週間をおいて行うのがほとんどで、野球のように連日行うようなことはありえない。
 運動量はむろん、神経の消耗もすさまじい。
 それにもかかわらず、高得点をあげることはわずかで、0-0とか1-1での引き分けに終わる試合が多いのもサッカーというスポーツ競技の特色ともいえる。
 いわば非正規労働者などワーキング・プアーの「働けど働けど、我が暮らし楽にならず」に似たようなもので、試合では長時間全身全霊を注げどもなかなか得点を重ねることが困難なようである。
 高得点を取り合う接戦ならば観戦しても楽しいものだが、いかに運動量が多く動きだけは激しくとも高得点に結びつきにくいサッカーは寝技のまま動きがなくなる膠着状態の柔道の試合を見るようで、観戦者にとって「しらけ」気分やストレスが募ってしまう。
 それでは最後に写真「右」の説明をしたい。
 広場の前方の建物は「ハローワーク」つまり職安が入居している山形テルサである。
 ここには連日多くの職を求める人たちが参集する。
 でも、ここで何とか職を得ることができてもワーキング・プアーにならない保障はない。
 そして手前の空き地は県の保有地であるが、もともとは文化ホールのようなものを建設する計画があったが頓挫の状態で、山形新幹線の駅の隣地であるのを活かして「サッカー主体の大型スポーツ競技場」を建設すべきという意見がある。
 むろん、この意見に対して行政当局は「傾向と対策」に追われている。
 どうも、お疲れ様!!
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たいせい翼賛のサムライゴールド

2010-06-18 21:38:13 | 時評
 タイトルにある「たいせい翼賛」という表記と「サムライゴールド」という表記が何のことかわからないという方はかなり多いのではないか。
 昭和史を紐解けば戦時下にすべての政党が解散して「大政翼賛会」という政治組織ができたことなら覚えている方は少なくないであろう。
 片やワールドサッカー南アフリカ大会に出場の日本チームのメンバーはユニフォームの色により「サムライブルー」と呼ばれているが、「サムライゴールド」とは何なのか。
 むろん、替えのユニフォームが金色というわけでもない。
 そう、写真でもおわかりのように、対カメルーン戦で勝利のシュートを決めた本田選手の頭髪の色のことである。そんな頭でも彼はサムライ呼ばわりされている。
 徳川家康に仕えたイギリス人三浦安針(ウィリアム・アダムズ)は「青い目のサムライ」と呼ばれているが、本田選手は「金髪のサムライ」ということになる。
 天下のNHKを始めとする日本のマスコミは連日「ホンダ、ホンダ」の大合唱である。
 さ~て、数多い欧米諸国のチームにさえもキラキラとした金髪の選手はそう多くない。
 それが日本チームには本田選手の他にも金髪系の選手が複数存在する。だから本番の試合以前に既に「頭髪の色」において日本チームと欧米チームとは逆転している。
 そんなわけでブログ主は違和感を超えて不快感すら覚え、心の底から「日本チーム」に声援を贈る気にはなれない。
 頭髪の色は問題でない(むろん生まれつきそうである場合)、要は上手であればそれでよいではないか。だからブログ主に対して「何と狭量な!」とあきれる人は多いであろう。
 でも、日本国民の中には当然のことながら私のような思いの人物はかなり存在するはずである。だが、マスコミの「たいせい翼賛」的な賛辞の洪水の中では金髪の日本選手たちに対して積極的に不快感を示すことは困難であり(画面に登場するコメンテーターなら尚更であろう)、せいぜいテレビ報道から疎遠になるくらいしかできない。
 それでも、もし彼らが金髪でなかったら、ブログ主のような者すら声援を贈る気になり、彼らに対する声援はわずかなりとも高まっていたことは確かであろう。
 一方、生まれながらの金髪頭の外国人力士(把瑠都)の場合は日本の国技を担う者として極力頭髪は黒に近づけていなければならない。
 もし、力士の頭髪に関して厳格でなければ、頭髪を金色に染め上げて大銀杏を結う日本人力士が現れていても不思議でなくなる。
 もし本当にそんなことになったら、相撲に対する関心はますます希薄になるだけである。
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カンイッパツで饅頭買いそびれ

2010-06-15 22:22:19 | 建物
 なんじゃい? 全学連が国会前に大デモ!?
 今を去る50年前に「アンポ反対、アンポ反対」を叫ぶゼンガクレン(全学連。全国学生連合)を中心とする学生たちのデモ隊の大集団が連日国会議事堂など政府機関に押し寄せていた。
 その時のカラー写真が手元にあるので紹介したい。
 えっ? このデモ隊?の顔つきは大学生よりはだいぶ幼いし、全然悲壮さが感じられない。また、完全武装の警察機動隊の姿も見られない。
 50年前のデモ隊の攻撃の主たる矛先は安倍信三元首相のズサマ(祖父)たる岸信介首相(当時)であったが、この写真の若者たちのお目当ては菅直人新首相なのである。
 でも彼らは新首相本人を特別に間近に目にしようとは思っていない。
 彼をモチーフにした「菅一発珈琲まんじゅう」を国会内外の売店で買いたかったのである。だが、残念、残念!!
 もう、2、3日遅く訪れればこの饅頭を手にすることができたかもしれないのである。
 このような饅頭などを開発販売する菓子店は過去にも歴代首相たちをモチーフにした饅頭などの菓子、例えば小泉元首相に関した「純ちゃんまんじゅう」、麻生元首相に関した「太郎ちゃんせんべい」、鳩山前首相に関した「鳩山民衆サブレー」などを売り出してきた。
 だが鳩山内閣の支持率が急落し、辞任の声が大きくなると「鳩山民衆サブレー」は売れ行きも急落し製造を中止したが、辞意表明のニュースが全国を駆け巡るや残りのサブレーはたちまち完売。
 菅直人氏が新総理に選出されるや、同菓子店は急遽「菅一発珈琲まんじゅう」を考案し、売り出すことを決定した次第である(菅氏は缶コーヒーが好きらしい)が、この決定はちょうど私がこの写真を撮影した頃の事だから、発売直前ということになる。
 だからブログ主の私も東京みやげとして山形に持ち帰ることはかなわなかった。

※ 過去の首相関係の菓子に関した記事
 http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20090420
 http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20091107
◆写真 国会記事堂前広場の見学の中学生たち(6月5日撮影)
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古城の如き分校校舎

2010-06-12 23:48:17 | 建物
 マスコミ関係者とともに西村山郡まででかけた。
 確か十年近く前に一度訪れたことのある建物を見るためである。
 この時もこの建物は既にかなり老朽化しており、今頃どうなっているかかなり心配であったが、今回訪れた時もなんとかしっかり持ちこたえていた。
 前回はグループで訪れ、地元の人の案内により内部も見せてもらうことができたが、今回は外観を眺めるだけで我慢した。
 この建物は最上川の対岸からも臨むことができる。
 かなりの高台に建てられており、外観も白壁の三階建てなので、遠方からの眺めはあたかも“古城”の櫓(やぐら)のようである。
 もっともこの高台一帯は近世初頭まで城郭があった所で、この校舎の敷地も城の敷地内だったようだ。眺望抜群ゆえに当然見張り櫓でも建てられていたのであろう。
 さらに話を加えれば関が原の戦いと同時期に直江兼続の軍勢と最上義光の軍勢が戦った古戦場でもあり、貴重な歴史スポットでもある。
 明治初期の村びとたちはこの古(いにしへ)から受け継がれてきた記憶を校舎建築に再現したかったのではないか。それにしても洋風でもあり、丸窓など書院造りも加味されるなど、今は過疎が心配される中山間地域においてきわめて奇抜な意匠の建物ができたことに感動せざるをえない。
 むろん、この昔の分校校舎からの眺めも抜群であり(以前内部に入って三階の窓から眺めた時は感動的であった)、もし常時入館可能であれば、これだけで立派な観光スポットになりうる。
 明治15年の建造だから、現存の校舎建築としては県内でも最古のようだ。
 しかも朝日町の指定有形文化財でもあるから、「宝の持ち腐れ」にならないよう、広範な利活用が望まれる。むろん、維持管理を小さな町だけに委ねるには無理がある。
 やはり全県的支援が必要であろう。
◆写真は朝日町立西五百川小学校旧三中(みなか)分校
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いにしへの生活用水路、山形とフライブルク

2010-06-10 23:56:57 | 郷土史
 衛星放送テレビを見ていたら、環境先進都市として全世界から視察者が訪れる「聖地」化してしまった感のあるフライブルク(ドイツ南西部)の賑わいの模様が目にとまった。
 そしたら山形市街地でも見られるような昔の生活用水路の流れに足を踏み入れて歩いている幼児の姿が映し出されていた。
 あれえ? それなら最近は山形の中心市街地でも街往く観光客と市民に潤いを与えようとして復原(実際はこの流れは戦後に暗渠となって街往く人たちの目にはふれないものになっていた)された御殿堰と似ていないこともない。
 でも、敢えて景観において軍配をあげるならば、山形の方に利があるようだ。
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「私」と「公」の近代和風庭園

2010-06-07 16:51:53 | 風景
 先日、少し昔に(Once upon a time)山形の政財界全般に羽振りを効かせていた某社社長氏(故人)旧邸宅の庭園が市民約百人の内覧を受けた。
 現在、山形県の管理下にあるが、樹木が多いこともあり、財政状況の厳しい中での維持管理は決して容易なことではないものの、これほど緑豊かにして芸術的センスに満ち溢れた和風庭園を荒れたままにしたり、解体のうえ整地してしまうのはあまりにも勿体ない。
 それで常時広く市民に開放し、かつ観光で山形にも訪れる人々にも喜んでもらえる道はないものかと方策を練るための第一弾としてこの度のシンポジウムと内覧会が催されたようである。
 実際に中に入ってみると、いかに権勢があった社長氏といえども一個人がこれほど豪勢で広大な庭園を造成し、日常楽しんでいたとは信じられないほどである。

 なお、一昨日は上京し、国会議事堂界隈にも足を伸ばしたが、政界では鳩山氏が首相を辞任し菅氏が新首相になるなどの大きな動きがあったにもかかわらず、周辺は人の姿もまばらで、概して静寂であった。(むろん警備の警察官などの姿は結構目に付いた。)
 その静寂な国会議事堂のすぐ向い側の緑地に足を踏み入れたら、そこにもかなり広大な輪日本庭園がしつらえられていた。
◆写真「左」は山形の旧私設庭園(現在は公営) 「右」は憲政記念館庭園
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沖縄本島を移設させたら....

2010-06-02 23:52:14 | Weblog
 鳩山首相が辞任して、その後に誰が首相になろうが、「フテンマ・ヘノコ」はしばらくは手がつけられない状況が続くであろう。もし、本気でヘノコへの移設を進める気ならば、民主党と自民党との大連立を図るしかない。それでさえ推進はきわめて困難であろう。
 特にヘノコについては飛行場造成の本工事はおろか、地質調査や測量作業すらも激しい反対運動により実施は容易でなかろう。
 つまりはフテンマは恐ろしく「現状固定」のままになってしまう可能性が高い。
 まさしく「触らぬ神に祟りなし」だからである。
 民主党と鳩山氏は社民党や党内左派の意向に配慮してか、フテンマからの移設先として決定したヘノコに手を出してヘノコ移設を否定し、名護市長選で移設受け入れ反対派の稲嶺氏を当選させ、「最低でも県外」になどと言い始めたことが「大迷走」の発端となった。
 そもそもマルクス主義的発想で資本主義の頭目アメリカの米軍基地をアタマから否定する社民党との連立は早かれ遅かれ亀裂するものと私は読んでいた。 
 アメリカがアジア諸国に対して軍事的に睨みを効かせるには沖縄ほど地理的に好都合な所はなさそうである。沖縄は既に遠くペリーの来航の時点からアメリカに軍事的に魅入られていた。ましてや、中国の軍事力、特に海軍の強化、朝鮮半島の情勢が気になる現在、アメリカは沖縄を一層重要視するようになっているのではないか。
 沖縄の人たち、特に軍事基地を嫌う人たち(もっとも私だって軍事基地がすぐそばにあるなら大迷惑に思うであろう)に対しては申し訳がないが、沖縄の地理的位置が米軍基地を集中させたのである。
 もし、沖縄(特に沖縄本島)が日本本土のはるか東方にでも位置していたとすれば、米軍基地はさほど建設されないでいたのかもしれない。
 その代わり、本土にもっと多くの米軍基地が残されたままであったに違いなかろう。
 昭和20年代は山形市内でも多くの米兵が闊歩していたのであり、その状態が現在も続いていたかも知れないのである。(ただし、米兵の悪評判はあまり伝わっていない。)
 米軍基地にそれほどに「ひどい苦痛」(※注)を感じるならば、その負担の除去を民主党であれ自民党であれ、政府与党の力にのみ依存するのでなく、自力で米軍基地を排除してみたらどうであろうか。デモや集会などはむろん、集団で何度も米国首脳に直接・間接に訴えるなど色んな方策を組み合わせるのべきであろう。
 ただし、すべての米軍基地なのか、フテンマ(普天間)だけでよいのか。自衛隊の駐屯や訓練すら赦せないのか。ヘノコ(辺野古)の滑走路建設を阻止さえすればよいのではないはずである。
 フテンマを包囲した「人間の鎖」とて、どこかに基地を吹き飛ばすカミカゼのようなものを期待する「他力本願」のまじないのような甘い臭いがする。
 ただし、米軍が去ったとしても、中国海軍が頻繁に寄港するようなことになる可能性もなくはなかろう。それほど沖縄は軍事的にはどこの国にとっても魅力的な位置にある。

 ※注:多くの米軍基地があるという理由で「苦痛、苦痛」「過大な負担」と叫ばれる割合に、大都市圏から離れた県の大半(山形県も)が人口減に悩まされている一方で、沖縄県だけは着実な人口増を見せており、「世界一危険な軍事基地普天間」のある宜野湾市の人口も近年かなり増加しているだけでなく、琉球大学なども那覇市から移転しているのは不思議である。
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