大阪南部の熊取から国道170号線(外環状線)を藤井寺方面に向かって走ると、途中の富田林の手前付近に「近つ飛鳥博物館」の案内板が見えます。
この道を通るたびに「“近つ飛鳥”ってなに?」「きんつ? ちかつ? どう読むのかな?」と思っていたので、この名称は強く印象に残っていましたが、先日、たまたま「近つ飛鳥」についてテレビで取り上げていたので読み方も意味も分かりホッとしています。
「近つ飛鳥」、皆さんは何と読むのかご存知でしょうか?
普通に「ちかつあすか」読めばよかったのです。
では「近つ飛鳥」とは何なのでしょうか?
飛鳥(あすか)と言う地名は、現在の奈良県高市郡明日香村あたりの飛鳥と大阪府羽曳野市及び太子町あたりを指す飛鳥の2か所の地域名があるのだそうです。
その2つの飛鳥を区別するために、河内国(大阪府)の飛鳥は「近つ飛鳥」・「河内飛鳥」とよばれ、大和国(奈良県)の飛鳥は「遠つ飛鳥」・「大和飛鳥」と呼ばれています。
この場合の「近つ」、「遠つ」は都があった難波宮(大阪市中央区)からみて近いか遠いかによりますが、現在では単に「飛鳥」といった場合には、大阪府の飛鳥(河内飛鳥)ではなく、奈良県の飛鳥(大和飛鳥)を指すのが一般的となっています。
「近つ飛鳥」という地名は、712年口述筆記された「古事記」に記載がある古くからの地域名だということです。
履中天皇の同母弟(後の反正天皇)が、難波から大和の石上神宮に参向する途中で二泊し、その地を名付けるに、近い方を「近つ飛鳥」、遠い方を「遠つ飛鳥」と名付けたというものです。
「近つ飛鳥」は前述したとおり、今の大阪府羽曳野市飛鳥を中心とした地域を指しますが、ここに大阪府が設置した史跡公園・「近つ飛鳥風土記の丘」には、「大阪府立 近つ飛鳥博物館」があります。
この博物館は人文科学系博物館で、エリア全体が遺跡博物館ともいわれる陵墓・古墳の宝庫「近つ飛鳥」の中核的文化施設で、「日本古代国家の形成過程と国際交流をさぐる」をメインテーマとする古墳に関する博物館として、1994年に開館しています。
近つ飛鳥風土記の丘は日本を代表する群集墳「一須賀古墳群」を保存し、貴重な文化財に触れ・学び・親しむ場として設置した史跡公園で、29へクタールの園内には102基の古墳が保存されており、そのうち40基を整備し、見学できるようになっています。
そして、園内の展望台からは、「近つ飛鳥」一帯や古市古墳群、遠くには大阪市内や六甲の山並み、淡路島などが望め、春には梅や桜、秋には紅葉も楽しめる、緑いっぱいの史跡公園だそうです。
古代史に関心のある方は一度訪ねてみては如何でしょうか?
なお、参考までに、「近つ」と言う言い方を調べたところ、飛鳥以外にもありました。
それは琵琶湖の事で、昔は琵琶湖を「近つ淡海(近江:ちかつおうみ)」言っていました。
これは浜名湖を「遠つ淡海」と言うのに対しての表現なのだそうです。