山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

◆寒さの中で女子大生たちがレトロ建築計測実習◆

2018-12-08 20:40:03 | Weblog
今日は小雪がチラつく中、福島県から郡山女子大の家政学部人間生活学科の学生たちが旧西村写真館を訪れ、建築デザインコースの実習として吾が山形のレトロ建造物に対面しつつ天井の高さなどを計測した。彼女たちは女性の視点での生活に根差した住宅などの建築の在り方を探ろうとしている。※この間に知人が当館を訪れ、彼女たちの真剣な姿を見つめていた。
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◆“七日町”論争に一石か◆

2018-09-23 21:45:31 | Weblog

「ペン画で観る山形の洋館」展(旧西村写真館にて)はあと一日だが、ペン画の他にこんな写真も見られる。山形市の写真館で最も古い歴史がある照井写真館撮影の写真が旧西村写真館で見つかった。
裏面にはローマ字で「羽前山形」と記されているから、市制が施行された明治22年以前のものと思われる。つまり約130年ほど昔のものだ。
更に注目すべきは同じくローマ字で“nanokamachi”と記されている。つまり「なのかまち」だ。「なぬかまち」ではない。
郷土史に関心のある方もペン画展に訪れ、山形の近代史の一端に触れていただくとともに、この写真もこの目で見て「なのかまち」と記された史料としての古写真をもご覧いただきたい。 ※11時~16時
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知らない町を歩いてみた・・・西置賜郡川西町小松

2018-06-10 21:58:10 | 旅行、小旅行


この町には40年と少し前に訪れたことがある。しかし一人だけでなく、しかもほんの少しの時間だけだからこの町のことはほとんど覚えていない。また、急いで通過しただけのことも2度ばかりある。だから私にとってはまさしく「知らない町」同然である。
それゆえJR米坂線「羽前小松駅」を起点に街歩きしてみて新鮮さすら感じたのは当然である。
駅前から歩いて15分くらい歩いてみたが、町の全人口がわずか17000人という小都市のご多分に漏れす゛商店街は閑散としており、シャッターが下りている店も多いのに突如として目の前に三層の洋館が現れて度肝を抜かれた。
でも、老朽化している感じは否めない。これを補修しておれば町の観光の目玉の一つとなることは間違いない。
それにしてもどうしてこんな小都市に巨大な洋館が建てられたのかと不思議に思ってみたが、クルマ社会が大衆化するまでは街は賑わっていたからであり、この洋館の他にも幾棟か和洋の堂々たる建物が残され、かつての街の繁栄を偲ばせてくれた。

[写真説明]➀三層洋館の正面 ➁こんな淋しい街の様相ばかりと思っていた ➂個性的な町屋 ➃堂々たる和風住宅

[写真説明]➄文房具店兼書店 ➅近代的店舗も今は昔 ➆「ひげ町」の表示 ➇さすがに人気作家井上ひさし氏の生まれ育った町

ハーブ園の隣の置賜公園は伊達氏の家臣原田氏の居城の跡地。子孫が伊達騒動の重要人物原田甲斐。ゆえに「原田城跡」の石碑(左)。右は草木塔

[写真説明]➈ダリア園の近くのハーブ園 ➉弘法大師の高弟真済上人が入滅したことを記念する石塔 ⒒置賜公園からの川西町小松の眺望 ⒓この橋の近くにコンビニが二つ。中心街の衰微をよそに客の出入りが激しかった。

羽前小松駅に近づいたのに地蔵尊が目に付いた。覆いの白布には「片倉」さんの名が三名も記入。ああ、伊達政宗の重臣中の重臣片倉小十郎の先祖の地であった。

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◆メキシカンひな祭り始まる◆

2018-03-22 10:20:11 | Weblog

21日~25日まで 大正レトロの旧西村写真館にて(山形市本町2丁目)。
22日と23日は12時~18時(お近くが勤務先の方は昼時間か17時以降でも入館・観賞できます。)、24日(土)と25日(日)は10時45分~18時です。

作品展示の様子です。
メキシコの地方に住む職人の皆さん方の手づくり作品ばかりで、いずれも個性に溢れております。
設営者はNPO「手をつなぐメキシコと日本」の代表者で公益財団法人山形県国際交流協会の助成により開催され、窓口は山形市創造都市推進協議会です。

作品展示のほかにメキシコを紹介する紙芝居もあります。
日時は24日(土)と25日(日)は14時から30分です。
特にお子さん連れの方を歓迎します。






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『るるぶ』にて

2017-12-19 22:51:49 | Weblog

旧西村写真館が全国向け旅行案内書『るるぶ』に登場。


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◆着物と古民家とコスモスと◆

2017-09-24 21:55:09 | Weblog

昨日は華やかでした。着物姿の女性たちも、コスモスも。そして和風古民家と着物姿はよく似合う。
※ 米沢市芳泉町古民家陽光庵にて
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◆Before & After of 旧木村邸◆

2017-02-17 20:53:53 | Weblog

母屋解体終了直前と完全解体後の比較。
◎で囲んでいた可愛らしい離れ小部屋が見当たらなくなっていた(いったん撤去後、リニューアルのうえに再度敷地内に設置とかの話もあるようだ)。
◆もう一つ気づいたことだが、「祠」らしき小さな建物と土蔵の背後の樹木群がまだ残されている。これらも近いうちに撤去されるのかどうか。
◆当初の計画書では背後の樹木のうち一本は残されるようだ。しかし母屋の前の二本の巨木のうち一本は残されるはずだったが、実際は二本とも伐採されている。ともかく市と審査員に対する2者の企画案のプレゼンテーションでは「厳正な審査」により旅籠町開発(株)の母屋解体による企画案が市により選定されたはずだが、その後の変更はどこまで許容されるのかは市民として知りたいところである。

敷地を囲む山形版トランプ壁に市民が工事の様子を覗ける窓を設けるよう山形市に要望しているのだが、それは未だに実現されず、その代わり写真のような事業名と事業者名が大きく記されていた。でも事業者名の「株式会社 旅籠町開発」という会社名をwebで検索しても会社概要を記したページは一つも現れない。名前だけの会社なのか。市は名前だけの会社に事業を丸投げしていることになる。(一応登記はしているようだ。)

下の写真の右下で〇で囲んだ部分はやはりお稲荷さんのようです。K氏のブログから借用。もし解体するとすれば「勇気」が必要かも。
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トランプ壁山形版の内側(旧木村邸)のその後③

2017-02-07 10:06:39 | Weblog

ついに母屋の解体がほぼ完了。

大きな廃棄物袋の中には何が入っているのだろうか。布団類や壁屑などか。[高い塀と蛇腹扉の隙間から撮影。脇に警備員が居られるので少々やりにくい。]

母屋の建屋部分の解体が終わり、土台のコンクリートが重機で破壊されて跡地がならされたようだ。左手の土蔵は保存されるが大幅なリフォームがなされるし、この土蔵に隣接して大きい石倉(城南町に在った石倉の石材を再利用)が建てられるために、土蔵外観の象徴ともいえる窓が隠れてしまう。

不思議に土蔵南の離れ小部屋はまだ解体されていない。もしかしたら保存されるのかも。それはそうで望ましいことたが、「(株)旅籠町開発(山形建設とパナソニック山形との連携企業)」の事業者公募時の提案書には触れていないようだ。それにしても敷地内に移築するのか。いずれにせよ、巨木の一本を残すはずなのに実際は伐採されるなども加え、山形市と審査員に提示した企画案と違いがあれば、審査会(複数の応募事業予定者によるプレゼンテーション)の決定が無効になりはしないか。
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トランプ壁山形版の内側(旧木村邸)のその後②

2017-02-06 10:39:52 | Weblog

まだ母屋はもとのまま。でも、作業員が入り、いよいよ解体工事に着手のようだ。(南向かい側の旧信用金庫「きんこん館」から撮影。バス停の人たちも見ている。)

ついに解体が始まる。むろん二階部分からだが、玄関の上部の部分はまだそのまま。連子格子が美しい貴重な外観であった。でも、いきなり重機で破壊するのではなく、手作業により割合に丁寧な作業であることがせめてもの慰みになった。

とうとう二階の正面部分も解体され始め、連子格子も内側の窓も取り外された。

以前住まいされていた当主の老婦人(故人)の車椅子もゴミとして搬出を待っている。哀れな光景だ。

二階の解体は進む。いよいよ屋根と一階部分の全面解体だ。

このような巨大な重機の出動で、母屋の解体は完了。解体後の残材はむろん建築廃材として処分場に送られる・

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トランプ壁山形版の内側(旧木村邸)のその後➀

2017-02-05 13:38:41 | Weblog

壁が巡らされてからは当然内部に異変。

まず母屋の前の塀が壊されたと思ったら、ついに玄関前の巨木の大王松と高野槇の二本の古い巨木が伐採された。
次の写真が伐採前の二本の巨木。



これらの古木も街なかでは稀有になった記念物的存在。それらも無価値かのように伐採された。

せめて価値の高い母屋だけでも解体を思い留まるように訴える市民グループが辻立ちしていた。

でも、ついに母屋の解体が始められた。
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