最後は俺のスピーチ・・・ウチの塾には珍しく定時の7時から始まった送り出し、後に里恵(7期生)や大典(21期生・愛知大学法学部4年)やあい(23期生・三重大学教育学部4年)が駆けつけてくれたが、この段階では姿を見せていない。そんな俺のコメント・・・
「ウチの塾は過去前期選抜の送り出しをしたことがない。しかし今年はした、洋佑が前期選抜を受けるからだ。洋佑に壁に落書きを書かせたい・・・そのために送り出しをやったんだ」
洋佑は津高と津商業で揺れていた。家庭では津商業、そして俺は津高・・・その狭間で揺れていた。
一見、奇妙な選択・・・しかしながら俺も洋佑のご家族も、そして洋佑もまたそれぞれの立ち位置で、洋佑にとっての一番実りある人生について考えていた。
洋佑は極度な内気だ・・・「あいつは見ようによっては自閉症やなあ」とはお父さん、そんなお父さんの夢・・・将来すぐ上の兄貴が公認会計士の試験に受かり、どこかの事務所で修業。そしていつかは開業・・・その会計事務所に洋佑が就職する。「あいつの性格だと、ふつうの企業じゃしんどい。それが兄貴が経営者となれば、あいつも気が楽だろうし、兄貴も兄弟ということで気が許せる・・・いつかは二人で会計事務所を経営する、叶うかどうか分からない・・・でも、それが僕の夢なんですよ」
このお父さんの夢、洋佑の兄貴が去年の公認会計士の試験で全国最年少で合格したことで俄然現実味を帯びることになる。
お父さんは洋佑の内気な性格が変わらないとの立場で洋佑の将来を思い描いた。いっぽうの俺、洋佑の性格は変わるはずだと考えて洋佑の将来に思いを馳せた。
塾に入った当初、筆談で意志を伝えあったことは今では笑い話。そして密航当時の90番台の成績も3年になる頃には一桁に入り、4番3番2番と1番に迫ったが、結局は1番を取れないままで終わりそうだ。この間、俺は洋佑の性格を引き出す作業に腐心した。洋佑の教えやすそうな下級生を見つくろっては教えさせた。いつしか同級生にも教えるようになった。馨五がコメントで言う、「樹生也と陸人なんかはやかましかったが、洋佑もその輪に入ることもあり、そんな時にこいつら馬鹿やなって感じでシニカルな言葉を入れるのがとってもおもしろかった」 ・・・つまりは洋佑の性格は徐々にではあるが変わりつつあったと思う。
できれば津高で勝負してみたかった。国語を除いた4教科では玄太(24期生・三重大学医学部2年)と拮抗していた。津高進学、名古屋大学工学部で勝負するつもりだった。
最後は洋佑の決断・・・夏休みの面談段階で、お父さんも俺もそれを確認し合った。そして津商業進学と洋佑が決めたのだ。
書き込みのなか、「洋佑君、凛々しくなられましたね」・・・このコメント、俺の勲章とさせてもらいます。
いつしかこんな笑顔ができるようななった・・・感慨はある。
そして・・・
去年の送り出し、あの洋佑が・・・そう皆が驚くような立派なスピーチをしでかした。声も大きな声をふり絞り、内容も見事な出来だった・・・と聞いた。実は、一旦塾を辞めた郁弥が塾に復帰したいからとお母さんが突如訪問、面談をしていたのだ。
お母さんに皆が驚愕したスピーチのことを伝えると、「洋佑は一週間ほど前から家で練習してました。先輩たちには塾でも学校でもよくしてもらったから、心からの感謝の気持ちで先輩たちを送り出したい・・・そう言ってました」
洋佑が受験生としてウチの塾での最後のスピーチとなる・・・はずだ。
1年後の今日、洋佑がかつて感謝のエールを送った先輩たちから今度は洋佑が送られる側に立った。
1年前の洋佑の先輩たちに対する矜持、俺は洋佑のその気持ちに俺なりの矜持で応えたつもりだ。
全県模試の第4回、三重県順位8位の洋佑が明日、津商業に臨む。