山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

たぐい稀なる華麗な蔵店

2007-01-31 23:57:41 | 建物
 28日の記事「また一つ消え去る?“美しい山形”」で紹介した蔵店を角度を変えた姿(1995年の日付がある)で紹介したい。
 この写真を見ればわかるように、二階部分は別棟になっている。それゆえ城郭のような華麗にして豪壮な姿になったと思われる。
 以前は呉服屋であり、明治35年建造とも言われているが、地域誌『街角』第34号によれば現在の姿になったのはかなり新しく昭和12年らしい。
 山形の蔵の多くは屋敷の奥の方に建てられ、公道に面しているものは少ないし、ましてや店蔵は決して多くない。その数少ない店蔵の中でも最も華麗で道行く人たちの目を楽しませるのに充分な貴重な建物であるが、現在、脇に工事のテントのようなものが張られており、近い将来が気にかかってならない。
 情報をお持ちの方は是非コメントをお寄せいただきたい。
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軍司令部のような小学校校舎

2007-01-30 21:52:50 | 建物
 
 ↑ 旧校舎廊下を見学する人々         ↑ 重厚そのものの正面階段
       ↓ 旧校舎東北部の階段空間  レトロな窓が並ぶ

 ↓ この廊下に賑わいが戻るのはいつか      ↓ 新校舎での講演会風景
 
 つい先日、登録文化財である山形市立第一小学校旧校舎の見学会と歴史的建造物の保存に関する講演会が同校内で行われた。
 関東大震災の後、防火防災に優れた堅固な校舎の建造が全国で相次いだが、現存するものは既に稀となり、それゆえ貴重な昭和初期(昭和2年建造)の鉄筋コンクリート造りの校舎として市でも保存の意向を表明したが、活用策はまだ固まっていない。
 講師(文化庁出身の大学教授)はこの旧校舎について、天井も高く小学校というよりは高校の校舎みたいだと述べていたが、私にはそれ以上に軍の司令部のような重厚さが感じられた。
 また講師は、欧州と比べて日本に街なかの歴史建造物が少ないのは木造が多いからと考えられているが、それは大きな誤りで、欧州でも木造の歴史的建造物は数多く保存されていると述べておられた。
 さらに場所を変えての懇親会で、地中の埋設物(ありふれた土器の破片でも埋蔵文化財と言われている)の発掘に力を入れる以上に、日常的に市民の身近で目に触れる地上の歴史的建造物の価値を再評価して保存に力を入れるべき時代ではないかと語られていた。
 ※ 外観(旧校舎正面)の写真は「城下町やまがた探険地図」(←クリック)を参照
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“美しい山形”がまた一つ消える?

2007-01-28 23:23:17 | 建物

       ↑ 右手に工事用のテントが
↓ 店蔵の奥には複数の大きな土蔵が連なる。隣地には駐車場が広がる。かつて紅花で栄えたこの地で栄えるのは“駐車場産業”のみ。“美しい山形”は“無粋な山形”に変貌。

 街を歩いていたら大変驚くとともに不安にかられる場面に遭遇した。
 明治以前の城下町山形の繁栄の中心地は初市が開かれてきた十日町であったといわれている。残り少なくなったものの今でも点在する豪商の土蔵造りの店構えはまさしくそれを物語る。
 だが、その中でも最も豪壮で華麗な造りの店蔵には「会社移転」の貼紙が貼られ、建物の脇には工事用と思われるテントが張り巡らされ、今にも解体工事でも始まりそうな雰囲気である。ある人の話ではやはり解体されるということであった。
 しかもこの歴史的建物の所有者(またはその一族)は県内有数の企業の代表者であり、また、この建物は近くの土蔵造りの店舗2棟とともに山形市の「まちなみデザイン賞」の顕彰も受けている。それでも解体されるのなら、この賞には神通力がないということになる。
 昔、この地の特産の紅花を京都方面に出荷して繁栄を極めた城下町を代表する商家の面影すら消え去ろうとしているのか、甚だ心配である。
 安倍首相が“美しい日本”を提唱するのはむろん構わない。だが、今、私の目の前から“美しい山形”がまた一つ消え去るのではないかという不安で一杯である。
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横田めぐみさんの歩いた?小道

2007-01-27 23:17:35 | Weblog
 砂丘を埋めた松林の間のこの小道の先は日本海。好天の時は佐渡も見渡せる。
 2年と少し前に新潟市のこのあたりを何気なしにレンタサイクルで散策した。松林の向こうの海岸はもちろん、手前の市街地も気の赴くままに巡った。
 山形でしばらく上映された映画『めぐみ』は昨日で終了し、私が入場した日はわずか5名だけの淋しい観客数であったが、海外での高い評価のとおり感動的内容であった。
 そこで、横田めぐみさんが拉致されたと見られる付近の街並みが画面に映し出されたが、どうも見覚えがある景観であり、彼女が通学していた寄居中学校も画面に登場したので、新潟の市街地図と旅行の時の写真を出してみたら、まさに小生が自転車で散策した地域であった。
 当然彼女も両親や弟たちとともに松林界隈の散策や日本海の眺めを楽しんだに違いない。だが、今のご両親たちはこの日本海を眺めることは大変辛いことであろう。
 山形県でもかつて密入国の北朝鮮の工作員と見られる男たち2名が逮捕された温海事件というのが起きている。めぐみさんが拉致されたのはその4年後のことであった。
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えみるちゃんらの悲劇と青信号

2007-01-26 00:06:52 | 街づくり
 宝物のような建物(旧山形県庁舎)ばかりに目を向けないで2つの信号機を注視していただきたい。車道用の信号は「赤」なのに横断歩道用の信号は「青」である。逆のケースはいくらでもあるが、このようなケースは珍しい。
 俳優、風見しんごさんの愛娘えみるちゃんは青信号なのに右折の車にひかれて犠牲になり、数日後は仙台で2歳の女児が青信号なのにやはり右折の車により幼い命を失った。
 だが、もしここの信号のように、歩行者用の信号が青の時に車道の信号が赤ならば、えみるちゃんたちのような悲劇は避けられたはずである。
 まさしくこの写真の信号システムこそが山形市内で唯一と言われる「歩車分離信号」なのである。近くの交番の相談員の方によれば、歩行者にとって安全であるだけでなく、クルマの流れもかえって良くなり、分離信号は素晴しいと話されていた。
 1992年、東京の八王子の小学5年の少年が青信号で道路を渡ろうとして右折の車により犠牲になった。彼の両親は信号システムに問題(←クリックすると著書の紹介)があると見て、歩車分離信号の設置推進の先頭に立ち、次第に全国各地で設置されるようになった。
 この度のえみるちゃんと仙台の幼女の事故を機に分離信号設置の気運が一層高まることを期待したい。([私見]道路特定財源をことさら一般財源化しなくとも、分離信号設置促進などクルマ社会の負荷対応の施策なら幾らでも使途がある。)

※ 19日には東北電力山形支店主催により山形市内で井上保孝・郁美夫妻(平成11年東名高速で飲酒トラックに追突されて2名の幼い娘を失う)の飲酒運転撲滅講演会が開催され、飲酒運転のひき逃げ厳罰化と飲酒癖治療システムの社会的構築の必要を強く訴えられていた。
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イラクでの米軍の“功績”

2007-01-25 00:41:04 | Weblog
     
     ↑ イラクで作戦中の米軍     ↓ どこかの国(東南アジア?)の車の渋滞。ここでも石油ががぶ飲みされている。 (ともに関連HPより)
              
 今日は穏やかならざる表題になった。非難ごうごうのイラク政策に“功績”?
 ブッシュ米大統領は米議会での年頭教書でイラクへの米軍増派に対し支持を呼びかけたが、野党民主党ばかりでなく与党共和党内部からも反対の意見が出されたし、米国民の世論も多くが批判的である。日本の政府与党も内心は米軍増派には困惑しているに違いない。
 既に米兵の死者は3千人を超え(※1)たのに、イラクの治安はむしろ悪化し、大規模テロの頻発でイラク国民は恐怖の連日だ。それでも米軍のイラク駐留には反戦論者とて否定しえない“功績”がある。
 なぜなら、米兵が血を流す限り(つまりは何倍ものイラク人も犠牲になる)世界中の関心がイラクと中東に注がれてイラク民衆への同情が向けられるだけでなく、石油の大量消費者としての我々もかなりの緊張感をもって使用するからである。
 だが、米軍が撤退すれば、イラク人相互がどんなに殺戮し合っても(※2)関心外になってしまうに違いない。米兵がイラク人を殺すのは絶対に許せないが、イラク人相互の大量殺戮は関心外になる(報道も小さくなろう)というのでは、これも形を変えた人種差別であり、反戦論の浅薄さの露呈にもなる。
 さらに米軍の撤退(※3)により、日本人などは中東に関する関心の減退とともに緊張感が薄れ、再び石油の貴重さを忘れかけてしまうのではないか。
 だだし、あくまでもイラク戦争に対する良否の評価とは別問題である。

※1 62年前の硫黄島ではわずか35日で米兵は6千人を超える犠牲を出した。
※2 大いにありうる。米軍が居るからテロを誘発しているといわれるが、やはり米兵が居る他の湾岸諸国ではテロは少ない。
※3 他の湾岸諸国からまでは撤退しないだろう。だが、ビン・ラディンらのイスラム過激派は中東全域からの撤退を目指している。
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芸術作品としての山形の蔵 (20) 

2007-01-23 21:07:25 | 建物
街なかなのに農家風 土蔵とはいっても壁面が必ずしも白い漆喰で塗り固められているわけではない。この蔵のように黄土色の土壁がむき出しになっている場合も多いが、それはそれでなかなか味わいと趣きがある。
 この土蔵は外壁の色合いからも街の商家の土蔵には見えず、郊外の農家の土蔵のようにも見えるが、ここは歴然とした市街地である。

※ この土蔵のシリーズ、今回をもってほんのしばし休止しますが、山形市内にはまだまだ素晴しい土蔵があるので、あらためて新シリーズで紹介いたします。 
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ゴア氏も推奨?地球にやさしい泥棒氏

2007-01-22 17:18:43 | Weblog
 
 確か沢田研二氏の歌に『憎みきれないろくでなし』というのがあったが、今でも漫画や喜劇に登場する唐草模様の風呂敷を背負ったドロボウこそ最も当てはまる存在といえよう。その定番の古典的スタイルにサングラスという現代のアイテムを着用させれば一層滑稽さが増幅する。
 こんないでたちなら警官が追いかけ易いし、クルマは使わないだろうから、すぐ遠方へ逃げることもない。彼なら二酸化炭素排出には無縁であり、地球環境には優しい。
 7年前の米大統領選でブッシュ現大統領に敗れたゴア元副大統領(クリントン時代)は以後地球環境問題に取り組み、地球の危機的状況を講演等で訴え続け、最近では『不都合な真実』という本を出版、また同名の映画にも登場し、講演のため来日している。
 むろんゴア氏は泥棒を勧めはしないだろうが、“マイバッグ”の源流ともいうべき唐草模様の風呂敷には感動するであろうし、迅速さが勝負の泥棒ですらクルマを利用しなかった時代を評価するのかもしれない。
  
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異常暖冬の中、哲学中なのでアル

2007-01-21 22:10:31 | Weblog

 ↑ 2007年1月21日現在  ↓ 06年1月8日現在
          
 昨年の今頃は家が潰れるほどの積雪だったのに、今年は窓の外には全く雪が見られない。もう既に1月も下旬に入り、まさに厳寒期なのだが、まだ一度も真冬日になったことはなく、この2階の部屋は天然暖房だけでポカポカと暖かい。
 とても気持ちが良いので、このまま居眠りしたくなりそうだが、我輩とてやはりこの暖かさを喜んでばかりいられない気分だ。
 テレビからは全世界的に異常な暖冬だとのアナウンスが聴こえるが、人間様たちが“自己実現”とか社会の“活性化”とやらで余計に動き過ぎて無駄に無駄を重ねているからこんなことになるのではないか。
 人間様は確かに偉大だ。なぜなら焦ったように動きすぎるがゆえにゴミの製造と発明の大天才だからだ。
 我輩も既に老境。我輩の人生、否“猫生”とは何だったのか、余生はいかにあるべきか、人間様と近所の猫たちとの“人間関係”は・・・ゆっくりと哲学中なのである。
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芸術作品としての山形の蔵 (19) 

2007-01-19 23:40:37 | Weblog
石造りの蔵  山形にも土蔵ならぬ石造りの蔵はある。それゆえ「石蔵」と呼ぶべきなのだろうか。
 長方形に加工した石材を積み重ねているので、何となく洋風建造物にも近づいた感じであるが、形状はやはり伝統的外観である。
 それでも蔵自体が和風建造物の中では壁面が広く立体的形状なので、やはり異質な存在といえる。(石造りの蔵の登場はだいぶ後世であり、この蔵もかなり新しい方であろう。)
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