山形国際ドキュメンタリー映画祭の前年イベントとしての「李香蘭/山口淑子~二つの祖国に刻んだ記憶」が本日開催された。
会場には多くの市民が集ったが、やはり李香蘭つまり山口淑子さん(※注)を懐かしむ年代の中高年の姿が多く目に付き、若い観客が少ないので、かつての国際的大スターであった彼女も遠い過去の歴史上の人物になってしまったのかなとも感じられた。(※注:李香蘭は中国名で、本名は山口淑子。国籍は日本だが、父が中国人の友人と義兄弟の仲となったために彼女も中国名をも名乗り、芸名とした)
4本上映されたが、最初の作品『私の鶯』は1943年製作の映画だから、当時の李香蘭さんは現在でいえば宮崎あおいさんに相当する年齢であった頃なる(写真・左)。
主たる舞台は旧満州のハルピンで、李香蘭が演じる主人公はロシア人に育てられて美しい娘へと成長したのだが、満州事変が勃発するなど亡命ロシア人が多く住むハルピンの街も大きな混乱に巻き込まれ、彼女も翻弄されるという筋書きであった。
満州の激変には甘粕正彦、石原莞爾などの山形県出身の軍人が大きく関与しているし、満州へ開拓団員として移民した山形県人は全国でも二番目に多い。
山口淑子さんの来歴はまさに昭和史そのものであり、山口さんを通して20世紀の東アジア史を深く探ることができる(幕間の元日銀副総裁藤原作弥氏談)。
●写真は「左」私の鶯での李香蘭さん 「中」ハルピンに今も残るロシア正教会の建物 しかし現在はロシア人はほとんどいないという 「右」30代の時の山口さん
会場には多くの市民が集ったが、やはり李香蘭つまり山口淑子さん(※注)を懐かしむ年代の中高年の姿が多く目に付き、若い観客が少ないので、かつての国際的大スターであった彼女も遠い過去の歴史上の人物になってしまったのかなとも感じられた。(※注:李香蘭は中国名で、本名は山口淑子。国籍は日本だが、父が中国人の友人と義兄弟の仲となったために彼女も中国名をも名乗り、芸名とした)
4本上映されたが、最初の作品『私の鶯』は1943年製作の映画だから、当時の李香蘭さんは現在でいえば宮崎あおいさんに相当する年齢であった頃なる(写真・左)。
主たる舞台は旧満州のハルピンで、李香蘭が演じる主人公はロシア人に育てられて美しい娘へと成長したのだが、満州事変が勃発するなど亡命ロシア人が多く住むハルピンの街も大きな混乱に巻き込まれ、彼女も翻弄されるという筋書きであった。
満州の激変には甘粕正彦、石原莞爾などの山形県出身の軍人が大きく関与しているし、満州へ開拓団員として移民した山形県人は全国でも二番目に多い。
山口淑子さんの来歴はまさに昭和史そのものであり、山口さんを通して20世紀の東アジア史を深く探ることができる(幕間の元日銀副総裁藤原作弥氏談)。
●写真は「左」私の鶯での李香蘭さん 「中」ハルピンに今も残るロシア正教会の建物 しかし現在はロシア人はほとんどいないという 「右」30代の時の山口さん