らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

二宮尊徳(金次郎)と小学校の関係

2009-01-18 | 雑学

皆さんは二宮金次郎をご存知ですね。
昔は殆どの小学校の校庭に、薪を背負って本を読みながら歩いている姿の「二宮金次郎の像」が立っていましたが、今では殆ど見ることがなくなりました。
昨年、神戸の町を歩いているときに、ある小学校でこの像を見かけました。

今日は「二宮尊徳(金次郎)」と小学校の関係について調べましたのでご紹介します。

「二宮尊徳」
二宮金次郎は諱(いみな)を尊徳と言い、江戸時代後期(1787年9月4日~1856年11月17日)の農政家・思想家です。
 (注)諱(いみな)とは、死後に尊んでつけた称号。諡(おくりな)のことを言います。

二宮尊徳(金次郎)は、現在の神奈川県小田原市栢山(かやま)の裕福な農民の長男として生まれました。しかし、幼少のときに生家は没落、両親とも死別して伯父の家で肩身の狭い思いをしながら「論語」「大学」「中庸」等を独自に学びました。

薪を背負い、本を手にした少年時代の二宮金次郎(本来は金治郎)のイメージはこの頃のものといわれています。

ファイル:NinomiyaKinjiro KakegawaSta 2.jpg

勤勉と倹約に努め、二十四歳で一家の再興を果たした金次郎は、その才能を認められて、小田原藩の家老・服部家の財政建て直しや藩領・下野国桜町(現在の栃木県芳賀郡二宮町)等の荒廃の復旧に成功しました。

この経験を元に独自の農法・農村改良策(報徳仕法)によって、小田原・烏山・下館・相馬藩等のおよそ600の農村や藩を復興し貧困から救いました。
やがて、水野忠邦によって幕臣に登用されてからは日光神領の復興に尽力しました。
(注)「報徳仕法」の基本的な考え方は、それぞれが分に応じた生活を守り、余剰分を拡大再生産に充てる事の重要性が強調される仕法だそうです。
   そして、それを基にした「報徳思想」即ち、「生産量に応じた分度を定め、倹約を説き、その成果としての富を譲り合うという社会的行為に導く思想を広めました。

「小学校との関係」
二宮金次郎が薪を拾って売り、そのお金で勉学したのは事実のようですが、像ように薪を背負いながら本を読んで歩く姿は実際には無く、「報徳記」を基にした幸田露伴著の「二宮尊徳翁」の挿絵で初めて紹介されたもののようです。

この姿が1904年以降の国定教科書の修身の象徴として取り上げられ、その後、各地の小学校に地元民や卒業生の寄付によって像が多く建てられたそうです。
しかし、児童が像のまねをすると交通安全上問題があるとされ、1970年以降、校舎の建て替え時に徐々に撤去されました。
栃木県二宮町では、町内の全小中学校に像があるようですが、他の都道府県では50%以上残っている市町村は少ないようです。
(注)修身とは、身を修めることを意味し、明治時代から昭和前期における小学校と国民学校で設けられた教科だそうで、戦後の道徳に相当するもののようです。

「名言・格言」
二宮尊徳はたくさんの名言・格言を残していますので、その一部をご紹介します。
・「大事をなさんと欲せば、小なることをおこたらず勤むべし。小つもりて大となればなり。」
・「運も不運も循環している」
・「譲って損は無く、奪って得は無い」
・「道徳なき経済は悪であり、経済なき道徳は寝言である」

いずれも現在に当てはまる、重みのある格言ですね。

コメント
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