まさしく半年ぶりの投稿となる。
◆後藤又兵衛が倒れ、木村良達も・・・◆
後藤又兵衛と言えば言わずと知れた戦国末期の豪傑武将。大河ドラマ『真田丸』では哀川翔が演じていたが、大坂の陣で戦死している。さて、木村良達とはほとんど聞いたことのない名だが、江戸時代から昭和にかけて医家として山形の中心部で近年まで存続した木村家の歴代当主が襲名してきた名である。特に明治前期の文明開化期の西洋式病院「済生館」の医師として貢献した良達は「逸堂」とも名乗り、霞城公園内郷土館敷地の巨大な石碑で顕彰されている。
◆しかし、歴代良達の家屋敷は七年前に山形市に寄贈されたが、母屋はいよいよ解体されようとしている。また、後藤又兵衛とは縁もゆかりもないが、単に豪傑の名を旅館名とした「後藤又兵衛旅館」は山形市内きっての老舗旅館として威風を放ってきたが、20年ほど前に廃業し、風雅な本館と庭園、数多い土蔵、洋館棟について市民による保存の声が高まったものの、すべて解体され、今は一帯が武骨な駐車場と化している。
■※後藤又兵衛旅館跡地(山形銀行の駐車場)は旧木村邸の東100m
なお、下記は2007年5月と投稿の再掲です。
後藤又兵衛旅館の跡地がいかに殺風景になっているかもご覧ください。
山形市の中心街に位置する旅籠町には現在一軒の旅籠屋(旅館)もない。
だが、かつては文字通り旅籠屋が軒を連ねていた。
中でも「後藤又兵衛」という豪傑と同じ名の旅館は明治の政治家陸奥宗光や山県有朋、森鴎外などの歴史上の人物も泊まった名門旅館であったが、ホテルの進出に押されて廃業、そして建物は解体、土地も今では銀行の駐車場(無人ATMも設置)という殺風景な平面施設と化している。
堂々たる塀と風格のある玄関、軒を連ねる土蔵、一部には洋風意匠もしつらわれ、緑豊かな中庭・・・と、まさに現在朝の連続テレビドラマの『どんど晴れ』の主たる舞台となっている盛岡の老舗旅館(※)の山形版であり、山形の伝統文化の集大成ともいうべき見事な建造物であった。(※実際の建物は東京にあるらしい)
むろん、解体の前に一部の市民から保存を望む声があったが、今ではご覧のとおり無粋な景観となっている。背後のビルは「歴史の文脈を生かし、風格と奥行きの感じられる都市づくり」を標榜する山形市役所であり、またそのすぐ手前の無骨でしかない薄茶色のビルは市営駐車ビルであるのは皮肉か。
なお、旧後藤又兵衛旅館の写真を持ち合わせていないのが残念でならない。