山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

李香蘭、満州・・・山形

2008-11-29 23:44:27 | イベント
 山形国際ドキュメンタリー映画祭の前年イベントとしての「李香蘭/山口淑子~二つの祖国に刻んだ記憶」が本日開催された。
 会場には多くの市民が集ったが、やはり李香蘭つまり山口淑子さん(※注)を懐かしむ年代の中高年の姿が多く目に付き、若い観客が少ないので、かつての国際的大スターであった彼女も遠い過去の歴史上の人物になってしまったのかなとも感じられた。(※注:李香蘭は中国名で、本名は山口淑子。国籍は日本だが、父が中国人の友人と義兄弟の仲となったために彼女も中国名をも名乗り、芸名とした)
 4本上映されたが、最初の作品『私の鶯』は1943年製作の映画だから、当時の李香蘭さんは現在でいえば宮崎あおいさんに相当する年齢であった頃なる(写真・左)。
 主たる舞台は旧満州のハルピンで、李香蘭が演じる主人公はロシア人に育てられて美しい娘へと成長したのだが、満州事変が勃発するなど亡命ロシア人が多く住むハルピンの街も大きな混乱に巻き込まれ、彼女も翻弄されるという筋書きであった。
 満州の激変には甘粕正彦、石原莞爾などの山形県出身の軍人が大きく関与しているし、満州へ開拓団員として移民した山形県人は全国でも二番目に多い。
 山口淑子さんの来歴はまさに昭和史そのものであり、山口さんを通して20世紀の東アジア史を深く探ることができる(幕間の元日銀副総裁藤原作弥氏談)。
 ●写真は「左」私の鶯での李香蘭さん 「中」ハルピンに今も残るロシア正教会の建物 しかし現在はロシア人はほとんどいないという 「右」30代の時の山口さん  
 
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炭焼藤太・金売吉次が通った道 ⑨

2008-11-26 22:38:38 | 郷土史

扇状地扇央部の妙見堂
 しばらくぶりでこのシリーズの再々開となった。しかし、何と2ケ月以上もの間隔がある。前回は9月18日であった。
 それでも今後も断続的となるであろう。
 さて、炭焼藤太や金売吉次らは唐松観音に立寄って、または右手に遥拝して歩を西に進めると、馬見ケ崎川水系が形成した扇状地の扇の要の部分に辿り着くが、そこに小さな丘陵が突き出ている。だから古墳か城砦の跡のようにも見えるが、この頂上部には妙見菩薩を祀る妙見堂が建っている。
 だが、藤太の時代にはまだここには妙見堂は建っていなかったようである。
 でも、この妙見堂が建つ小丘陵の麓に開けた集落「妙見寺」は平泉の衣川の戦いで敗れた源義経の家臣が落武者となって辿り着いた所と伝えられているから、金売吉次の時代に相当するし、吉次が案内した場所とも言えそうである。
 ただし、その義経の家臣、亀井六郎重清が主君義経の感状とともに携えてきた妙見菩薩像は当初は近くの別の場所に安置されていたようであり、この山頂に移されたのは南北朝時代に出羽按察使として山形入りした斯波兼頼(北朝方)の時代であり、兼頼の子孫で山形城を大拡張した最上義光の時代に亀井重清の九代の子孫(その頃には鈴木姓となっていた)は深く妙見菩薩を信仰し、単なる別当の立場から出家して法印となり、京の醍醐寺三宝院の末寺「妙見院」を創建した。
 なお、妙見菩薩は北辰菩薩または妙見尊星王とも呼ばれ、その信仰は北極星信仰とも重なる。それゆえか、この妙見堂が建つ小丘陵は天文台のようにも感じられる。
写真説明 ①妙見堂が鎮座する小丘陵 右の寺院は妙見院にはあらず ②参道の合計250段の石段 ただし池上本門寺の隣の妙見堂の石段(100段と少し)よりはだいぶ角度が緩い ③これが妙見堂 ④樹木の間からは山形盆地と市街地が一望できる。妙見堂がまだ建っていない時代でも炭焼藤太たちはここに登って商い先の寒河江荘や巨刹慈恩寺の方面を展望したとも考えられる。

● 山形国際ドキュメンタリー映画祭2009プレイベント「李香蘭/山口淑子」の上映会は、いよいよ29日、遊学館にて 詳しくは http://0311db.net/preEVENT.html
 

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世田谷、池上、音羽 ②

2008-11-25 22:35:52 | 建物

 いよいよ今回の東京街歩きシリーズも今回で終わり。
「街歩き」とは言え、東京は本当に起伏が激しい土地であり、またかなり緑が豊かで山形の市街地よりも鬱蒼とした感じの地域が多いこをが骨身に浸みて感じた次第である。
 海辺に近い大田区の池上本門寺とその周辺もかなり起伏が大きいと感じた。
写真説明「上左」池上本門寺参道と石段 ここにも七五三の参詣家族「上中」本門寺の巨大な山門「上右」本門寺の五重塔「下左」本門寺東南隣の妙見堂の石段 妙見堂自体の写真撮影は失敗「下中」本門寺門前町でみつけた古式和風の酒屋「下右」文京区音羽の鳩山邸 池上線~京浜東北線~山手線を乗り継いで目白駅で下車。右手に学習院、左手にポンジョ(日本女子大)の間の並木道をひたすら歩いて文京区音羽に辿り着いたが、凄い急傾斜の細道をうろうろ、さんざん上り下りしてやっと鳩山邸らしき建物を見つけたが、6年前の案内書をアテにしたものの、周辺にも門前にも何の表示も見当たらず、しかも完全閉鎖の状態で、とても観光客を迎え容れる状態ではなく、監視カメラだけが門前を睨んでいるだけであった。
 あとはひたすら東京駅方面に向かい、八重洲口近くのフィルムセンターで数十年前の古い時代劇を楽しんで時間を過ごし、最終の山形新幹線に乗り込んで帰宅した。

http://0311db.net/preEVENT.html←往年の大女優の特集映画会 要クリック

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世田谷、池上、音羽 ①

2008-11-24 21:54:20 | 建物

 前日は東京都心の東部を南下したが、翌日は世田谷の岡本公園、洗足池、大田区の池上、そして文京区の音羽を歩き廻った。
 岡本公園は二子玉川駅から徒歩で20分弱。二子玉川駅近くだけはビルや大型商業施設が多いが、あとは閑静な住宅街。岡本公園の近くになると、山形の市街地では見られない鬱蒼とした樹林地帯が見えてくる。
 昨夜の旧友たちとの集いで会った同級生の自宅の近くに洗足池という風光明媚な所があるということを聴き、急遽訪れることにした場所である。
 池上本門寺と音羽についての詳細は次回
写真 ①右手が岡本静嘉堂緑地(三菱財閥の当主岩崎家の元所有地)の樹林 木製チップの歩道 ②静嘉堂文庫 岩崎家二代目が大正13年に中国古典籍の所蔵のために建てた洋館 ③岡本公園内民家園の旧長崎家住宅 ④3日連続飛び入りPR出演の往年の大女優 詳しくはURLをクリックして ⑤せんぞくいけ池上線洗足駅のすぐそば ⑥洗足池の湖畔に鎮座する八幡神社 ここにも七五三の家族が参詣 やはりここも起伏ある地形ゆえに長い石段 ⑦源氏軍の名馬池月の像と八幡神社の社殿 ⑧やはり洗足池湖畔にある勝海舟夫妻の墓 ⑨同じく洗足池 八幡神社方面 ←クリックで写真拡大
 http://0311db.net/preEVENT.html←④の歴史的大女優出演の特集映画会の詳細

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谷中から丸の内まで徒歩縦走 ⑥

2008-11-23 22:08:53 | 建物

 湯島~ニコライ堂~丸の内
 エキゾチックな雰囲気の東大構内を出て、やや東寄りに歩行を進め、湯島天神に至る。ここも七五三の参拝で賑わっていたが、人力車に搭乗している和装の新婚カップルが拝殿に向かっていたので、外国人観光客の格好の被写体となっていた。
 この湯島天神も小高い所にあり、かなり急な階段を降りて、次に神田明神に向かったが、この境内に入るにも急な石段を駆け上がらねばならない。湯島聖堂もそうだ。
 なんと東京は急坂の多い都会なのだろうか。
 山形は「山」の字が付いており、しかも周囲は急峻な高山ばかりだが、市街地に限っては急坂は少ない。だから緩やかな坂道しか知らない山形人にとっては東京の都心部の歩行はしんどい。
 でもニコライ堂を過ぎたあたりからは坂道はだいぶ少なくなってきたが、目的地の丸の内に近づいたら、小雨が降ってきた。
 ともかくも、今日は谷中の仏閣群、イスラム寺院を思わせる東大の建造物、有名神社三社、孔子を祀る儒教廟、そしてロシア正教寺院・・・と、世界の主要宗教施設巡りをやったような一日であった。
写真 ①東大構内を出たらキリスト教会のような建物が目に入る 区の公会堂であった ②湯島天神 日傘の下は人力車と新婚カップル ③神田明神でも婚姻の集合写真撮影 この日は大安吉日だったのか ④同じく神田明神 ⑤湯島聖堂と太極拳のグループ ⑥ニコライ堂 土曜日は拝観できず残念! ⑦またまた登場、往年の大女優 山形での映画会のPRのためこの記事に飛び入り参入 詳しくは下記URLをクリック ⑧丸の内の目的地の近くで見かけたレトロ建築 ⑨東京在住の旧友たちとの懇親二次会 全員が山形出身者 中には本郷キャンパスと全世界が職場の著名学識者も
 (下)白い稜線の背後は太平洋側 こちらの方向に流れる川は日本海に注ぐ
http://0311db.net/preEVENT.html
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谷中から丸の内まで徒歩縦走 ⑤

2008-11-22 23:11:31 | 建物
 
 東京大学構内3(本郷キャンパス)
 左翼過激派学生たちが安田講堂に立て籠もって警官隊との激しい籠城戦を展開したのは確か1968年だったから、もう40年にもなるのかと思うと、現在の東大構内は嘘のように平和な雰囲気である。あの騒乱はベトナム戦争で反米勢力が米軍を翻弄させていたのに日本の左翼過激派たちが刺激されたためであろう。
 その中心舞台の安田講堂も過去に何事もなかったかのように静かに佇んでいた。
●写真 ①連続アーチの玄関を持つ建物 ②かつて過激派学生が籠城した安田講堂 いずれにしても東大のシンボル ③この日は東大のお祭り(ホームカミングデー)で安田講堂内では東大学生らによる革命歌ならぬクラシック演奏 ④中世ヨーロッパ風 ⑤イスラム寺院風(17日の記事でも紹介) ⑥安田講堂に至る並木 ⑦東京大学には無関係 この超美人、当年とって御年88歳 彼女が主演の映画会は一週間後の29日 詳しくは下記のアドレスにより閲覧を(※) ⑧これまたイスラム風の休憩所 ⑨いわゆる赤門 これも東大のシンボル ←二段階クリックにより写真拡大
※ http://0311db.net/preEVENT.html 山口淑子さんが李香蘭の名で満映の看板女優として人気を博していた頃、旧満州の政庁には東大卒のエリート達がおおぜいいたはずだから無関係ともいえない
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谷中から丸の内まで徒歩縦走 ④

2008-11-21 18:43:14 | 建物

 東京大学構内2(本郷キャンパス)
 東京大学に洋風歴史的建造物が数多く残されているのはどうしてなのか。
 それに反して地方の国立大学にほとんど歴史的建造物と呼べるような建物が残されていないのはどうしてなのか。(山形大学の小白川キャンパスは好例か?)
この建造物の風格度における著しい「格差」は学生たちの学力における「偏差値」に比例するとは思いたくないし、また旧帝大を除く地方の国立大学の多くは旧制高校の後身であることとも多少の関係はあるのかも知れない。
 でも山形大学にも戦後しばらくまでは旧制山形高校時代の風格ある建造物が幾つか残っていたのだから、要するに大学当局及び学生、同窓会などの面々の自尊心の高低の差が歴史的建造物活用度の高低差を表していると考えたい。
写真説明 ①②③④及び⑨東京大学構内のレトロな建造物 ⑤⑥⑦⑧三四郎池 かなりの窪地に豊富な水を湛えている。三四郎池がこんな“深山幽谷”のような所にあるとは驚きであった。 ということは、筆者自身は東大卒ではないということである。●写真を二段階でクリックすれば写真が拡大

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谷中から丸の内まで徒歩縦走 ③

2008-11-20 23:25:01 | 建物

 根津神社から東大構内へ
 谷中と根津は隣接しているから、谷中を歩いているのか根津を歩いているのか判らないでいるうちに大通りに出て、しばらく歩いているうちに有名な根津神社の表示が見えてきたので、根津神社の境内に入る。
 ここが大都会の東京かと思われるほどに鬱蒼とした樹林に囲まれた、まさに都会のオアシスというべき所であるが、七五三の参拝で賑わっていた。
 根津神社から南進するとやがて左手に上野の動物園と不忍池が見えてきたが、右折して東京大学の構内に入ったら、ヨーロッパ風の歴史的建造物のオンパレードで、まさに東京は「和」と「洋」が混在する巨大都市であることが実感できた。
写真 ①②七五三の参拝者でなごやんでいた根津神社境内 ③根津神社本殿 重要文化財 ④根津神社つつじ園 東京のつつじの名所としても有名 ⑤⑥⑦⑧⑨あるわあるわ、洋風歴史的建造物(次回に続く)●写真を二段階でクリックすれば写真が拡大

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谷中から丸の内まで徒歩縦走 ②

2008-11-19 23:32:10 | 建物

 谷中~根津
 地方在住者が東京に来て故郷に戻ったような懐かしさを感じさせられるのが谷中から根津にかけての界隈である。
 むろん、東京在住者にもこの界隈の街歩きが大人気のようであり、この日も多勢の散策者で賑わっていた。
写真説明 ①こんな生垣の間を歩くのは清々しい ②ここから急傾斜の坂道を下る こんな堂々たる和風邸宅がここに ③細道こそ人間的 ④曲がりくねった道路も街並み文化 ⑤写生をする人を呼び寄せる懐かしい町屋 ⑥これが典型的な谷中風の店舗か ⑦⑧⑨生活観あふれる細道 細道を歩けば解放的気分になれる 何よりもクルマの騒音がなく脅威もない ●写真を二段階でクリックすれば写真が拡大

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谷中から丸の内まで徒歩縦走 ①

2008-11-18 20:42:28 | 建物

 つい先日の15日にJR日暮里駅から谷中に降り立ったのは午前11時10分。
 そこから各所を寄り道しながら丸の内まで歩き通したが、旧友たちが集う新丸ビルに到着したのが午後4時少し前であった。
 今日は、そのうち谷中の一部を紹介したい。
写真①谷中駅を降り立ってすぐの天王寺 ②両側は谷中霊園 ③何かの店かと思ったら警察の駐在所 ④もともとは店舗? ⑤昭和レトロ的な店舗 以前は山形にもこんな店が多かった ⑥このあたりは風格のある寺院が多い ⑦そぞろ歩きをする人たちが増えたという 両側に駐輪ゾーンが設けられている ⑧街並みに風格を加えている街角の大樹 ⑨逆の方角から見た大樹 写真を二段階でクリックすれば写真が拡大

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