この町には40年と少し前に訪れたことがある。しかし一人だけでなく、しかもほんの少しの時間だけだからこの町のことはほとんど覚えていない。また、急いで通過しただけのことも2度ばかりある。だから私にとってはまさしく「知らない町」同然である。
それゆえJR米坂線「羽前小松駅」を起点に街歩きしてみて新鮮さすら感じたのは当然である。
駅前から歩いて15分くらい歩いてみたが、町の全人口がわずか17000人という小都市のご多分に漏れす゛商店街は閑散としており、シャッターが下りている店も多いのに突如として目の前に三層の洋館が現れて度肝を抜かれた。
でも、老朽化している感じは否めない。これを補修しておれば町の観光の目玉の一つとなることは間違いない。
それにしてもどうしてこんな小都市に巨大な洋館が建てられたのかと不思議に思ってみたが、クルマ社会が大衆化するまでは街は賑わっていたからであり、この洋館の他にも幾棟か和洋の堂々たる建物が残され、かつての街の繁栄を偲ばせてくれた。
[写真説明]➀三層洋館の正面 ➁こんな淋しい街の様相ばかりと思っていた ➂個性的な町屋 ➃堂々たる和風住宅
[写真説明]➄文房具店兼書店 ➅近代的店舗も今は昔 ➆「ひげ町」の表示 ➇さすがに人気作家井上ひさし氏の生まれ育った町
ハーブ園の隣の置賜公園は伊達氏の家臣原田氏の居城の跡地。子孫が伊達騒動の重要人物原田甲斐。ゆえに「原田城跡」の石碑(左)。右は草木塔
[写真説明]➈ダリア園の近くのハーブ園 ➉弘法大師の高弟真済上人が入滅したことを記念する石塔 ⒒置賜公園からの川西町小松の眺望 ⒓この橋の近くにコンビニが二つ。中心街の衰微をよそに客の出入りが激しかった。
羽前小松駅に近づいたのに地蔵尊が目に付いた。覆いの白布には「片倉」さんの名が三名も記入。ああ、伊達政宗の重臣中の重臣片倉小十郎の先祖の地であった。