3年前の6月、いささか変わったメールをもらった・・・双子のお子さんのお母さんからの入塾希望。それ自体ならどうってことはないが、発信が日本の裏側・・・アメリカのエルパソだった。
今では goo ブログの改定とともにそのメールは消失してしまったが、その内容・・・来年の夏には日本に帰ることが決まったので塾を探していると、そしてネットなどで検索した結果、れいめい塾に入りたい・・・
30年塾を続けてきたが、さすがに海外からの密航希望は初めてだった。何度かのメールでのやり取りをしながら、翌年の夏に日本に帰国。9月から中2として南が丘中に進学するとのこと。高校入試に関しては帰国子女枠を利用したいとのこと。・・・帰国子女枠、そんなんがあることも当時の俺は知らなかったのだ。
その年の高校説明会には俺にしては珍しく積極的に出席した。たとえばこのブログ。さらにこれ。
そして翌年の夏、盆前に二人は塾にやって来た・・・それが優里と友紀だった。帰国早々、中学に出向くとさっそく渡された夏休みの宿題を塾に持参、その夏は宿題だけで終わった覚えがある。
帰国子女枠はこの地区では津西・津東・久居にあり、それぞれが5名ほど。内申は5教科以外の4教科は考慮されず、試験は英語と数学と国語、さらに作文と面接で日本語能力と意思の疎通のほどを調べられる。
優里も友紀もたたけば伸びるタイプだったのが幸いした。いつしか津高のヒラ勝負でも充分に勝負できるレベルまでにはしごいてきた。個人的には数学に特化している友紀を津高に、バランスがいい優里を津西にとの思惑はあった。優里の数学が津高のスピードについていけるかどうかが不安だったのだ。ところが嬉しい誤算、中3の夏季講習から優里の実力が飛躍的に伸び、いつも計算ミスでしくじる友紀に点数で勝つ展開が頻繁に見られるようになった。
しかしヒラ勝負となると肝心要となる内申・・・さすがに帰国子女たちにとり、日本ナイズされた数値化する技術家庭や美術や体育は厳しい。結局優里の内申は安全圏には至らずボーダー圏にとどまることになる。いっぽうの友紀、内申では安全圏に達したが、本格的に陸上を続けたい友紀にとり、津と津西の陸上部の設備の差が致命的、津西に軍配が上がる。これらのことに加え、双子の子どもたちがともに公立に進学、高校後も塾を続けさせたいとのご両親の希望から今回の津西国際での勝負となった。
倍率4倍を超える難関の津西国際、そこには帰国子女枠のメリットはない。当然にして落ちた場合、再び津西を狙うことになる。ところが学年末試験明けの内申で優里の内申が土壇場で津高の安全圏に入った・・・津高で勝負させてやるとの中学側からのキラーパスともいえる。しかし微妙なところ、友紀と違って優里の目指す将来の職種はどちらかと言えば文系、津高にこだわることもない。今の段階で全県模試では二人ともが津高の安全圏、とはいえ受験に絶対はない。津西に普通科へのスライドがある以上は津西の後期勝負なら盤石ではある。しかし、・・・できれば明日決めたい。
あのメールを貰って2年と8か月、明日の前期選抜で地球の裏から貰った俺のオファーは一旦は終わりを告げる。
明日以降は二人とも、新しい講師こと貴之(鈴鹿探求S1年)の指導で高校数学に入る予定。夏休みまでには数ⅠAを終わらせる・・・新たなる課題だ。
去年の公立入試の後期送り出しの風景。司会を務めた優里の姿がある。通常なら明日菜、しかし自分からはなかなか目立とうとしない優里にあえてさせてみたのだ。そして後ろにも南が丘の緑のジャージが垣間見える、友紀だ。オマエは後ろからでも目立つわい(笑)。
いつの日か、子どもたちが海外で生活することがあるかもしれない・・・そんな時に周りの人たちが発音をしやすいようにと優里は「ユリ」ではなく「ユーリ」、そして友紀はトモノリだが、「トモ」と呼べるように・・・そんな配慮からの命名だと聞いた。俺の娘の「れい」と「めい」とはかなり違う・・・複雑だ。
この二人・・・国語の文法、助詞や助動詞、敬語に手こずっていた帰国したばかりの頃の二人が、帰国子女枠を使うことなく明日勝負に出る。
そして去年送られた側の中3・・・今の高1たちだ。
あれからほぼ1年が経つ。あの時の気持ちを覚えているのだろうか・・・。
前期送り出しは午後7時から。主催は高2、司会と進行は高1、なお高3は二次試験が近い。参加しなくていい、ひたすらに自分と対峙すること。
塾が国際的になったと喧伝する気はない。むしろ英語の発音の間違いをチクチク指摘される針の筵の1年と7か月だった。ただ、アメリカンナイズされた「ユーリ」と「トモ」が、極め付きの浪花節の塾で、なんとかここまで辿り着いた。この二人に是非とも激励のクリックをお願いします。