山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

あれまあ、二つ。国際スキー場のもの悲しい現実。

2012-02-28 00:33:20 | Weblog

 上の写真が国際スキー場を自負する蔵王の現実。
 これは一昨日の撮影だから、日曜日のことである。
 それなのに、蔵王の数あるスキーゲレンデの中でも温泉街と他の多くの宿泊施設が間近なために一番賑わうはずの上の台ゲレンデの現実がこの有り様である。
 昔々の大昔、ブログ主の私が中高生の頃にここを訪れた際はゲレンデでの“交通事故”が頻発するほどの賑わいで、それこそゲレンデ一面が色とりどりの紙吹雪が散りばめられたような華やかさで満ちていた。
 それが、現在はこのような淋しい状態。
 むろん、これには昨年三月の大震災や原発事故による放射能の拡散に伴う風評被害の影響が大きいことは否定できないものの、若者のスキー離れは大震災のかなり以前から全国的傾向として指摘されていた。
 その上、スノーボーダーの姿すら決して多いとは言えない。
 ともかく、一昨日の蔵王の光景は物悲しい限りであった。

 それからもう一つ。

 ここは標高が約900メートルの高地であり、深い積雪がスキー場経営には不可欠なのだが、屋根の上の分厚過ぎる雪はそら恐ろしい。
 しかも今にも屋根からの落雪が心配されるような状態であった。
 この建物は宿泊施設ではなく、一般住宅のようだが、住人はいないのだろうか。
 スキー場、温泉客の不振が有名観光地をも過疎状態にしているようにも思える。
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ズゾサマも近代化で過保護状態

2012-02-23 23:58:36 | Weblog
 お揃いのウィンター・スポーツの装いの面々はズゾサマたちである。
 ズゾサマとは地蔵様の山形訛りの表現である。
 彼らは今の子どもたちや若者たちに「お地蔵様」などと呼ばれても、自分たちのことを呼ばれているとは思わないはずである。
 なぜなら、彼らを「ズゾサマ」と呼んでくれる近所の80代、90代のズサマ、バサマたちが生まれた遥か以前からこの地に立ち続けており、山形弁や山形訛りの発音に慣れきっているからである。
 さらに最近は彼らはコスプレのモデルになっているようでもあり、季節ごとに衣装を着せ替えてくれる人たちがいるようだ。
 しかもその衣装は僧衣ではなく、現代俗人のウェアである。
 さらに厳寒期ということもあり、スキーヤーのような分厚い防寒コートを着せられている。
 これでは過保護状態である。
 ズゾサマは今も昔もアイドルにしてアイドルである。
 つまり、アイドルには二つの意味があるが、一つは宗教的意味で「信仰の対象としての偶像」であり、もう一つは「熱狂的人気の(若手)芸能人」や「愛すべき対象としての存在」のことであるが、このズゾサマたちも今ではまさに後者の意味のさらに後半部分の意味の存在となっているようである。
 さあて、このズゾサマたちは山形市内のどごさ立っているんだべ?
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寒中八朔(かんちゅうはっさく)

2012-02-20 09:42:10 | 時評
一面の雪景色の中にどうやら柑橘類の果物。
 これはどうも「みかん」ではなさそう。
 みかんでなければ八朔のようだ。
 いわば「雪中八朔」とも言えるし「寒中八朔」とも言える。
 どちらにせよ、なんか最近やたらと耳にする言葉と似た響きであるが、それは幕末に某志士により主唱された言葉にあやかったものである。
 ともかく、厳しい環境の時代が到来しているにも拘らず今なおぬるま湯に浸った状態から抜け出そうとしない政治家も一般国民もともに寒中に身を投げるつもりで、やや酸味のあるものを口にしながら、政治を正す努力が望まれる。
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太陽光エネルギーで天国気分!

2012-02-18 10:42:55 | Weblog
 ボクは現在、天国の住人だ。否、住猫だ。
 そして実際に天国気分だ。
 でも、地上に居る時も存分に極楽気分を味わった方なのかもしれない。
 それも厳寒期においてもである。この見出しの写真のようにである。
 いま人間どもは原発に代わる自然エネルギーの活用とかで喧々ごうごうであるが、我々猫類は父祖伝来の太陽光エネルギー活用においては大先輩なのである。
 ボクが地上での生活におさらばしたのは一昨年の秋であり、今年の山形の雪が31年ぶりの豪雪というのだから、人間様たちはさぞかし苦労していることであろう。
 ボクがブログ主宅の「家主」であった時代も写真のようにかなりの積雪だったことがあるが、それでも結構悠然と安眠できたものだ。
 しかも、不思議なことに、外の景色が深い雪景色である方が写真での印象が温もりのあるほんわかとした感じになるようだ。
 昨年は太平洋沿岸では人間様たちだけでなくボクの同族たちもかなり犠牲になったり、原発による放射能の不安、政治の混迷、経済の動向による不安、そして更なる大地震発生の可能性による恐怖などに心が暗くなっている人たちが多いようであるが、少しでも気分が癒されるように再登場させていただいた次第である。
 これ、政治家などの写真よりはるかに心が和むよね。
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厳寒期の山形美人たちと山形弁

2012-02-13 23:25:46 | 方言
 山形に限らないことだが、地方社会の中で(関西を除く)すっかり変貌したものと言えば、何と言っても「ふるさとの訛り」を耳にすることが希になったことであろう。
 石川啄木は故郷に帰って「ふるさとの訛り」を聴きたくなったら人ごみの中に入れば可能であると詠んだのだが、今ではその可能性は少なくなったばかりでなく、若者や子供たちの集団の中に入っても方言を聴くことは困難にさえなっている。
 日本では、とりわけ東北地方では「方言は絶滅危惧種」になったかの感すらある。
 かつて来日以前に日本語を学んで来日した外国人の多くは当初は地方社会での方言に戸惑ったものの、やがては「日本語の多様さ」に感嘆していったものだが、今ではそれはほぼ不可能だ。
 今でも東北地方では多世代家族は多いものの、日常会話においては世代間では異国人同様である。
 これでは地方社会は言語においてすっかり内部崩壊したに等しい。
 東北弁を世界遺産にでもしない限り、やはり絶滅は免れないようにすら思える。

 でも、今日は再び若い山形美人が山形弁で会話している絵葉書を紹介しよう。
 会話の内容は下記URLをそれぞれクリックすることにより知ることが可能であり、拡大写真も見られる。
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20070201
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20070202
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20070203
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20070205
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厳寒・豪雪の中、この男女間格差

2012-02-11 22:11:11 | Weblog
 公共の場所での中年男女のあられもない姿。
 えっ、どうしてこれが中年?
 どう見ても左側は幼児の男の子と真ん中と右側は均整のとれた若い女性の肢体。
 でも、彼と彼女たちがそれぞれの場所に立ち始めてから既にたぶん20年以上のはず。だからもう中年に達していることは確かなのである。
 とりわけ幼児の“坊や”は50歳を超えていると思われる。
 彼の仕事は北山形駅前で毎日24時間体制で立小便すること。
 しかも、この駅からは数多い女子高生や洋裁学校のうら若き女性たちがぞろぞろ出てくるから、彼のタチション姿はいつも彼女たちに見られている。
 こんな場合、普通は中年のおじさんが若い女性たちの前でそんな姿をさらすことなど考えにくいし、お巡りさんに見つけられたらたぶんひどくお叱りをいただくことになるはずである。
 だが、彼の行為はお巡りさんも公認であるだけでなく、洋裁学園の学生さんたちからたいへん可愛がられ.幸せこの上ないおじさんであり、いつも色んな服装を着せられ、さしずめ山形を代表する「コスプレイヤー」である。
 むろん、彼の“シンボル”だけは衣服に覆われることはないが、様々な衣替えにより駅前広場で“公務”に励む彼の姿はまさしく北山形のシンボルである。
 ところが一方、美しいポーズのままの中年女性たちは厳寒・豪雪の中でも裸身のまま。
 彼女たちは決して有名温泉の雪に囲まれた露天風呂から湯上りしているのではない。
 風呂らしきものは何もない、まったくの雪深い環境の中で懸命のポーズをとっている。[※場所は最上義光歴史館の前庭]
 でも、山形市民の誰しもが彼女たちが風邪でもひきはしないかと心配して分厚い毛皮のコートでも与えてやろうとはしない。
 ああ、同じ中年ながら、この格差。どう考えるべきか。
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ホマレさんの「そっくりさん」を山形で見つけた

2012-02-09 11:19:33 | Weblog
 31年ぶりの90cm超の豪雪に見舞われた山形市街の雪景色の中に今や日本一の超有名人の顔と何やら銅像の顔部分らしきものが並んでいる。
 むろん、その超有名人とは女子サッカーの澤穂希さん。
 その脇の銅像の顔ももしかしたら彼女なのだろうか。
 ホマレさんは30歳台前半の若さで早くも彼女を顕彰する銅像が建てられたということなのか?
 それが何で山形の豪雪情景の写真の中に混入しているのか。
 確かに「なでしこジャパン」、ブログ主が言うに「なでしこチャパツ」を世界一に導いた佐々木監督が山形県出身ということではホマレさんと山形とはまったく無縁ということにはならない野田(←これひどい駄洒落)。
 それだけでなく、ブログ主の私は彼女との「そっくりさん」を山形市内で見つけ、意外な所でホマレさんと山形との関連性を見出したのである。
 それがこの銅像である。
 ただし、この銅像の顔がホマレさんと似ているかどうかは個人的主観に大きく左右される。
 だから、これはブログ主の「独断と偏見」であることをお断りしておきたい。
 もしかしたら、この銅像は彼女をモデルにしたのだろうか。
 否、決してそんなことはあるはずがない。
 この銅像の制作年代は1973年だから、その時のモデルさんは既に60歳ほど、もしくはそれ以上に達しているはずだ。
 でも、この銅像の所在地は山形市内のどごさあるんだべ(どこにあるのだろうか)?
 ヒントは当ブログの過去記事の見出し写真にある。[割合に最近の記事]
 そのヒントの写真を見つけて顔を少し赤らめる方もあるかもしれない。
 でも、その彫像はあくまで高名な彫刻家の手による芸術作品であることをお忘れなく。
 そしてこの彫像の顔の部分がホマレさんと似ているという愚かな者が居て、ちょっぴり照れているのか、それとも大いに光栄(誉ーこれまた「ホマレ」)だと思っているのかわかりかねるが、ともかく厳寒のさ中にあっても二人の仲間と同じ姿のまま立っているのを励ましに来てもらいたいものだ。
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とうとう「気が十日町」

2012-02-07 06:14:15 | Weblog

 前回は「耳が十日町」(耳が遠くなった)であったが、今回はそれこそ「気が十日町」である。
 山形市の場合は31年ぶりに積雪が90cmを超えたが、長野県北部の栄村やすぐ隣の新潟県津南町は積雪が優に3mを超えているそうである。
 そしてその津南町のさらにすぐ隣の十日町市もまた同様の超豪雪地帯であり、上の写真や前回の写真を見ても戦前の時代もまたやはり3mにはなっているようだ。
 こんな写真を見ただけで、それこそ「気が遠くなる」ほどである。
 それにしても当時は超豪雪であっても絵葉書を作成して来街者に売り出す心の余裕があったようである。
 ニュースで超豪雪地帯のことやこれらの戦前の写真を見る我々こそが「気が十日町」になるのであって、当の昔の十日町住民は決して「気が遠くなる」ようなことはなく、除雪車やダンプカーもない時代に健気に雪と闘うだけでないばかりか、むしろ豪雪を「売り物」にさえしていたようだ。
山形市十日町の雪など例年の倍以上とはいえ新潟の十日町と比べれば赤児のようなもので、とても「気が遠くなる」、山形弁では「気がとがぐなる」などと言えるものではないかもしれない。

   ↑ ↓ どちらもブログ主の家で見つかった昔の新潟十日町の絵葉書
       亡き父か父の関係者が土産に買い求めたもののようだ

●姉妹ブログ「島国ニッポンの山国から」(←クリック)を閲覧ください。
同じく新潟十日町市街の豪雪模様が見られます。
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いよいよ「耳は十日町」!

2012-02-03 06:29:20 | 風景

 「遠い」ことを山形弁では「とがい」と言う。
 だから老化して「耳が遠くなる」ことを「耳がとがぐなる」という。
 さらに「耳が遠くなつてしまいましたよ」という会話文は「耳とがぐなたはあ」となる。
 山形弁講座からの派生になるが、山形人は駄洒落的会話においてよく「目は香澄町、耳は十日町」などとしゃべる。(前回の記事でも紹介)
 つまり、「目がかすんで見えにくくなり、耳も聴こえにくくなった」という意味である。
 その十日町のことだが、前日の1日の時点でも積雪はかなり多いと思っていたら、2日になったら積雪は一気に倍ほどになり、31年ぶりに90cmを超えてしまった。
 これで市民は大ショック。
 私のアタマもくらくらして、一気に「耳は十日町」になった感じである。
 ちなみに、下の写真は前日の十日町の積雪の模様である。

 昨日とその前日の双方の写真でも車道は除雪され、さらに午後にはやや気温が上がるから、車道の路面の薄い雪もほとんど消え去っていた。
 でも、前日まで丁寧に除雪されていた車道のすぐ脇の自転車道はすっかり「雪寄せ場」と化していた。
 ついでに昨日の山形市街地での雪模様

 もう一つ。裏通りの小道沿いの古い住宅の積雪 「うがいなあ」(山形弁で「多いなあ」)
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十日町と十日町

2012-02-01 00:43:45 | Weblog

 いやはや、連日の降雪と低温。山形市は既に7日間連日の真冬日。
 公式には山形市の積雪は61cmだが、雪自身の重みで積雪の高さは沈み込むから、見た目は40cmくらいであろう。
 それでも山形市としては近年にはしばらくぶりの“豪雪”と言える。
 同じ山形県内でも大蔵村肘折温泉では3mを越し、尾花沢市も2メートル超である。
 一方、山形県よりはやや南の新潟県や長野県北部ももっと豪雪の地域がある。
 ところで、山形の我が家にはどういうわけか豪雪の「十日町」の古い絵葉書が残されているので、それを紹介したい(上の写真)。
 間違いなく戦前の写真だから、少なくとも66年以上、或いは70年以上昔の写真になりそうだ。
 これを見ただけで、豪雪の凄さがわかる。
 えっ!山形市の十日町でもこれほどの豪雪の時代があったの?
 そんなわけはない。山形市は県内内陸部では最も雪の少ない地帯である。
 十日町と言えば山形市民の間では「目は香澄町」「耳は十日町」という駄洒落が語られることがあるが、つまり「目はかすんで見えにくくなり、耳は遠くなって聴こえにくくなった」という意味である。[※ついでに、頭の中は寿町だが、口だけ上町]
 駄洒落はともかく、上の写真の十日町とは新潟県の十日町のことであり、現在の十日町市であり、長野県境寄りの津南町とともに日本一の豪雪地帯である。
 さて、山形市の十日町の現在の状況は下の写真のとおりである。
 歩道は地下水利用の融雪装置によりほとんど雪は見られないし、車道も自転車道も除雪されるから、路面にはほとんど積雪は見られない。
 ただ、除雪により押し退けられた雪が自転車道と歩道との境に積み上げられて「雪の壁」になっており、また隣の駐車場に積み上げられた雪も高さが例年よりはかなり高いようだ。

※写真は山形市十日町のシンボル「紅の蔵」(旧長谷川邸の土蔵造りの店舗 藩政時代の紅花豪商の館) 
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