『 HARD & LOOSE 』 れいめい塾 津市久居

塾頭の『れいめい塾発 25時』
三重県津市久居にある学習塾『れいめい塾』の塾頭のブログです。

あと1日

2016年02月08日 22時53分15秒 | ハレ

最後は俺のスピーチ・・・ウチの塾には珍しく定時の7時から始まった送り出し、後に里恵(7期生)や大典(21期生・愛知大学法学部4年)やあい(23期生・三重大学教育学部4年)が駆けつけてくれたが、この段階では姿を見せていない。そんな俺のコメント・・・

「ウチの塾は過去前期選抜の送り出しをしたことがない。しかし今年はした、洋佑が前期選抜を受けるからだ。洋佑に壁に落書きを書かせたい・・・そのために送り出しをやったんだ」

 

洋佑は津高と津商業で揺れていた。家庭では津商業、そして俺は津高・・・その狭間で揺れていた。

一見、奇妙な選択・・・しかしながら俺も洋佑のご家族も、そして洋佑もまたそれぞれの立ち位置で、洋佑にとっての一番実りある人生について考えていた。

洋佑は極度な内気だ・・・「あいつは見ようによっては自閉症やなあ」とはお父さん、そんなお父さんの夢・・・将来すぐ上の兄貴が公認会計士の試験に受かり、どこかの事務所で修業。そしていつかは開業・・・その会計事務所に洋佑が就職する。「あいつの性格だと、ふつうの企業じゃしんどい。それが兄貴が経営者となれば、あいつも気が楽だろうし、兄貴も兄弟ということで気が許せる・・・いつかは二人で会計事務所を経営する、叶うかどうか分からない・・・でも、それが僕の夢なんですよ」

このお父さんの夢、洋佑の兄貴が去年の公認会計士の試験で全国最年少で合格したことで俄然現実味を帯びることになる。

 

お父さんは洋佑の内気な性格が変わらないとの立場で洋佑の将来を思い描いた。いっぽうの俺、洋佑の性格は変わるはずだと考えて洋佑の将来に思いを馳せた。

塾に入った当初、筆談で意志を伝えあったことは今では笑い話。そして密航当時の90番台の成績も3年になる頃には一桁に入り、4番3番2番と1番に迫ったが、結局は1番を取れないままで終わりそうだ。この間、俺は洋佑の性格を引き出す作業に腐心した。洋佑の教えやすそうな下級生を見つくろっては教えさせた。いつしか同級生にも教えるようになった。馨五がコメントで言う、「樹生也と陸人なんかはやかましかったが、洋佑もその輪に入ることもあり、そんな時にこいつら馬鹿やなって感じでシニカルな言葉を入れるのがとってもおもしろかった」 ・・・つまりは洋佑の性格は徐々にではあるが変わりつつあったと思う。

できれば津高で勝負してみたかった。国語を除いた4教科では玄太(24期生・三重大学医学部2年)と拮抗していた。津高進学、名古屋大学工学部で勝負するつもりだった。

最後は洋佑の決断・・・夏休みの面談段階で、お父さんも俺もそれを確認し合った。そして津商業進学と洋佑が決めたのだ。

 

書き込みのなか、「洋佑君、凛々しくなられましたね」・・・このコメント、俺の勲章とさせてもらいます。

いつしかこんな笑顔ができるようななった・・・感慨はある。

そして・・・

 

去年の送り出し、あの洋佑が・・・そう皆が驚くような立派なスピーチをしでかした。声も大きな声をふり絞り、内容も見事な出来だった・・・と聞いた。実は、一旦塾を辞めた郁弥が塾に復帰したいからとお母さんが突如訪問、面談をしていたのだ。

お母さんに皆が驚愕したスピーチのことを伝えると、「洋佑は一週間ほど前から家で練習してました。先輩たちには塾でも学校でもよくしてもらったから、心からの感謝の気持ちで先輩たちを送り出したい・・・そう言ってました」

洋佑が受験生としてウチの塾での最後のスピーチとなる・・・はずだ。

1年後の今日、洋佑がかつて感謝のエールを送った先輩たちから今度は洋佑が送られる側に立った。

 

1年前の洋佑の先輩たちに対する矜持、俺は洋佑のその気持ちに俺なりの矜持で応えたつもりだ。

全県模試の第4回、三重県順位8位の洋佑が明日、津商業に臨む。

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前期選抜送り出し

2016年02月08日 21時28分21秒 | ハレ

取り急ぎ・・・実はちょっと席をはずしていた。中3にとっては本当に申し訳なかったが、今の俺にとり最優先事項は潤奈(津東3年)だった。

ともあれ、俺がいた段階での雰囲気を・・・

司会は望里(津東1年)、トップバッターは中1の星翔からだった。

俺が戻って来た時には恒例・・・壁に思いを書き連ねた後だった。

まずは洋佑。

友紀。

弟の柚輝のこともあり、きつくあたった和輝。「今日でオマエは晴れて塾から解放や」 そう俺が言うと、思わず微笑む。

そして優里。

今日の送り出しは6人・・・あと二人いるわけだが・・・樹生也と陸人。

・・・ともあれ、この二人は粛々と明日から授業だ。

 

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送り出し、始まる

2016年02月08日 19時06分31秒 | ハレ

前期選抜の送り出しをするのは始めてだ。

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今しがた電話を頂いたお母さん、すいません

2016年02月08日 16時58分22秒 | Weblog

今しがた入塾希望で電話を頂いたお母さんへ。

すいません、この4月からの中2はまだ空きがあります。すいませんでした。もう一度、電話をいただけませんか。

 

今日はずっと電話、見事なほどの電話、それも塾生のお父さんやお母さんたちで、入塾云々ではない。今しがた歩が来て、食器を洗いながら確率の問題を歩に出す。そこに電話、歩が取ってくれて俺に渡す。洗剤がついた手を拭きながら話すことになる。「れいめい塾さんですか。この4月から中2になるんdねすけど、まだ空きがありますか」 俺はチラッと歩を眺めて言う・・・「本当にすいません、今は一杯で・・・申し訳ないです」 

受話器を置いてから違和感・・・歩も俺のほうを不審気に見ている。あれっ、今年の4月から中2って、今の中1やん! 募集している学年やん! 納得したとばかりに歩が数学のプリントに視線を戻す。「こら歩、オマエがこんな早くからおったから間違えたやん。オマエが中2やから空きがないって思たやん。オマエが悪い!」 

 

すいません、今さっきの電話のお母さん、現在の中1は空いてます、めっちゃ募集してます。もう一度、電話してもらえませんか。

諸悪の根源である。

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塾生初の帰国子女たち

2016年02月08日 12時54分09秒 | 塾の風景

3年前の6月、いささか変わったメールをもらった・・・双子のお子さんのお母さんからの入塾希望。それ自体ならどうってことはないが、発信が日本の裏側・・・アメリカのエルパソだった。

今では goo ブログの改定とともにそのメールは消失してしまったが、その内容・・・来年の夏には日本に帰ることが決まったので塾を探していると、そしてネットなどで検索した結果、れいめい塾に入りたい・・・

30年塾を続けてきたが、さすがに海外からの密航希望は初めてだった。何度かのメールでのやり取りをしながら、翌年の夏に日本に帰国。9月から中2として南が丘中に進学するとのこと。高校入試に関しては帰国子女枠を利用したいとのこと。・・・帰国子女枠、そんなんがあることも当時の俺は知らなかったのだ。

その年の高校説明会には俺にしては珍しく積極的に出席した。たとえばこのブログ。さらにこれ

そして翌年の夏、盆前に二人は塾にやって来た・・・それが優里と友紀だった。帰国早々、中学に出向くとさっそく渡された夏休みの宿題を塾に持参、その夏は宿題だけで終わった覚えがある。

 

帰国子女枠はこの地区では津西・津東・久居にあり、それぞれが5名ほど。内申は5教科以外の4教科は考慮されず、試験は英語と数学と国語、さらに作文と面接で日本語能力と意思の疎通のほどを調べられる。

優里も友紀もたたけば伸びるタイプだったのが幸いした。いつしか津高のヒラ勝負でも充分に勝負できるレベルまでにはしごいてきた。個人的には数学に特化している友紀を津高に、バランスがいい優里を津西にとの思惑はあった。優里の数学が津高のスピードについていけるかどうかが不安だったのだ。ところが嬉しい誤算、中3の夏季講習から優里の実力が飛躍的に伸び、いつも計算ミスでしくじる友紀に点数で勝つ展開が頻繁に見られるようになった。

しかしヒラ勝負となると肝心要となる内申・・・さすがに帰国子女たちにとり、日本ナイズされた数値化する技術家庭や美術や体育は厳しい。結局優里の内申は安全圏には至らずボーダー圏にとどまることになる。いっぽうの友紀、内申では安全圏に達したが、本格的に陸上を続けたい友紀にとり、津と津西の陸上部の設備の差が致命的、津西に軍配が上がる。これらのことに加え、双子の子どもたちがともに公立に進学、高校後も塾を続けさせたいとのご両親の希望から今回の津西国際での勝負となった。

倍率4倍を超える難関の津西国際、そこには帰国子女枠のメリットはない。当然にして落ちた場合、再び津西を狙うことになる。ところが学年末試験明けの内申で優里の内申が土壇場で津高の安全圏に入った・・・津高で勝負させてやるとの中学側からのキラーパスともいえる。しかし微妙なところ、友紀と違って優里の目指す将来の職種はどちらかと言えば文系、津高にこだわることもない。今の段階で全県模試では二人ともが津高の安全圏、とはいえ受験に絶対はない。津西に普通科へのスライドがある以上は津西の後期勝負なら盤石ではある。しかし、・・・できれば明日決めたい。

 

あのメールを貰って2年と8か月、明日の前期選抜で地球の裏から貰った俺のオファーは一旦は終わりを告げる。

明日以降は二人とも、新しい講師こと貴之(鈴鹿探求S1年)の指導で高校数学に入る予定。夏休みまでには数ⅠAを終わらせる・・・新たなる課題だ。

去年の公立入試の後期送り出しの風景。司会を務めた優里の姿がある。通常なら明日菜、しかし自分からはなかなか目立とうとしない優里にあえてさせてみたのだ。そして後ろにも南が丘の緑のジャージが垣間見える、友紀だ。オマエは後ろからでも目立つわい(笑)。

いつの日か、子どもたちが海外で生活することがあるかもしれない・・・そんな時に周りの人たちが発音をしやすいようにと優里は「ユリ」ではなく「ユーリ」、そして友紀はトモノリだが、「トモ」と呼べるように・・・そんな配慮からの命名だと聞いた。俺の娘の「れい」と「めい」とはかなり違う・・・複雑だ。

この二人・・・国語の文法、助詞や助動詞、敬語に手こずっていた帰国したばかりの頃の二人が、帰国子女枠を使うことなく明日勝負に出る。

そして去年送られた側の中3・・・今の高1たちだ。

あれからほぼ1年が経つ。あの時の気持ちを覚えているのだろうか・・・。

 

前期送り出しは午後7時から。主催は高2、司会と進行は高1、なお高3は二次試験が近い。参加しなくていい、ひたすらに自分と対峙すること。

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塾が国際的になったと喧伝する気はない。むしろ英語の発音の間違いをチクチク指摘される針の筵の1年と7か月だった。ただ、アメリカンナイズされた「ユーリ」と「トモ」が、極め付きの浪花節の塾で、なんとかここまで辿り着いた。この二人に是非とも激励のクリックをお願いします。

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